毒虫は互いに絡みつく
カートはゆっくりと部屋に入ってくる。
カートの車輪は軋むどころかとっても滑らかに床の上を移動している。
侯爵が私の為に用意した新品のものだから。
でも、それを押すのは、侯爵家から派遣された小間使いではない。
押しているのはジョアンナだ。
白い寝間着ドレスの裾をひらひらさせながらカートをゆっくり押してくる彼女の姿は、地獄からやって来たばかりのお化けのようだ。
彼女の頭は包帯でグルグル巻きで、口だけむき出しとなっている。
歯も欠けて唇は裂けているその口は、どんな時も笑みを絶やさない貴婦人のようにして微笑みを作っていた。
カートはどんどんと近づき、何を運んで来たのかよく見えた。
お菓子と紅茶セットなど乗っておらず、湯気の立ったヤカンと大きな木槌だけが乗ってる。
デュラハンの手はしっかりと私の口を押さえつけ、叫ぼうとした自分の声を私は飲み込むだけとなった。
「はふ。」
私は出来事を止められなかった。
ジョアンナのカートは、彼女の出現に気が付いていない二人、キャサリンとシーモアにぶつかったのである。
「きゃあ!」
「いたあい!」
真後ろにカートを受けたキャサリンはカートに乗せ上げられるように仰向けに倒れ、カートの角に弾かれたシーモアは床に倒れた。
同時に私を縛るものが消えてなくなった。
だけど、その後は、後は、私は目前の出来事に凍り付いた。
ジョアンナが熱湯が入っているヤカンを持ち上げた。
カートの上で仰向けになっているキャサリンは目を剥いた。
私はようやく声が絞り出せた。
「待ってええええ!」
「うぎゃああああああああ。」
キャサリンの顔にヤカンが押し付けられた。
ジョアンナはキャサリンの顔を押しつぶすようにして、さらに自分の体重をヤカンの取っ手を掴む両手に込めた。
「誰がお前らの施しを受けるか。お前らだけ幸せになんかさせるか!お前らもみんな私とお揃いにしてやる!」
ジョアンナはヤカンを再び持ち上げた。
ヤカンに貼り付いていたキャサリンの肌が、ぐちゃべりっと、いやな音を立ててはげた。
「うぎゃああ。」
「待って!ジョアンナ!」
「ぎゃああああああ。」
ジョアンナがキャサリンにヤカンの中身をぶちまけた、のだ。
熱湯を浴びたキャサリンの皮膚は、真っ赤になり、次にはぶよぶよのピンクの物体になって彼女の顔からずり落ちていく。
「ひい、ひいい!」
シーモアはまだ床に転がったままだった。
彼女は声にならない悲鳴をあげながら、地べたをはい回る虫みたいにしてジョアンナから遠ざかろうと動いているが、彼女はどこにも動けない。
それは、シーモアの背中に鞘に入った剣を押し当てて、彼女の動きを止めている男がいるからだ。
「デュラハン。」
「さあ、みんな仲良くお揃いになろうか。」
デュラハンは剣をあげた。
デュラハンの制止が消えたシーモアは必死に立ち上がると、ジョアンナが木槌を握ったそこで、キャサリンの脇に転がるヤカンを掴んで振り回した。
「ぎゃあ!」
ジョアンナの頭にヤカンは当たり、彼女は小槌を取り落とした。
そして、そして、シーモアがそれを拾った。
「やめてええ!」
ガツ!
シーモアがジョアンナの頭を殴りつけたのである。
ジョアンナは崩れ落ち、シーモアは震えながら木槌を落し、いえ、彼女はしっかりと握り直すと私を見返した。
そしてそのまま、彼女はゆっくりと私の方へと向かって来たのだ。
「な、何を。」
「お友達はお揃い。それもよろしくてね。あなたも大怪我するの。そして、綺麗なのは私だけ。そうしたら侯爵様だって、ええ、私をお選びになるわ。」
「じ、自信がおありなのね。」
そこでシーモアは言葉を止めると、私をぎろりと睨んだ。
猫の様なヘイゼルの瞳は金色に煌き、いえ、煌き過ぎる程に彼女の目はギラギラしていると私は感じた。
病的な程に瞳が輝いている?
ハッとした時には遅かった。
シーモアが木槌で私に殴りかかって来たのだ。
私は木槌から逃げようと体を逸らしたが、そのためにベッドを軋ませて足を取られ、情けなくベッドにどさんと転がった。
だが、それがゆえに彼女からの一撃を交わせた。
シーモアはベッドに思い切り木槌を叩きこんでおり、それは彼女が私に持って来たバラの花束に命中していた。
「え?バラが?片付けたはずのものが?」
シーモアの攻撃によって私が負うべき傷の代りのようにして、バラの花は砕けて花びらや葉っぱが彼女の周囲に散った。
「なんで当たらないのよ!」
「当たりたいわけ無いでしょう!」
「当たりなさいよ!下賤の者が私を馬鹿にするなんておこがましい!どうして庶民の癖に金髪なのよ!編入試験が学園初の満点?金勘定しなきゃならない庶民だからなだけでしょう!どこが偉いの!どうして私があなたの下になってあなたを見本にしなきゃいけないのよ!」
シーモアは再び私に向かって木槌を振り下ろし、今度は私の守り手であろう騎士が私をグルんと転がせてくれたので避ける事が出来た。
私じゃなくて、シーモアをどうにかして欲しいのに!
「どうにか?俺が積極的にしていいのか?」
「だめです!」
私は慌てた。
慌てながら、デュラハンが動き出さないように私はデュラハンの腕にしがみ付き。彼の腕を手すりがわりにしながらとにかく急いで起き上がった。
それから、私への第三打の為に腕を振り上げたシーモアのその行動を抑えるために、私は声をあげた。
「し、シーモア。ええ、あなたの言う通りよ。ええ私はしがない庶民。侯爵様との結婚なんかあり得ないんだから安心して。そ、それよりも、い、医者を呼びましょう。キャサリンやジョアンナの手当てをしなければ!で、でないと彼女達が死んでしまうわ。」
「死んだ方がいいんじゃないの?」
以外にも冷静な声が返ってきた。
ただし、私の脳みそはそんな返答で動きを止めた。
「あなたは、何を、……言って。」
シーモアはくすくすと笑い出した。
握っているのは血にまみれた木槌であろうと、彼女は扇を持った貴婦人のようにしてくすくす笑い出したのである。
「キ、キャサリンとジョアンナは、あ、あなたの、と、友達ではなくて?」
シーモアは私の言葉がおかしいと言う風に、さらにケラケラと笑い出した。
笑いながら、ごめんだわ、と言った。
「ごめん?」
「いやあだ。いい子ぶっちゃって。あなただってこんな姿になってまで生きたいなんて思わないのが本心でしょう。さあご覧なさいましよ。ジョアンナもキャサリンも化け物そのものじゃないの。」
「シーモア。」
「もう終わった人達じゃないの。こんな姿になったら、もうお終いでしょう。ええ、お終いよ。さあ、あなたももうお終い。次は動かないで。あなたの顔もあなたに見合ったぐちゃぐちゃのぐしゃぐしゃにしてあげます。それで、私は侯爵夫人になるの!」




