亜丹人形の話
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ある人形の話をしたいと思う。人形に纏わる不思議な話は数多くあるが、私の話も、そんな話の一つである。
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河野亜丹は昭和期に活躍した岩手県出身の人形作家で、昭和の頃は人気を博した。
彼女の作るビスク人形は、西洋人の美しさを宿し、少女人形だが、大人の妖艶さを纏った、独特の雰囲気を醸し出していた。
しかし、生き人形ブームの去った令和の時代には、河野亜丹という人形作家も忘れ去られ、知る人ぞ知る存在になっている。
今は河野亜丹の名を聞く事もなくなったが、私は若い頃に彼女の人形を特集したテレビ番組を見て以来、いつかは彼女の人形を手に入れたいと、密かに思っていた。
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そんな河野亜丹の人形を、出張先の盛岡市のとある骨董店で見つけた。私は、予定外であったが、もうすぐ七歳になる娘のプレゼントにと買う事を決めていた。
初めての亜丹人形を手にとって、じっくりと眺める。
人形の大きさは七十センチ程で、河野亜丹の作品には珍しく、美しい赤い着物を着た日本人形だった。
顔つきは、それまでの亜丹人形に見られる西洋風というよりは純日本風で、背中に河野亜丹のサインがなければ、彼女の作品と認識されないだろうと思った。
「和装の日本人形なんて、河野亜丹の作品としては珍しいでしょう。この人形は、河野亜丹の親戚から持ち込まれた代物でね。なんでも、河野亜丹が自分の娘に似せて作った個人的な作品らしいよ」
「河野亜丹の娘さんがモデルですか」
骨董店の店主の話を聞きながら、私は河野亜丹の生涯を思った。
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確か、河野亜丹は、人形作家として注目され始めた時期に一般男性と結婚し、一人娘を産んですぐに離婚したのだったのではないか。その後、シングルマザーとなり、女手一つで娘を育てた。しかし、その娘も、小学校に上がる直前に交通事故で他界し、河野亜丹自身も癌に蝕まれて、三十代半ばでこの世を去っている。
岩手県出身なだけに、河野亜丹の未発表の作品が、盛岡の骨董店にあっても不思議ではないのかもしれない。店主の話も、強ち嘘ではないだろう。
私は店主に人形を買う事を告げ、間近に迫る娘の誕生日に自宅に輸送してくれるように頼んだ。
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「娘さんの誕生日にですか。この人形も、今まで一人ぼっちだったから、良いお友達が出来て、喜ぶでしょう」
骨董店の店主は、まるで我が子を眺めるような眼差しで、人形を見つめた。
「この人形は、もうお前のものではない。私のものだ! 」
私は、骨董店の店主に少し嫉妬めいた感情を覚えて、思わずそう怒鳴っていた。
怒鳴った後、私は大声を出した自分が信じられずに呆然としていた。この場を何とか納めようと、言葉を発しようと努めたが、出てきた言葉は「あっ、いや」の二言だった。
骨董店の店主の方も、最初は何が起きたか理解出来ず、少しの間呆然としていたが、自分が何か失礼な事をしたと思ったのか、「失礼しました。この人形は、間違いなく、娘さんの誕生日に着くように発送致します」と恐縮頻りで繰り返していた。
私は気まずい雰囲気の中、「よろしく頼みます」とだけ言い残して、埼玉県の自宅に帰った。
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「ねえ、パパ。この人形、私の妹にしても良い? 」
娘の誕生日の日。盛岡の骨董店から送られてきた桐の箱を開けるなり、娘は満面の笑みでそう言った。
「茜、毎日、この人形を抱いて寝るんだ! 」
娘の言葉に、私たち夫婦は娘の快眠を願わずにはいられなかった。
とかく娘は不眠気味で、小学生なのだからと一人部屋で一人で眠る練習をしているのだが、夜中に目が覚めるらしく、毎夜のように泣きながら、私たちの寝室を訪れていた。
「これで茜も、一人で眠れるわよね」
妻がそう言うと、人形を大事そうに抱いている娘は、「違うよ。二人で寝るんだもん」と、頬を膨らませながら抗議した。
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娘は、亜丹人形に『天音』と名前を付けた。
小学一年生にしては大人びた名前の選択だなと思ったので、私はどうしてその名前なのかと、娘に聞いてみた。
「だって、この子がそう言うの。『私は天音だよ』って」
「茜が考えたんじゃないの? 」
私が聞くと、娘は首を振って「違うよ。この子が名乗ったの」と一生懸命訴える。
私は娘に「分かったよ」と笑顔で応えたが、どこか胸に引っ掛かるものがあった。
私は書斎に行くと、パソコンを開いてネット検索を始めた。
『河野亜丹・娘・名前』
これが、私の検索したい内容だった。
まず、河野亜丹のウィキペディアを調べる。『生い立ち』の欄に娘の名前の由来が記載してあった。
《一人娘を『天音』と名付ける。この名前は、作家名を決める際に、河野亜丹が第二候補として考えていた名前である。》
娘がこの事実を知る由もない事は明らかだが、奇妙な一致である。もしや、本当に人形が名乗ったのか・・・?
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亜丹人形が我が家に来てからというもの、明らかに娘の表情が明るくなった。
「それでね、担任の山中妙子先生が、『茜ちゃん、給食は、給食のおじさんとおばさん達がみんなの為に一生懸命作っているのよ。だから、残さず食べなきゃダメよ』って言うから、茜、頑張って残さず給食を食べたんだよ」
娘は学校から帰るなり、今日学校で起きた事を話して聞かせる。
ただ、娘が学校の様子を語って聞かせる相手は、私たち両親ではなく、亜丹人形の『天音』だった。
「茜、茜は妹が欲しいのかい? 」
娘の様子を見て、普段言葉にはしないが、一人っ子の娘が実は兄弟がいない事を寂しく思っているのではないか。そう思った私は、それとなく娘に聞いてみた。
「うううん。茜は兄弟要らないもん」
娘は私の方を向き、首を横に振った。
「じゃあ、何で人形に話しかけているんだい? 」
私がそう聞くと、娘は抱えていた亜丹人形を私の方に見せながら「だって、この子が学校の事を話してって言ったんだもん」と答えた。
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「ねえ、あの人形、なんとかならないかな? 」
娘が寝静まったのを確認した後で、妻が私にボソリと言った。
「なんとかならないかって? 」
私が聞くと、妻は「あの人形が来てから、茜が明るくなったのは良かったわよ。良かったけど・・・」
妻が心配しているのは、娘があまりにも人形に執着している事だった。
「ねえ、あの人形って、人形作家さんの亡くなった娘さんに似せて作られたものなんでしょう? なんか、気味が悪くって・・・」
妻曰く、人形には、特に曰く付きの人形には魂が宿るのだという。それについては、私も思い当たる節があるので、否定は出来なかった。
「でね、茜は前から小型犬を飼いたがっていたでしょう? この際だから、犬を飼いましょうよ。そうすれば、茜の人形に対する執着もなくなって、人形を手放す事が出来ると思うの」
「人形はどうするんた? 」
私は思わず聞いていた。すると、妻は澄ました顔で「人形供養をしてくれるお寺さんに、引き取ってもらえば良いのよ」と言った。
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トイプードルが我が家の仲間入りをしたのは、それからほどなくしてからだった。
娘は想像以上に喜んで、妹のように(トイプードルはメスだった)可愛がった。名前も娘が考え、『モカ』と決まった。
「茜、『モカ』の世話は茜がするんだよ」
私がそう言うと、娘は目を輝かせて「うん」と大きく頷いた。
それからというもの、餌や飲み水の用意や散歩、ブラッシングからシャンプーまで、娘が率先して世話をした。
『モカ』と過ごす日々が増えるにつれ、娘の頭の中に亜丹人形の姿は消えつつあった。もう、一緒に寝る事もなく、学校の出来事を話して聞かせる事もなくなった。
亜丹人形が押し入れに仕舞われて、三ヶ月が過ぎた頃、私は娘に気づかれないように押し入れから亜丹人形を持ち出して、ネットで調べた人形供養で有名な雲龍寺というお寺に亜丹人形を預ける事にした。
「永代供養にしますか、それとも御焚き上げにしますか? 」
雲龍寺の住職は、私にそう聞いた。
「御焚き上げって、人形を燃やしちゃう事ですよね? 」
私がそう聞くと、住職は「そうですね。人形を読経とともに燃やして、天へ帰す供養の事ですね」とにこやかに言った。
「燃やしてしまうのは可哀想なので、永代供養でお願いします」
多分、娘や妻もそうするだろうと思いながら、私は住職に頼んでいた。
亜丹人形『天音』は、思いの外、私たち家族の一部になっていた。
9
亜丹人形を雲龍寺に預けてから、一年が過ぎていた。
私以外の家族(といっても、妻と娘)は、すっかり亜丹人形の事は忘れて、愛犬の『モカ』に夢中になっていた。
今では、私が休みの日曜日の午前中は、愛犬の『モカ』を連れて、家族みんなで近くの公園まで散歩するのが決まりになっていた。
私たちが行く公園には、公園には珍しくドッグランがあって、様々な犬用の遊具なども用意してあった。
娘の投げるテニスボールを追いかける愛犬。私たち夫婦はドッグランのベンチに腰掛けて、娘たちに声援を送る。空は晴れ渡り、白い小さな雲が浮かんでいる。そんな平和な午前中だった。
昼近くになって、私たち家族は公園の近くにある犬同伴可能なレストランで食事をする事にした。
「えっ、パパ、『モカ』も一緒に入れるレストランがあるの? 」
「ああ、この間、この公園の付近をネットで調べたら、偶然見つけたんだ」
私の言葉に、娘は飛び上がらんばかりに喜んだ。娘はなにより、愛犬と一緒に食事が出来る事がうれしかったようだ。
車通りの激しい国道沿いにある、そのレストランに向かう道すがら、普段大人しい愛犬の『モカ』が、道路の向こう側に何かを発見し、「ワン、ワン」と吠えながら道路に飛び出した!
「あっ、ダメ! モカ! 」
不意を突かれて、娘は犬を繋いでいた綱を手放し、慌てて愛犬を追って道路に飛び出した!
「茜! 危ない! 」
道路に飛び出した娘の目の前には、大型トラックが迫っていて、私たち夫婦の叫び声は、トラックのクラクションにかき消された。
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その後の出来事は、まるで夢の中の出来事のようだった。
トラックが迫る恐怖に、娘は逃げる事も出来ずに、道路の真ん中で固まってしまっていた。
「茜! 」
私は叫びながら道路に飛び出したが、自分の身体が鉛で出来ているかの如くに、足取りは遅々として進まなかった。
そうしているうちに、大型トラックは娘に迫り、ブレーキを踏んでも娘との衝突は避けられないだろうと思われた。
その瞬間、立ち尽くす娘の背中を、誰かが強く押した。
押された事で、恐怖の呪縛から解かれた娘は思い切り向こう側の歩道目掛けて走り抜け、歩道の生け垣に飛び込んでいた。
娘の背中を押したのは、赤い着物を着た髪の長い少女だった。少女の出現は、まるで地の底から沸き出でたとしか言い様のない、突然のものだった。
少女は娘が歩道に到達したのを見届けると、トラックを凝視した。
「危ない! 轢かれる! 」
トラックが少女を撥ね飛ばすかと思われた瞬間、ふっと少女の姿が消えた。
娘の方を見ると、娘もトラックを凝視していて、娘の回りで愛犬の『モカ』が無邪気に尻尾を振りながら、お座りをしていた。
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人形供養を頼んだ雲龍寺から電話があったのは、消えた少女を目撃した日の夕方だった。
「実は、あの人形の事なんですが、大変申し訳ありません。今朝確認した時には異常
はなかったのですが、今確認したら箱の中で粉々になってまして、箱は床に置いているので、高い所から落下した筈もなく、私もどうしてそうなったのか見当もつかず・・・」
私は娘に亜丹人形を寺に預けた事を説明して、家族そろって亜丹人形の様子を確認するために、雲龍寺に向かった。
「やっぱり、あの赤い着物の女の子は、『天音』だったんだよ。『天音』が茜の事、助けてくれたんだよ」
寺に向かう車内で、娘がポツリと呟いた。
桐の箱の中にあったのは、無惨に砕けた少女人形だった。
河野亜丹の娘『天音』ちゃんは、小学校に通う事なく、交通事故でこの世を去ったという。
もしもこの人形に、彼女の魂が宿っているのなら、娘に対して自らを『天音』と名乗り、自らは通えなかった小学校の様子を知りたがり、そして、自らの悲劇を友達には経験させまいと、娘の背中を押し、娘を救った事も納得出来る。
雲龍寺の住職に事情を説明すると、住職はやさしい声で「友達を助けて、この人形も本望でしょう。然らば、この人形も、安らかな所に眠らせた方がよろしいでしょう」と応えた。
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娘の夏休みを待って、私たち家族は、桐の箱を携えて岩手県に小旅行に来ていた。
岩手県を訪れる前に、亜丹人形を買った骨董店に連絡をして、事の顛末を報告した。
骨董店の店主は、亜丹人形が壊れた事をとても残念がっていたが、「でも、あの人形も娘さんの友達になれてうれしかったでしょうね。河野亜丹先生の親戚のみなさんには、こちらから連絡を入れ、事情を説明しておきます。話が決まり次第、連絡致します」と我々の訪問意図を理解してくれた。
河野亜丹の親戚の家は、岩手県一関市の外れにあった。亜丹の実家は全て家族が死に絶えて、亜丹の墓守りをその親戚がしているとの事だった。
「わざわざこんな遠くまで、よくお越しくださいました。茜ちゃん、井戸水で冷やした西瓜があるから、今持ってくるからね」
河野亜丹の親戚のみなさんは、快く私たち家族を迎え入れてくれて、私たちは亜丹の親戚と西瓜を食べながら、昔話をした。
「天音ちゃんの事故は、それは可哀想だった。亜美ちゃん(亜丹の本名)もそれは気落ちして、後追い自殺をするんでないかって心配したんだ。でも、自殺こそしなかったけれど、亜美ちゃんが癌になった時、亜美ちゃん、癌になれて良かったって言ったの。これで私も、天音の元に行けるって・・・」
亜丹の従妹の女性は、そう言って涙をこぼした。
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「あの人形は、亜美ちゃんの実家の押し入れの中に何十年と仕舞われていたの。数年前、亜美ちゃんの実家を解体する事になって、家の中を整理した時に見つけて。私の家で保管しても良かったけれど、私の子供は男ばかりで娘がいないから、人形遊びもしてやれない。それだったら、誰か人形を可愛がってもらえる人の元に行った方が良いだろうと思って、知り合いの伝で盛岡の骨董店を紹介してもらったのよ」
・亜丹の従妹は、人形を手放した経緯も話してくれた。
・そして、私が偶然出張先の盛岡で、偶然骨董店に入り、偶然以前知っていた河野亜丹の人形に巡り会い、偶然娘のプレゼントとなった。
・偶然も、これだけ重なれば必然になる。いや、これは確かに人形の意思なのだろう。
河野亜丹の親戚のご厚意で、壊れた亜丹人形は亜丹の実家の墓に埋葬される事になった。
寺の住職の読経の中、粉々になった亜丹人形が墓に納められた。
「天音、助けてくれてありがとう。ずっと友達だよ、バイバイ」
墓の石蓋が閉められた時、娘が小さな声で呟いた。私たち夫婦も、河野亜丹の墓に手を合わせて、亜丹人形にお別れをした。
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これが、私たち家族の経験した人形に纏わる不思議な話である。とかく、怪談話に利用されがちな人形譚だが、私たち家族は亜丹人形に怖さも不気味さも恐れも感じてはいない。むしろ、親しみと可愛らしさと感謝の念を感じている。こんな、人形に関する不思議な話もあるのである。
《終わり》