#9 白金の猪
「これは……少しまずいかもな……!」
「少しじゃねぇって…!!なんだよこの化け物……!?」
「ブロロロロロ……………」
それはともかく、一体どこから現れた……?
これだけの体躯があるのであれば、少し離れていようがすぐに気付きそうであるが、ここまで近くによって来るまで全く気付かなかった。
他の猪を狩るのに集中していて……と言えば言い訳になる。やはり、勘も相当鈍っている。
「シルカ!! 急いで逃げるんだ!!」
そう言いながら、父を筆頭として大人たちが一斉にボアの突然変異個体へと攻撃を仕掛ける。
圧倒的なオーラを放っていようが、明らかに他の猪とは違おうが、結局それらと同系統の生物であることには変わりない。大人六人でかかれば、きっとなんとかなると、シルカの父はこの時考えていた。
「せやぁあっ!!」
その中の一人。大人組の中でも若い青年が、剣を猪の胴にへと勢いよく振り下ろす。その一刀には、本来ストーンボアを相手にする程度であらば、それでもやりすぎなほどの威力があった。
だが、鳴り響いたのは猪の雄たけび、ましてや断末魔の類のものとは程遠い音。それすなわち、青年の剣があっけもなく叩き折れた音であった。
「馬鹿なっ!?」
「ブグゥオオオォ!!!!」
「ぐあぁぁっ⁉」
完全に奴のヘイトを買ってしまった青年。ボアは身を捻り、そのまま容赦なく青年をその巨体で吹き飛ばした。
「ケイィィン!! クソッ……!! 火圧縮弾ッ!!」
それを見た別の青年が、手の中に魔力を集める。それは、生み出した炎を一塊にして放つ初級魔法の火圧縮弾。
放たれた火球はそのまま猪に直撃する。しかしそれも…………
「嘘だろ……? まったく効いてない……!?」
通じなかった。ボアは何事もなかったかのようにその場にて変わらず佇んでいる。
「エアードさん! せめて子供たちだけでも……!!」
「うむ……ナルク!! シルカを連れて急いで村まで引き返せ!そしてこの場所には絶対に戻ってくるな!!」
「え……でも、親父達はどうするんだよ……!?」
「いいから早く行け!! このままだと、本当に全滅してしまうぞ!!」
ここまでの感じで目の前に存在している大型猪……いや、魔物には勝てないと悟った大人たちは、せめて小さな子供達を逃がそうと呼びかけ、そして猪へと獲物を向ける。
ナルクは、その場にて腰を抜かしていた。自分たちよりもよっぽど強い父でさえ全く歯が立たない目の前の、シルカ同様十の子供である彼からすればあまりにも大きく見えてしまう怪物の姿を、ただ茫然と見ることしか出来なかった。
目の前で腹を括り、自分と同じように、それよりも遥かに勇敢にバトルアックスを構える父の背中は、彼にはそれはとてもとても大きく見えた。
「……………」
「なっ!? シルカ!! 何やってるんだ!?」
「私が出る。こいつであれば、今の私の全力を出せそうだからな」
「何馬鹿なことを言ってるんだ!! こんな時にふざけていないで、早く逃げなさい!!」
父にそういわれるが、私はそれを聞かずにゆっくりと猪に向かって近づいていく。
「分かっているぞ猪よ。ナルクを狙っているな? ……ッ!」
その直後、あたりに重い金属音が鳴り響く。突進したボアと、私の剣が接触する音。勢いよく飛び掛かりながら剣を打ち込んだのだが………なるほど。これは確かに凄まじいパワーだ。
「私達を素通りして、本当にナルクの方へと……!?」
「しかもシルカちゃん、ナルク君のいる場所からかなり離れていたぞ…!? あり得ないスピード……なんという脚力……!?」
「………シルカ……!」
「何をボサっとしておる? 死にたくないのであれば、早く父らの元にへと寄っておけ。そして、よく見ておくのだ。お前がこれから先、このような奴と相対した時、そこに儂がいるとは限らん………学びを得よ小僧」
「っ……?」
ナルクは安心感を得るとともに、困惑した。あっけらかんとした表情で、まず何から戸惑えばいいのかすら分からずにいた。
シルカの口調。そして何よりも雰囲気が――――いつもとはまるで違う。
可憐な少女の容姿、声はそのままであるが、喋り方も一人称もまるで老人のようで、それでいて、次元の違う強者を目の前にしているかのような圧倒的プレッシャー。しかしそれは、あの猪のものではなく……………
「さぁ白金の猪よ、相まみえようじゃないか………」
「グブォロロロロロ………!!」
「おいリザリアさん……! シルカ、本当にアレとやりあう気だぜ!?」
「……正直、シルカが冒険者になりたいといったあの日、私は少し怖かった……」
「はい!? こんな時に何を………」
「私は、この村の周りの事しか知らない。街になども行ったことがない。たまにこの村を訪れる冒険者からいろいろ話を聞いただけ……でも、その話の全てが明るいもののわけもない。その冒険者の仲間が命を落としたという話をこれまで何度も耳にしてきたし、常に命の危険と隣合わせなことは嫌でもよく分かる………」
「リザリアさん……」
焦りながらも呼びかけていた青年も、シルカの父の話になぜか聞き入ってしまった。このような緊急時事態であるというのに、なぜか蔑ろにせずただ聞いた。
「今思った……シルカもそれを十二分に分かっている…多分、私なんかよりもずっと……そして覚悟もしている。シルカがあの化け物に勝てるという確証なんてまったくないけど、なぜか………この場を託してみたくなる……! ……ははっ……私は、父親失格だな…………」
彼は皮肉気にそう言う。しかし、その言動とは裏腹になぜか口角は少し吊り上がっており、その目は死にゆく娘を想像した絶望の眼差しなどでは決してなかった。
「ブウォロロロロロァアアア…………!!!!」
「まぁそう焦るな。そんなにご所望なら……見せてやろう…………我が戦王剣を!!!!!」