海は広いな 大きいな
「……って。おかしいやろーっ!
なんで「学園」が水没しとるのを皆受け入れとるんやぁ!?海水浴どころの騒ぎやないし、2、3日前までは学校の周りは普通だったやんけーっ!」
聖決闘会室で叫ぶイサマル。
アスマは苦笑して「うん、仕方ない」と応えた。
「この「学園」の連中はノリが良いからな……。人里から離れた全寮制ということもあって、非日常的なイベントに飢えているんだろう」
「それにしたって、もうちょっと疑問に思ってええやろ。なんやねん、水没って」
室内には聖決闘会の主要メンバーが揃っていた。
会長のイサマル、
副会長のアスマ、
書記を務めるドネイトの三人だ。
イサマルはドネイトに訊ねる。
「で、あの海(?)の正体はわかったん?」
「解析の結果……人体に……対する、危険性が無いことは……わかりました。主要な成分は、水と……塩分です」
「塩分やて?」
アスマは頷く。
「成分的には海水に近い構成となっているらしい」
「海水かぁ。ほら、「学園」の近所には、水のエレメントを補給するためのおっきな湖があったやろ?てっきり、あそこから氾濫したんかと思ってたんやけど」
「イーアネス湖だね。あそこは塩湖というわけでもないし、どうやら「学園」の周囲に広がっている水は湖のものとは全くの別物のようだ。それに僕としては、校舎側に水没の被害が無いのも気になっている」
「言われてみれば――水が溢れたんなら、床下とかもビチャビチャになっておかしくないわな」
ドネイトが決闘礼装のモニターを指先で叩いた。
本型の礼装から、いくつかのデータがホログラムで出現する。
「……現在の、校舎や学生寮といった「学園」の施設は……まるで小島のように、周囲の海に対して浮かんで……います。この現象は水没というよりかは……「学園」の周囲だけが、海に置き換えられた……といった方がいいでしょう」
「なるほどなぁ。とんだビューティフル・ドリーマーやね」
「ビューティフル……ドリーマー、ですか?」
「ああ、こっちの話や。ともあれ、こっちの想定していたとおりの事態が進行しとるってことやね」
イサマルは目を鋭くした。
――大規模な多層世界拡張魔術による、
空間そのものの置き換え。
通常のフィールドスペルによるものではない。
決闘にのみ影響を与える仮想空間のテクスチャを周囲一帯に貼り付けるアルトハイネスの「それ」とは異なり、現実の空間そのものに影響を及ぼす「これ」は、どちらかというとイスカの結界魔術に近い性質を持っている――だが、その出力は「六門魔導」とは比較にならないものだ。
「……アスマくんは、アマネ・インヴォーカーについての報告は受けとるか?」
「アマネさんの件については、マロー先生から既に聞いているよ。ウルカの友人だった彼女が「闇」の勢力の手先にされていたと。その後の「学園」の聞き取り調査では、操られていた頃の記憶は思い出せないそうだね」
「ウルカちゃんと決闘したときのアマネちゃんは、フィールドスペルを内蔵する幻想・スピリットっちゅう特殊なカードを使ってたらしい。そう考えると、今の「学園」に起きてる事態も連中の仕業なのかもしれん」
「『光の巫女』――ユーアさんを本格的に狙ってきた、ということか」
「ユーアちゃんについては、護衛を付けたからしばらくは大丈夫のはずや」
「護衛?」
「エル嬢です」と、ドネイトが補足した。
「彼女は……決闘の実力については、折り紙つきですし……ユーア嬢を守る任務だと伝えたら、すぐさま飛んで……きて、くれました」
「交通費は経費で落ちる、って言うたら、ニコニコしとったな」
☆☆☆
「にひひ。ユーユーと海水浴♪
それーっ、水・水こうげきーっ!」
「あはは、冷たいですよ、エルちゃん!」
☆☆☆
「なら、ひとまずは安心か」と、アスマ。
「イサマル。始原魔術の専門家としての君に訊くんだが……この事態を解決するにはどうすればいい?」
「そやね。空間そのものの置き換え、それもこんなに馬鹿みたいな大規模の魔術の行使ともなると、出力から考えて「闇」のカードが原因なのは間違いないはずや。それだけやない――おそらくは、「学園」の周囲に点在するエレメントの噴出点をいくつか抑えて、そこに中継点となる仕掛けを施してパスを通しとる。それで魔術の出力を安定させつつ、エネルギー源となるエレメントを術者に供給しとるんやと思う」
「となれば、その仕掛けを破壊すれば事態は収拾できるわけだね」
アスマは決闘礼装を操作して、周辺地図を呼び出した。
「火のエレメントについては僕が専門だ。「学園」周辺の地脈も把握している。山岳部の捜査は任せてくれ」
「それは助かるわ!
アスマくんが味方なら百人力やで。けど……」
「けど?」
「いや、なんで急にはりきっとるん?アスマくんは聖決闘会の副会長やったけど、長いこと籍を入れてただけの幽霊会員やったやん」
「それは、君が聖決闘会を私物化していたから距離を取っていただけさ。本来の聖決闘会の理念である、生徒や「学園」への奉仕……中でも『光の巫女』に対する支援を主とする業務なら、僕が協力するのは当然だろ?」
「それはそれは、立派やねぇ。
で、ほんまにそれだけ?」
「それだけだよ」
イサマルは扇子を広げて意地の悪い笑みを浮かべる。
「ドネイトくん。推理」
「かしこまりました――」
猫背になっていたドネイトは起立すると、前髪をかき上げた。
「我々の予想では、「闇」の勢力が真っ先に標的とするのはユーア嬢のはずでした。ところが、最初に狙われたのはよりにもよってウルカ嬢――アスマ王子の婚約者です。ウルカ嬢の身に危害が及んだことで、アスマ王子は危機感を覚えたのでしょう」
「なるほどなぁ。
つまりはウルカちゃんのためってわけや」
アスマは狼狽する。
「ち、違う!それだけじゃないぞ。『光の巫女』であるユーアさんは現状では「闇」の勢力に対する切り札だ、これは国防にまつわる案件でもある。個人的にもユーアさんは友人だし……決して、ウルカのためだけに動いてるわけじゃないんだからな!」
「はい、ツンデレいただきましたー。
ほな、さっさと解決しよか、ドネイトくん」
「承知しました。アスマ王子もツンデレは程ほどに」
「だ、だからなぁーっ!」
そうして――
聖決闘会の三銃士は事態の解決へと動き出す。
☆☆☆
一方、その頃。
「学園」から少し離れた湖――イーアネス湖のほとりにて。
異形の創作化身をまとった男が一人。
黒のタキシードに黒のハット、顔の上半分を隠した歯車の仮面――
『堕ちたる創作論』の大幹部でもあるドロッセルマイヤーは、一人、いそいそと手作業をしていた。
あらかじめ結界を制御する楔となる術式が施されたカードを仕込み、エレメントの噴出点に打ち込む――場所を特定されて解除されても「空間の置き換え」が維持できるように――ここ数日、ずっと作業にかかりきりである。
「闇」の決闘者となった今、創作化身の力でドロッセルマイヤーは超人的な身体能力を得ている。
山から山へ、高原から高原へ、森から森へ、湖から湖へ。
飛び回る日々――全ての業務は彼の肩の上!
「この私が、どうしてこんな仕事を……だいたい、モックタートルはワンダーランドの所属だというのに!」
「あはは、仕方ないじゃないか」
一人ごちるドロッセルマイヤーに話しかける者がいた。
「我らが女王陛下が宿る肉体――メルクリエ先生は眠りに落ちている。肉体が無い今となっては、陛下は自由に外で活動できないんだからさ」
「学園」の二年生。
淡い色合いのマリンブルーの爽やかなショートカット・ヘアー。
すらりと高い背丈。中性的な美を兼ね備えた生徒――
リーシャ・ダンポート。
『堕ちたる創作論』のエージェントの一人であり、そのクラスは規格外を示す「番外位」である。
その原因は――
「ドロッセルマイヤー君。貴方には感謝しているよ。私の領域は他の決闘者とは仕様が異なる……仮想の領域を展開する彼らとは違い、我が領域は領域内に存在する実物の「水」を操作するもの――故に、本来なら海辺のような大量の「水」が存在する場所でしか、十全なる実力を発揮できないんだから」
「EX 級のエージェント……これだけの準備を私にさせたんです。充分な戦果を期待していますよ……!」
「心得た。勝利の栄光を、君に」
「……?」
ドロッセルマイヤーは違和感を覚えた。
ドロッセルマイヤーの正体は「学園」の三年生であるサカシマ・マスカレイド――所属は演劇部であり、部長を務めている。
演劇の一家言あるドロッセルマイヤーだからこそ、鋭敏に反応する感覚があった。
今のリーシャの言葉には引っかかりを感じる。
なんだか、まるで「他人の書いたセリフを読んでいる」ような……
そんな内心をも知らずに、リーシャはクスリと片目を閉じて笑った。
「ユーア君が従える「光」のエレメントを持つスピリットには、我らが「闇」のスピリットの力も及ぶところではない……本来なら、ね。しかし、安心するんだ。
スピリットの性能の差が、
戦力の決定的な差ではないことを教えてあげるよ」