#503 血みどろの小世界
「…………うぐっ‼︎⁉︎」
扉を開けたその先には、確かにニコラスの言うように扉があった。入り口を抜けた先にある小さな空間と部屋内部を隔てる壁同様に硝子によって出来ているそれは、良くも悪くも目の前の視界を鮮明に曝け出している。
そして、壁を隔てていても漂ってくる、尋常ではないほど濃い血の匂い。鉄錆を何百倍にも凝縮したようなそれは、人が生きる上で絶対に欠かせない行動の一つである呼吸をも躊躇わせるほどのものであった。
二重扉の先、部屋の内部。その床は一面、血で塗れていた。乾いている部分もあれば、まだ乾き切っておらず、弱い光沢を放っている箇所もある。先ほどまで、ここで戦争でも起こっていたのではないのだろうかと疑いたくなるような光景。そして、そんな部屋の中央にはーーーーーー
「……シルカ……!」
いた。この一週間、何をしているのかが分からなかった人物が。皆が心配し、そしてここまで様子を見にきた人物が。
シルカは部屋の中心で、胡座をかいて座っていた。遠くからでは顔がよく見えなかったが、おそらく目を閉じ、何やら集中している様子。ヒユウたちからは、生きているのかどうかすらも分からない。
「これ、全部……シルカの血かよ……⁉︎」
「……そうなる……んでしょうね……」
アレイザ、そしてプルムも、無意識に体が小さく震えていた。ある程度の覚悟はしていたため発狂こそしていないが、それでも見慣れぬ惨状に、本能的な部分が刺激されたのだろう。
「でも……なんで血溜まりができるほどの出血で……シルカ自身も相当動いたはずなのに……この硝子の壁にはほとんど血がついていないんだ……?」
「先ほども言ったように、今リザリアがいるこの扉の向こうは、重力が何十倍にも引き上げられている。そしてもちろん、その影響は、リザリア自身の血液も受ける。故に壁へ飛び散る前に床へと落ち、そしてあれだけ溜まった……」
ニコラスの解説を聞きながらも、血溜まりの中で瞑想している少女から全員が目を離すことはできなかった。悍ましく、奇妙なその光景は、おそらくどれだけ時が経とうと、きっと忘れることはないのだろうと、皆が確信していた。
「でも、なんであんな場所で瞑想を……? わざわざここでやらなくとも……」
「……グフストル様曰く、あれが一番効果のある方法だそうな。ギリギリまで肉体を追い込み続け、そして感覚を忘れぬ内に、一秒でも早くイメージトレーニングを行う。本来自分が相手にできるレベルよりも遥か上の存在を思い浮かべ、戦い続けるのだ」
それは、黒逓館でも行っていたこと。そして、それよりも高度なもの。無理矢理仕上げた体を、イメージによって馴染ませ、本来の自分の強さを遥か高みにへと押し上げる。常人からすれば訳のわからない、無意味だと思えてしまうようなそれに、かつての剣士は可能性を見出した。そう考えれば、現在ジャルーダが編み出した錬気にも、どこか通ずるものがあるのかもしれない。
「…………さて、それじゃあ私はセルヴィア君を医務室へと運んでくる。皆も見せものじゃないんだ。早めに切り上げるんだぞ」
「はい……ありがとうございます。団長」
そう言い残し、ニコラスはモナを抱えてその場を後にした。その時の彼の表情は少し悲しそうで、背中もいつもより小さく見えた。
「…………なんか、複雑なのかもな。団長がシルカのことをどう思ってるのかは分かんねーけど……ってか、シルカと団長ってやけに親しい気がしねぇか?」
「うーん、ただ単にシルカが強いからって気もするけど……ほら、シルカ初日に騎士団の人に全勝してるし」
そうやって考えを巡らせても、答えなど出るはずもない当の本人である二人ともが、今すぐ話せない状態なのだから。
「……あんな風に見えても……戦ってるんだろうな、あいつは。俺たちの想像できないような、何かと」
どこか達観するようにそう呟くナルクに、ヒユウも頷きを返す。
「うん…………さ、戻ろっか」
「ヒユウ……本当にもういいの?」
「うん。生きてるなら、また何事もなかったように帰ってくるよ。シルカなら。それに、見せ物などではないぞー! って言われそうだしね」
「ははは……そいつならマジで言いそうだ……だな」
「えぇ。それじゃあ戻りましょうか。ナルクも大丈夫?」
「あぁ。特に異論はないよ。俺も早速、戻って自主練だ」
そんなことを話しながら、四人は何も言わないシルカから身を引くようにその場を離れ、騎士団の修練場にへと戻っていく。対抗心と、闘志を新たにして。




