4 古巣
幻想庭園のテラスでリーナの過去を聞いたその夜、クロウは静かに屋敷を抜け出した。月明かりだけを頼りに、漆黒の外套を羽織り、肩に巨大な剪定鋏を担ぐ。 リーナの黄金の瞳を奪った男――その影を、根こそぎ剪定する。
それが、庭師としての次の仕事だった。
振り返り、ガーデニア邸に目を向ける。この邸宅に来てから間もないというのに、妙な居心地のよさを感じている。生まれてから帰る場所というものが存在してなかったクロウにとって、初めて帰りたいと思える場所であった。僅かな頬の緩みを解き、暗殺者として冷淡な表情に切り替えたクロウは一人呟く。
「行くか…」
そして、夜の闇に溶け込んだ。
──王都から東へ三時間。
地下に広がる巨大な暗殺ギルド『黒棘の巣』。
表向きは酒場だが、地下三階までは血と金と死の匂いが充満する、暗殺者たちの巣窟だ。
ギルドの最深部、依頼受付の広間。天井の魔石ランプがぼんやりと照らす中、数十人の暗殺者たちが酒を酌み交わしていた。
その中央に、坊主頭の巨漢が座っていた。 筋肉が鎧のように盛り上がり、首に古い傷跡が走る。 ギルドの幹部であり、クロウが暗殺者時代に「雇い主」と呼んだ男――バルド・ザーク。
「へへっ、今夜も金が舞い込むぜ……」
バルドはグラスを傾けながら、依頼書をめくっていた。
突然、広間の空気が変わった。魔力が一瞬、凍りつくような静寂。誰もが息を呑み、視線が一斉に扉へ向いた。
そこに、黒髪の男が立っていた。剪定鋏を肩に担ぎ、表情は氷のように冷たい。漆黒の外套が、風もないのにわずかに揺れる。
「……ソウルプルーナー……!?」
誰かの呟きが、広間に響いた。
次の瞬間、ざわめきが爆発した。
「噓だろ……あの『魂を剪定する者』が生きてたのか!?」
「最後の依頼からギルドを去ったって聞いたが……」
「近寄るな!あいつの力は、命が一瞬で事切れるかのように絶命すると、聞いたことがあるぞ!」
暗殺者たちが椅子を倒して後ずさる中、バルドだけがゆっくりと立ち上がった。坊主頭に汗が浮かび、口元が引きつる。
「クロウ……お前、生きてたのか?依頼の完了報告ってわけじゃないな…今さらギルドに戻ってきて、なんのようだ…?」
クロウは無言で歩を進め、バルドの真正面で止まった。剪定鋏の刃が、魔石の光を冷たく反射する。
「リーナ・ガーデニアの暗殺依頼。お前が俺にした依頼だ、覚えているな?」
バルドの目が一瞬泳いだ。
「……知らねえよ。そんな依頼、覚えちゃいねえ。俺はただの窓口だ」
クロウの瞳が鋭く細められた。
命の流れを「視る」。
バルドの胸の奥、心臓を巡る黒い糸が、わずかに震えている。
「噓をつくな」
次の瞬間、クロウの指先が光った。
人差し指と中指に命の流れを収束させ、鋏のイメージを重ねる。一瞬の動き。バルドの右腕に絡みつく命の線が、音もなく切断された。
「ぐああああっ!?」
バルドが膝をつき、右腕を押さえて絶叫した。
腕は動くが、力が入らない。
命の流れが一時的に「剪定」され、筋肉と神経が機能停止したのだ。
周囲の暗殺者たちが武器を抜いたが、誰も近づけない。ソウルプルーナーの名は、このギルドで刻まれた恐怖そのものだったからだ。
クロウはバルドの襟を掴み、冷たい声で続けた。
「次答えを言わなければ、こいつを抜くぞ……」
そういうとクロウは背中背負っている剪定鋏にゆっくり指を一本ずつかけていく。死の宣告の秒針を刻むように。
バルドは歯を食いしばり、汗だくで吐き出した。
「……わ、わかった!依頼主は顔を見せなかった。本当だそ!! ローブの裾から見えた指は白く、声は低くて枯れてた……金貨を山ほど積んで、『ガーデニア家の娘を、ゆっくり死なせろ』って……それだけだ!本当にそれだけなんだよ、ソウルプルーナー!」
クロウはバルドの襟を離し、ゆっくりと立ち上がった。命の流れを元に戻す。バルドの右腕が、びくりと動きを取り戻した。
「……黒いローブ。それが、三年前にリーナの瞳を奪った男と同じか」
クロウは背を向け、広間を歩き始めた。
暗殺者たちが道を空ける。
誰も止められない。
誰も、止めようとしない。
扉の前で、クロウは振り返らずに言った。
「もう二度と、リーナの名を依頼書に載せるな。次にここに来るときは……全員の命を、根こそぎ刈り取る」
静寂だけが残った。
──ガーデニア邸に戻ったのは、夜明け前だった。
クロウは庭師の服に着替え、幻想庭園のベンチに腰を下ろした。
「クロウさん……?」
柔らかな声。リーナが、白いドレス姿で小道を歩いてくる。盲目ながら、庭の命の流れを感じ取り、迷わずクロウの元へ。彼女はそっと隣に座り、クロウの袖を掴んだ。
「夜中に……どこへ?」
クロウは少し迷い、けれど正直に答えた。
「俺の古巣にちょっとな…俺は暗殺者ギルドにいた。そこでお前の暗殺の依頼を受けたんだ…今まで伝えてなくてすまなかった…ただ、あまり有益な情報はなかったが、暗殺の依頼主とお前の呪いをかけたやつ同じやつの可能性が高いことだけ分かった」
リーナの指が、わずかに震えた。
「危ないことを……私のために、そんな……」
クロウは自然と彼女の手を、優しく包んでいた。温かい。黄金の輝きに似た、柔らかな命の流れ。
「庭師の仕事だ。雑草は、根元から抜かないとな」
リーナはくすくすと笑った。闇の中で、初めて見せるような、明るい笑みだった。
「ありがとう……クロウさん。あなたが来てくれて、本当によかった」
朝日が、幻想庭園に差し込む。
花々が、ゆっくりと花開き始めた。
クロウはリーナに静かに呟いた。僅かに握る手を強めながら。
「次は、あの黒ローブの男を剪定する。お前の瞳を、必ず取り戻してやる」
朝日に照らされた二人の影が、華麗に蘇りつつある庭に長く伸びていた。




