1. 虐げられた令嬢は、婚約解消される
「すまない、アメリア。君との婚約は解消させてもらう」
彼のことを信じていた。
彼だけは、自分の味方でいてくれると思っていた。
それなのにこんな悲劇があるのかと、ウッドヴィル辺境伯の娘──アメリアは嘆き、大きなピンク色の瞳を揺らがせる。
目の前が真っ暗になるが、彼女は気丈にも倒れずに踏ん張った。
彼女の目の前に立っている彼の名前はオークリー。アメリアの婚約者……だった。ついさっきまで。
「本当にすまない。全て俺が悪いんだ」
王都で騎士として働く彼は、百八十センチを超える高身長で、立派に鍛え上げられた肉体はとても逞しい。
アメリアは十一歳のとき、オークリーと婚約関係を結んだ。
それから早九年。
国境近くのこの地で暮らすアメリアと、現在は王都で暮らすオークリーは最近では数えるほどしか会えていなかった。
それでも、彼が仕事でこちらに来ることがあれば、帰りに辺境伯邸に立ち寄ってくれた。そのときには王都からのお土産もくれて、少なからず彼の優しさに触れていた。
結婚はオークリーの仕事が落ち着いたタイミングで、と言われていて、時機を待っている間にアメリアも二十歳になった。
もうそろそろだろう、と思っていた矢先の出来事である。
「謝ることはありませんわ。オークリー様はただ私を好きになってしまっただけですもの」
オークリーのがっしりとした胸板に思う存分寄りかかりながらそんな発言をしたのは、アメリアの義理の妹──メイジーだ。
「しかしメイジー……」
「妹ながら申し上げますが、姉のようなみすぼらしい方と結婚するなんてオークリー様が可哀想ですわ。王都の騎士である貴方様は、それこそたくさんの美しい方々に囲まれているのでしょう? それであれば、姉よりも美しい私に心移りをしてしまってもしょうがないというもの。……きっと姉も分かってくれますわ」
申し訳なさそうな顔をしているオークリーとは異なり、自分たちは悪くないと言うメイジー。彼女は優しい声で彼を慰めつつ、アメリアにはふふん、と勝ち誇った顔を向けていた。
「ね、お義姉様。オークリー様の隣は私に譲っていただけますよね?」
それは、アメリアには拒否権のない問いかけだった。
────七年ほど前、アメリアの母親が亡くなった。
母が大好きだったアメリアは大層落ち込んだものだ。
しかし、それからほどなくして父親は後妻としてモリーと娘のメイジーを連れてきた。そして残念なことに、その二人はひどく性格が悪かった。
アメリアの父である辺境伯はよく王都に呼び出されたり国境を視察に出たりと多忙を極め、邸宅を留守にしがちだった。モリーとメイジーは辺境伯がいない間を見計らい、邸宅内で好き放題し始めたのだ。そんな二人の勝手を、辺境伯はつゆとも知らず。
勿論アメリアは二人に直接抗議をしたものの、モリーたちは聞く耳を持たなかった。それどころか、抗議したことを契機にアメリアは二人から虐げられるようになってしまったのだ。
まずは食事。
アメリアはモリーたちと同じテーブルに座れなくなった。モリーたちが高級ステーキなどを食べている間、アメリアは部屋にいさせられ、そして後からアメリアの部屋に運ばれてくる食事は固い丸パンを三つほどなんてこともしばしば。
それから洋服。
元々華美な服に興味はなかったけれど、それでも最低限貴族令嬢として、季節や流行りの移り変わりに合わせて洋服を新調していたアメリア。しかしそれも、モリーがお金を管理し始めてアメリアに一銭も降りてこなくなり、できなくなった。そのためアメリアは仕方なく、持っている洋服を繰り返し着ることになった。だが繰り返し着れば洋服の布は擦り減り、どこかしこから糸もほつれてきてしまう。結果、アメリアは手持ちの裁縫道具を使ってなんとか繕いつつも、継ぎはぎだらけの洋服を身に纏うことが増えていった。もはや、侍女のお仕着せの方が立派に見えるほど粗末な服装である。
他にも挙げればキリがない。
侍女達も皆、モリーとメイジーには逆らえず、または、逆らう者は否応なしにこの家を追い出されてしまった。……気付いた頃には、アメリアの身の回りの世話をしてくれる者は誰もいなくなってしまい、本来彼女が辺境伯の娘として享受できるはずのものは、全て二人に奪われてしまったのだ。
好き放題する彼女たちにどんなに意見しても、モリーたちは口を揃えてこう言った。
『お前(お義姉様)なんかには勿体ない』と──。
そんな環境に長く置かれると、心は塞ぎ込み、段々と自信も無くなってきてしまうというもの。
かつては、腰ほどまである艶やかで美しい銀髪を風にそよがせ、ピンクトルマリン色の可愛らしい瞳を輝かせて天使のように笑い、領民からも愛されていたアメリア。そんな彼女も、今では見る影も無い。
軋んだ髪は手櫛も通らないほどボサボサで、顔を覆うほど伸びた前髪は暖簾のように瞳の美しさも隠してしまっている。継ぎはぎだらけの洋服を着て、自信なさげに胸の前で組んでいる手は、日々の水仕事のせいでカサカサに乾燥しヒビ割れもしている。
この見た目では外に出ることも憚られ、アメリアはもう何年も部屋に引きこもっていた。
だがそれもこれも、全てはウッドヴィル家の中の出来事。
それにモリーたちから散々、この環境はアメリア自身のせいだと言われ続けたため、アメリアはオークリーには何も言うことができなかった。
そうなるとオークリーからすれば、自分の婚約者が段々とみすぼらしくなる一方で、性格も暗くなっているのに、何を聞いても何でもないと言われ、救いようがない。
そんなところへ、可愛らしい義妹のメイジーからは好意を寄せられ、アメリアの変化の理由もメイジーから悪いように伝えられ、辺境伯夫人であるモリーからも婚約者をアメリアからメイジーに変更しないかと打診されれば、受け入れてしまうのも仕方がない。
(彼と結婚できる日を心待ちにしていたのに)
アメリアは彼との結婚に少しだけ夢を抱いていた。彼と結婚してこの家を出れば、きっと人として最低限の生活はできるようになるだろう。そして、母親が生きていたときのウッドヴィル家のような、温かい家庭を築きたいとそんな夢を見ていたのだ。
それなのに久々に訪ねてきた婚約者の口からは「婚約解消」という言葉が出てきて、義妹のメイジーからは「彼の隣を渡してほしい」と言われてしまった。
事実、メイジーの方が彼の隣に相応しいだろう。こんなにもみすぼらしくなってしまった自分なんかよりはよっぽど。
アメリアはそう思ってしまった。
たとえそう思えなくても、この家の絶対的権力者であるモリーとメイジーが決めたことに、アメリアが反論なんてできるわけがなかった。
「……分かったわ。オークリー、メイジーを幸せにしてあげてね」
それはアメリアの目一杯の強がりだ。
夢が幻となってしまった目の前の現実。震える手をぎゅっと握り締めながら、作り笑いをしてそう答えたのだった。
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