女神の詭弁と、不機嫌な目覚め
エリがふと気がつくと、そこはあの日、初めてこの世界で目を覚ました湖の畔だった 。
頬を撫でるそよ風も、水面にきらめく日の光も、あの時と同じだ 。だが一点だけ、決定的に違うものがあった。目の前に、今の自分の姿そのものと言える、金髪碧眼の絶世の美女が立っていたのだ 。
「……あなたが、女神ミリエル=エオニアね」
エリは直感で悟った。神殿で見た絵姿よりも遥かに神々しく、それでいて自分と同じ顔をした存在 。その女神は、慈愛に満ちた(ように見える)微笑みを浮かべて口を開いた。
「ええ。エリ、私があなたをこの世界に呼び寄せたのよ。私の誘いに応じてくれて嬉しいわ」
「誘い? 気がついたら強制的に拉致されて、石の祭壇に転がされてたんですけど」
エリの至極まっとうな突っ込みを、女神はさらりとかわした。
「心外ね。あなたは嫌だって意思表示をしなかったわ。……今、この世界では魔獣の発生が増えてきているの。それも、既存の騎士団では歯が立たないような強力な個体がね」
女神はどこか遠くを見るような目で、淡々と続けた。
「それなのに、この世界の魔法は長年の形骸化の末に弱体化してしまった。せっかくここまで見守り、育ててきた文明が破壊されるのは、私の本意ではないの。神界での私の目標達成にも関わるわ。目標達成できないと地上勤務になっちゃうのよ。だから、私は私のエージェントを送り込むことにしたのよ」
「エージェント……。それが、私だって言うの?」
「そうよ。私の魔力、神力といってもいいわと最も親和性が高く、かつこの世界にない『概念』を持つあなたを選んだの。そして、誰が見ても私の使いだと分かるように、私と同じ姿を与えたわ」
女神は自らの完璧なプロポーションを誇示するように、優雅に指先を頬に当てた 。
「ちょっと待って。要するに、女神様のワガママで勝手に連れ去って、ついでにコンプレックスだった黒髪黒目の容姿まで奪ったってことじゃない! 断固抗議します!」
エリが詰め寄ると、女神は困った子供を見るような顔で首を傾げた。
「でも、あなたをこちらへ引き上げる際、一言も拒否の言葉を発さなかったわ。沈黙は承諾の印よ?」
「寝てたんだから喋れるわけないでしょ――っ!!」
怒りと共に見開いた視界に入ってきたのは、女神の美しい顔ではなく、神殿の客間の見慣れた天井だった 。
「……っ、はぁ、はぁ……」
肩で息をしながら上半身を起こすと、じっとりと嫌な汗をかいている。夢。間違いなく夢だが、あのふざけた女神のドヤ顔だけは、網膜に焼き付いて離れない。
「なによそれ……。承諾もクソもないじゃない。だまし討ちって、こういうことを言うのよ、神様の癖に」
エリは乱暴にシーツを蹴飛ばすと、窓の外に広がるアルセリアの街を睨みつけた。
救世主だの女神の再来だのと持ち上げられ、挙句の果てに「沈黙はYES」などというジャイアニズム全開の理屈で世界を押し付けられたのだ 。不愉快極まりない。
「……あー、もう! 腹立つ! オーエン! 氷砂糖! いますぐ特大の氷砂糖持ってきなさいよ!」
エリの理不尽な怒号が、まだ夜も明けきらぬ神殿に響き渡った。




