1-9 少しずつ距離を取る
「……今日も綺麗だね、ベルローズ。元気になったようでなによりだよ」
「えぇ、おかげさまでもうすっかり元通りですわ」
ベルローズの挨拶にそう返しながら朗らかな微笑みを浮かべるルシウスだったが、よくよく見ると彼の瞳は一切笑っていない。
その事実に軽く恐怖を覚えるベルローズだったが、そんな心情を外に出すことはなく甘ったるい声でルシウスに応じた。
「それじゃぁ、行こうか。レイン、またあとで会おう」
「あぁ。ルシウスに迷惑をかけるなよ、ベルローズ」
ルシウスの言葉に軽く頷いたレインは、ベルローズの方を厳しい目で見ながら言う。レインは既に婚約者が決まっているので今日の夜会も婚約者と出席する予定だ。
彼の言葉は妹が心配……というよりも自分の友人に迷惑をかけるなという忠告だろう。そんなレインの忠告にフフッと微笑んだベルローズはルシウスの側に寄る。
「わかってるわ、お兄様。ルシウス様にご迷惑なんてかけるわけないじゃない」
ルシウスの方をチラチラと窺うふりをしながらベルローズはそう答えた。ルシウスは兄妹が会話している間、ずっと微笑んでいた。
「……そうか」
「えぇ。ルシウス様、行きましょう?」
「あぁ」
ベルローズの言葉に頷いたルシウスはベルローズをエスコートするために右手を差し出す。ベルローズが控えめにそっと自身の左手をルシウスの右手にのせると、あたりの雰囲気が確実に変化した。
(……やりすぎたかしら?)
兄と周りに立っている使用人らが醸し出す困惑の空気にベルローズはたらりと冷や汗を流す。
今までのベルローズはルシウスが差し出すエスコートの手を無視して、彼の腕に自分の腕を絡めていたのが常だった。それが急にエスコートに応じ始めたのだから周りは困惑するに決まっている。
流石に距離を取るのが早すぎたかとベルローズは不安になるが、もはや後戻りは出来ない。ベルローズは腕を絡めずとも出来うる限りルシウスの側に寄ってレインに微笑みかけた。
「行ってきます、お兄様」
「…………あぁ」
兄にも、使用人にも注目されていて居ても立っても居られなくなってベルローズは少々強引に玄関を出る。
馬車へと乗り込むまでの少しの間、ちらりとルシウスを窺ったベルローズだが彼の表情が先ほどから全く変化していないのを見て小さく息をつく。
(良かった……まぁ、ルシウスは私に興味関心がないもの。当たり前ね)
心のなかでそう呟いたベルローズはルシウスに促されるまま、馬車に乗り込んだのだった。
***
「……」
「……」
(どうしよう、話すことがないわ……!)
夜会へと向かう馬車のなかでルシウスと向き合うように座ったベルローズは、馬車が発車してからずっと彼とニコニコと微笑み合っていた。
以前のベルローズであれば珍しい宝石を買っただのドレスを仕立てただの、そういった類の話を銃弾のようにルシウスに浴びせていたのだが、ここ最近話題に上がるようなことをしていないベルローズは微笑むことしか出来ず、ルシウスも話しかけてくることはないので馬車内にはずっと気まずい沈黙が続いている。
本日のドレスについて話してもよかったのだが、これから少しずつ離れようというのに「貴方の瞳の色のドレスです」と言うのはなんだか気が引けたベルローズである。
(以前までのベルローズがルシウスを前にして黙り込むなんてことするわけないわ……なにか話さないと…………)
口元が引きつりそうになりながらそう決意したベルローズは、重たい口を開く。
「ずいぶん長いことお会いできませんでしたが、お変わりなく過ごされましたか?」
「あぁ、いつも通り勉強と社交の日々だったよ。何度かフェルメナース家に伺ったのだけど、タイミングが合わなかったらしくてベルローズと会えなくて寂しかったから今日を楽しみにしていたんだ」
「……まぁ、そんな言葉をいただけると嬉しいです」
ベルローズが必死になって繰り出した質問につらつらと答えたルシウスは、そのまま流暢にお世辞まで言ってみせた。それがあまりにも自然に口から出てくるものだから、ベルローズは一瞬虚を突かれたように黙り込んでしまった。
すぐに頬を染めて言葉を返したベルローズだが、にこにこと笑うルシウスの心情は全くもってわからない。
そんなルシウスの様子にベルローズは心のなかでため息をついた。
(こんなこと言われたら、どうしたって熱を上げるわよ……)
おそらくルシウスはベルローズが喜ぶような言葉を言っておいたほうが彼女の機嫌がとれるからそうしているのだろうが、今のベルローズにはそんな彼の態度が以前のベルローズの恋心を苛烈に育てる一因となったと言っても過言ではないような気がした。
その後もベルローズが繰り出す質問にルシウスが答えていくという形式で、夜会会場までの道を進んでいったのだった。
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