1-10 夜会にて
「ありがとうございます。ルシウス様」
馬車がきらびやかな夜会会場の前で停まり、先に降りたルシウスがベルローズに向かって右手を差し出す。
その手に自身の左手をのせながらベルローズは感謝を言葉にした。
ルシウスの近くにいると彼がつけている爽やかな香水の匂いがベルローズのほうにも流れてくる。
その匂いになんだか落ち着かない気持ちになりながらも、ベルローズはルシウスのできるだけ近くに寄ったまま夜会会場へと足を運んだ。
会場には既に何十人もの貴族が訪れていて、談笑を始めている。
「今日がデビュタントの令嬢たちもいるね」
「あ……ほんとうですね」
会場の中央付近で親であろう貴族とともにソワソワした様子で立っている白いドレスを着た令嬢たちに目を向けてルシウスが言い、ベルローズもそれに返す。
この国の貴族令嬢は10歳ぐらいでデビュタントをするのが通例で、例に漏れずベルローズも去年デビュタントを終えたばかりである。
デビュタントのときもパートナーをルシウスに頼みたがったベルローズだが、婚約者でもないのにさすがにそれは頼めないと両親に説得され、渋々兄のレインと会場に入った記憶がベルローズには鮮やかに残っていた。
「……君がデビュタントを迎えてからもう1年経つだなんて信じられないな」
「ふふっ。あっという間でしたもの」
感慨深げに話すルシウスだが、ベルローズにはなんの感情もこもっていないように感じられて心のなかで怯えながらルシウスに応えた。
「そんなことより、ルシウス様。一曲、踊りませんか?」
「あぁ、もちろん」
ベルローズはルシウスに甘えるような声を出して、彼をダンスに誘う。
もとよりベルローズはルシウスと踊るのが大好きで、前回彼にパートナーになってもらったときは彼が「疲れたからもう踊れそうにない」と音を上げるまでずっと相手をさせていた。あの時のルシウスは心の底から疲れていたのが今のベルローズにはわかり、申し訳ないことをしたと思う。
会場の中央で既に何組かがワルツを踊っていて、ルシウスにエスコートされたベルローズはその輪の中に入っていく。
ルシウスの腕が腰に回り、先ほどよりもグッと彼との距離が近くなったことにベルローズは内心今にも逃げ出したい気持ちだが、そんなこと許されるはずがない。
ルシウスと反射的に距離を取りたくなる心をギュッと抑え込み、ベルローズは彼の腕に身を委ねる。
「……病気になってから、なにか変わったことはない?」
「え? あ……変わったこと、ですか?」
「そう。変わったこと」
突然ルシウスがベルローズの顔に自身の顔を近づけてそう尋ねてくる。
心臓が数センチ浮いた心地がしたベルローズは、声が裏返らないように気をつけながら聞き返すが、ルシウスはにっこりとした笑みのまますぐに言葉を返した。
急な彼の漠然とした質問の真意を探ろうとしても、彼の瞳に映るのは困惑したベルローズの姿のみであり、彼の感情はベルローズに全くもって伝わってこない。
「……特に後遺症もなく、過ごせていますわ」
ひりつく喉から絞り出した言葉にルシウスは「そう、よかった」とだけ返して踊り続ける。
それまではベルローズより少し身長の高いルシウスのほうを見つめながら踊っていたベルローズだが、これ以上彼を見ていたらなにかを見透かされてしまうような気がして、視線を下げて足元を気にしている素振りをする。
曲が終わるまで視線を上げることがなかったベルローズは、そんな彼女をルシウスがじっと見つめていたことにも気づかなかったのであった。
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