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喪失の罪悪感

挿絵(By みてみん)


第8話


時を少し戻した、初冬。

ヴェントゥムの王都では、人々はイスクロ王の深刻な病状について心を痛めながらも、光のパラディンが再び国民の前に元気な姿を現してくれることを祈っていた。


そのころ、同じヴェントゥム・シティのアカデミーでは、ようやくここでの生活に慣れてきた先月入学したばかりの1年生、通称“ヒヨコ”たちが、初めて臨む週末の小テストに向け、   皆、必死に自主勉強している。

午後の学課のあと、ノートに補足を書き込むことに執心しているアメリアの前に立った人影が、ふいに声をかけてきた。

「こんにちは。やっと話をする機会ができたね。」

驚いで顔を上げると、褐色の肌に柔らかそうなプラチナブロンドの髪が印象的な青年が立って、にこやかに微笑んでいる。

人好きのする顔は、きっとこの青年の性格を表しているのだろう。

「あ、…ああ。あの…、こんにちは。え…と…。」

アメリアは気さくに声をかけてきた彼に見覚えがなく戸惑った。

それを察した青年はあきれたように窓の外を仰ぎながら、頭をかいた。

「マジか~。

姉さんは君に僕のこと何も話してないんだ…。」

なおも困惑するアメリアに向き直ると

「じゃあ、改めて。僕はマウロ。

姉のアナにはもう会ってるよね?」

そう言って右手を差し出した。

「え?あ…ごめんなさい、私…。

同期にアナの弟がいたなんて…。」

慌てて立ち上がり、マウロの手を握り握手を交わした。

「ハハハ、まあそんなもんだよ。

アナはいつでも目先のことでバタバタしてる慌てん坊だからね。

アカデミーに入れたのが奇跡みたいな人だよ。」

アメリアは妙に納得してクスクス笑った。


挿絵(By みてみん)


「姉とは親しいみたいだね。」

「ええ。とても気さくで頼りになる人よ。

ここではアナが拠り所といっても過言ではないほど。

テストが終わったら、彼女ともっとゆっくり話がしたいと思っていたの。

もしよければ、アナの部屋を教えてほしいんだけど。」

その問いにマウロは一瞬顔を曇らせたが、努めて陽気に答えた

「実は僕ら、寮には入ってないんだ。」

「え?でもアカデミーの規則では、候補生は全員寮生活が義務付けられているはずよ?」

「うん…まあ話せば長くなるっていうか…。」

マウロの言葉を打ち止めるかのように鐘が学園内に鳴り響いた。

「あ、いけね!僕、次の特科実習、D棟だった!」

慌てて講義室を飛び出したが、思い出したように戻って来て、ひょいとドアから顔をのぞかせる。

「よかったらうちに遊びに来ればいい。

アナもいるしね。

放課後、ロタリア・スクエアで待ってるから!」

そう言って、ドタバタと廊下を駆けていった。

姉弟(きょうだい)そろって慌てん坊。」

アメリアはおかしさを抑えきれず、クスクス笑った。

そして同期の友人ができたことを嬉しく思い、この出会いに感謝した。


放課後、日が傾きはじめ、空は茜色に染まっている。

正門前ではアメリアの帰りを待つ馬車が止まっていたが、「友達の家に寄って帰るから。」と伝え、帰るよう命じた。

御者(ぎょしゃ)は気を利かせ、

「では、お友達も同乗していただけばよろしいのでは?」

と申し出たが、アメリアはそれを断った。

“お金持ちのご令嬢”だなんて素性を知られたくなかった。

「せめてお友達のお住まいだけでもお知らせください。

お迎えに上がります。通信機はお持ちですね?」

御者の提案に最初は難色を示したが、結局断り切れず了承した。

一連の問答のあと、アメリアは急いで巨大なロタリア像が建つ、候補生たちの間で通称”ロタリア・スクエア”と呼ばれる正門広場へ向かった。

像の前でたたずむ2つの人影を見つけ、アメリアが駆け寄る。

「ごめんなさい。待たせた?」

「全然。アタシたちも今、合流したところよ。」

カバンを小脇に抱えたアナがにっこり笑う。

「じゃ、行こうか。

ちょっと遠いけど、大丈夫?」

と、心配するマウロに、アメリアは満面の笑みで「もちろん!」と答えた。


センター・カーネルのアカデミーから、運河を2つ越え、寮のあるハイランド・エリアを抜け、ミドルとローランドの境の小川にかかる橋の手前に2人の住まいがあった。

木とレンガでできた質素な造りは中流階級によくある一般的なスタイルであるが、美しい異国風の飾り窓が周囲の家々と一線を(かく)しているように映った。

「ただいまー。」

「お邪魔します。」

マウロが先導して家に入ったが、シンと静まり返った屋内からの返事はない。

後から入って来たアナは無造作にカバンを置き、

「ママは夜勤だから、朝まで戻らないよ。」

と、アメリアに伝えた。

聞けば、彼女は騎士団騎馬隊に所属しており、主に外部からの侵入者に備え、城壁周辺の巡回を行っているという。

「まあ、そんなことより座ってよ。

夕食一緒に食べていくでしょう?」

キッチンに立つマウロが、顔をのぞかせ尋ねる。

「え?ええ、お邪魔でなければ。」

アメリアは勧められるままソファに腰かけ、改めて室内を眺めた。

いたるところに手入れが行き届いた植物が配置され、部屋全体が緑に包まれた癒しの空間となっている。

「お邪魔なワケないでしょう?

マウロの料理は大したことないけれど、まあ、そこそこおいしいのよ。」

「姉さんの料理より100倍は(うま)い自信はあるけどね。」

マウロは舌を出して姉を()り返した。

「ところで…」

アメリアは居住まいを正し、アナと向かい合った。

「つかぬことを尋ねるけれど、なぜ2人は寮で暮らさないの?

…答えたくなければ答えなくていいのよ。」

「ああ、それね。いいのよ。」

と言ったものの、アナは何から話すべきか、しばらく思案する様子を見せた。

「アタシたちの苗字はオコロっていうの。

ちょっと変わってるでしょ?まあ、この辺にはない苗字よね。」

「僕らの父さんはアルディ出身なんだよ。」

キッチンからマウロが顔を出す。

アルディはヴェントゥムから遥か彼方、海を隔てた西大陸の国である。

アナは邪険に弟を追い払う仕草をして、さらに話を続ける。

「ママは生まれも育ちもヴェントゥムだけどね、アタシたちは国外の島で生まれたの。

あ、でも国籍はヴェントゥムよ。でもね…」

アナは視線を手元に移した。

「この国は外国人に対してひどく神経質なの。

同盟国の火王朝(かおうちょう)以外の人間に対しては特に顕著。

アルディのハーフってだけで、ずいぶん冷遇されるわけよ。

ママのおかげでこの国の国籍も得られたし、アカデミーの受験も許された。

まあ、他の候補生より高い得点を求められたけどね、悔しさをバネに必死で勉強したんだから。」

そう言って悲しさをはらんだ笑顔を見せた。

「でも、アカデミーに入っても、やっぱり差別ってあるものよ。

そんなの気にしないけど。

入寮を断られたのも、その1つってとこかしら。」

アナは悔しそうに拳を握りしめた。

アメリアは改めて自分の境遇に罪悪感を覚えた。

寮のことも、家柄のことも。

「私…」

「はーい、おまたせ~!」

アメリアは発言しようとしたが、料理を運んできたマウロに中断された。

「やだー!マウロ君、天才~。」

つまみ食いをしたアナが、冗談めかしてマウロをおちょくっている。

「姉さん、お行儀悪いよ!

ほら、アメリア、遠慮しないで食べてよ。」


実際、マウロの料理はおいしかった。

その場の雰囲気がそう感じさせたのかもしれないが、アメリアには屋敷で食べる豪華な食事よりも、この質素な夕食のほうが何倍もおいしかった。

なにより、不公平な境遇にありながら常に笑顔を絶やさず、思いやりがある彼らとともにいる時間は居心地がいい。

「ねえ、その腕の飾りは?」

マウロに尋ねられ、左腕を見る。

「これ?弟が作ってくれたお守りよ。」

「なんて言うか、ずいぶんチープな感じがイイね。」

マウロの言葉にすかさずアナが口を挟む。

「それは失礼よ。謝りなさい、マウロ。

大事なのは気持ちなんだから。素材なんて関係ない。

アタシたち人間だってそうでしょ?」

確かにその通りだと、マウロは素直に頭を下げた。

アメリアはクスクス笑い、

「私の弟はまだ小さいけど、とても愛情深くていい子なの。

いつも私のレッスンを見て喜んだり、ときどき転んで泣いたり、夜は本を読んであげないと眠れない甘えん坊さんだけどね。

今頃どうしてるかしら…。」

そう言って、飾り窓から差し込んだ街頭の灯りが映し出す不思議な影を見つめながら、ため息をついた。

「可愛くてしょうがないのね。」

アナの言葉にハッと我に返り、

「ごめんなさい。弟の話なんておもしろくもないわよね。」

と、照れ笑いを浮かべた。

「そんなことないよ。とっても素敵。

あ~あ、マウロ君も、もっとお姉ちゃんに甘えてくれたら可愛がってあげるのに。」

アナはそう言って、弟の髪をわしゃわしゃと撫でた。

「ちょっ…、やめろって!恥ずかしいだろー?」

マウロは慌てて姉の手を払いのけた。

その様子がおかしくて、アメリアは久しぶりにお腹の底から笑った。


挿絵(By みてみん)


夕食の片付けが終わったあとも、3人はまだおしゃべりに興じていた。

「ねえ、あんたたち知ってる?ロタリアの指輪の話。」

「ロタリア・スクエアの?」

「あー、僕も気になってたんだよね。人差し指と薬指にハマってるやつでしょ?」

アナの話に興味深々の2人は身を乗り出した。

「あの指輪、1個はバジリオ教官って噂よ。」

「え?どうやって?」

「さあね。」

「じゃあ、もう1個は?」

「ある朝、ロタリアの指にはまってたって。

暗黒時代を終わらせた光のパラディンの霊からの啓示だって、みんな言ってる。」

「あ、それ僕も聞いた。

パラディンの指輪が失われるとき、王国に災いが降りかかる、ってやつだ。」

オコロ姉弟(きょうだい)の話を聞いていたアメリアは、薄気味悪さを感じて身震いし、

「災い…。」

(ひと)(ごと)のようにつぶやく。

アナはアメリアとマウロの顔を見まわし、わざと声のトーンを落として言う。

「それにね、あの指輪には超常的な力が働いてるんだって。

パラディンの力にあやかろうとした無謀な学生が3つ目の指輪をはめようとしたんだけど、大けがをしちゃったそうよ。

それも1人や2人じゃないんだから。」

「なんだよ、それ、ホラーじゃん。」

「そうかもね。ロタリアの下で指輪の話をしただけで呪われる、なんて言われてるのよ。

だから、あの指輪は“沈黙の指輪”って呼ばれてる。」

「もしかして、バジリオ教官も幽霊だったりして…。」

マウロが脅かすように大きな声をだす。

「マウロ、あんたもリングをはめようなんて馬鹿な考えをおこさないことね。」

「僕はそんなことしないって。

やりかねないのは姉さんのほうだろ?」

「アタシは、アンタみたいな馬鹿じゃないもんね!」

そんな他愛のない噂話に花が咲き、時間がたつのも忘れる。

時刻は午後9時を回ろうとしていた。

「いけない!帰らなきゃ。

ごめんなさい、こんな遅い時間まで。」

御者(ぎょしゃ)に連絡をいれることをすっかり忘れていたアメリアだったが、自分の素性を隠したい彼女にとっては返って好都合だった。

「また明日。」とあいさつを交わしてドアを開ける。

と、そこには、なぜか馬車が待っていた。

見送りに出てきたオコロ姉弟(きょうだい)は、この地域に似つかわしくない豪奢(ごうしゃ)な馬車に目を丸くした。

馬車の前で待っていた御者(ぎょしゃ)がうやうやしく頭を下げ

「お迎えに上がりました。お嬢様。」

そう言ったことに、さらに仰天してしまった。

驚いたのはアメリアも同じだった。

「ど…どうしてここが?」

御者(ぎょしゃ)は顔色も変えず、「人に尋ねましたので。」とキャビンの扉を開き一礼した。

「あ…あの…あの…」

アメリアは顔を真っ赤にして、うつむいた。

言い訳を探したが見つかるはずもない。

「ちょっとアメリア、あなたお金持ちのお嬢様?やだ、すごーい!」

アナが目をキラキラさせてアメリアと馬車を見比べている。

彼女の性格に救われた。

もしくはその場の空気を察したアナの機転だったのかもしれない。

アメリアはまだ慌てていたが、なんとか取り繕おうと言葉を探した。

「あの…もしよかったら、明日から一緒に行かない?

ちょうど馬車もミドルに置いてあるし…。」

「ほんと!?ラッキー!」

お気楽なアナは素直に喜んでいるようだ。

やはり彼女の性格は天然なのかもしれない。

「僕はいいや。歩いて行けない距離じゃないし。

女子の会話の邪魔をするのは心苦しいからね。」

正直なところ、アカデミーまでの道のりは良いトレーニングコースだったし、アメリアとの妙な噂をたてられても面倒だと思ったようだ。

マウロは上手な言い訳を作って、申し出をやんわりと断りつつ、アメリアに向き直ってふと真剣な表情を見せた。

「心配しないで。僕ら友達だろ?

君がどんな素性だろうと、僕たちの友情は変わらない。

君が悪魔に魂を売らない限り、たとえ君が僕たちを拒絶しようとも、僕たちは常に君の友達だよ。

それが父さんの祖国、アルディの流儀さ。」

アメリアはその言葉で全て救われる思いがした。


月明りの下、馬車はハイランドに向け走り始めた。

オコロ姉弟(きょうだい)は、それが見えなくなるまで見送った。


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アカデミーでの講座はハードである。

難しい用語や知識を詰め込まなくてはならない学課もそうだったが、実習は実戦を目的としたメニューとなっている。

共通実習と、先天的エレメンタルごとに分かれて行われる特科実習が日替わりで組み込まれており、時にはその両方を消化しなくてはいけない日もある。

館でのトレーニングの比ではないほどの運動量と集中力を必要とし、生傷も絶えない。

帰るころにはフラフラになっていた。

だが、親友という存在を得た日々はとても充実していた。

休み時間はマウロと過ごすことがほとんどだったし、毎朝夕は、馬車の中でアナとの他愛のないおしゃべりを満喫した。

世の中の10代の少女が皆そうであるように、アメリアも人生に不安など微塵も感じない青春を謳歌(おうか)しているのだ。

そんなある日のことだった。

寒々しい曇り空の下、大聖堂の鐘が正午のお告げの祈りを知らている。

いつもと変わらぬ昼。

そのとき、屋外の演習場にいたアメリアたち候補生は、王城から(ほとばし)(まばゆ)い閃光を見た。

そして、それを追うように12の光の玉が弧を描きながら空へと消えていった。

ほんの一瞬のできごとだった。

だが、その場にいた誰もが、それの意味するところを知っていた。

「地上で最後のパラディンの魂が天に返り、新しい守護者のサイクルが始まろうとしている。」


挿絵(By みてみん)


誰言うともなく呟く声に、皆、一様(いちよう)に天を見上げていた。


アカデミー内がにわかに騒然となり、午後の講座は全て中止となった。

そして全員、儀礼用の制服を着用の上で学舎前広場に召集された。

ロタリア・スクエアに整列した候補生たちの前に首席参事が現れ、神妙な面持ちで語りかける。

「たった今、我らの主、イスクロ王がご崩御された。」

動揺する間もなく、彼らは(あるじ)の葬送儀礼を見守るべく王城前に配備された。


王城前から第一城門までの最も(ほまれ)有る位置に近衛騎士団が整然と列をなし、そこから墓所にかけての長い道の両側を騎士団海兵隊や騎士団騎馬隊など、そうそうたる精鋭たちが、王に最後の礼を尽くすため整列している。

これは王を敬愛するがゆえに、その棺に触れようと詰め寄る市民たちの暴挙を防ぐためでもあった。

まだ正式な騎士団として認められない候補生たちは、城門の外、騎士団衛兵隊の列の後ろで道の両翼に分かれ、王の葬列の到来を待った。


暮れなずむ空に半月がうすくかかっていた。

王へ最後のお別れに集まった市民たちは手に手に火の灯ったロウソクを持ち、哀悼の意を示している。

小さな光は群れとなり、いつしか城から墓所までの道を照らす川となった。


やがて王城の門が開き、アカデミー総裁でもある騎士団総長を先頭に、2人の助祭を従えた司教が先導する葬列が粛々(しゅくしゅく)と行進を始めた。

オークの棺には、盾の前に交差する2本のクレイモアと槍があしらわれたベイヤード家の紋章旗がかけられており、そこに記された“闇を払う光”を意味する古い言葉が、脈々と続く光の守護者の家系を表していた。

棺の両脇には近衛騎士が付き従い、近衛隊長の手には国旗はためく槍が握られている。

後ろには時期国王オクタヴィオとエリシア、少し離れて憔悴(しょうすい)しきったナナが続き、評議会、顧問団、大臣といった国家の要人が長い列を作った。


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王家の墓所は城から北の丘陵地にある。

霊廟に到着した葬列はそこで棺を下ろし、司教が葬送の言葉を贈っていた。

「我々の敬愛するイスクロ王が天に召された。

慈悲深き神が、我らの偉大なる王の御霊を安息の地に保たれた。

どうか慈悲深き神よ、この喪の時が王の旅立ちによって我々に刻まれし悲しみを癒す助けとなりますように。」

霊廟の中央に掘られた穴に棺が下ろされ、オクタヴィオが最初の一握りの土をそっとかけた。

彼の頬を一筋の涙が伝い落ちたことを誰も知らない。

ただ、父王の棺だけがそれを見ていた。


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国は3日間の喪に服したのち、日常を取り戻し、新王オクタヴィオは悲しみを引きずる間もなく政務に追われていた。

イスクロの生前より調整を行っていた火王朝(かおうちょう)皇帝ケンとの会談の日程も決まり、いよいよ休む暇もないほどだった。

アカデミーも3日間の休暇を経て、通常通りの講座が再開されていた。

ある夕方、いつも通りアナを送り届け、寮へ戻ってきたアメリアは、見覚えのある馬車が門の前に停まっていることに気が付いた。

馬車のホイールにはメルカン家の紋章が見える。

アメリアの馬車に気が付いたバルトロとセリーナが出てきた。

「遅かったじゃないか、アメリア。

ずっと帰りを待っていたんだよ。」

アメリアの腕を取りバルトロは興奮気味の口調で言った。

「どうしたの?お父様。

用があるなら、アカデミーを通してと言っておいたはずですよ?」

「あなたに直接話をしなければいけない内容だからこそ、私たちはここまで来たのですよ。」

セリーナの悲痛な声に、アメリアは不吉な何かを感じた。

「どうなさったの?何があったの?」

娘の問いには答えず、「帰るぞ。乗れ。」と半ば強引に馬車に押し込められた。

馬車は猛スピードで大通りを駆け抜け、ヴェントゥム・シティの城壁を出る。

そこでようやく恐ろしい事実を聞かされた。


「そんな…ウソでしょう?何かの間違いだわ。」

アメリアは目に涙を溜めながらも、気丈な態度を示そうと努力した。

「ウソではない。真実だ…。」

「なぜ?お父様…。何があったのですか!?」

「…私たちが悪かったのよ。商用先で、あの子を1人にした私たちが…。」

セリーナは両手で顔を覆って泣いた。

「鍵もかけていた。護衛も置いていた。だから安心だと思ったんだ。

…商談を済ませて帰ってきたら、シロは消えていた。

何日かして、あの子の血のついた服が我々の元に届いた。

遺留品を送ってよこすのは暗殺者の手法らしい…。

生存は絶望的ということだった…。

憲兵隊が捜査したが遺体は見つからなかったよ…。」

バルトロはうなだれ、沈痛な面持ちで答えた。

「…。」

アメリアは2人の話を黙って聞いていたが、突然気が触れたように悲鳴を上げた。

「私のせいだわ…!

私がお父様にあんなことをお願いしたから…。

こんなことなら、旅に連れて行ってなんてお願いするんじゃなかった!

独りぼっちでも、館に置いておくべきだったのよ…。

私のせいであの子は死んだ…!」

「やめなさい、アメリア。自分を責めないで…。」

セリーナはアメリアの肩を抱いて泣いた。


馬車は翌朝早く館に到着した。

アメリアは愛する弟の部屋で、おひさまのような彼の匂いが微かに残るベッドに横たわっていた。

この館を出る日のまま、棚の上には木製の剣と盾の玩具が飾られ、ベッド脇のテーブルの上には、”象牙の王子様”の絵本が置いてあった。

その本をそっと手に取り、表紙を撫でる。

『僕は王子みたいになりたくない!』

あの夜のシロの言葉が蘇る。

放心しきったアメリアは、もはやこれが夢の中であるように感じていた。

いや、全て悪夢であってほしいと願っていた。

本のページをめくった彼女の指に、一筋の跡が走り、やがてそこからじんわりと赤い血が浮き出した。

不快なむずがゆさにもにた痛みが、これは現実だ、と彼女に伝えている。

奇しくもそのページには、信頼する人間に欺かれ、残された道は死のみ、と王子が悟るシーンが記されていた。

アメリアはその本を胸に押し抱いて泣いた。


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朝、いつまで待ってもアメリアの馬車が来ないことに、アナは首をかしげていた。

「風邪でも引いたのかな?これ以上待ってたら遅刻しちゃうよ。」

行き違いにならないよう、アナはいつも馬車が通る道を走ったが、結局アカデミーに到着するまで出会うことはなかった。

ロタリア・スクエアで、随分先に到着していたであろうマウロが待っていた。

「姉さん、アメリアのこと、聞いた?」

「なに?なにかあったの?」

マウロは彼女の身に起こったことを簡潔に話して聞かせた。

「なんですって?アタシ行かなきゃ。」

「行くって、どこにだよ?」

「アメリアのところよ!あの子きっと1人で泣いてる。」

「無駄だよ。彼女、もう昨日のうちにテラへ戻ったんだ。」

「でも…」

アカデミーに講座の始業を伝える鐘が鳴り響いていた。

「姉さん、講座に出なきゃ。

彼女はここにはいないんだ。

いいね?授業に出なきゃ大変なことになるよ。

僕たちはアカデミーにとっちゃ目障りな存在ってこと、忘れちゃいけない。」

学舎へ駆けていくマウロをよそに、アナは1人、ロタリアの像を見上げた。

空は冬独特の鈍色の雲に厚く覆われていた。


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冬の太陽の優しい光がリビングの窓から差し込み、床の上に華美な窓枠の影を映し出していた。

悲劇の一家は、身を寄せ合ってソファに座っている。

黒いドレスに身を包んだアメリアは、人形のように表情がなく、顔は血の気を失って白い。

バルトロが、そっと彼女の手に触れ、

「話したいことがあるなら話してみなさい。」

と、静かに声をかけたが、彼女は身じろぎもせず、ただ床に揺らめく影を見つめていた。

「悲しみを1人で抱えてはいけないよ。私たちは家族なのだから。」

もう一度娘に声をかける。

「お父様、例え何をお話したところで、シロはもう帰ってきません。」

その娘の言葉に、バルトロは剣で胸を刺し貫かれた思いがして、表情を歪めた。

その様子を見ていたセリーナは、いつかバルトロが真実を吐露するのではないかという不安に駆られ、青ざめながらも、

「あなた、アメリアは喪に服し、苦しみを乗り越えようとしているのです。

どうかそっとしておいてあげてくださいな。」

と、悲劇の一家を気丈に支える賢母を演じた。


アメリアの姿が見えなくなったのは、その日の夕方だった。

書斎では、夫妻が緊迫した様子で話し合っている。

バルトロはセリーナに力なく語った。

「私は罪悪感に押しつぶされてしまいそうだ…。

こんな茶番劇など、もうたくさんだよ。」

「何を言っているの?

今さらどうすることもできないのよ?

しっかりなさって!」

「しかし…」

バルトロは頭を抱えた。

「何があっても、アメリアに知られてはいけない。

私たちは最愛の息子を失った。

それが事実。それだけが事実なのです。いいわね?」

夫の前に堂々と立つセリーナの声は、氷のように冷たい。

バルトロは頭を抱え沈黙のまま、何度もうなずいた。

「それに…」

セリーナが何かに怯えるように辺りを伺う。

「あの男の目を見たでしょう?あの悪魔のような傭兵の目を。

真実を話せば、必ず報復される。必ず殺される。

私も、あなたも、アメリアも。」

―忍び寄る死神、沈黙の死―

脳裏にその言葉が蘇り、バルトロは戦慄する。

「そういえばアメリアは…?あの子はどこだ?」

父親は我に返ったように顔を上げた。

「心配しないで。行き先は知っています。」

セリーナは冷静さを取り戻し、窓の彼方を見つめた。


館の南、小さな雑木林を抜けた先の広い草原にアメリアは1人たたずんでいた。

「もう日が暮れますよ。

こんなところにいては風邪をひいてしまうわ。」

娘の背後から現れた母が静かに声をかける。

「シロはここが好きだった。

風が気持ちいいって言って、裸足で駆けまわってた。

よく2人でここに来て、夕日を眺めた。

あの子はここに寝転がって私の歌をせがんだわ。」

母には目もくれず、日の沈む空を見つめたまま、アメリアは囁くように子守歌を歌い始めた。

「ああ、可哀想なアメリア。

どうかシロのためにも強く生きてちょうだい。

悲しみを乗り越えてほしい…。」

セリーナは娘の肩に優しく触れた。

アメリアがわずかに振り向く。

その表情からは一切の感情が読み取れない。

「お母様、象牙の王子様って絵本をご存じ?

お父様があの子に贈った本よ。

読んであげた夜、僕は王子みたいになりたくない…って、あの子泣いたのよ。

王子様は固く信じていた人に裏切られるの。

そして…死んだ。」

母親はギョッとして娘の肩から手を離した。

よもや娘は真実を知っているのではないか、と戦慄した。

しかし母親の(ごう)を知らないアメリアは、ただ自分を責めた。

「私がシロを死に追いやった。

あの子の未来を奪ったのは私…。

ああ、神様…、私はなんて罪深いことを…」

言葉は嗚咽(おえつ)に代わった。

彼女は泣き崩れ、地面を拳で何度も打った。

彼女がようやくその場を離れたのは、空に一番星が輝くころだった。


挿絵(By みてみん)


翌日、シロの遺体なき葬儀が粛々(しゅくしゅく)と執り行われた。

メルカン家子息の死は世間に大きく報道されていたため、遠方からも参列者が弔問に来ていた。

目の前で冷たい土の中に下ろされていく小さな棺を見ながら、アメリアは自身の魂も土に沈んでいくのを感じた。

“生きながら死ぬこと”が、彼女にとって最も安らかな道であると悟った。


アカデミーの規則に定められた弔意期間がすぎてもなお、アメリアは館で虚ろに過ごしていた。

学園から届いた、”直ちに復帰するように”との書状を手に、セリーナが娘を説得するため居室に現れた。

「もうこれ以上待てないそうよ。

このままでは、あなたは退学処分になってしまうわ。」

「…」

「聞こえているの?アメリア。

ここにいては、これまでのあなたの努力が全て水泡に帰すのですよ?」

「…」

アメリアはまるで母の言葉が耳に届いていないのか、ただ宙を見つめている。

「シロがそれを喜ぶと思うのですか?

誰よりもあなたが立派な騎士になることを望んでいたあの子が…」

それを聞いたアメリアが、ピクリと小さく反応した。

そして手首に巻かれた小さな粘土板のお守りをしばらく見つめた後、

「私、アカデミーへ戻ります。」

そう告げて身支度を整え、その日のうちに館を後にした。

去り行く馬車を見送りながら、夫妻は安堵した。

「難局は乗り越えた。

あの子に悟られることなく、秘密は永遠に守られる。」

バルトロが小さく呟いた。


───────────────────────


翌朝、アメリアの姿を見つけたアナが駆け寄って、その背を抱きしめた。

「とても悲しい出来事だったね。」

「ええ、そうね。」

アメリアの驚くほどドライな反応に、アナは狼狽し、思わず友の体を離した。

「あ…、あの…、あなたのために何ができるか分からない。

話を聞くことしかできないけれど、もしアタシでよければ…」

「平気よ。大丈夫。私は元気。」

「でも…」

こちら向き直ったアメリアの表情には、もはや生気を感じない。

沈黙が2人の間に暗い影を落とすのを見た気がした。

 

「話すことは何もないわ。

過去を変えることなんてできないものね。

だから私はただ前を向いて生きるだけ。

ただそれだけの事よ。」

偽りの微笑みを浮かべたアメリアの虚ろな目を見たアナは戦慄した。

―彼女の魂は壊れてしまった…。―

アナの背に冷たい何かが走った。

朝日差す回廊には、小鳥のさえずりだけが響いていた。



挿絵(By みてみん)


                            第8話 おわり


挿絵(By みてみん)


書きました。アブサロン


イラストはこちら ペイやん



おまけイラスト


挿絵(By みてみん)

皆様にご挨拶申し上げます。


小説の応援をありがとうございました。


来週もよろしくお願いします

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