宴の始末
――深いまどろみの中にいる。
暗い海。
手を伸ばしても、足をばたつかせても、
何も届かない――深い水の中に落ちていく。
何故、こんなところにいるのか。
ウチは思い出す……
「ああ……そうか。
ウチは、負けたんやった」
シァン・クーファンとの「闇」の決闘に敗北して、ウチはカードに封印されることになった……ウチの精神は「闇」のエレメントに侵食されたのだ。
ここには誰もいない。
泣いても、叫んでも、どこにも届かない!
「(……みんなに、会いたいよ)」
やがて――
長い時間が過ぎた。
長い、長い時間が経過して、
ウチはいつしか考えるのを止めた――
……………。
……………。
……………。
……………。
……………。
……………。
……………。
……………。
……………。
………。
……。
…。
そこに、一筋の光が差す。
「………………?」
闇に慣れた目を潰すような、眩い光。
「(あの光は――なんだか、白い?)」
意識が急上昇していく……。
……現実の肉体が目を覚ました。
「あっ」
眼前にあったのは、
見慣れない、白い天井――
「――知らない、天井や」
「それは、ちょっとエヴァの影響受けすぎね」
懐かしい声に振り向く。
そこにいたのは――
「ウルカ……いや、真由ちゃん」
「いいかげん、ウルカでいいわよ。
私もそろそろ、そう呼ばれるのに慣れてきたし――私は転生したウルカ本人なんでしょう?ね、イサマルくん」
青紫色の髪をゲームのお嬢様キャラのようなコテコテの縦ロールに巻いた――乙女ゲームの悪役令嬢本人である、ウルカ・メサイア。
真由ちゃんの転生体であるウルカは微笑んだ。
気づくと、ここは「学園」の保健室だ。
保健室のベッドで横たわっていたウチは、治癒魔法のカードをセットされた医療器具に繋がれて、病院服に着替えさせられていたようだ。
そうか――ウチは、助かったんだ。
「(たしかに「闇」の決闘で封印されても、カードから解放される可能性はゼロじゃない。だけど……ウチが眠っているあいだに、どれだけの時間が過ぎたのだろうか)」
『デュエル・マニアクス』の物語は……
カードにされている間に終わってしまったのかも。
「うっ……」
身体に倦怠感を感じる。
ずっと眠っていたために筋肉が固まっているようだ。
とはいえ、目の前の少女の外見は変わっていない。
どういうことだろう?
「なぁ……
ウチが眠ってから、どれだけの時間が経ったんや?」
「えっ、時間?そうねぇ……」
ウルカちゃんは部屋のカレンダーに目を移す。
「二週間くらいだけど」
――ん?
ウチもカレンダーを見た。
「ええと、神札暦3024年……7月21日……」
肝試しに行ったのが7月7日、だから――
14日。ちょうど二週間前。
――たったの二週間前!?
「……はぁ!?」
「今日から夏休みよ。私は実家に帰るつもりは無いから、寮で過ごすことになるけれど――ユーアちゃんとジェラルド、それにジョセフィーヌちゃん、あとエルちゃんとウィンドくんは帰省したみたいね。他にこっちに残っているのは、アスマとドネイト先輩くらいかしら」
い、いやいやいや!?
「ウソやん!?そないに早く、ウチをカードから戻す方法を見つけたんか!?」
「……あのね、実はイサマルくんがカードにされた後で、すぐに戻すことはできたの。ただ……「闇」の決闘で受けたダメージが酷くて、回復するのにこれだけかかったのよ」
「いやでも、あんなに長い時間だと思ってたのに。
たった二週間か……」
――そうだ!
「じゃあ、エルちゃんとドネイトくんは!?」
「あの二人は大丈夫。二、三日もしたら回復したらしいわ。私はその後で。――重症だったのは、イサマルくんの方よ」
「でも……ウチなんかよりも、まゆ……ウルカちゃんの方がよっぽどダメージを受けてたのに」
「それはもう、鍛え方の違いじゃない?」
ウルカちゃんは、おどけて力こぶをつくった。
「へ、へへ……ウチはローラースケート頼りやもんね。ま……ウルカちゃんは、こっちの世界でも相変わらず虫取り?」
「ええ。三つ子の魂、百までってところかしら。私が前世の記憶を思い出したのは、4月の入学直後の頃だけど――その前から、私はスピリットの捕獲やダンジョンの探索よりも、昆虫採集が大好きだったわ。記憶が無くても、根っこの性分は変わらないものね」
「4月――ウチも、ちょうどその頃や。
玉緒しのぶとしての記憶を思い出したのは」
「――私はウルカであり真由でもあるのよね。
イサマルくんが、しのぶちゃんであるように」
☆☆☆
イサマルくんが目覚めた――
ひとまず、メッセージアプリでマロー先生に一報を入れる。
私はイサマルくんが眠っていた間のことをかいつまんで話した。
まずは――
肝試し大会は、聖決闘会による旧校舎――ダンジョン『魔科精霊遺伝総研』探索のための方便であることが「学園」側にバレることになった。
無許可のダンジョン探索、加えて聖決闘会の職権乱用、その他もろもろの罰則として主催者であるウィンドくんは「学園」中の掃除当番を言いつけられたとのこと。
「エルちゃんとドネイト先輩が復帰してからは、三人で仲良く分担してたわ。途中から私とユーアちゃんも手伝ったし……」
それから――
イサマルくんを「闇」の決闘によるカード化から救ったメルクリエについては……現在は行方不明。
私の前で「闇」のエレメントを見せた直後、黒い霧に包まれて消え失せた――おそらく「学園」のデータには存在しない、未解明の転移魔術だろうと推測されている。
「メルクリエくんが……ウルカちゃんの執事が……
「闇」の決闘者やて!?」
「でも、メルクリエはイサマルくんを助けてくれたのよ。
それなのに……!」
マロー先生には一連の出来事を正直に報告することにした。
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「メルクリエさんは現在、消息を絶っています。もしも彼からウルカさんに連絡があったのなら……必ず「学園」に報告するように。いいですね?」
「でも、旧校舎で人を襲ったのはメルクリエじゃなく、シルヴァークイーン・ナインテイルズに乗っ取られた私なんです!メルクリエは、むしろイサマルくんを救ってくれた……!」
「わかっています。それでも、です……!」
カチッ、カチッ、カチッ。
若々しい容姿に見合わない老人のような白髪をした男性教師は、手元の懐中時計を神経質そうに開け閉めしながら話す。
「彼がストラフ族であったことは、そのこと自体は決して罪ではありません。ですが「闇」のエレメントを操る力を隠したまま、彼が「学園」に潜入しており――臨時講師として、生徒や教師たちと接触を図っていたのは事実です。この報告を受けた王国の首脳部は、こう考えています――」
「学園」の内部には「闇」の勢力が紛れているのではないか?
あるいは「学園」そのものが既に「闇」の手に――
見えざる「謎めいた手」の手に堕ちているのでないか?
「校長や教頭を始めとした、主要教師陣の入れ替えと、外部組織による内部監査が検討されています。もちろん、この私も対象ですが」
手元の懐中時計――
『ゼノンの運命針』を先生は見つめた。
「《「千里の眼」ゼノン》……未来を予測することができる『札遺相伝』を継承したゼノンサード家の当主として、私が今回の事態を予知できなかったということは――それだけで、王国の不信を買うのは充分な失態なのです」
「……先生も、授業で言ってたじゃないですか。ゼノンの予言は完璧ではない、予言を外すことは無いが、全ての未来を予言できるわけではないって」
「陛下は、恐れているのですよ。ゼノンはアルトハイネスの繁栄の象徴。逆に言えば、この国はゼノンに依存している!かつて一度だけ予言を外したときには……」
「…………ッ!」
私と目が合うと、マロー先生は「コホン」と咳払いをした。
気まずそうな面持ちで、私に頭を下げる。
「――失礼しました。ウルカさんを前にして話すことではありませんでしたね」
「いえ、大丈夫です……。気にしないでください」
こうしていても、心がささくれ立つ。
「偽りの救世主」事件――
ウルカ・メサイアの心の傷。
自分がウルカ自身だとわかった今では、はっきりと理解している。
転生する前の「わたし」……新川真由と、転生した後のウルカ・メサイアは根本からして違う人間というわけじゃない。
真由だって善人というわけじゃないけど……
ウルカだって、悪いばかりの人間じゃないもの。
彼女の……ううん、私の心を歪めて、ユーアちゃんに酷いことをするようになった原因は「偽りの救世主」事件だったんだ。
「(……記憶を取り戻せて、よかったわ。真由としてのまっさらな感情でユーアちゃんと接することで、あの子とのわだかまりが解消できたんだから)」
マロー先生は「ともかく」と仕切り直した。
「メルクリエ臨時講師の行方を捜索することは、今となってはこの国の最優先事項となっています。ウルカさんも、最大限に協力するように。いいですね?」
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マロー先生との会話を話し終えると、
イサマルくんは神妙な顔で呟いた。
「――「謎めいた手」、か」
「どうしたの?」
これは仮説だけど――とイサマルくんは前置きする。
「メルクリエくんが、ラスボスなのかもしれない」
……ラスボス?
「それって、どういうこと?」
「肝試しのときに完全版商法の話をしたやんか。実は『デュエル・マニアクス』って、言うてみれば未完成版というか……ろくに完成してない状態で、ガタガタで販売されたゲームだったんよ。なにせ物語の黒幕が、劇中では判明しとらんのやし」
物語の黒幕が判明してない――?
そんなゲームが販売されることがあるんだ。
「まるで打ち切りエンドだわ」
「だいたい、そんな感じやね。なにせシナリオライターが遅筆だったからなぁ……ウチら現場の人間かて、とりあえず出せっていう上との板挟みだったわけや」
「大変だったのね……」
考えてみれば、私が遊んだのはチュートリアルだけ。
『デュエル・マニアクス』――
今や私たちの運命を左右するゲームについて、
あまりにも情報が少なすぎる。
これも、いい機会かもしれない。
「ねぇ、イサマルくん。
――私に教えて。
『デュエル・マニアクス』がどういうゲームだったのかを」




