そこは秘密の花園だった
デュラハンに首を返してあげられる。
その未来が確信できることで、ミゼットの執務室を出た私の足取りは、軽いどころか走り出しているようなものだった。
弟達が勝手に走り出してしまう気持ちが分かったわ。
あの子達はいつも幸せいっぱいなのね。
「落ち着きが無いだけだ。躾けようよ。」
「もう!デュラハンたら!」
「きゃあ!」
私は誰かと廊下でぶつかっていた。
慌てて自分が転がせてしまった人へと手を差し伸べると、その人は数日間話もしていなかったモーリーンである。
私は手を差し出したまま、そこで固まってしまった。
彼女に拒否されたら辛い、そんな風に考えてしまったのだ。
ところが、モーリーンはにこやかな表情を作りながら、私の手を掴んだ。
「あら、大丈夫も無いのですの?ご無事ですか、お嬢様。ジョックさんだったらそう言って手を差し出しますわよ。」
私は久しぶりのモーリーンの揶揄いに嬉しくなり、左手を胸に当てながら、デュラハンならばこうするだろうというセリフを口にした。
「あなたに出会えた幸せに言葉を失ってしまいました。レディ。」
すっかり立ち上がったモーリーンはクスクス笑い出し、でも、笑いながらグスグスと泣き出してしまったではないか。
「まあ、まあ、どうなさったの。私はあなたを傷つけてしまいましたかしら。」
「い、いいえ。友人との語らいが久しぶり過ぎた、それだけですわ。」
「そ、それは分かります。私もあなたと久しぶりにお話が出来て、それは、ええ、それはもう嬉しいのですもの。」
そこまで言った後、私は急に不安になって周囲を見回した。
私と話している所を周りの子達に見られたら、モーリーンが裏切り者と思われて無視されるような目に遭わないかしら?
明日からモーリーンこそ虐めの対象にならないかしら?
急にそんな風に思って脅えてしまったのだ。
「プルーデンス様?どうなさったの?」
「い、いいえ。私と一緒なのを見咎められたら、モーリーン様にご面倒がかかるかなって、あの。」
「では、秘密の憩いの場に参りませんこと?」
「行きますわ!」
私達は腕を組みあい、向かう先はモーリーンに任せきりだが、廊下の曲がり角では人の行き来が無いか調べたりとひと目を避けながら、一緒に歩いた。
会話らしい会話も無いのに私達は始終くすくす笑いをしていて、私は同世代の同性との一緒の時間がこんなにも楽しいものなのかと初めての体験だった。
モーリーンが私を連れて来たかったのは、学園の敷地内にある温室だった。
ガラスの扉を開けて中に入ると、外気とは違った湿気と生暖かい空気が私達を覆い、鼻腔は植物の青臭さでいっぱいになった。
「お花の匂いはしないのね。」
「バラの花はキャサリン様達に台無しにされてしまいました。さあ、冷たい外気が入る前に閉めましょう。」
「ええ。寒くなったらお花が可哀想ですものね。」
私達はクスクス笑いをしながらドアを閉めた。
それから私は周囲を見回して、さらに笑いが込み上げてしまった。
ダニエルの屋敷の温室では色々な花々が咲き乱れ、オレンジやレモンの木が植わっていたのに、ここは見渡すどころ緑色しかない世界なのである。
「ジャングルだわ。お花はどこ?」
「酷い有様でしょう。フィレイソン先生がここに余計なものを植えられましたの。南国の植物の勉強にはなりますけれど、がっかりしかありませんわ。女の子はお花が好きなのに。」
「確かに。先生が植えられた南国の植物は何ですの?私は南国の植物を見た事がありませんから興味はあります。教えて下さる?」
「ぐるっと見回して、見た事が無いつやつやした緑色の葉っぱがあれば、それですわ。私は繊細な葉っぱやお花が好きですのに。」
「あら、では、これ全部が南国のものってことですか。」
「私達の目がガラス玉でなければ、その通りですわ。」
私はモーリーンの砕けた言い方に笑い出しており、モーリーンを悦ばせるために、父に頼んで繊細な葉っぱの可愛い花の苗を手に入れようと考えた。
彼女と一緒にその苗を育てるのは?
ああ、なんて素敵な毎日なんだろう。
「プルーデンス様。御覧なさいな。フィレイソン先生はローザ先生と違って良い先生だと思っていたのに、ローザ先生以下ですわ。」
モーリーンの暗い声に、私は驚きながら彼女が指し示した方角を見つめた。
何も考えずに彼女と歩いてきたが、彼女の言葉で自分達が鬱蒼とした南国の森の中に入り込んでいた事に気が付いた。
今の私達は緑の洪水に飲まれてしまったと感じるぐらいなのに、彼女が指さしたそこだけはぽっかりと緑が消えた茶色の空間になっているのである。
いいえ。
以前はそこに花があったはずなのに、根こそぎ刈られて枯らされている、そんな状況となっているのである。
「あなたの大事にされていた花壇でしたの?刈られてしまいましたの?」
「そうです。セリーナ様と一緒に育てていたお花達。ここはあの子との唯一となった思い出の場所でしたのに。それが、こんな風に壊されてしまいました。」
「お辛いお気持ち、わかりますわ。」
「いいえ。あなたには分からないと思います。あなたはどこにでも飛んでいける蝶々のような方。それに引き換え、私は、与えられた場所から動く事もままならない、蟻塚の中の蟻ですわ。」
「モーリーン様。そんな。」
モーリーンは私から腕を外すと、私から離れて数歩だけ前に歩いて行った。
モーリーンは私には後姿だけとなった。
先程までの楽しかった気持ちは重苦しく沈み、彼女の落ち込みは私の何気ない言葉が招いた事なのかと、私は悲しい気持ちとなりながら彼女の背中を見つめるしかない。
「私には常に今しかないの。」
その声は十代の少女のものでは無かった。
数々の不幸を受けてきた女性が出したような、低くて疲れ切った、若さなんて感じられない乾いたものだった。




