2-15 彼女の側に(ルシウス視点)
ルシウス・ヴェリアンデはたいてい一人でいることが多かった。
幼い頃は母親による策略で誰にも関わることがない生活を余儀なくされいていたが、父親に連れられて他家の令息と交流するようになっても一人のほうが気楽なので積極的に人と関わる人間ではない。
だからぶっきらぼうすぎて同い年の令息に避けられることが多いレインといるのは気が楽だった。気も合うしどちらも必要以上に話すことがない性格なので居心地が良かった。
家の繋がりゆえの友人は何人もいるルシウスだったが、心の底から友人だと言えるのはレインだけだった。
それはなにもおかしいことではない。人付き合いに多大な利益が生じる貴族社会では、心の底から友人だと言えるような人物が一人でもいれば良いほうである。
しかし今となってはその美貌と能力から周囲に大人気なルシウスだが、幼い頃に実父に連れられて同い年ぐらいの令息の集まりに参加させられたときは、周りの令息と比べて言語能力が低く、表情も暗かったので周りからは煙たがれられていた。
まだ幼い令息たちに家の利益のために人と仲良くなるなんて意識はほとんどない。侯爵家という身分のおかげで虐められることはなかったルシウスだが、彼に話しかけるような令息はほとんどいなかった。
ルシウスより一つ年上で、物言いが周りよりも大人びていて、いつもムッとした顔をしているレイン以外は。
「お前が一人だったから。俺は周りから嫌がられていたし、丁度いいと思った」
一度だけ、ルシウスはレインに「なんであの時僕に話しかけたの?」と聞いたことがある。
確か、無口ながらも読書好きで言語能力が高いレインに影響されたルシウスが、少しずつ話すことが多くなってきた頃のことである。
さも当然というようにルシウスの質問に返したレインは何を今更? というような表情をしてすぐに読書に戻ってしまったが、ルシウスはその言葉で救われたような気持ちになったのだ。
そして__
「あなたが一人だったから」
ベルローズのその言葉を思い出して、ルシウスは顔をしかめる。
帰ったほうが良いと促し、そんなルシウスの言葉に頷いたはずのベルローズはヴェリアンデ邸に残り、ルシウスの看病をしていた。
なぜ残ったのか尋ねたルシウスにそう返したベルローズは、しばらくしてそろそろ帰らないと夕食に遅れてしまうからと言いながら後ろ髪を引かれるような表情で帰宅した。
(あぁ……くそ……)
まだ熱が下がらず気だるさが残り、心のなかで悪態をついたルシウスの視線の先には、ベルローズが何度も洗い直してくれていた手拭いがシーツの上に転がっている。
そして、彼が眠るベッドの直ぐ側に置かれたテーブルには水が入った桶が置かれていた。桶に入っている水は帰る直前にベルローズが入れ替えているので綺麗なままだ。
貴族令嬢が自ら桶に水を入れて、それを抱えて運ぶことなんてそう滅多にはない。
ベルローズだって桶を持つ腕がプルプルと震えていた。
少し前まであれほど面倒くさがっていたはずのベルローズの言葉とその行動に嬉しさと共に芽生えてしまった感情を、そんなはずはない、とルシウスは抑えるのだった。
***
「あの……以前助けてくださった方ですよね?」
ピンクブロンドの髪を揺らしてベルローズを引き止めた少女をベルローズが見た瞬間。
ベルローズがその少女に向ける視線が、自分や初対面の人間に向けるものとは異なることに気づいた瞬間。
ルシウスは以前抑えつけた感情がベルローズへの恋情だということを受け入れた。
そして受け入れた恋情が広まるのと同時に、腹の底から湧き出たドス黒い感情。
(気に食わない……)
その感情は、熱病にかかってからというものどこか達観したような表情をすることが多かったベルローズをここまで動揺させる少女への嫉妬だった。
嫉妬のままにベルローズと少女の会話に介入し、我に返ったベルローズに腕を引かれるままルシウスは少女から離れた。
ちらりとルシウスが後ろを窺ってみると、絶対に振り返ろうとしないベルローズを少女は見つめ続けていて、それがまたルシウスの神経を逆撫でる。
少女と別れたあともぼんやりとしているベルローズは、ルシウスが呼びかけてもぼーっとしていた。
こんな様子だと街を歩き続けても無駄だと判断したルシウスは帰宅することを彼女に提案し、ベルローズはその提案に頷いた。
馬車のなかでもどこかぼんやりとしているベルローズの様子を受けて、少女への苛立ちがルシウスのなかで増していく。
(こっちを見ようとしない……あの少女だけがベルローズにとって”特別”……?)
大きくなっていく苛立ちをルシウスは微笑みで抑え込むのだった。
***
「君は僕から離れようと必死だけれど……僕から離れることは許さないよ?」
ルシウスの口から出た甘い囁きにベルローズは顔を真っ青にして目を見開く。
ベルローズの意識が僅かながらもルシウスに向いたことで、ルシウスのなかに昏い喜びが湧き出す。
ベルローズはそれまで知らなかった。
ルシウスが彼女に向ける執着も。ルシウスのなかに芽生えた重く昏い恋情も。ベルローズのパートナーを彼女の従兄弟とはいえ他の男が務めていたということに対するルシウスのドス黒い嫉妬も。『普通』になったベルローズに置いていかれるような気持ちをずっと抱いているルシウスの焦燥も。政略結婚ながらも愛があふれる家族に囲まれて笑うベルローズの側にいたいと願うルシウスの気持ちも。
(どんな手を使ってでも……側にいたいんだ)
ルシウスは切実な願いを心の奥に押し込んで、ベルローズに口付けをしてから余裕を装って「またね」と言ってベルローズから離れる。
廊下の角を曲がったルシウスは俯きながら大きく息を吐く。
彼の耳は真っ赤に染まっていて、表情はどこか思い詰めているようだった。
ベルローズに無理やり口付けをした自覚はあるのだろう。
(母親や僕に執着を向けていた頃のベルローズを嫌悪しているっていうのに、自分自身がこのザマとは……でもこうでもしないと、ベルローズは……)
心のなかでそう呟いたルシウスはもう一度だけ息を吐いて顔を上げる。
そこに浮かんだ表情はなにかを決心したようなものでありながら、昏く、それでいて他の人間が見れば思わずうっとりしてしまうほど甘美なものだった。
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