3 リーナ・ガーデニア
桜色に染まる花々が陽光に照らされ、季節を飾りつけているそんな時期。幻想庭園の奥、噴水の傍で、リーナは一人で花に語りかけていた。
黄金の瞳が映す世界は、いつも色鮮やかだった。花びら一枚一枚に宿る命の光が、細い糸のように絡み合い、優しく脈打つ。彼女はその光を指先でなぞるように触れ、微笑んだ。
「今日もきれいね。あなたたち、ずっとこのままでいて」
風がそっと髪を揺らし、噴水の水音が心地よい調べを奏でる。ガーデニア家の庭園は、完全な輝きを保っていた。近隣諸国から貴族たちが訪れ、息を呑んで「幻想」と称賛するほどの美しさ。幼き日のリーナはその中心にいた。黄金の瞳を持つ娘として、生まれながらの祝福を受けていた。
けれど、その日は違った。
空気が急に重くなった。
噴水の水面が、黒く淀むように揺れ、リーナは顔を上げ、瞳を細めた。庭の向こう、木々の影から、一人の男が現れた。禍々しい黒いローブを纏い、フードで顔を深く隠している。手には、古びた杖。先端に嵌められた黒い宝石が、不気味に光を吸い込んでいた。
「……誰?」
リーナの声は小さく震えた。
男はゆっくりと近づき、低い声で言った。
「黄金の瞳を持つ娘よ。お前の力は、この世に在ってはならない」
リーナは後ずさった。足がもつれ、噴水の縁に腰を落とす。男の周囲に、黒い霧が広がり始めた。それは霧ではなく、命の流れをねじ曲げる呪いの糸だった。
リーナの瞳に映る世界が、初めて歪んだ。
「やめて……!」
彼女は叫んだ。
けれど、黒い荊棘のようなものが、足元から這い上がり、体を絡め取った。冷たく、粘つく感触。胸の奥で、何かが引き裂かれるような痛み。黄金の瞳が、急速に輝きを失っていく。
男は嘲るように笑った。
「これで、お前はもう何も見えまい。黄金の瞳など、ただの呪いの種に過ぎん」
リーナの視界が闇に落ちた。花の色が消え、噴水の音が遠ざかり、世界が静寂に包まれた。彼女は地面に崩れ落ち、両手で顔を覆った。しかし、指の隙間からは、とめどなく雫が流れ落ちた。
その夜、邸宅は騒然となった。使用人たちが駆けつけ、父ガーデニア・カーネが娘を抱き上げた。リーナの瞳は固く閉じられ、黄金の輝きは跡形もなく消えていた。父は医師を呼び、魔術師を呼び、ありとあらゆる手段を尽くした。けれど、呪いは解けなかった。
数ヶ月後、母が病に倒れた。リーナの呪いが、幻想庭園の魔力と深く繋がっていたからだ。母は毎夜、娘の傍らで祈り続けた。リーナの瞳が戻るように。庭が元に戻るようにと。けれど、母の体は日に日に弱り、やがて静かに息を引き取った。
葬儀の日。
リーナはベッドから起き上がり、母の棺に触れた。
見えない瞳で、母の命の流れを探した。 もう、そこには何もなかった。ただ、冷たい闇だけ。
父は変わった。かつての豪快な笑顔は消え、庭園の管理に没頭するようになった。けれど、庭は衰え続けていた。 黒い荊棘が根を張り、花々が萎れ、魔力が逆流する。 すべては、リーナの呪いと共鳴していた。
それから数年。リーナは闇の中で生き続けた。瞳は見えなくても、心は見えていた。人の感情の色、命の微かな輝き。父の疲れた背中、使用人たちの心配、訪れる客たちの同情。すべてを感じ取りながら、彼女は静かに耐えていた。
そして、あの夜。
暗殺者の男が現れ、彼女の命を救った。剪定鋏で呪いの荊棘を断ち切り、黄金の光を少しだけ取り戻してくれた。クロウと名乗るその男は、言葉は少ないが、心の色は優しかった。漆黒の中には、確かに黄金の欠片が宿っていた。
今、幻想庭園は輝きを取り戻しつつある。
クロウが呪いの巨人を剪定し、庭の命の流れを正した日から、花々は少しずつ息を吹き返している。
テラスで紅茶を飲みながら、リーナはそっと口を開いた。
「クロウさん……これが私の過去に起きた出来事のすべてです」
リーナの独白を深く思慮しながら聞いていたクロウはリーナの話が終わると無言で立ち上がり、庭を見渡した。そして、彼の命の流れを視る瞳が鋭く光る。
「その男の名は?」
「……わからないんです。父も、ずっと探し続けましたが……」
クロウは剪定鋏を肩に担ぎ直した。
「なら、俺が探す。根源を、根こそぎ剪定してやる」
リーナは微笑んだ。闇の中で、初めて、心からの笑みだった。
「ありがとう、クロウさん。でも……」
リーナの頭に荒々しい手の中に暖かさを感じる大きな手がかかり、彼女の言葉に被せるようにクロウは言う。
「お前を元気にするのが俺の使命だ。この命はあの日からお前のためにだけ存在する」
リーナの閉じられた眼から一筋の雫がこぼれ落ちる。でもその雫は暖かさを滲ませたものだった。




