貶められた騎士
「こら、カイル君。言い過ぎだよ。」
小憎たらしいカイルを私が叱る前に、甘いとカイルに言われていたダニエルこそがカイルを叱りつけた。
ダニエルは声を荒げるのではなく、相手に反省を促すような言い方をした。
私はやはり彼が侯爵様だからと尊敬したが、彼がその後に続けた言葉で尊敬した自分の気持ちを取り返したくなった。
「お化けが怖いなんて最高に可愛い話だ。これはプルーデンスが純粋だという証拠じゃないか。彼女は穢れのない天使そのものだということだ。」
褒めて下さるのはありがたいけれど、こそばゆいどころか、聞けば聞くほど身の置き所が無いぐらいに恥ずかしい褒め方は止めて欲しい。
私を天使なんて言うのは止めて、とダニエルを止めようとしたが、生意気な弟の方が言葉を挟むのが早かった。
「プルが天使。それは僕も否定しませんよ。ただ、姉が闘犬場にいるって僕の嘘を信じたあなたの台詞とは思えませんけれど。」
「そうそう。プルを探しに見世物小屋にも入ったんだよ!そこでね、プルがいないって僕達が泣いたらね、ママやプルがお腹を壊すから駄目って言ってた屋台のお菓子もダニエルが買ってくれたんだ。ね、アービー。」
「そうそう。夜になったらぴーごろろってお腹も泣いちゃったね。だけど面白かったねえ、ヒュー。ねえダニエル。また連れて行って!今度はサーカス!」
え?
私がダニエルを見返すと、彼は私から顔をしっかりと背けた。
そこで私は思い出してしまった。
ダニエルがソーンを撃とうとした時、双子の弟達が残虐には慣れていると騒いだ場面を。
「ま、まさか!ああ!まさか!それで慣れているって?ダニエル!あなたは連れていくべきじゃない場所に弟達を連れまわしてくださったの?」
「怒らないで、プル。ダニエルは僕達と仲良くしたくて一生懸命だったんだ。だからね、僕達はお父様達に禁止されていることを全部、ダニエルに強請ってみたんだよ?」
私は開いた口が塞がらない、それをたった今経験させられていた。
カイルや双子達がここまで際限なく悪い子になっていたのは、それは、侯爵様が際限なくカイル達を甘やかしていたからってこと?
私が寄宿舎で不在だった時に?
「ダニエル!あなたは何てことをして下さっていたの!」
「ああ。私が悪かった。だが、後悔はしていない。君の弟達に悪いことを教えた事で、私は君の父上から絶交を言い渡されて追い払われた。それで傷心のままリーブにやって来て、この地で君に再会できたのだ。これを天の配剤と言わずして何と言おう。いいや、これこそ運命だったんだ!」
ダニエルは私の両手を握って来たが、私は彼の両手を自分の両手で叩いた。
「天使だった弟達を返して!」
「プルーデンス。言いたくはないが、彼らは最初から天使の皮を被った悪魔だったよ?」
そこで静かな男が噴き出した。
私はソーンを睨んだ。
ソーンは目元の涙を拭いながら、私に真面目な顔を作ろうとした。
作ろうとしたという言い方なのは、彼は真面目な顔を作れなかったからだ。
「ソーンさん。」
「呼び捨てで構いませんよ。それから、元軍人の自分が知っている物語をあなたにお聞かせしますから、どうぞお許しを。」
「聞きましょう。」
ソーンはにこやかな顔を作った。
普通よりも痩せているが、普通よりも整った顔立ちの男だ。
そして、妹の死から絶望の底にあっただろう事が窺える、こけた頬に目尻の笑い皺ではない皺が、皮肉にも彼を魅力的に見せていた。
そんな男性が私に微笑んでいるのだ。
一瞬だけ胸がときめいた。
そしてすぐに痛くなった。
デュラハンにソーンにときめいたと散々に揶揄われたことを思い出し、デュラハンの不在を思い知ったからである。
彼はもうここにはいない、と。
「クーデリカ嬢?すいません。あなたを揶揄い過ぎました。」
「名前でよろしくてよ。それよりも、謝罪じゃなくてお話を聞かせて下さるはずではなかったの?」
「申し訳、結局謝っていますね。すいません。物語と言っても、簡単なものです。レイヴン騎士団には輝ける団長がいました。妖精の落とし子と噂されるほどの美しさと猛々しさを持ち、宮廷の女性達全ての心を奪ってしまった男です。」
それこそデュラハンだと、私は思った。
私の心など簡単に奪われてしまったもの。
「彼は華々しい戦死を遂げてしまったのかしら。お芝居になるほどの。」
「それは不明です。そして、レイヴン騎士団の団長を題材にした芝居では、彼が色にうつつを抜かして失敗ばかりする男と描かれています。」
「どうして。」
「女と男のドタバタ劇は、酒の肴になるからでしょう。登場人物が間抜けであればあるほど、芝居はばかばかしく楽しいものになる。」
「でも、それでは彼の名誉なんて汚されたも同然なのね。」
私は気が付かないうちに、膝の上にある自分の手で拳を作っていた。
ソーンの説明を聞きながら、私の頭の中ではデュラハンが傷ついた声音で語ったあの言葉が思い出されたのだ。
「領地も名も無い軍功だけの男が女に与えられるのは愛だけだった。」
デュラハンがレイヴン騎士団の団長では無いのかもしれない。
けれど、もしかしてその団長がデュラハンの様な人だったら、誇れる軍功さえも無いものとして笑われる存在に堕とされて、なんてひどい話だろう。
デュラハンが私に評判を考えろと私を叱った時の気持ちを、私はようやく理解できた。
ええ、許せない。
あんな素晴らしい人が貶められるなんて許せない、そんな気持ちなんだもの。
「不思議な話ですよね。レイヴン騎士団はメラディス女王陛下の治政にて、この国が富国となる礎を築いた人達です。それなのに、どうしてここまで存在を消されてしまったのでしょうか。建国の祖、リチャード王を助けた騎士ハルヴァートも、征服王と名高いキャメロン王の片腕だった騎士ランスロットも、大いに持て囃されているというのに、彼らは現在では存在さえも無かったようにして扱われている。」
「ソーンさん。」
「それでも誰も彼らを忘れないのが、如何わしい芝居によるもの、とは、皮肉な話です。いいえ、当時の大衆が彼らを愛していたからこそ、こんな形で彼らの存在を残していたのかもしれませんね。芝居通りにレイヴン騎士団の団長は、単なる女好きのろくでなしだったのかもしれませんが。」
ソーンは柔らかく私に微笑んだ。
その表情は兄が妹を慰めようとして向けるもので、私はソーンの優しさによって少しだけ心がほぐれていた。
「それで、ですね。クーデリカ嬢。その団長の名前ですが――。」
どおおおおおおん。
大きな雷の音が外で起きた。
私達は全員が大き過ぎる落雷の音に固まった。
そして、全員がゆっくりと窓へと振り返り、書斎から見える一本の楡の木がぼうぼうと燃えている姿が目に入った。
私達は誰も彼もその状景を眺めるだけとなり、哀れな楡の木は火刑にされた魔女の如く燻り続けていた。
いいえ、私の目には、堕とされた英雄の嘆きに見えた。
お読みいただきありがとうございます。
デュラハンの不在が長く感じますが、まだたった二日程度です。
ダニエルの人となりや、なぜか彼に普通に慣れていて甘えているプルーデンスの弟達の関係を書きましたら長くなってしまいました。
そして、なぜ都合よく楡の木が燃えたのか、それも含めて次章は進みを早くできたらとは考えています。
ちなみにクーデリカ兄弟の名前と順番はアルファベットの逆順となります。
カイル(Kyle)→アービング(Irvine)→ヒューバート(Hubert)→フェリクス(Felix)です。
女の子がカイルの次に生まれていたらジェニファー(Jennifer)、双子の次だったらグローリア(Gloria)でしたので、JとGは欠番なのです。




