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我は不幸を招く亡霊でしかない

 シーモアは再び私に迫り近づき、私を殴りつけんと木槌を振り上げた。

 ただし、彼女はその次の行動を起こせなかった。


 私に向いたシーモアの顔に異変が起きた。

 彼女の顔じゅうに、小さな赤い斑点が次々と浮き出てきたのである。

 彼女はハッとした顔になると、木槌を落とし、両手で自分の顔を押さえた。


「いたああああい。ああああ、目があああ、私の顔があああ。」


 シーモアは両手で顔を押さえたまま、大きく叫びながらしゃがみこんだ。

 シーモアの顔は、みるみると真っ赤に染まり腫れあがっていく。

 私はシーモアの顔を見つめ、一体何が彼女に起きたのかとその場で脅えた。

 これこそ、デュラハンの呪い、なの?


「わけあるか。毒毛虫の毒針だ。毛虫は刺されてすぐに痛みが起きないのが怖い所だよな。そして、毛虫の怖い所は触って刺さるんじゃない。毒針を飛ばすんだ。人の目には見えないぐらいの細い針を、攻撃を受けたその時に、シュッてね。」


 私は思い出していた。

 シーモアから受け取った花束には、毒毛虫が付いていたってことに。

 その花束をシーモアが木槌で叩いて粉々にしたってことを。


「あの時。ああ、あの時に!」


「これは自業自得だ。己が行為が身に返っただけだ。」


 デュラハンは吐き捨てるように言った。

 シーモアの顔は美しかった事など忘れるくらいに腫れあがり、彼女は自分の顔の異常にただただ叫び声をあげていた。


「いやああ。顔が、ああ、顔が!私の顔が!」


「し、シーモア、大丈夫よ。冷やせば落ち着く!毒毛虫で腫れた顔など数日経てば落ち着くわ!」


 私はシーモアを落ち着かせたいばかりに叫んでいた。

 そんな言葉を今放つべきじゃ無かった、のに。

 そうよ、腫れた顔を天井に向けながらしゃがみこむなど、シーモアだってそんな事などしているべきじゃ無かった。


 シーモアが床に落としていた木槌を拾った者がいる。

 それに気が付くべきだった。

 私が気が付いたのは、事が起きたその時だった。

 キャサリンは木槌を握る手を大きく振り上げると、シーモアの顔面にそれを打ち込んだのである。


「ぐぎゃああああ。」


 一回、二回、三回。

 木槌は振り下ろされる。

 ジョアンナがあの青年に受けた拳のようにして。

 恐らくは、セリーナが暴漢達に乱暴された時のようにして。


「やめてええ!もうやめてえ!」


 私は叫び、自分の顔を、両目を、覆った。

 それでこの惨劇が消える事はないけれど、私にはもう直視なんかできやしない。

 やった事の罰を受ければいいと望んだけれど、私にはこの状況は辛すぎる。


「なんて、ひどい。どうして傷つけあうばかりなの。」


「虫が、ああ、虫が私達に入り込んだから。そうよ、虫が煩いのよ。始終私の頭の中で騒ぐのよ。この私が地べたに這いずって、お前という本物の虫が空を飛ぶって。お前が私達の行くことはできない王城の舞踏会で蝶になるって!そんな、そんな事が許せるわけなど無いのよ!」


 キャサリンの言葉は最後が悲鳴のような大声となっていた。

 そして彼女は彼女が憎む私に対して木槌を振りあげた。


 けれど、私が木槌を受けることは無かった。

 私の病室に、遅すぎる救援隊が突入してきたのだ。


 来るのが遅すぎると叫んでやりたいが、先頭にいる男、制服を着た警察官を引き連れて現れたスーツ姿の男の顔を見て、私は何も言えなくなった。


 アッシュブラウンの髪をオールバックにして額を出し、誰にもないエメラルドグリーンの瞳を際立たせている痩せぎすの男は、私を昨日殴りつけたその人だったのである。


「動くな!人殺しが!」


 両目に怒りばかりを煌かせたその青年は、彼の鬱憤を全てぶつけるぐらいの大声でキャサリンに向かって叫んだ。

 すると、それが合図だったかのように、キャサリンはびくりと肩を振るわせ、木槌を振り上げた姿のまま、どさっと床に崩れ落ちた。


 あとは、小さく呻くだけだ。

 そうだ、動き回れるはずなど無い、彼女は大怪我だったはずではないか。


 私はぞくりと寒気を感じ、震えていた。

 ジョアンナだって動けるはずの体調じゃ無かった。

 彼女達三人の今までの行動が、彼らが起こしたこの惨劇が、全て亡霊に踊らされたものだったのだとしたら。


「もう大丈夫だ。」


 デュラハンは震える私の背中をそっと撫でたが、私はデュラハンの手に安心するどころか彼から逃れようと身を捩っていた。

 彼に脅えてしまった私の無意識の行動だ。


 彼の手は私から直ぐに引かれ、溜息の様な音も聞こえた。

 彼が助けられなかった少女に対して大きな後悔を持っていた事は知っている。

 キャサリン達が哀れなセリーナに為した事を考えれば、キャサリン達が受けたのは自業自得以外の何ものでも無いと思える。


「でも!」


「分かっている。君はそれでいい。悪人が処刑された時、ざまあみろと言える君で無い事こそ大事なんだ。」


 私は両手で顔を覆い、デュラハンが私を後ろから抱き締めた。

 私は今度は彼から逃げなかった。

 結局は彼の慰めを私は求めていたから。

 冷たくて硬い、亡霊でしかない体だけれども。

 残酷な事も平気で出来る、恐るべき悪鬼であるけれど。


「でも!」


「分かっている。君の気持は分かっている。俺は君を守るどころか脅えさせただけだった。ああ、俺は君を汚すばかりだ。すまなかった。」


「え?」


 私は自分を抱きしめる存在感を失った。

 彼が私から腕を外しただけじゃない。

 彼の存在そのものが一瞬にしてかき消えたのだ。


「うそ。」


 胸がきゅうんと締め付けられた。

 これは、喪失感。

 だって、彼は消えた。

 消えてしまった。


「ああ!私が、私が弱いばかりに!」


 彼が消えた代わりのようにして、嘆く私のベッドに影が落ちた。

 私は自分を見下ろしている背の高い人を見上げた。

 彼は、エメラルドグリーンの瞳を私に向けている彼は、彼こそこの惨劇を引き起こした罪人の様な表情で私を見つめている。


「俺はジュールズ・ソーン。先月まで陸軍少佐でした。怖い思いをさせて申し訳ありません。あなたには、本当に、なんと謝罪してよいものか。」


「謝罪など必要ありません。」


「させてください。俺は妹への正義のために、あなたを巻き込んだのだから。」


「謝罪などいりません。私には何も起きてはいません。私は最初から最後までちゃんと守られておりました。」


 そうよ、デュラハンは守ってくれていたわ。

 そして、私を巻き込んだのは、デュラハンよ。


「クーデリカ嬢。あなたには酷い怪我を。」


「こんなの怪我のうちには入りません。こんなの、胸の痛みに比べたらぜんぜん痛くもないものだわ!」


「クーデリカ嬢。」


 ソーン元少佐は、嘆く私に対して右手を差し伸べたそこで、手を握り締めるとその手を下ろした。

 そして彼は私に軽く頭を下げると、彼がするべき仕事、私の病室の中の惨劇を片付ける仕事へと戻って行った。


 そう、それでいい。

 私が必要なのはあなたじゃないの。

 私が欲しいのはあなたの謝罪ではなく、デュラハンの存在感なの。


 誰もいらない。

 事が済んだら私を捨てて消えた、あの亡霊に戻って来て欲しいだけなのよ。

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