1-12 失敗
「ベルローズはここで休んでいろ。俺はルシウスを呼んでくる。あいつもお前を探してるからな」
「えぇ……わかったわ」
休憩室に入ったベルローズはソファに座るようレインに促されて、ソファに座ったままレインの言葉に頷いた。
レインは「休憩室は中から鍵がかけられるから一応かけとけ、戻ったときは外から声を掛けるから」と言い残し、休憩室を出ていく。
「はぁ……」
ソファの背もたれにトスっともたれこんだベルローズはギュッと自分の身体を抱きしめる。目一杯平気なふりをしていたがやはり恐怖心はあったようで、彼女の身体は小刻みに震えていた。
ベルローズは足に力を入れてソファから立ち上がり、レインに言われたとおり休憩室の鍵をかける。
ガチャリという重たい音がこの場の安全を表現しているような気がして、ベルローズはゆっくりと深呼吸をした。
もう一度ソファに座り込んだベルローズはぼーっと部屋の照明を眺める。
(お兄様はルシウスが私を探しているだなんて言っていたけれど、別にそこまで必死で探してるわけないわ)
心のなかでベルローズは少し呆れたように考える。
ルシウスはパートナーであるベルローズがレインの妹である以上、友人であるレインの手前ベルローズを探さないという選択肢がないだけであり、おそらくベルローズのことなど一欠片も心配などしていないだろう。
しばらくするとコンコンというノックの音とともに、休憩室の外から「俺だベルローズ。開けてくれ」というレインの声がした。
再びソファから立ち上がったベルローズは部屋の鍵を開けて、ギィーっと扉を開く。
開いた扉からレインとルシウスが並んで入ってきたので、ベルローズはソファのほうへと戻った。
「大丈夫かい? ベルローズ」
「えぇ、ルシウス様。お兄様が助けてくれたおかげで」
「そう……よかった。僕がパートナーとして側にいるべきだったのにすまない」
「いえ、迷った私が悪いので……」
柔和な表情に申し訳なさそうな感情をのせて謝るルシウスにベルローズは笑いながらそう返す。
(ほら、やっぱり)
ベルローズのほうを心配そうに見るルシウスを見て、ベルローズは心のなかでそう呟く。
彼は一見するとベルローズを心配しているように見えるがその瞳は別にそうでもない。いつもと同じような瞳でベルローズを見ているだけだ。
ソファに座るベルローズの近くまで寄ったルシウスとレインはベルローズを見下ろす。
「あ……ベルローズ。髪飾りがズレて__」
「……っ!」
ベルローズの髪飾りに手を伸ばしたルシウスの腕をベルローズは咄嗟に弾いてしまっていた。
パシッと乾いた音が休憩室に響き渡り、レインの「ベルローズ……?」という声でベルローズは我に返った。
「あ、ちが……! すみませんルシウス様。あの、私……」
ルシウスの手が先ほどの男の手と重なり、反射的に拒否してしまったベルローズは自分が『失敗』したことに気づいた。
サーっと青ざめたベルローズは慌てて言葉を重ねるが、なんと言えばいいのかわからなくなって意味のある言葉は出てこない。
「……大丈夫だよ、ベルローズ。ごめんね、レインから話を聞いていたのに無遠慮に触れようとしてしまって」
「……ベルローズ、今日はもう帰ったほうがいい。俺と一緒に帰ろう」
「ダメよ!」
申し訳なさそうに笑うルシウスを一瞥したレインの言葉に、ベルローズは大きな声で反応した。
急に大きな声を出した妹に目を見開いたレインとじーっとベルローズを見つめているルシウスを前に、ベルローズは必死になって言葉を探す。
ここでレインと一緒に帰ってしまえば、感の鋭いルシウスがなにを思うかベルローズには悪い予感しかしなかった。
「だ、大丈夫よ、お兄様。私まだ残れるわ……」
「だめに決まっているだろう。今日は帰るんだ、ベルローズ」
「だったら! ルシウス様に送っていただくわ。もとより今日はそういう予定でしょう?」
レインはベルローズの言葉にはぁーっとため息をつく。そんなレインの肩にルシウスはぽんっと自身の手をおいた。
「ベルローズがそれでいいと言ってるなら僕はそれで構わないよ。レインもユリアデナ伯爵令嬢を待たせているんだろう?」
ルシウスは柔らかく微笑みながら言葉を紡ぐ。ベルローズに向ける視線とは異なり、友情に満ちた瞳に(兄妹でここまで違うとは……)だなんて場違いなことをベルローズは考えた。
ちなみにユリアデナ伯爵令嬢とはレインの婚約者である。
「……それじゃぁ頼むよ、ルシウス。ベルローズも、家に帰ったらすぐ休めよ」
「えぇ、わかったわ」
コクっと頷くベルローズを見たレインは休憩室をあとにした。
バタンと扉が閉じて、休憩室にベルローズとルシウスだけが残される。
「僕たちも行こうか。大丈夫?」
「はい、大丈夫ですわ」
ベルローズはルシウスの言葉に軽く頷いて、彼が差し出してくれた右手に自分の手を添えたのだった。
***
「送っていただき、ありがとうございました。また今度会えるのを今から楽しみにしていますわ」
フェルメナース邸の前に停まった馬車から降りて、ベルローズは馬車のなかに座っているルシウスに声をかけた。
ベルローズはできるだけ甘い声を意識して、次に会えることを楽しみにしているとアピールする。以前のベルローズもこれくらいのことはルシウスに会うたびに言っていたし、馬車のなかで疲れていたせいでルシウスと全く会話ができなかったので丁度いいだろう。
「あぁ、僕も楽しみにしているよ」
穏やかな微笑みを浮かべたルシウスは一度口を閉じてから、再び口を開く。
「ねぇ、ベルローズ。君はもう僕のことを好きじゃないんだろう?」
「え……?」
ルシウスの言葉にベルローズは小さく声を漏らす。
ベルローズの心臓はバクバクと音を鳴らし、先ほどまで聞こえていたはずの梟や虫の鳴き声は彼女の耳に全く入ってこなくなった。
キーンという耳鳴りの音にルシウスの言葉が幾重にも重なる。
ベルローズは先ほど男に掴まれたときだって、大声をあげようとする気力があったのに今は喉になにかが詰まっているかのように声が出ない。
「ふーん、やっぱり」
「あ……ちが……」
ベルローズと会うときには欠かすことがなかった微笑みを消したルシウスは、無表情で無機質な声を出した。
その顔つきがいつかの彼の無表情と重なり、ベルローズが否定をしようと開いた口は中途半端な形で止まってしまった。
「じゃ、またね。ベルローズ」
穏やかでありながら偽りの微笑みをパッと顔に浮かべたルシウスはそれだけ言って馬車を出すよう御者に命じる。
ヴェリアンデ家の馬車がフェルメナース邸の門から出ていったのを理解したベルローズはヘナヘナとその場に座り込んだ。
(バレた……一番バレてはダメな人にバレてしまった……)
真っ青な顔でその場に座り込むベルローズを心配した使用人が屋敷から出てくるが、ベルローズには些細なことでしかなかった。
ルシウスにベルローズの心変わりがこうも早くバレてしまったことで、転生したと気付いた日にたてた誓いは既に壊れ始めていたのだった。
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