#594 順応と苦悩
(おっ……こんな感じかぁ。思ってたよりも結構グワングワンするね)
思考加速の世界にへと入ったミュウファは、だんだんと意識が遠のいていくような感覚に襲われる。一瞬でも気を抜けば、そのまま全て持っていかれそうになってしまうような。
そして始まった以上、後戻りはできない。いざとなれば強制的に加速を中断してくれるとジヴァルは言っていたが、あれだけの啖呵を切った以上、そんなことは己のプライドが許さない。なんとしてでもこの体感一時間の中で答えを見つけねばならないと、腹を括った。
(とは言っても、魔術の開発なんかはできないからなぁ……私が今やるべきことは、この状況を打破できるような何かを生み出すこと……さぁ思い出そうか……今私何を持ってきてたっけかなぁ……!)
ヴェラリオへと向かうシルカたちを見送った後ミュウファが行っていたのは、ひたすらの猛勉強。その直前で起こった戦いからも学びつつ、新たに知識を蓄えながら錬成魔術の練度も高めていった。
そうして新たに生み出したのが、先ほども使っていた魔植錬成。全てが終わった黒逓館に残っていたニザロフの武器であった無数の植物の種を解析し、ミュウファが自分なりに使いやすいように改良を重ねた植物の種を用い、それを急成長させ思うがままに操るというもの。併用して使う素材自体は以前から彼女自身色々集めていたのもあって、様々なそれらを習得するのにそこまでの期間を要することはなかった。
……故に、必要な知識というものは全て揃っている。あとは今ある使える素材を最大限活かし、真なる目的地へと……地上の強酸湖を元に戻す手掛かりとなる場所へと通ずる道をいち早く探るべく、彼女は思考せねばならない。
「…………」
「……ミュウファさん、大丈夫ですかね……」
魔術発動直後、その顔から感情が消えてしまったミュウファを見て、アレイザは不安を覚えた。ここまでこのような状況でも明るい笑顔であった彼女のこのような姿は、黒逓館でも見たことがなかったからだ。魔術による影響であるため仕方がないとも言えるが、それでもこのような未知の洞窟、心細い状況の中では、知らぬ間にアレイザの心の支えになっていたのだ。
「どうだろうな。少々表情が歪んだ気もするが、一時的なもののようだな。おそらく既に思考加速に順応している頃だろう」
体験者であるジヴァルは、現在のミュウファの様子を冷静に説明していた。本来人間には耐えられないであろう三十倍の思考加速に追いつくのは流石とも言える。
本当であれば、まずは二倍から。そこから三倍、四倍と慣らしていくのが普通……というか、本来そうせねばならない。当然ジヴァルだってそうしていたのだ。
そんな彼が彼女に初めから三十倍などという凄まじい速度の加速を提案したのは、ひとえに彼女の思考能力の高さを買っていたから。先ほどの魔植錬成を目の当たりにして、この程度であれば可能だろうという彼の考え故であった。
「だが、本当に慣れてみせるとはな。これも才……いや、これまでの彼女の研鑽の賜物か……大したものだな」
きっと、十秒でおよそ五分過ぎたような感覚があるだろう。そして、現在発動から三十秒が経過した頃。ミュウファの表情は未だ何の異常も見せない。
「ちなみに、なんですけど……団長って一体どれほどまでの加速にまでなら耐えられるんですか?」
「百二十倍だ」
「ひゃっ……⁉︎」
ふと気になったアレイザが質問してみれば、間を置かずそのような答えが返ってくる。
「まぁ、これでも七十年以上は研鑽を積み続けておるからな。年の功というのもある」
「それでも……私には想像がつかないです……私がこれまで生きてきた年月の何倍も……」
「いずれ分かるようになる。誰しもが通る道だ……だから、必ずこの戦場で生き残り、明日を見るのだ。それが、若いお前が最も優先せねばならぬこと……だが、安心するといい。いざという時は私たち大人が、この命に変えても守ってやる」
そんな、彼にとっては何気ない言葉。それが、アレイザの心に刺さり、浸透した。やがてそれは更なる安心感へと変わり、同時に闘志をも刺激する。
(そうだ……皆が命懸けでここにいるんだ……私もなにか……もっと役に立たなくちゃ……!)
そのなにかは、まだ分からない。そして、今すぐにでも分からなければならない。こんな戦場に存在するにはあまりにも若すぎる少女は、外見だけでは悟られぬような静かな苦悩を繰り返していた。




