43. 豹変した男
レイクロフトが入場してくると聞き、会場の視線は一気に会場の奥へと集まった。
男もそちらに気を取られていたので、アメリアはこれを好機と捉え、隙を見て男の前から立ち去った。
安全なところまで移動して、ようやくレイクロフトの入場をじっくりと見ることができた。
会場の一番奥、一番高いところに王が座る椅子が用意されている。そしてその横から、レイクロフトは貫禄ある姿で登場した。
登場した瞬間、招待客がワッと湧いて会場が揺れ、大きな拍手が送られている。
(かっこいい……)
彼の立ち居振る舞いもそうだが、それだけではなく、あのように民に慕われている姿がさらに彼を輝かせてみせたのだ。
レイクロフトは荘厳な椅子の前に立ち、運ばれてきたグラスを手に持ち、手短に挨拶をして乾杯の音頭を取った。
「皆、今夜は集まってくれてありがとう。食事も飲み物もたくさん用意しているから思う存分楽しんでいってほしい。それでは、乾杯!」
招待客たちは音頭に合わせて手に持っていたグラスを掲げ、乾杯した。
こうして、レイクロフトの誕生日パーティーが始まった。
……そんな場面を遠からず見ていると、彼が王であることを思い知らされる。
いつも話している彼と今あそこにいる彼はまるで別人で、今の彼とはまともに話せる気がしない。それに。
(やっぱり時間は取れなさそうね)
時間が取れたら話したいとは言われていたが、彼の元には絶えず招待客が挨拶に来るだろう。挨拶するための列もでき始めているくらいだ。
あの人数を捌き切る頃には、パーティーはお開きになるに違いない。
先ほど自室で会った時に、誕生日おめでとうございます、と一言かけておくべきだったと反省の念も浮かんだアメリアだったが、今となってはどうすることもできない。
(一日遅れにはなってしまうけど、明日にでも会えたら改めて……)
「ああ、こんなところにいたんだね」
すると突然背後からそんな声をかけられ、アメリアは驚いてびくりと肩をすくませた。
聞き覚えのある声に恐る恐る振り向けば、そこには先ほど話しかけてきた男がいた。
「さ、陛下も来たことだし、一緒に抜けようか」
「……?」
「さっき陛下を待ちたいって言っていただろう? 陛下が来たんだからもう良いだろ。二人っきりで話せる場所に行こう」
横暴が過ぎる。
陛下を待ちたいと言ったのは本心だったけれど、あれは、この男の誘いを断る口実でもあった。
しかし、残念ながらこの男にはそれが通じていなかったようだ。
せっかく逃げたのにわざわざ追ってきてまた声をかけるなんて強靭な精神力の持ち主としか思えない。
「さあ。こっちへ」
男はアメリアの腰に手を回し、強引に連れて行こうとした。
よく知りもしない男に触れられて、背中に悪寒が走る。
「あの、すみませんがこの手を……」
手を離して欲しいと言おうとした。
だが、男は顔色を変え、アメリアの言葉に被せて言ってきた。
「いいから、大人しくついて来い」
今までの軽い口調からは一変し、まるで脅すような低い声だ。アメリアは固まった。
「……っ」
「おっと。大声は出すなよ?」
驚きで声を出す間もないままに、男はもう片方の手に握ったナイフを取り出していた。
周りにいる招待客からは見えない角度で、アメリアに突きつけている。
刃渡十五センチほどの小型のナイフだが、その切先は鋭く尖っていて、刺されればひとたまりもないだろう。
ナイフへの恐怖に怯えるアメリアを確認して、男は腰に回した方の手にグッと力を入れて距離を縮めた。
体がくっつき、側から見ればパートナーに見える距離。
……いつでも刺せるぞ、と言わんとする距離だ。
「悪いな。ある人に頼まれてるんだ」
「あなたは一体……?」
男はいやらしい笑みを浮かべて、そのままアメリアを会場の外へと連れ出したのだった。
***
一方、レイクロフトはその後も絶え間なく挨拶の列を捌いていた。
一人一言二言だとしても、何十人と連なっているので終わりが見えない。
パーティーが始まってから一時間ほど経ち、レイクロフトもようやく一旦休憩に入れることになった。
彼の作り笑顔に疲労の色が見え始めたことをさすがの宰相が感じ取ったからだ。
レイクロフトは椅子から立ち上がり、一度奥にある部屋へと下がって飲み物を飲んだ。
「はあ……。分かってはいてもやはり大変だな」
「それだけあなたに人望があるということですからね。もうひと踏ん張り、頑張ってください」
「この調子じゃ、アメリアとは話せなさそうだな」
宰相に鼓舞されながら、レイクロフトの頭の中にはアメリアが浮かんでいた。
「そうだ。会場でアメリアが確認できなかったんだが、アメリアは楽しめているだろうか?」
あまりに多くの人がいる会場。
入場してすぐアメリアの姿を探してみたが、レイクロフトの目では見つけられなかったのだ。
「……」
「? どうした?」
すると、宰相が黙ってしまった。
常にレイクロフトの考えを読んで先をいく宰相らしくない。
だから、ほんのわずかな間だけで分かってしまった。
「……アメリアに何かあったのか?」
レイクロフトは目を細め、宰相を見つめる。
鋭い視線で見つめられた宰相は、悩んだ末に、正直に話すことにした。
「アメリア様は、何者かに拐われたようです」
「なんだと……!?」
何かあったのかと想像し得る中で、最悪な状況だろう。
「一体どういうことだ! アメリアは無事なのか!? 護衛は何をしていた!」
「落ち着いてください陛下」
「落ち着いていられるか!」
「冷静になっていただかなければ、見えるものも見えなくなります。こんなときこそ冷静になるべきです」
「……っ」
宰相はとにかくレイクロフトを宥めた。
レイクロフトが部屋から飛び出そうとする一幕もあったけれど、しっかりと目の前に立ちはだかって止めたのだ。
その上で、さらに落ち着かせるための言葉もかけた。
渋々という様子ではあったが、レイクロフトは一旦落ち着いて椅子に座り直した。
それを見て、宰相は状況を説明する。
「護衛が言うには、アメリア様は男と二人で会場を出たそうです。かなり親密そうに見えたので声はかけず後をつけるだけにしたそうなのですが、護衛が具合の悪そうな招待客に話しかけられて一瞬目を離した隙にアメリア様たちは消えてしまったと。また、もう一人の護衛も飲み物はどうかと侍女に話しかけられた隙にうまくまかれてしまったようで。しかも、護衛に話しかけてきた招待客や侍女は直後に居なくなっていたそうです」
「その招待客たちもグルで、男は護衛の隙を狙ってアメリアを誘拐したってことか」
「はい、恐らく。捜索の手配は護衛から報告を受けてすぐしております。また、フィンに指揮をとらせて、竜騎士も動員しました。じきになんらかの報告がくるはずです」
「そうか……」
二人も護衛を付けていたのに、それでも誘拐されてしまった。これはかなり計画的な犯行だ。
「アメリアを連れ出した男は誰か分かっているのか?」
「護衛の証言を元に調査中です。ちなみに、アメリア様が親しくなさる男性にお心当たりは……?」
「いるわけないだろうそんなやつ」
レイクロフトは一刀両断した。
いるわけがない。
アメリアと親しい男は自分だけだという自負もある。
何を当然なことを、と言いたげな目で宰相を見つめる。
「分かっております。念のため聞いただけですから、そのように目くじらを立てないでください」
「俺は別に……!」
「ただ、だとすると。護衛は二人が“親密そうに見えた”と言っていました。仲良くもない相手とそう見えていたのであれば、アメリア様はかなり近い距離で脅されていたのかもしれませんね」
宰相の読みは正しい。
きっとそうなのだろうとレイクロフトも思うけれど、アメリアが恐怖に怯えながら誘拐されたとなれば犯人に対しての怒りは増す。
レイクロフトは、くそ、と吐き捨て眉間に深く皺を刻んだ。
するとそこで、男の人相書が出来上がったと護衛が報告にきた。




