あなたの愛が私には無いとしても
私の頬には涙が伝っていた。
デュラハンが来てくれて助かったと、ホッとして流れた涙なんかじゃない。
愛している人の心が最初から自分になかったと認める涙だ。
ああ、デュラハン。
彼は私に体を向ける事も無く、ゆっくりと床に跪くと、半裸の姿で気を失っている哀れな少女を抱き上げた。
ミゼットが恐怖の吐息を吐く音が聞こえたが、デュラハンは自分の姿が人に見える事も厭わずに、父親のようにしてこの上なく優しい手つきでアシュリーをベッドに横たえた。
「く、首なし、騎士?まさか、ああ、まさか。」
「ええ。先生。私が心に決めた愛する方ですわ。」
私への愛は彼には無いかもしれないけれど。
でも、ミゼットにデュラハンを紹介した時、私は自分に彼への愛しか無いと認めるしかなかった。
愛しているならば、愛している人の幸せを望むべきだ。
メラディスのようになってはいけない。
私は涙を手で拭うと、自分がやるべきことをしようと駆けだした。
「プルーデンス!どこに行くの!」
「目的を果たしに参ります!」
私はアシュリーの部屋を飛び出し、ダニエルが向かった先、どこかにデュラハンの首が埋まっているはずの中庭に向かって駆け出していたのである。
外は明るく、整えられた庭はどこもかしこも花々が咲き乱れていて美しい。
でも、私はあの夜と同じ気持ちだった。
生きるために必死に走っていた。
森に逃げろと呼んでくれたデュラハンに助けを求めて駆けていた時のように、デュラハンのよすがをただ求めて走っていた。
ダニエルは良い男だよ。
彼だけをあなたが勧める理由が分かった。
彼との結婚を私には最高のものとなると言ってしまえる、私には残酷でしかないあなたの気持が分かった。
「私はあなたがいいの!あなたが愛してくれなくても愛しているの!」
私は叫ぶと、さらに足を動かした。
どうしてその方角に向かうのか自分でもわからないが、私は止まることなど出来なくなっていた。
だって、彼を見つけるのは私にしか出来ない。
他の人になんか彼を奪わせてなるものか!
「そこまで!止まって下さい。」
私は男性の大声にハッとした。
私の目の前には数人の近衛の制服を着た男性達だ。
彼らは私の行く先を遮ろうと散開しようとしている所である。
この道で正しいのね。
でも、立ち塞がろうとする彼らをやり過ごして逃げる事は出来るだろうか。
「いいえ!止まることなんかできないわ!」
「ちょっと君!」
私は体当たりをする勢いで再び駆け出した。
男は手を広げて私を捕まえようと前に出て、私に触れたところで風に吹き飛ばされたようにして大きく転んだ。
「デュラハン。」
私はそのまま足を動かした。
あの夜のように必死に。
後ろで風船が破れる音が次々に鳴ったが、私は振り返らずに足を動かした。
喉は乾き、視界がちかちかと点滅してきたけれど、私は歯を喰いしばった。
そしてその数十秒後、私は噴水の前に出ていた。
森の中のデュラハンの霊廟のように、水などとうに枯れて崩れて見捨てられてしまった石の瓦礫にしか見えないものがそこにあった。
私は大きく息を吸うと、噴水の縁を跨いだ。
噴水の底に両足をつくと、下から風のようなものがぼうっと立ち昇った。
「ゴールだ。ありがとう。」
私は、どういたしまして、と言おうとしたが、声が出なかった。
ああ、疲れているからだ。
立っているのも辛いぐらいに疲れているからだ。
私はそのまま噴水の中に倒れた。
「プルーデンス!うわああ!君達は何をしたんだ!」
「ですが侯爵!許可なく動き回るものは対処せよとの命令が!」
「彼女のどこに脅威があるんだ!相手は銃も持たない女の子じゃないか!ああ!プルーデンス!死ぬんじゃない。誰か医者を!急いで医者を呼んでくれ!」
ぼんやりしていく意識の中、ダニエルの悲鳴に近い大声で誰かに命令している声が聞こえた。
医者?
死ぬんじゃない?
私は身じろぎして、悲鳴にならない喘ぎ声をあげた。
私の腕は真っ赤に染まっている。
私は赤く濡れそぼっていた。
私はどうやら体の何か所かに銃弾を受けていたようである。
私はこのまま死んでしまうの?
「しっかりするんだ!プルーデンス。さあ、私の腕にって、わああ!」
ダニエルが私に腕を伸ばしたが、その腕が下から黒くて煌びやかな袖から突き出た手によって払われた。
同時に枯れたはずの噴水から天に向かって水が噴き出した。
ダニエルも、私を撃って私を追いかけてきた兵隊も、噴水から後退るしか出来ず、誰にも入って来れない水の壁を作り上げた男を私は見上げた。
私の愛した首なし騎士。
「私に痛みが無いのはあなたの魔法なの?デュラハン?」
「俺はもうデュラハンではないよ。」
それが答えなのかと、私は目を瞑った。
デュラハンである限り私を守ると誓った男はもういないのだ。
私には辛い世界ならば、私はここで死んでも構わないかもしれない。
私が意識を手放そうとしたところで、頬にいつもの彼の指先が当たった。
彼のキスの代り。
これだけは手放したくは無いと、私は彼の指先を捕まえて握った。
「泣くのはまだ先だよ。プルーデンス。君は大地との契約を全うした。君には大地からの褒美がある。」
デュラハンの言葉の直ぐ後に、私は右肩と左足、それから、左側の臀部に、焼き鏝を当てられるような痛みを感じた。
「きゃああああ!」
「鉛玉を君の体が吐き出しただけだ。銃の威力を計りかねた俺の失態だ。許してくれ。お詫びとして、そいつらの首は後でちゃんと刎ねるからな。」
「刎ねちゃ駄目!人殺しはいけないわ!」
「君は本当に天使なんだか悪魔なんだか。」
「デュラハン?」
横たわっていた私はしっかりとした両腕によって優しくすくい上げられ、大きくて固い胸板に押し付けられた。
私はデュラハンの胸に頬を当てた。
冷たくて、鼓動など全くない、亡くなってしまった人の胸。
私への愛など最初からなかった冷たい胸。
「ラブ。俺は出会った最初から愛しているよ。君だけを。」
「デュラハン。」
私は喜びのまま両目を開けたが、私の目元は大きなデュラハンの手で隠された。
再び真っ暗になった私の耳に、ふわっと冷たい吐息が掛かった。
「俺に愛する人から名前を呼ばれる栄光を今すぐに与えてくれ。俺が愛し、俺を愛する乙女に名前を呼ばれたそこで、俺は復活できるんだ。」
「あ、あなたの本当の名前を私は知らないわ。絶対にレイブン騎士団の事を知らないように気を付けたの!あなたを私のデュラハンにしておくために!だから、ああ、あなたの本名を私は知らないの!」
デュラハンは心地よい笑い声を立てた。
とっても素敵で心地よすぎる声なのに、なぜか腰のあたりがむずむずしてしまうという不思議な彼の笑い声に私は包まれている。
「可愛い君。最愛の君。俺は君にキスがしたくて堪らない。さあ唱えてくれ。俺の名前を。俺の名前は、永遠に、神に愛されし、だ。」




