50. 待ち焦がれた人が現れる
マクドネルがアメリアに毒を注射しようとしたその瞬間、檻の中で弱っていた子竜がギャアオオと咆えた。
「な、なんだ!?」
突然の出来事に驚いたマクドネルは、何があったのかと辺りを見渡し、慌てふためく。
(……あの子……)
咆哮は一度では収まらず、子竜は何度も咆えた。
マクドネルたちには分からないだろうが、子竜はこう言っている。
『その人に手を出すな』と。
今会ったばかりのアメリアのために、僅かしか残っていない体力を振り絞って咆えているのだ。
子竜の気持ちに、アメリアの目頭は熱くなる。
「ああもううるさい!! 先にあっちを鎮めてやる!!」
子竜の咆哮を鬱陶しく思ったマクドネルは、空いてる片手だけ耳を塞ぎながら、子竜を睨みつけ、子竜に向かって歩き始めた。
彼の手には、先ほどアメリアに打とうとしていた注射器が握られたままだ。
「だめ! やめて!!」
『こっちにくるな!』
アメリアも子竜もマクドネルに対して叫ぶが、マクドネルがそれを聞くわけがない。
「あっちもこっちもうるさいんだよ……。あんまりうるさいと会場にいるお客様に聞こえちゃうだろう……?」
彼は不気味な笑みを浮かべながらその手に持った注射器で、今度は子竜を狙っている。
竜にとっては精神安定剤であり毒ではないのだろうけれど、無理やり異物を射たれて鎮められるのは子竜にとっては苦痛だろう。
(やめて……。これ以上、ひどいことしないで)
じり、と動こうとするが、肩が少し前進するだけだ。
自分では身動きもできないこの状況が不甲斐なく、アメリアの両目からは大粒の涙も溢れ出す。
(どうして私……こんなに役立たずなの……。どうして……)
『やめろ! それ、きらい!!』
子竜はジタバタと動き、マクドネルが来る方とは反対側に逃げてはいるものの、狭い檻の中ではほぼ無意味だ。
『やだーーー!!』
再び、子竜は大きく咆哮した。
────バンッ!!
突然、入り口の扉が開いた。
それと同時に勢いよく中に突入してきたのは、アメリアが待ち焦がれていた人だ。
(ああ……)
「レイクロフト様……」
「アメリア!!」
アメリアは、涙で滲んだ目で床から彼を見上げた。
彼もすぐ部屋の中に倒れているアメリアを見つけ、駆け寄った。
「すまない。遅くなった」
レイクロフトは、起き上がれないでいる彼女の側面に手を入れて、グイッと上体を起こしてあげた。そしてすぐ抱きしめて、耳元で囁いたのだ。その言葉に、アメリアは首を横に振り小さな声で答える。
「……来てくれただけで、嬉しいです」
この状況でもそんな風に返すアメリアを見て、レイクロフトは顔を歪めた。
ただ、今回ばかりは自分でも怖い顔をしていると分かったので、彼は少し顔を下に背けてアメリアには見られないようにしながら、彼女を自分の腕の中から解放した。それから、アメリアが後ろ手に付けられている手錠を確認する。
「悪いが、このままの体勢で動かないでくれ」
レイクロフトは立ち上がり、アメリアの背後に回る。
「え、あの……」
「じっとしていろ。怪我はさせないから」
彼は腰に刺していた剣を抜き、一点を見つめる。
手錠の真ん中、鎖部分だ。
切先が手の真下に来るよう、剣を逆手に持ったレイクロフト。
アメリアは、何をしようとしているのか内心ドキドキしながら、少しだけ顔を後ろに向けて彼の顔を確認する。
いつにも増して真剣な表情で、邪魔をしてはいけない空気が伝わった。
……レイクロフトは息を整えた。
次の瞬間、剣は一直線に下ろされ、アメリアにかけられている手錠の鎖を見事にスパッと断ち切った。
アメリア側には何の衝撃も与えることなく、鎖が一箇所、真っ二つに切れたのだ。
「え……」
「よし。とりあえずはこれで良いだろう。手錠は王宮に戻ったら切ってやる」
ようやく自由になった腕。
アメリアは目の前に手を持ってきて、問題なく動くことを確かめる。
「それで怪我は……」
していないか?、と聞くつもりだったのだろうが、聞くまでもなくアメリアは傷だらけだった。
彼女のボロボロな姿を間近で見つめ、レイクロフトは胸を痛める。
「すまない。俺がもっと気をつけていれば……」
「いいえ。これは私が悪いのです。陛下は何も悪くありません」
彼の悲し気な表情を見て、アメリアは慌てて否定する。この誘拐事件において、彼が謝る理由はどこにもないのだ。
「……優しいな、アメリアは」
困ったような感情も混ざっているが、ふっとレイクロフトが笑ってくれた。彼の笑顔を見れて、アメリアも安心する。
「悪いが少しだけ待っていてくれ。誘拐犯にはたっぷり仕置きが必要だからな」
レイクロフトは自身の上着を脱いでアメリアの肩にそっと掛けた。そして振り向き、すぐそこに立ち尽くすマクドネルとジョシュの二名に視線を向ける。
「なぜ陛下がここに……?」
「どうしたマクドネル? 声が震えているな?」
「ち、違うんです陛下! これには訳が……」
「訳? それは牢屋に入れてからたっぷり聞かせてもらおう」
黒幕のマクドネルも、誘拐の実行犯であるジョシュも、殺気立つレイクロフトを前にして慌てふためいている様子だ。
レイクロフトは軽く部屋の中を見渡した。檻の中に入った珍しい生き物たちを見て、すぐに状況を理解する。
「なるほど。お前は闇市の主催者だったのか」
「ひっ……!」
ズバリ言い当てられ、睨みで窒息死させられそうな感覚がしたマクドネルは小さく悲鳴を上げる。
「竜の売買のためにアメリアを狙ったのか? 浅ましいやつめ」
「い、命だけはお許しください!」
「え! 命!?」
ガバッとその場で土下座し始めたマクドネルの発した言葉に、ジョシュは思わず目を丸くする。
「ジョシュ! お前も頭を下げて懇願しろ!!」
「は!? いやいや! 僕は叔父さんに頼まれて彼女を連れてきただけで、そんな! 彼女に暴力振るったのだって叔父さんじゃないか! 陛下、僕は大した罪にはなりませんよね!?」
マクドネルは自身の犯したことが重罪で、ともすれば処刑されることも理解していた。だから咄嗟にレイクロフトに命乞いをしたのだろう。
しかし、まだ若いジョシュは理解できていなかったらしい。
レイクロフトはジョシュの真ん前に行き、尋ねてみる。
「……アメリアがどんな女性か知っているか?」
「全ての竜と会話ができる女性とだけ……」
「では、俺との関係は?」
「陛下との……?」
察しの悪いジョシュは、ただ首を傾げた。
「特別に教えてやろう。アメリアは俺にとって大切な女性。将来は妃に、と考えている。つまりお前は、未来の王妃を誘拐したことになるのだ。……それがどれだけの重罪か。ここまで言えば分かるな?」
ジョシュの顔からサーッと血の気が引いていった。おかげで、ようやく彼も事の深刻さを理解できたと分かる。
「あ……そんな……」
「まあ、相手がアメリアじゃなくても誘拐は犯罪だがな。アメリアを狙ったことで罪がさらに重くなったというだけだ。……少なくとも、今世は諦めるんだな」
どんなに懇願されても、レイクロフトに彼らの量刑を軽くするつもりは毛頭なかった。
先ほど抱き上げたアメリアの姿があまりにもボロボロで、頬には泣いた跡もあった。極め付けは、左頬に浮かび上がっているぶたれたような跡と右肩の打撲痕。
誘拐だけでは事足りずアメリアに手まで上げたとなれば、レイクロフトにとっては殺しても足りないくらいなのだから。
マクドネルとジョシュの顔に、もはや生気は感じられなくなっていたのだった。




