〇。〇〇しないと出られない部屋(感想編)
ぺろぺろぺろ。
「ウルカ様……?」
ぺろぺろぺろ。
生態的にはこれでいいはずなんだけど。
うーん、やっぱり食べちゃった方が早いかしら。
「(よしっ)」
歯を立てて、ふやけた表面をかじり取る。
もぐもぐ。
やっぱり、おいしくはないわね……。
「あのー、ウルカ様?」
ガチャリ――
と、扉が開く音がする。
どうやらクイズに正解したみたいだ!
「見て、ユーアちゃん!
出口が開いたみたいよ!」
「ええっ!?」
何もなかった壁が開き、外の光が差し込んでいる。
ユーアちゃんは閉じていた目を開き――
驚愕の声を出した。
「な、なにしてるんですかぁっ!?」
「何って……紙を食べただけだわ」
ここに来たとき、テーブルの上に紙が広げられていた。
紙は和紙のような材質で出来ていた……
「和紙は食べることができるわ」
紙の主成分であるセルロースは不溶性食物繊維の一種。
人間はセルロースを消化することはできない。
ただし、科学薬品を用いない伝統的な製法で製紙された和紙は食べても人体には害がない――江戸時代には、和紙を素材に味噌やくず粉を練り込んだ非常食も作られていた記録が存在する。
〇。〇〇しないと出られない部屋の正体――
キーワードは「しょくじ」だ。
ユーアちゃんは疑問を問いかける。
「しょくじ……食事、ですか?」
「あるいは食餌、ね」
ヒントはイサマルくんの発言にあった。
「ウチは変態やないーっ!」――と。
変態ではない、つまりヒントは――
「無変態ということよ」
「あの……無変態、ってなんですか?」
「まずは変態の話からするわね」
変態とは、文字通り生物が成長する過程で姿を変えることだ。
イサマルくんは「ウルカちゃんに~」と言っていた。
このクイズは私に対して出題されるもの……
という前提に立てば、対象となる生物は「昆虫」になる。
「多くの昆虫は変態によって姿を変えるわ。たとえば、芋虫は蝶になる過程で蛹になるわよね? あれは完全変態。対して、蛹を経ずに直接幼虫から成虫に変態する昆虫を不完全変態と呼ぶのよ」
「幼虫から直接、成虫に……
そんな虫がいるんですか?」
「いっぱいいるわ。たとえば、これ」
私は《ミミクリー・ドラゴンフライ》のカードを取り出した。
ユーアちゃんは「あっ、トンボ!」と言う。
「お兄様が以前に図鑑で調べてました。トンボは幼虫のうちはヤゴとして水中で過ごして、成虫になると空を飛ぶ、って!」
「なんでジェラルドが図鑑で調べてるの?
ま、まぁいいわ……(※)」 ※第二章を参照!
蛹を経て成虫になる完全変態と――
蛹を経ずに成虫となる不完全変態。
ほとんどの昆虫は上記の二種類に収まる、が。
ここに……例外が存在する。
「無変態。すなわち、変態せずに幼虫の姿のまま大きくなる昆虫がいるのよ」
無変態の昆虫はごくわずかだ。
代表的なのは原始的な生態を保持しているシミ目やイシノミ目の昆虫に限られる――そう、紙魚だ。
「紙魚は名前の通り、紙を主食にする昆虫の一種。彼らは人間とは異なり、セルロースを消化することができるのよ。とはいっても《時計仕掛けの死番虫》のモチーフとなったシバンムシのような虫とは異なり、紙に穴を開けるように食べるよりも、むしろ表面を削ぎ取るように食べるのが特徴――」
「表面を……あっ!
だからウルカ様は、紙を舐めていたんですね!」
「そのとおりよ。”ウルカちゃん””変態じゃない”というキーワードから想像できる『無変態昆虫』の代表例である紙魚、その主食である和紙が置いてあることからもイサマルくんが誘導したい答えは明白だったわ!」
イサマルくんの出身は東洋の島国・イスカ。
アルトハイネスとは異なり和紙が使われてるのだろう。
私は出口の影でコソコソしている人影を指差した。
「そうよねっ、イサマルくん!」
「ひええっ!」
ピンク色のおかっぱ頭がビクリ!と跳ねた。
そこにいたのは聖決闘会長のイサマルくんだ。
「よ、よう解けたなぁ、ウルカちゃん。
へへへ、ウチは信じてたで~」
「相変わらず、わけのわからないカードで私やユーアちゃんにイタズラをしてぇ。今度こそはデコピン100連発よ……!」
「ご、ごめんなぁ……か、堪忍してぇ!」
ローラースケート型の決闘礼装を装備して、脱兎の如く逃げ出すイサマルくん。
「待ちなさぁーい!」
私は今度こそ反省させるべく、彼を追いかけるのだった……。
★★★
「あ……行っちゃった」
ユーアはその場に取り残される。
四角い部屋を出て校庭に戻ると、ふと妙なものが落ちているのに気づいた。
「開閉スイッチ……?」
うーん。これって、もしかして。
試しにスイッチを押してみると、
私が拾ったカードのイラストが変化して、絵の中の部屋が開閉した。
「ウルカ様はクイズに正解したから扉が開いた、って思ってたみたいだけど――これを使えば、外からでも扉が開けられたんだ」
――エルちゃんから報告を受けたイサマルさんが、カードを見つけて慌ててスイッチを押した……という、可能性もある。
〇。〇〇しないと出られない部屋。
「しょくじ……だったのかな。ホントに?」
その答えは決闘で見つけるしかない。
……の、かもしれない。
『〇。〇〇しないと出られない部屋』――了
☆☆☆
「――これで閉幕、ですか」
トントン、と読み終えた原稿を整えるのは、アンダーリムの眼鏡をかけた理知的な青年だった――名は、サカシマ・マスカレイド。
「学園」の三年生であり、演劇部の部長である。
文芸部一年、アマネ・インヴォーカー――
アマネは書き上げたばかりの小説の下読みをサカシマに頼んだのだった。
サカシマはアマネの手作りプリンを平らげると、
一心不乱に原稿用紙に目を走らせていた。
「ど、どう……でしたか?
サカシマ先輩」
アマネは緊張した面持ちで問いかける。
『〇。〇〇しないと出られない部屋』――
文芸部内の定例誌のために執筆した書き下ろし作品である。
ベースとなっているのは、一学期にウルカ・メサイアとユーア・ランドスターの身に起きたちょっとした事件だった。
聖決闘会長のイサマル・キザンが作った奇妙な部屋に閉じ込められて、すったもんだのすぴたのこぴたのと色々あったのをアレンジして仕上げたノンフィクション。
ちょっと、ユー×ウルが見たくって盛っちゃったけど。
「ちょっとえっちかもだけどぉ、最終的にはコミカルな落としどころを用意しましたし……わ、悪くはないんじゃないかな、と。わたくしは思っていますわ」
「――アマネさん」
「は、はいっ!」
サカシマは眼鏡を光らせると、冷徹な声で断罪した。
「良い悪い以前の問題です。
この作品には最も重要なものが欠けている」
「重要な、もの……!? 元々は仲が悪かった庶民の女の子と、高飛車な侯爵令嬢による禁じられたイチャコラよりも……重要なものがあるというんですの!?」
「それは、モラルですッ!」
モ、モラル!?
サカシマは舌鋒鋭く続けた。
「ウルカさん達は貴方の友人でしょう?
仮にも友人を題材に二次創作をするなど言語道断ッ!
ああ、ユーアさんの方は……」
「先日、仲直りの会を設けさせてもらいましたわ。
今では週3でプリンを差し入れる仲ですの!」
「餌付けに成功しましたか。アマネさんのプリンは劇的に美味いですからね……って、そんなことよりも。そんな貴方にとって大事な友人二人を題材にして、ちょっとえっちなラブコメを書くとは何事ですかッッッ!」
「で、でも。ちゃんと固有名詞は変えててぇ」
「昆虫大好きな令嬢と、貴族の学校に通う庶民の女子……そんな濃い設定の美少女二人、アルトハイネス王国広しと言えども、あのウルカ・メサイアとユーア・ランドスターの他に誰がいるというのですかっ!?」
アマネは頭を抱える。
「ああっ、言われてみればそのとおりですわーっ!」
よく考えたら、この学校に入学してからはずっと実録小説『まじっく☆クロニクル』を書いてたものだから、朝も夜も恋焦がれて、気づいたらウルカ様周りの人たちを題材にした創作ばかり書いてたんだった……!
サカシマは「いいですか」と声量を落とした。
「実在の人物を題材にした創作というのは、センシティブな要素を含みます。生の人間を扱うということは、その人物の内心を書き手が決めつけることになるのです。アマネさんだって、自分を題材にして他人に好き勝手なことを書かれたら、嫌な気持ちになりませんか?」
「そ、そのとおりですわ……反省します」
しゅんと、アマネは肩を落とす。
その様子を見てサカシマは言った。
「――作家が自分の身の回りで起きた出来事を創作の種とすることは、決して悪いことではありません。今のアマネさんに必要な姿勢は、自分の見たもの感じたものをストレートに書き写すことではなく、自分というフィルターを通してその体験を創作に昇華させることでしょう」
「創作に、昇華……ですの?」
サカシマは頷いた。
「肝となる美少女同士の絡み……んんっ。登場人物同士の可愛らしい掛け合いについてはよく書けていたと思います。可憐に花咲く百合の花――色気を匂わせつつも、決定的な出来事は起きないように筆を留める機微についても信頼できました」
「…………っ!」
「アマネさん?」
「いえ、その。わたくし、書いたものをそんな風に誰かに褒められるのは初めてで。サカシマ先輩に読んでもらって……良かったですわ」
「……はぁ。そもそも、なぜ私なんですか?」
「え?」
「私たちは初対面ですし。演劇部でも演出は手掛けていますが、脚本についてはエメシィに任せていますから……書評を求められても困ります。私に出来るのはせいぜいが感想程度のものです」
サカシマに言われて、アマネはふと疑問を覚えた。
「(そういえば……どうして、サカシマ先輩の顔が浮かんだのかしら?)」
サカシマは言う。
「建設的な意見が欲しいのでしたら、それこそ、アマネさんは文芸部ですし。あの理屈好きで小うるさい赤髪男にでも頼めばよろしいかと」
「赤髪……ウェザーラ部長ですの?
ひょっとして、サカシマ先輩のお友達?」
「友人ではありません。同郷の知人です」
キッパリと言い切るサカシマ。
その態度に、アマネの中のセンサーが反応した。
「も、もしかして。サカシマ先輩って、部長のことは良く思っていませんの……? そ、それって、つまりは好きってことですのね!?」
「貴方は何を……」
「好きの反対は無関心ッ! 同性における感情は、ポジティブなものであれネガティブなものであれ、その感情の大きさこそが関係性を強めるのですわーっ!」
サカシマ・マスカレイドとウェザーラ・スカルブラッド。
考えてもいなかった組み合わせにアマネの回路は猛回転を始める。
「ぐへへ……ぐへへへへへ……」
「――アマネさん?」とサカシマは冷たい声を出す。
サカシマの目は微笑んでいたが、顔は笑っていなかった。
「身近な人物で勝手に創作をするなと、言ったはずですが?」
「サカシマ先輩……
こ、怖い顔をなさらないで……」
「どうやら全く反省していないということがわかりました。貴方には文章や表現以前の問題として決定的にモラルが欠けています。これからアマネさんが小説を書いたら、発表する前に必ず私に見せるように!」
「えっ……それって、サカシマ先輩が……
わたくしの小説を読んでくれるんですの?」
「嫌とは言わせませんよ。貴方に好き勝手書かせていたら、遠くない未来に悲劇的な問題を引き起こすことが想像できますので……!」
嫌、なんて――とんでもない!
胸の奥から感じたことのない焦燥感が生まれた。
「お願いしますっ!」
アマネはぶんっ、という勢いで頭を下げた。
その様子にサカシマは意外そうな顔をするも、
「はい」と頷く――
アマネはにっこりと笑顔を向けた。
「……うふふ。
その、できれば、感想もいただけると」
「そうですね。貴方の創作には、こういった第三者の目があった方がいいでしょう」
奇妙な経緯ながら――
こうして、アマネ・インヴォーカーの最初の読者が生まれたのだった。
★★★
「(ふむ。危劇ですね……)」
サカシマ・マスカレイドは寮の自室でごちた。
「闇」の決闘者は敗北して力を失うと、組織に関する記憶を失うように出来ている――そのことはリーシャ・ダンポートやアイシー・カイコーロといった決闘で敗北した者たちで確認済みである。
しかし、アマネ・インヴォーカーについては……
「(砂男時代の記憶が残っている可能性があるのか?)」
サカシマ・マスカレイド――
ドロッセルマイヤーは、アマネから連絡が来た時点で警戒していた。
表の顔である演劇部のサカシマと、文芸部のアマネには接点が無かったはずだからだ。接点があるとしたら、同じく『ホフマン宇宙』の暗黒物語世界を共有した、ドロッセルマイヤーとザントマンとしての関係のみだ。
――ドロッセルマイヤーは思考する。
アマネ・インヴォーカーは組織の指令を受けてウルカ・メサイアにまつわるあらゆることを記録していた。
そうやって何度も記録するうちに、他のエージェントよりも「闇」の手先だった頃の記憶が深く刻み込まれているのかもしれない。
もしも記憶を思い出すようならば、始末する必要がある。
そのためにもアマネを監視できる立場に立った方がいい。
ドロッセルマイヤーの提案は、そういった意図があったのだ。
「(そうだ、これはあくまで統括補佐としての任務……)」
決闘礼装に送付されてきた文章データを読みながら、ドロッセルマイヤーは言い訳をするように物語に没頭する。
アマネの作品はよく書けた日記のようなものだった。
身の回りの出来事がそのまま出力されている。
その筆致こそ好みではあるが……
「(まずは創作への昇華の仕方を伝えねばな……ん?)」
ドロッセルマイヤーは、そこで――気になる記述を見つけるのだった。
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