フィールド会話(アスマ+エル)
これまた夏休みのある日のこと。
「(き、気まずい……)」
聖決闘会室を訪れたアスマは、エルと二人きりになっていた。
エル・ドメイン・ドリアード。
かつては名声を馳せたアルトハイネスの旧家、ドリアード家の末裔であり――数百年ぶりに現れた四元体質の少女だ。
ドリアード家の四元体質と言えば、前回の使い手は当時の王家をも凌ぐアルトハイネス最強の決闘者だったと記録されている。
当代のエルも当然ながら決闘の天才。
その証拠に弱冠9歳で「学園」への飛び級入学を認められた。
それだけじゃない。
聖決闘会長となったイサマルや書記のドネイトとつるむようになってからはメキメキと成績を伸ばしていき、今では「学園」最強集団であるラウンズの序列第四位。
間違いなく、「学園」卒業後もアルトハイネスの社交界で存在感を示していく人物だろう――そういう意味でアスマも入学当初からエルには注目していた。
「(まぁ、もっとも。この子が成績を伸ばすようになったのは僕が「学園」や聖決闘会を一時的に離れてからだし……その頃には、僕は父上に見限られて王位継承権を失っていたんだけどね)」
アスマはちらりと横目でエルを眺めた。
彼女は――エルは厚手の図鑑のような本に熱中していた。
色素の薄い緑髪をした少女である。
一学期の頃には特徴的なツインテールの髪型にしていたが、ユーアとの決闘をきっかけにイメチェンしたのか、今では双子の弟とよく似た少年じみた短髪にしており、伸びた髪は二つのお団子にして結んでいる。
一見すれば、どこにでもいる子供にしか見えない。
けれども、白と翠に染められた「学園」指定の制服の上から羽織る特注のマント――四元体質である彼女の特性を示した赤青緑黄の四色のマント――は、世界中から腕自慢の貴族子女が集まる「学園」の中でも最上位に位置する決闘者の一人であることを雄弁に語っている。
とはいえ、子供は子供だ。
「(子供、苦手なんだよな……)」
――早く、イサマルかドネイトが来てくれないものか。
一応、副会長を務めるアスマが聖決闘会室にいることは当然のはずなのだが。
――そもそも、僕はユーアさんを襲ったとかいう「闇」の決闘者からの聴取記録を聞きに来ただけなのに……聖決闘会室のドアを開けてこの子しかいなかったから、そのまま引き返すのも感じ悪いよなと思ったばかりにこのザマだ……と思案していると、エルが「む?」と首を傾げるのが見えた。
「どうかしたのかい?」
「アスアス、しつもんしつもんっ」
「ア……アスアス」 それは僕のことか?
こくり、と頷いてエルは訊ねた。
「チョウとガって、何が違うの?」
「……随分と面倒なことを聞くんだな」
よく見たら、エルが手にしていたのは昆虫図鑑だ。
大方、ウルカの私物を貸してもらったのだろう。
「それ、間違ってもウルカに聞いたりしない方がいいぞ。きっと数時間はアイツの相手をさせられることになるから」
昆虫の中でもひときわ色鮮やかで綺麗な姿をしたものが多いチョウと、翅が毛で覆われていたりして個性的な姿をしたものが多いガ。
一見して区別が容易に見えるこの二種は、実のところ分類が難しい。
「分類学的には、チョウもガも、どちらもチョウ目というグループに分けられる昆虫なんだ。鱗翅目とも言う」
「りんしもく?」
「りんは鱗粉のりん。しは翅――昆虫の羽根のことさ。鱗粉のある羽根を持つ昆虫――ここではチョウもガも区別されていない」
「そうなのそうなの? でもでも、ぜんぜん見た目はちがうよっ!?」
アスマはエルの言葉に頷いた。
「エルさんの言うとおり、僕たちは特別な知識を持たずとも、チョウとガを見た目で見分けることができる。たとえばチョウは羽根を閉じて止まるけど、ガは羽根を開いて止まるとかね」
ウルカのカードで言えば――
《金殿玉蝶ブリリアント・スワローテイル》はチョウ。
《埋葬虫モス・テウトニクス》はガ。
「ところがだ。ウルカが言うには『チョウみたいなガ』もいれば『ガのようなチョウ』もいるとかでね。つまり、見た目はチョウとガを見分ける絶対的な指標にはならないらしい。たとえば――」
アスマはエルから図鑑を借り受けて、ページをめくった。
「このイカリモンガというガを見てごらん」
アスマが開いたページには、鮮やかな羽根をしたガが描かれていた。
オレンジ色の羽根を閉じて花に止まる姿は優雅なものである。
エルは疑問の声をあげた。
「これ、ガなのっ!? いかりって?」
「船を停めるイカリのこと。翅にある紋様がそれに似てることが由来とされている――見ての通り、このガは羽根を開いて止まることはない。それに、見た目もなんとなくチョウに似ているだろう?」
「うんうん」
「チョウとガ。大まかな分け方としては、一般的にチョウ目の中でも昼間に活動する一部をチョウ、夜に活動する一部をガと分けている……となっている」
「でもでも、さっきの――」
「イカリモンガかい?」
「そうそう!
イカリモンガ、お昼に”かつどう”するって!」
「チョウの方にも、夜に活動する仲間がいるよ」
アスマは更に昆虫図鑑のページをめくった。
「見てごらん。ここにあるシャクガモドキというチョウは、チョウではあるが主に夜に活動する――と書いてあるだろう? それだけじゃない。名前のとおり、シャクガモドキの羽根の色は僕たちがよくイメージする典型的なガのように地味なものだ。羽根だってガみたいに広げて止まるんだよ」
「がもどき……おでん?」
「はははっ、ガンモドキじゃないからね」
その他にもアスマは軽く知識をかいつまんだ。
口の形状の違い――触覚の形状の違い――前翅と後翅の形状に見られる特徴――あるいは幼虫がイモムシか、それともケムシか――チョウとガにはそれぞれに多く見られる特徴はあるが、どれも例外がある。
どの特徴を挙げても、例外となるチョウ――例外となるガがいるのだ。
エルは頭の上にハテナマークを浮かべる。
「な、なんだかなんだか、わかんなくなってきたよう。
”けむ”にまかれてるみたい!」
アスマはくすりと笑った。
頭を抱えるエルの様子が、昔の自分と重なったからだ。
「そういうわけで、エルさんに忠告だ。これ以上頭が痛くなるのが嫌だったら、ウルカには絶対にこの話を振らないこと。約束だよ?」
「やくそく、やくそく!
ボク、ぜったいにウルウルには聞かないから!」
ぐっ、と拳を握るエルの様子がおかしくて、アスマは今度は声をあげて笑った。
それにしても――と、エルは言った。
「アスアス、昆虫が好きなの?」
「えっ……まさか。どうして僕が虫なんて好きになるんだよ」
「だってだって。
さっきのアスアス、まるで”昆虫博士”みたい!」
別に知りたくて知ったわけじゃない。
――子供の頃から、こういうわけわからないことを聞いてもいないのに耳に流し込んでくる女がいたからだ。
「門前の小僧、習わぬ経を読む――ってやつさ。
まったく、ウルカには困らされたものだよ」
「ふうん――」
ドキリとした。
蠱惑的に微笑むエルの様子。
それはこれまでの稚気に溢れた無邪気なものと違い――どこか大人びた、嘲るような声色の響きがある。
「アスアスが好きなもの、昆虫じゃないんだね。
ボク、わかっちゃったかも……♪」
「エ、エル……さん?」
にひひ、とエルはアスマを見上げる。
先ほどまでの雰囲気はどこへ行ったのやら、エルの笑顔は子供らしく屈託のない表情に戻っていた。
「(き、気のせい……だよな?)」
「ボク、アスアスのこと”おうえん”してるからねっ!
がんばって、がんばって?」
「…………な、何を? ですか?」
思わず敬語になってしまった。
エル・ドメイン・ドリアード――
聖決闘会の新たな仲間には、底知れない一面がある。
チョウとガの違いのように――見たものだけが全てとは限らない。
アスマは自分が冷や汗をかいていることに気づいていなかった――。
フィールド会話(アスマ+エル)――了