救世主の拒絶と、賢者の願い
巨岩を粉砕したあの日から、エリを取り巻く空気は一変した。
神殿の司祭たちは彼女を伝説の「救世主」と崇め奉り、どこへ行くにも影のように付き従う。金糸をふんだんに使った華美な法衣を着せようと躍起になっているが、当のエリは真っ向からそれを拒んでいた。
「だから! 私はただの人間ですってば! そんなポジション、絶対お断りですから!」
神殿の広間に、エリの鋭い拒絶が響き渡る。
神官たちが「民の希望なのです」「どうかお聞き入れを」と執拗に食い下がる中、不意に一人の伝令が血相を変えて飛び込んできた。
「報告します! 王都北側の森に、特級魔獣が出現! 派遣された守備隊一個小隊と連絡が途絶えました! 恐らく全滅……現在の兵力では、とても太刀打ちできません!」
その場が、凍り付いたような静寂に包まれる。
神官たちは青ざめた顔を見合わせ、そして一斉に、縋るような眼差しをエリへと向けた。
「救世主様、出番です! どうかその神力で討伐を――」
「……はぁ!? 魔獣!?」
エリは素っ頓狂な声を上げた。
「見たことも聞いたこともない相手を、いきなり倒せだなんて無茶苦茶言わないで! 私は昨日まで、ただの女子高生として普通に暮らしてたのよ! 冗談じゃないわ、他を当たってください!」
エリが苛立ちを露わに踵を返そうとした、その時だった。
「……エリ。待ってくれ」
背後から響いたのは、重苦しく、それでいて静かな声。
振り返ると、そこにはオーエンが立っていた。いつも冷静沈着な彼が、今は苦渋に満ちた表情を浮かべている。
「エリ、怒るのは無理もない。だが、今この世界で、あの魔獣の結界を破り、息の根を止められる力を持っているのは……お前しかいないんだ」
オーエンはエリの前に歩み寄ると、その場に膝をつかんばかりに深く頭を下げた。
「頼む。俺たちの無力を承知で言う。……済まないが、討伐要請に応じてはくれないか」
あの不遜で自信家にさえ見えた「賢者」が、自分に対してなりふり構わず頭を下げている。
その姿を見た瞬間、エリの胸の奥がチクリと痛んだ。
彼女は天を仰いで大きなため息をつき、乱暴に頭をかきむしる。
「……分かったわよ。もう、そんな顔しないで」
エリはオーエンの腕を掴み、無理やりその顔を上げさせた。
「ただし、条件があるわ。あなたも一緒に来ること。……あなたと一緒なら、行ってあげてもいいわよ」
少しだけ照れ隠しに唇を尖らせるエリ。
オーエンは一瞬呆気に取られたように目を見開いた後、微かに、けれど確かに口角を上げた。
「ああ。命に代えても、お前は俺が守る」
「ふん、私より弱いのに? 守られる必要なんてないくらい、私がドカンとやってあげるわよ!」
「でもこんなひらひらした服では戦えないわ。戦闘服を持ってきて。『そんなものない』ですって。それじゃ魔法で着替えるからみんなあっち向いてて」
強気な言葉とは裏腹に、エリの心細さは少しだけ和らいでいた。
こうして、救世主と賢者は、魔獣の咆哮が木霊する王都郊外の森へと足を踏み入れることになった。
次回投稿は本日20時です。ウィークデイの午前7時と午後8時に投稿していきます




