ファーニヴァル侯爵様の憂鬱
ダニエル・ファーニヴァルは窓から空を見上げ、空の青がサファイヤブルーではなく水色で良かったとぼんやりと考えた。
空を見上げて彼が思うのは、彼が恋した女性の綺麗な瞳であり、何度も撃ち殺したくなる彼の恋敵の「あいつ」の瞳の色ではないからだ。
「ダニエルの方が空の色に近くてよ。」
彼が恋する乙女の言葉が思い出された。
世の淑女たちがさざめく時の癇に障る高い声ではなく、風のように澄んだ声だ。
「空を見上げた君は私を思い出してくれるのかな。」
「の、わけないだろうが。寝ても覚めても俺だね。」
ダニエルは自分のささやかな逃避行動までも邪魔して来る男を見返した。
そしてその男は出現しただけでは無くて、ダニエル自身がウンザリして逃げ出したくなるからと無視していた、潮の香りまでも強くダニエルに突きつけた。
ダニエルが座するここは、大きな商船の操舵室に続く船長室である。
元亡霊だったが復活したという非常識な男は、風呂に落ちた猫のように全身を濡れそぼさせているが、自身が海の化身であったかのような顔で船主のダニエルに笑顔ばかりを向けてきた。
男でさえも腰が抜けそうになる魅惑的な笑顔だ。
けれどダニエルは、目の前のこの男と半年近く一緒に生活しているため、その男がまたろくでもないことをした事をダニエルに誤魔化したいだけの笑みだと気が付いただけで腰など抜けなかった。
ダニエルは大きく溜息を吐いた。
自分は何をしているのかと。
自分こそ恋という魔物に憑りつかれ、正常な判断が出来なくなっていたとは、と、半年前の自分を罵るのが日課となっているとは。
そう。
ダニエルは失敗したのである。
彼が恋して手にしたいプルーデンス・クーデリカは、ダニエルの真ん前にいる非常識男、イーオン・アマデウスに恋をしている。
そして、イーオンはプルーデンスを手に入れるためにクーデリカの父親のクエストを達成したが、その後がいけなかった。
中世の騎士の感覚のままの男は、父親の許可が出たと知るや、プルーデンスをそのまま担いで教会へと走ってしまったのだ。
慌てるクーデリカ家の人間。
そして、完全に怒り心頭になったプルーデンスの父親は、娘に恨まれようとも非常識男を海の藻屑に消してしまう決意をした。
「海賊と敵国の船がひしめく航路を使い、ジャワナ国の香辛料を運んで来い。それが出来たとなれば、我が娘プルーデンスをその腕に抱けると差し出そう。」
イアン・クーデリカの台詞を思い出したダニエルは、ほうっと溜息を吐いた。
それから、目の前の男ではなく、いつも自分の脇に控えている親友という名の裏切り者を眇め見た。
ソーンは日に焼けて野性味が増した顔をにやっと綻ばせた。
ダニエルは考えるべきだった。
ソーンは生まれながらの軍人だ。
危険がある場所においてこそ輝ける生活破綻者でもあったのだ。
ソーンはイーオンのジャワナ行きの船に同乗すると言い出したのだ。
世界情勢を知らないイーオンの道案内ぐらいしてやるべきだから、と。
「クーデリカ嬢には世話になっています。あなたへの恩義もありますが、あなたこそフェアを望む方だと思っております。イーオンはジャワナ国から戻って来て初めて、ええ、あなたと同じ位置に立てると思いますよ。この航海が成功すれば、彼は実業家として認められもします。まず、船を用意するところから始めねば、という試練もありますけどね。」
ダニエルはソーンの本意が自分に恋心を募らせる乙女から逃げたいだけの気もしたが、そこを責めるよりも親友が生き延びられる道を画策してしまった。
そしてその自分の愚行を諫めようにも、すべて過去の出来事だ。
「ああ。私は親友にいいように使われた。私が動かなければ、君もイーオンもジャワナ国に向かうための船こそ手に入っていなかったじゃないか!」
「よく言うよ。ジャワナ国の香辛料、これを我が国にもたらせたそこで大金が流れ込むってことで、お前こそノリノリで船を手配した癖に。」
「君のせいで死にかけていた親族が一斉に元気になって、次々と妊娠の知らせも来ていたんだ。一族の長である私が一族の食い扶持を稼がなければいけなくなったのだから仕方が無いでしょう!みんな君のせいだ!」
イーオンは嬉しそうにワハハと笑った。
そして、上半身裸の彼が唯一身に着けているパンツに手を突っ込むと、彼はその手を引き出してダニエルに見せつけた。
ダニエルの目の前に差し出されたイーオンの手には、大粒ルビ―がいくつも連なる金のネックレスが輝いていた。
「それでサメが泳ぐ海に勝手に落ちて私達の船を止めていたのか?」
「海賊船を発見したんだ。お宝たっぷりのね。で、俺がちょっといただいちゃったもんだからさ、トサカに来た奴らがこっちに向かっている。あと数分で船影が見えるんじゃないか?どうする?逃げるか?」
イーオンはダニエルに逃げる選択を与えるような台詞を吐いたが、半年も一緒であればダニエルにその選択が無い事を知っている。
ダニエルは大きく溜息を吐くと、船長室にある漏斗型の伝声管のマイクに向かって静かな声で話始めた。
「私は船主ダニエルだ。海賊船と数分後にインカミングする。大砲用意。戦闘準備。海賊船を海の藻屑と消す。戦利品は手に入れた者の所有物と認める。」
船内からは、大波が来たような反応が返ってきた。
実際は船員全てが大声を上げてダニエルの声に応えただけであるが、どれもこれもダニエルを讃える声ばかりである。
ダニエルは煩いと耳を塞いでいた。
ダニエルの目の前の男こそ喜びの雄叫びを上げていたのだ。
「君はもう少し落ち着きなさいよ。」
「いいじゃないか。お前が最高なんだぜ。お前はいい男だって船員全員が言っているって知っているか?俺こそそう思っているよ。最高だぜ、キャプテン。」
「キャプテンと私を呼ぶな。私は単なる船主でいたい。いざという時の責任は君に取らせるつもりだ。」
「そういう猪口才な所も好きだぜ。」
濡れそぼった男はダニエルに投げキッスを贈ると、我先にと船長室から飛び出していった。
ダニエルは彼が置いて行ったネックレスを掴み上げると、大きく溜息を吐いた。
それから、以前の彼からは想像もつかない適当な動作で、彼は船長室にある大きなソファに腰を下ろした。
「ねえ、君は行かなくていいのかな?君こそ好きでしょう、爆破とか戦闘。」
「俺はあなたを守るのが仕事ですから。」
ダニエルは大きく溜息を吐くと、再びソファから立ち上がった。
そして彼の祖先、ダニエルと同じ名のダニエル・ファーニヴァルが愛用した剣を手に取ると、甲板へ、と親友に言い放った。
ソーンは目を光らせると、ダニエルの横に立ち、ダニエルに囁いた。
「俺からも言わせてもらいますよ。最高ですと。」
「良いように使われるだけの良い男、としか見られていない気がするがね。」
ソーンは楽しそうな笑い声をあげた。
彼は反逆罪で自身が罪を問われることをものともせずに、ダニエルの呪いを解くために王城内の女神像を破壊しようと動いてくれたのである。
そこで、ダニエルを助けるために亡霊の姿を自分達の前に見せたデュラハンの事も、彼は思い出していた。
「俺が存在する事を認めるならば、お前達はファーニヴァル家にかかる呪いがあることを認められるはずだ。」
「良いか、間抜けでも。私には健康で無駄に長生きが出来る人生が手に入ったんだ。体に悪いから、危険だからと、あれもこれも我慢しなさい。そうやって押し込められた人生からおさらばできたのだものな。」
「そうです。恋だってたくさん経験するべきです。アンブローズ伯爵家ゆかりのヘザー・グレイ嬢なんていかがですか?喜んで紹介しますよ。」
「君こそ大概だな!」
ダニエルは肘で親友を小突き、大きく笑い声をあげた。
彼こそこの航海が楽しいと実は思ってると、あの非常識の恋敵に知られたくは無いと思いながら
お読みいただきありがとうございます。
女神像破壊が計画的だったのは、デュラハンが裏でダニエル達と共謀していたからでもありました。
そしてデュラハンは、ジュリアを守りきったファーニヴァルを墓場の中から眺めてはいたし、ダニエルにジュリアの面影も見ていたので、プルーデンスを任せられるのは彼しかいない、と言う風に考えてもおりました。
狙い通りに自分が完全復活できた今は、絶対にプルーデンスを渡す気はありませんけれども。




