乙女に首ったけとなった男の誓い
ああ、とうとうこの日を迎えたのね!
私は港に立ち、まだ何も見えない海の向こうを眺め、愛する人が乗った船の姿を今か今かと待ちかねていた。
半年前、私はイーオンに嫁ぐはずだった。
けれど、結婚を認めただけで結婚を今すぐすると思っていなかった父は激高し、イーオンを遠い異国へと追い払ってしまったのである。
確かに、ジャワナ国のナッツや香辛料はわが国では誰もが望む高級品だわ。
そして、伝説の英雄ならば、航路に障害物として立ち塞がる、海賊船や敵国の軍艦の脅威から商船を守り抜けるかもしれない。
だが父は彼にそんな期待をしていた訳では無く、海の底に沈んでしまえと望んでいたようだ。
けれど今では、父こそ無事に帰港することを神に祈っている。
ダニエルがイーオンの為に船を用立て、彼こそ船に乗ってジャワナ国に向かってしまうとは父こそ思ってもみなかった展開だもの。
そんな父は、私が全く平気そうな顔をしていることにも驚いている。
私が薄情すぎると、父はいもしないイーオンやダニエルに向けて謝ったりもしているのだ。
いえ、私がこの展開に動転しすぎて、イーオンがどこにも行っていないという白昼夢を見ている状態だと心を痛めている、が正しいわね。
ごめんなさい、お父様。
私にはイーオンの無事が手に取るようにわかるってだけよ。
だって彼は妖精王の息子だもの。
彼は妖精を使ってメッセージを私に送って来れるのよ。
愛しているよ、今すぐ君を抱きたい、と王子様からです。
そればっかりね、だけれども。
昨夜とうとうイーオンが国に戻ってくると教えに来てくれたのは、彼と旅立ったはずのドラグーンだった。
そして驚いた事に彼は鼠ではなく、彼がケルピーであった事を私に思い出させる姿をしていた。
「死んだ奴らが海の藻屑になる前に、俺が飯として頂いてるんでさあ。」
眩しいぐらいに真っ白で綺麗な馬の形をした妖精は、人間の言葉を喋りながら自慢そうに人間の腕だってかみ砕けそうな馬の歯を見せて来たと思い出す。
「あなたは本当に信じていらっしゃるのね。愛している人の無事をここまで信じられるなんて、あなたは彼を本当に信頼していらっしゃるのね。」
私の横に立ち、私の親友ともなったヘザーが私に囁いた。
親友でもイーオンがデュラハンだったことや、妖精達が毎夜のように彼の無事を教えに来てくれることなど教えられないので、私は微笑むだけに留めた。
「羨ましいわ。私も彼と心が通じれば彼の無事を確信できるのかしらね。」
それこそない、とは親友には言えないだろう。
ヘザーは美人の類であるのに気取ったところなど無く、人への心遣いも出来る上に会話も面白いという、我が弟達でさえ気に入って大好きになったぐらいの人である。
それなのにソーンの気持が彼女には向いていないと私が考えるのは、彼女自身が私に語ったソーンとの会話によるものだ。
彼がヘザーに求めたのは、報告だけ、としか受け取れないんだもの。
「私、ミゼット先生に出会えてよかったって思うの。講師の職、それを手に入れるチャンスを与えて下さったのだもの。」
私とヘザーは三か月前に開校したばかりのミゼットの学校に通う学友となっているが、実はその選択をした彼女は両親に勘当されている。
それでも意志を貫くなんて凄いなって、私はヘザーを尊敬している。
「尊敬だなんて、私は恋に生きているだけよ。ほら、ジュールズ様は女性だろうが男性だろうが一個人として扱われるでしょう。だから、私が自分で自分の身を立てられるようになれば、彼は私への見方を変えて下さると思うのよ。」
「素晴らしいわ。そうよね。女も手に職があれば自分の思う様に生きていけるのよね。私がイーオンを養ってもいいのだわ!お互いに頑張りましょうね!」
私達が互いに笑みを交わすと、私達の監督官が私に囁いた。
ミゼットはヘザーの付き添いとして港に来ているのだ。
「素晴らしいわ。では、あと三年は学校を続けて欲しいものね。」
私は自分のマントの下を思い出し、顔を俯けて、小さな声でごめんなさいと呟くしかなかった。
私は花嫁衣装にもなる白いドレスを着ている。
彼がこの地上に立ったその時、私は誰が何と言おうが彼の花嫁となるのだ。
だから、もしかしたら、赤ちゃんができて学校に通えなくなるかもしれないし。
「赤ん坊が出来ない方法も私が後で教えてあげますわよ。」
「ええと、先生、それは!」
「悔しい!だが帰ってきて良かった!このままダニエルと結婚させてしまいたい!私はあの男は嫌だ!」
「あなた、約束は守るものですわよ。世間知らずな人なのですから、我が家の大きな息子として彼を受けいれ、我が家で二人を見守ればいいではないですか。ダニエル様でしたら、ダニエル様の地所に連れていかれて、我が家は四人の悪魔たちにボロボロにされてしまいますわよ。」
泣いている父と対照的に、母は瞳にピンクのハートが輝いているような有様で、父の神経をさらに煽るような慰めの言葉を掛けた。
「お母様。僕達はお家をボロボロにしませんよ。あれは全部、ディの仕業です。やはり躾の最初は僕が担当するべきでしたね。聞き分けのない犬になってしまいました。」
「いいえ。君こそ家の中に犬を入れた張本人でしょう?」
「お父様。だってダニエルが僕達の弟だよって言ったのですもの。」
父は可愛い長男にぜったいに否定できない人物の名前を唱えられ、ぐぬぬと悔しそうに喉を詰まらせた。
私の横のヘザーがくすくすと笑い声を立てる。
「まあったく、カイルは可愛いわね。」
カイルは真っ赤に顔を染め、照れたようにして父の影に隠れた。
両親は久しぶりの子供っぽいカイルの頭を嬉しそうに撫で、こんな機会を与えてくれたヘザーには感謝ばかりの目を向けた。
凄いわ、ヘザー。
私もそんな風な淑女を目指しましょう。
まず、愛している人を手に入れてから!
私が再び見上げた海には、一艘の、いえ、船団の影が港に向かってきていた。
ダニエルの船が敵国の船に囲まれるようにして真ん中にされ、その異様な船団がゆっくりと港へと進んで来ているのだ。
「まあ!ドラグーンがイーオンは無事だと教えてくれたのに!」
私は悲鳴のような声を上げていた。
港も状況を見るや悲鳴を上げ、敵国の船が港を侵略する事に脅えた。
「四隻も拿捕したぞお!港をぶち壊されたくなきゃ、俺に生贄を渡せ!美しく清純で可愛らしいプルーデンス・クーデリカだ。本日、絶対に、俺の嫁にすると誓わねば、今すぐに港を砲撃する!」
港中に響き渡ったイーオンの大声。
混乱しかけていた港は、呆気にとられたようにして無音となった。
それから大爆笑が港中に広がった。
さきほどまで脅え切っていたはずの群衆は、全てが笑顔ばかりを顔に貼り付け、下卑た大声を上げながらも船が着岸するに従って道を作り始めたではないか。
船から降りた人が私に向かって来れる道。
いいえ、私が彼の胸に飛び込んでいける道だわ!
私は羽織っていたマントを自分から剥がし、その動作のまま駆け出していた。
群衆と群衆の間にできた道を、私はあの夜のように必死に走っていた。
俺の元に来い。
彼が私を絶対に呼んでいるはずだと、私は彼を求めて走り続けたのだ。
タン。
タラップが下ろされる間も我慢できなかったのか、人ならざる身体能力を持った男が私の目の前に飛び降りてきた。
敵から奪ったのか新品で真っ黒の軍服みたいな上下を纏った彼は、眩しいぐらいに美しく精悍であった。
私達の視線は交わり、すると、彼は私に跪いた。
中世の騎士が姫に願い事をするようにして。
月の光を全身に纏った、私だけの騎士。
「あなたを抱けないならば、俺は世界を壊してしまうだろう。俺はあなたに首ったけなんだよ。いや、考える頭を失った恋に囚われた哀れな男だ。」
イーオンは立ち上がり、私に向けて両腕を開いた。
私は私が愛した男が戻って来たと、歓声を上げるや彼に抱きついた。
彼は私を抱き締め、そのまま私の唇に口づけた。
彼の柔らかな唇が私の唇に触れ、そこで全身からふわっと力が抜けた。
私は彼にしがみ付いた。
彼は私をさらに抱きしめる。
私は自分の両腕で彼の頭を掻き抱き、彼の柔らかでシルクのような髪の毛の感触を指先で堪能した。
愛している。
私は彼を手に入れたのよ。
「ラブ。これから俺達は同じ家に住んで同じ部屋で寝るんだ。俺にウンザリするなよ?ダニエルもソーンもたった半年で俺にウンザリしている。」
「ウンザリするわけ無いわ。私は一生あなたを愛して、あなたに一生守って貰うの。あなたこそ私にウンザリしないでね。」
「するわけ無いさ。俺は君を愛し守る。イーオン・アマデウスを君が愛してくれる限り。いや、君が好きすぎて考える頭を失ったデュラハンだろうが、君を永遠に愛し守ると誓おう。」
私達は再び口づけあった。
家族や友人に引き離されるまで、しっかりと。
お読みいただきありがとございました。
長いお話でしたがこれで完結します。
長くお付き合いいただきましたこと、感謝ばかりでございます。




