君は黙って脅えてくれ
「お姉さま。ダニエルが派遣したメイドに先に言付けをしましょう。僕達の部屋に彼女を呼び出す方が危険だと思います。」
「そうね。そうしましょう。いつもながらあなたの状況判断は凄いわね。」
私とフェリクスが酔っぱらいに蹴られて転がされた日が思い出される。
その時のカイルは私と酔っぱらいの間に入ってくるどころか、アービーとヒューをその場から連れ出してくれた。
もし彼が私と酔っぱらいの間に入っていたら、彼こそ酔っぱらいに酷い目に遭っていただろうし、そうすれば私はカイルを庇っていただろう。
そうしたら私達姉弟はそこで死んでいたかもしれない。
そして、そんな事態となるとカイルは最初から想定していたようで、アービー達を使って即席の罠を仕掛けるというさらに先を行く行動を取っていたのである。
あとは、そう、酔っぱらいがさらに私に無体な行動を取ろうとした寸前で、カイルは酔っぱらいを揶揄い呼び寄せ、彼らが作った罠に落とし込んだのだ。
女子供は泣けば済むと思っていると私達を蹴った男は、両足を縛りつけられた姿で、馬車によって大通りを引きずられる結果となった。
子供のようにただただ泣き叫びながら。
「あいつこそ泣くしか出来ないじゃないか。ねえ、お姉さま?」
あの日の私は、カイルをよくやったと褒める事など出来なかった。
私のせいでカイルがこんな酷い行動を取らねばならなくなったのだと、ひたすらに悲しく思っただけだ。
私は隣を走る弟の頭を見下ろした。
金色に輝く巻き毛の小さな頭は人形の頭みたいで、まだまだこんなにも小さいのに、甘えるだけでいい年頃なのに、彼が子供のままでいられないなんて。
全部私のせいなんだわ。
「私こそあなたを守るべきなのに、あなたに守られてばかり。不甲斐無い姉でごめんなさいね。」
「なぜ謝るの?僕は男の子です。母と姉を守るように父に言われています。それに、僕こそお姉さまを守りたいのだからいいのです。」
「まあ!そんなに私を甘やかせたら、あなたが結婚した日には、あなたという守り手を失った私が酷い小姑になりますよ。あなたのお嫁さんを虐めてしまうかもしれない。ですからほどほどにした方がよくってよ。」
私の横を走るカイルは嬉しそうにクスクスと笑い声を立てながら、ダニエルが時々するような尊大な表情で私を見上げた。
「僕がそんな小物に見えますか?お姉さま。僕は守りたい人、全部を守れます。」
「カイルったら。」
「空恐ろしいガキだな。俺だってもそんな自惚れた言葉は吐けねえよ。俺にできるのは惚れた女一人を守ることだけだ。それも怪しくって泣いてるってのにな。」
「デュラハン!」
「そのまま部屋に行け。事態はかなり切迫している。」
切迫?
どうしたのかと聞き返す間もなく、私達は足を止めるしかなかった。
私達が向かおうとしていたメイドがいるであろう寮の台所、そこにはそこへの立ち入りを禁じるように黒い制服姿の男性達が立っていたのである。
「姉さま。どうして寮に警察が?薬の連絡を教授がしたにしては早すぎます。」
「え、ええ。何があったのかメイドに尋ねましょう。」
私の襟首が後ろからつんと引っ張られた。
私は後ろによろめき、背中は冷たいが固くて安心する胸板に押し付けられた。
デュラハンは私を後ろからそっと抱いた後、揶揄う声どころか抑えた低い声で私の耳元に囁いた。
「ちょっとした使用人達のいざこざだ。だが、警察が来るような出来事でもあった。よって、君達がメイドに連絡せずともあの男達は勝手に来る。」
「わ、わかったわ。」
それだけの説明にどうしてこんな親密な行為をしたのかわからないが、デュラハンはそれだけ私の安全に神経質になっているのだろう。
私はカイルの手を握り直すと、部屋に行きましょう、と声をかけた。
「お姉さま。メイドには?」
「警察が来ているなら、私達がダニエルに伝えるまでも無いって気が付いたの。何が起きたのかの情報こそダニエルが聞きたくなくても聞かされるでしょうし。」
「そうですね。お姉さまが何も知らなくてもいいという選択をされた事こそ驚きですが、確かに良い決定です。」
「え、ちょっと。それって、ダニエルは私に何も言わないってこと?」
「余計な情報を女に与えても良い事なんか無いんだよ。勝手にふよふよ動き回られるのが関の山だ。だったら脅えさせて大人しくさせた方が守りやすいだろ。安心して脅えていろ。俺が全部集約するから大丈夫だ。早く行け。」
むう!
デュラハンの酷い言いざまに、私は脅えるどころか怒りばっかりになって弟の手を握りしめ、悔しいながらも部屋に行こうと歩みを変えた。
するとその時、警察の一人が慌てたようにして私達へと駆けて来たではないか。
待ってと声がかかったならば、私達は立ち止まるしかない。
男はリーブの警察だと自己紹介した後、私ではなくカイルに話しかけて来た。
「メイドのメロウから朝食の盆を受け取ったのは君だよね?彼女にその時に何か別の用事を頼んだりしなかったかな?」
カイルの振りをしたのはネズミのドラグーンだったわ。
私はカイルを庇わねばと屈み、カイルを抱き締めて自分の胸に抱いた。
「メイドに頼んだのは朝食を持ってくることだけですわ。」
「え、あ、いや。そうですか。彼女がその後に用事があるからと出て行ったその後、あの、ええと。」
「そこまでにして頂けませんか?私の婚約者とその親族を脅かす行為は止めて頂きたい。」
私達の上にダニエルの硬質的な声が降り、私とカイルは勿論、カイルに質問をしてきた警察官こそ凍った。
そろそろと見上げれば、ダニエルが警察官を見下すようにして立ち聳えていた。
私の脳裏で、デュラハンの思いっきりの舌打ちの音が響き、彼こそ私とダニエルをここで対面させたくはなかったのだと思い知った。
いいえ、私こそ後悔したのよ。
だって、ダニエルは取り返しの利かない台詞を人前で言ってしまったのだもの。
私の婚約者。
私の同意の有無なんてもう必要ない、既成事実になってしまった、とは。
私が叫んで逃げ出したいのは目の前の警察官ではなく、ダニエルの言葉からだというのに、ダニエルは救世主のような顔をして私に手を差し出した。
「ここで会えて良かった。ここは危険だ。我が家に戻ろう。」




