救世主の戸惑い
寝かされていた客間から連れ出され、エリが案内されたのは神殿の裏手に広がる石造りの広場だった。
突き抜けるような青空の下、そこには場違いなほど巨大な岩がひとつ、鎮座している。見上げるようなその質量に、エリは思わず唾を呑み込んだ。
「……あの、私、魔法なんて使ったことないんですけど」
隣を歩くオーエンに、エリは不安げな視線を向けた。
対するオーエンは前を見据えたまま、事も無げに答える。
「俺が教えてやる。いいか、教えられた通りにするんだぞ」
「さすが賢者様ね。何でも教えられるんだ」
少しからかうような、あるいは緊張を隠すようなエリの言葉に、オーエンはわずかに眉を寄せた。
「……大人をからかうな。行くぞ」
二人は巨岩の前で足を止めた。岩肌から伝わる圧倒的な威圧感に、エリの背中に冷や汗が流れる。
オーエンが先に一歩踏み出し、岩の表面に無造作に手を触れた。
「掌から、岩の中に魔力を込めるように意識しろ」
「魔力、ですか?」
「自分の中にある不可視の力、あるいは生命力……そんなものだ。形はなくていい。とにかく、その力を岩の中に全力で叩き込んでみろ」
オーエンの説明は簡潔だったが、現代日本で生きてきたエリにとっては未知の概念だ。
戸惑いながらも、彼女は岩の冷たい感触を両掌に受け止めた。
一か八か。失敗しても「できませんでした」で済むはずだ。そう自分に言い聞かせる。
(……ええい、どうとでもなれ!)
「魔力を込めまーす!」
エリが気合とともに、体中の熱を一点に集中させた――その瞬間だった。
――パキッ。
静寂を切り裂くような、硬質な音が響く。
次の瞬間、巨岩の表面に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、眩い純白の光がその隙間から溢れ出した。
「なっ……!?」
オーエンが目を見開いたときには、すべてが遅かった。
轟音とともに巨岩が内側から弾け飛び、凄まじい衝撃波が周囲を襲う。
爆散した破片が砂塵となって舞い上がり、視界を白く染め上げた。
「エリ! 怪我はないか!?」
慌てて駆け寄ったオーエンが、土煙の中に立つ少女の肩を掴む。
だが、当のエリはかすり傷ひとつなく、ただ呆然と自分の掌を見つめていた。
そして、心配そうに覗き込むオーエンに対し、ケロッとした顔で告げた。
「ごめんなさい……岩、割れちゃいました。やりすぎちゃったかな」
困ったように笑う彼女の背後で、その光景をじっと見つめる影があった。
主席神官カルミナは、舞い散る塵の中で不敵な笑みを深く刻む。
(本物の救世主だわ。間違いなく、本物が我が陣営の手に落ちた……)
その瞳には、未来の勝利を確信した、残酷なまでの歓喜が宿っていた。
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