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晦冥の底から  作者: 歌瑞
11/24

11 Parting



 リーチェと名乗ったその人は、少し褐色がかった翠色の瞳をぱちりと瞬かせた。

 まるで人形みたいに大きい目だけれど、可愛いというよりは綺麗。そんな怜悧な美しさがある人だ。


「貴女がミオさんですね」

「あ、ハイ」


 足先をもごもご動かしてギィの肩をぽんぽん叩けば、彼はわたしの意図を察してくれて、その場に屈んでくれる。


「ミオです」

 わたしは自分の両足で立つと、リーチェさんのほうへ姿勢を正して頭を下げた。

 彼女のまっすぐな視線はわたしを一度見とめてから、横へ滑っていく。

「それで、連絡をくださったかたは…」


「はーいオレオレ。フリップっての。そっちの熾青のダンナがミオ見っけてホゴしたヒトね」

 ずっと後ろのほうにいたフリップさんがそう言いながら、さくさくと砂を踏んでこちらへやってくる。


 リーチェさんはこくりと頷くと、片手にもっていた文庫本サイズの灰色のケースを横に掲げた。

 それを彼女の背後にいたガルムさんの白い腕が取り上げる。彼が動くたび、ごくわずかに機械の作動音がする、ような。

 その白い両腕をよくよく見れば、すごく硬そうで、それこそまさに装甲めいていて、指や肘の関節の隙間には金属の鈍い輝きがのぞいている。

 指先まで白いのは、手袋をしているからじゃない。


「クッソ砂噛んだ」

 そう言って曲げる手首から、がりごりとイヤな感じの音がした。

「洗浄めんどくせえな」

 舌打ちをする彼に、リーチェさんは呆れたような一瞥を投げる。

「だから砂上用換装しなくていいんですかって何度も確認しましたのに」



 …機械、だ。


 ケースを持ってフリップさんの方へ一歩足を踏み出した、その動きにも、微かな作動音。


 この人、手も脚も、機械だ!


 私以外の誰も驚いた様子がないのは、こういう技術が珍しいものではないからだろうか。

 脚はズボンをはいているからはっきりとはわからない。でも腕は肩まで剥き出しで、服で覆われた身体のほうまで機械の部分が続いているようだった。

 どこまで機械なのかと思わず首元に目をやってしまったけれど、ハイネックの襟からのぞく顔にかけては生身に見える。



 ガルムさんはわたし達から三歩ほど離れたところで立ち止まると、ケースを差し出した。

「謝礼だ」

 投げつけるように横柄な言い方で、ヒヤヒヤする。なんでこの人こんなに喧嘩腰なの?

 一歩前へ進み出てそれを受け取ったフリップさんは、気のない風で視線を落とし、無造作に開く。

「……フーン。謝礼、ねー。くれるってんなら貰っとくけど」

 ちらりと少し見ただけで、ぱくんと音をたてて閉じてしまうと、ズボンの背中側へそれを押し込んだ。


 二人とも、ほぼ終始じーっと互いを見据えてはずさないまま。

 睨みあう手前でとりあえず体面保ってます、そういう空気をどっちも隠すつもりがないみたいだ。

 片や憮然と、片やシニカルに口角をあげて。共通するのは皮肉げなところと、ちょっと自嘲的な雰囲気があるような…?



「さ、こちらへ」

 リーチェさんに手招きされて、躊躇する。


 ……これで、お別れなんだ。


 振り返ってギィを見上げた。

 フードの奥の、感情をあらわすことのない相貌が、長身の彼にとってはかなり低い位置だろうわたしへと向けられている。


 どうしよう、なにを言おう。いちばんに思うことは、

「ギィ、ありがとう」

 暗い地下から今まで、ずっと助けてくれて。感謝してるなんて言葉だけでは足りないくらいだ。

 ギィがいてくれたから、こうして立っていられる。

 それから、ええと。


 溢れそうなくらいの想いはあるのに、形にならない。 

 まごまごしていたら、横から伸びてきた手がぐしゃぐしゃっとわたしの髪をかき回した。

「ちょ、フリップさ、」

 力入れすぎです、首ががっくがっくしてるじゃないかー!


 頭をおさえられてるから、目線だけで抗議の意味合いを含めつつ見上げると、尖った乱杭歯が視界に入った。

 にいっと、フリップさん笑ってる。

 最初はこの顔が怖くてびくびくしてたっけ。今は全然怖くない。

 だってこのヒトがとても優しいのを知っている。

「フリップさんも、ありがとう」

「どーいたしましてー。色々面白かったし、オレもアリガトウだよ」


 彼は元気でとか、さよならとか、そういう別れの言葉を口にしないでいてくれて、それが泣きそうなくらい嬉しかった。

 きっと、保護局へ行ったら、また会う事はすごく難しいことなんじゃないかと思うんだ。だから。




「……随分と、懐いてるみてえだな」

 されるがままに撫でられていたら、囁くような低い声がぼそりと告げた。

「言っておく、あそこは保護なんざ名前だけの牢獄だ」

「ガルム」

 被せるようにリーチェさんが厳しい声で名前を呼ぶ。制止を含む色。


 どこのことを指して言っているのかはなんとなくわかった。

 ろうごく。不穏なその言葉で、とたんに心細くなる。

 どうしてガルムさんはそんな風に不安を煽るようなことを言うのだろう。

 思わず縋るようにギィを見てしまって、すぐに視線を落とした。

 駄目だ、甘えちゃいけない。


「さあ、ここは暑くて辛いでしょう。あちらの輸送機の中は空調されているからとても涼しいの。いらっしゃいな」

 再度手招きされて、リーチェさんに頷きをかえした。

 わたしは、行かなくちゃ。


 最後に一目、ギィを見上げる。

 ちょっとくらいは彼も寂しいと感じてくれているだろうか、そう思ってみつめたけれど、やっぱりその顔から感情は読み取れない。

 でも、わたしから視線を外さずに、じっと見てくれているようなのが嬉しかった。

 さよならは言いたくなかったから、えへへと笑って誤魔化して、せーので身体をぐるっと反転させた。


 さらさらした砂のせいで不安定な足元が、自分の気持ちそのままを表してしまっているようで、妙に焦る。

 こんなとこで転びたくない。


 どうにかリーチェさんの待つ先へ足を進めると、彼女はわたしを先導するように横に立ってほんの少し前を歩き、飛行機の中へと招き入れた。

 強い太陽光の下にずっといたから、急な明るさの変化に目が追いつけなくてちょっとくらくらする。

 日除けのゴーグルを外すと言っていたとおりにそこは涼しくて、ざっと見た感じのつくりは生活感のないキャンピングカーみたいだった。

 窓はなく、壁は金属の板が張ってあるだけ。

 両端にそっけないベンチが備え付けられていて、中央にでん、と人がひとり上に乗って横になれそうな大きさの機械の箱がおいてある。

 先頭の方に操縦席とここの空間を区切っているらしい扉があって、リーチェさんはわたしをベンチに座るよう促すと、扉の奥へ入っていった。



「牢獄ってどういうことだよ」

 フリップさんの声がする。

 出入り口のすぐ傍に座っていたわたしは、振り返ってそっと外を伺ってみた。

 ほんとはあんまり聞きたくない、コワイし決心が鈍るから。


 覗いた先にはガルムさんの後ろ姿と、その向こうにフリップさんとギィ。


 こちらに背中を向けている人の顔は見えないけれど、首を傾け、がりがりと頭を引っ掻くしぐさからは、何かを思案するような様子がみてとれた。

 ふう、と彼は一つ息を吐く。

「テメエらがあの嬢ちゃんを正しく庇護していたのなら───こんなとこ来なきゃよかった、そういって嬢ちゃんは泣くハメになるだろう、間違いなくな。それでも保護局に送るってんなら、このまま連れてくが。いいんだな」



 ひご。ギィやフリップさんにそんなことしなくちゃならない義務はない。

 ここまで面倒見てくれた、それだけでじゅうぶん。

 お別れの、挨拶、しなきゃ、もう会え、な




 ああだめだ。視界が歪んでいく。涙腺緩んじゃった、泣いちゃ駄目なのに。

 挨拶…今喋ったら、きっと声が震えちゃう。本格的に泣き出してしまいそうだ。


 手を振ろう。それくらいならできるはず。

 ぎしぎしと、油の足りない機械みたいに動いてくれない腕と、顔を一緒に上げた。


 、あれ。


 目の前が真っ黒、これ、コート。ギィの。

 上げかけた腕が黒い手のひらに捕らえられている。


 視線をあげると同時に、けたたましい電子音が機内に鳴り響いた。まるで警報みたい、そう考える前に、機械で合成された声が翻訳機を通して頭に入ってくる。


 ───警告、緊急事態、敵性体侵入、警告、緊急事態、敵性体侵入、警告───


 カメラのフラッシュのような閃光が壁のあちらこちらでちかちかと瞬いて、視覚でも注意を喚起していた。

「ぁあうるせえ。リーチェ、警報止めろ!」

 ガルムさんが鬱陶しそうに表情を歪め、恐らくは操縦席があるのだろう方向に怒鳴りながら進んでいった。


 てきせいたい。それが何を指しているのか、なぜ最初ガルムさんが攻撃的だったのか、理解した。

 人間が造ったものが、敵であると判断したのだ。


 ギィを。


 フードの奥の、ヒトとは違う感情の見えない眼を見つめたまま硬直したわたしの腕から、ギィの指がゆっくり離れていく。



 ああ、違う!



 とっさに伸ばした両腕で、思い切りギィに掻き付いた。

 めいっぱい腕を伸ばしてがっちり掴み、ぎゅうぎゅうと自分の身体を押し付ける。


 このヒトは、自分が『そういう』存在だ、ってきっと知ってた。認めてたんだ。

 だから、他人を避けていたんだろうか。その異形の姿をコートの下に隠して。



 びっくりしたけど、わたしはギィが敵だなんて思ったことない。

 敵だっていうなら、どうしてわたしを助けてくれたの。

 『滓』から護ってくれて、保護局のこともわたしの『これから』を考えてくれたからで。

 そうして、今、ここにいるのは───わたしが泣きそうになってたからだ。


 ギィにぐいぐい押し付けているわたしの頭の上に何かが乗って、不慣れな様子で滑っていく。


 …こんな、ヒトが。

 泣いてる子の頭を撫でてあげればいいなんて、そんなことも知らなくて、それしか知らなくて、無器用に撫でてくれてる、こんな、ヒトが、敵なわけない。

 なのに、どうして『そう』なんだろう。


 知りたくなった。


 壊れる前の人間がつくった遺物が、ギィを敵だとみなす理由。

 世界が壊れてしまった原因と、きっとつながってるんじゃないだろうか。



「ギィは、世界が壊れたのはなぜか、知っていますか」

「記録はない」


 ギィの答えはいつも簡潔だ。

 凝縮されすぎて、込められた意味のすべてを読み取るのがすごく難しい。



「お取り込み中のとこ申し訳ないんだがよ。片手間に船の電子中枢にまで侵入してくれてんのはアンタか」

 めいっぱい苛立った声に振り返ると、ガルムさんが苦りきった表情で立っていた。


 片手間?


 なんのことかと周囲に目をやったら、わたしの頭にのっているギィの手の反対、もう一方の腕が不自然に伸ばされて、入り口横の四角く区切られたディスプレイのある辺りに拳が当てられていた。


 なんだろう、インターフォン…みたいなものかな。

 ものすごい速さで文字が下から上へ流れていってる。英語っぽい。


 唐突にそれがぴたりと止まって、一際大きな文字が二、三度点滅したかと思うと、ぷつんと消えた───天井の照明も一緒に。

 停電が起きたときみたいに、騒がしく響いていた警報もなにもかも全部消えて。でもすぐに明るくなった。


「何しやがったテメエ」

「識別番号を入力した」

「しゃあしゃあと言いやがるな。痕跡は」

「無い」

「…ふん」

 面白くなさそうに鼻をならし、ガルムさんはずかずかとこちらへ歩み寄ってくる。

「まさか同乗してくるとは思わなかったが、いいだろう。だが妙な真似するようなら叩き落すぞ」

 獣が威嚇するように言いながら、ギィを押し退けるようにしてディスプレイの周囲にあるいくつかのボタンに触れた。


「ダンナーバイクどーすんのー」

 外からまるでいつもとかわらない調子でフリップさんが言うのに、ギィはポケットからちゃりちゃりと鳴るものを出して投げ渡す。

「好きに使え」

 受け取ったフリップさんの片頬がにいっと持ち上がる。

「へーい。まあまたご贔屓にー」

 笑いながら、ひらひらと指先を振った。


 え、どういうこと。


「またなーミオー!」

 フリップさんの笑顔が、しゅんと音をたてて横から滑り出てきた壁に遮られて見えなくなった。

 

「じゃあとっとと鳥の巣に帰還しますかねえ。リーチェ」

「了解」

 ガルムさんが触れているディスプレイのあたりからノイズ交じりの答えが返ってくるのとほぼ同時に、足元がびりびりと震えるくらいの重い音が唸り始める。


 ぐらぐらしてわたしはちょっとバランスを崩したけど、掴まってるギィがまったく揺らがない。

 これ、もう浮いてるのかな。


「ちょっと貴方がた、同じ所に片寄らないでくださいます!? 重いんです、重心がずれてさばきにくいったら!」

 スピーカーからリーチェさんの切羽詰ったような声が響いてきた。

 そういえばこの飛行機、今微妙に斜めになってる気がする。

「わりィな超重量で。俺と重さで張り合う奴がいるたあ思わなくてね」

 そう言いながら反対側の端っこまでガルムさんが移動すると、それに合わせて水平になったみたいだった。

 エンジンの音も少し低い音になったから、なんだか無理してたっぽい。


 ガルムさんはどっかりとベンチに腰を下ろして、顎をあげてこちらを───ギィを威圧するように睨んだ。


 ……あれ?



 ギィも、一緒?



 

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