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思い出の大切さ


挿絵(By みてみん)



第7話


冷たい風が葉のない木の枝を揺らし、茶色くしなびた下草を()でる。

山々は白い雪を(いただ)き、ところどころ見える黒い岩肌が、なお寒々しさを(あお)る。

季節は冬。日没は早い。

2人がようやく国境の街に到着した時には、まだ夕方だというのに、空にはもう星がまたたいていた。

ヴェントゥムと火王朝(かおうちょう)の文化が融合した異国情緒香る街の大通りは街頭で明るく照らされ、道の両側に露店が建ち並んでいる。

夕食時ともあってか、食べ物の良い匂いが漂い、活気ある呼び込みの声が、あちこちから聞こえてくる。

人目につかないように、と、フードを被らされたエイシオの視界は必然的に狭まり、時々人とぶつかりながらも、人込みを縫って進むフローリアンの後を、その姿を見失わないよう必死に追った。

かつて父や母に連れられて訪れた街といえば、馬車が行き交い、上品な人々が優雅に闊歩(かっぽ)し、人の往来は多いにせよ、整然としたところばかりであったので、今のこの喧騒にあふれた状況はエイシオにとって少々刺激が強すぎたようだ。

少年は小走りでフローリアンに追いつき、不安そうに彼のコートの(すそ)を握った。

「どうした?」

「…んん。」

と、落ち着かない様子で辺りをキョロキョロ見回し、その場でじっと固まってしまった少年を男は見下ろした。

歩くよう促すが、エイシオは岩のように動かない。

通りの真ん中で立ち止まる2人の脇を、怪訝(けげん)そうな目を向けながら人の波がすり抜けていく。

「この辺で適当な宿を探すか。」

諦めた様子でフローリアンは周囲をぐるりと見渡すと、3階建てのレンガ造りの建物に目を止め、

「あそこでじゅうぶんだろう。」

誰に言うでもなくつぶやくと、混雑する通りを離れた。


宿のカウンターには、乱れた髪を1つに束ね、目の下にクマを作った決して見た目が良いとはいえない初老の女が座っていた。

入って来た2人の客を見るや、女は「悪いけど、今夜は満室だよ。」と不愛想な態度を示した。

確かに、汚れきった服を(まと)い、フードを被った見るからに怪しそうな客である。

難色を示すのはもっともだと納得しながらも、フローリアンはカウンターの上に黙って15銀スクレを置いた。

そのとたん、人が変わったように女は愛想笑いを浮かべ、

「ちょうどキャンセルが出たのを失念しておりました。」

などと、適当な出まかせを口にしながら、2人を最上階の一室へと案内した。

部屋へ続く廊下をつぶさに確認するが、全くもって人の気配を感じることはなく、満室どころか、貸し切り状態であるのは間違いないようだ。

「では、ごゆっくり。」

そう言って女はフローリアンに部屋の鍵を渡すと、いそいそと階下へ降りて行った。

部屋は狭く、ベッドとソファが1つずつ、小さなテーブルにイスが2脚あるだけの、簡素な造りだったが、疲れ切ったエイシオにとって地面の上で寝なくてすむことは、この上ない喜びであった。

さっそくベッドに腰かけ、歩き疲れてじんじん痛む足をブラブラさせながら、ランプに火を灯しているフローリアンの背に向かって無邪気に声をかけた。

「よかったね。さっきの女の人、お部屋が()いてるのを思い出してくれて。」

()くも何も、そもそも誰も泊り客なんていないさ。

ただ余分に金をくれてやったから、気が変わって部屋を提供したんだ。」

フローリアンは、灯りを調節しながら素っ気なく答えた。

「余分にお金、払ったの?」

「ああ、そうだよ。」

調子はずれな声を上げた少年には目もくれず、木製のレトロな椅子にどっかりと腰かけると、コートのポケットからコインの詰まった革袋を取り出し、テーブルの上に置いた。

「この程度の宿なら、普通は2銀スクレ、高くて3銀スクレってとこだ。

ちょっと来い。」

手招きをしてエイシオを向かいの椅子に座らせる。

「お前、通貨…、カネの価値は理解してるのか?」

少年は黙って首を横に振った。

「だろうな。」

溜息をつきながら、テーブルの上に革袋からコインをばら()くと、銅、銀、金のコインを指でより分け、できるだけ子供でも理解しやすいよう努めて説明を始めた。

「まず、この銅スクレ、これが一番安い。

そこらへんで売ってるような安っぽい駄菓子なら、これ1枚で買える。

まともなメシを食いたいなら20~30枚必要だな。

それから、この銀スクレ。

これ1枚で、銅スクレ100枚と同じ価値がある。

ここの宿賃は、本来ならこれ2枚でじゅうぶんだ。

そして、この金スクレ、こいつが一番高価だ。

これ1枚と銀100枚は同じ価値さ。

馬型ゴーレムが買いたきゃ、安くても4金スクレは必要だな。」

「ふぅん…。」

これまでのエイシオにとって、金の価値など意味の無いことであった。

無理もない。望めば何でも手に入る生活をしていたのだ。

ゆえに、この“金銭感覚”の授業は彼にとって面白いものではい。

「真面目に聞け。大切なことだ。」

説明を終えて、フローリアンはコインを革袋にしまった。


挿絵(By みてみん)


そして嫌味を含んだ視線でチラとエイシオを見て、

「お前の住んでいた屋敷は、安く見積もっても5000金スクレってとこだろうな。」

コートのポケットに革袋をねじ込みながら、そう付け加えた。

エイシオは目を丸くした。

身近な例を出されて、初めて興味が湧いたといったところだろうか。

館がゴーレム何頭分かを必死に暗算している。

「これからの旅では、力だけではなく、カネがモノを言う場面も少なくはない。

スクレコインは言語と同じく世界共通だ。

だから、カネの価値はじゅうぶんに理解しておけ。」

そう言って、フローリアンは立ち上がった。

「どこか行くの?」

「食い物と服を買ってくる。

こんなひどい恰好(かっこう)じゃ逆に目立ってしょうがない。」

そう言って扉に向かうフローリアンをエイシオが呼び止めた。

小さなくしゃみをしたあと、鼻をすすりながら

「あの…、お願いがあるんだけど…。

ノートとペンを買ってきてほしい…。」

得意の上目遣いで見つめながら、もじもじと小さな声で訴える。

「そんなもの、どうするんだ?」

「日記をつけるんだ。

お姉ちゃんは、1日の終わりに、トレーニングしたことを書いてた。

僕もそれをやってみたいんだ。」

と言って、軽い(せき)を2つした。

「フン…。

これまでの生活は忘れろと言ったはずだ。」

フローリアンは冷たく言い放つと、

「部屋の中で何をしてもかまわんが、外には出るなよ。」

と、念を押して出て行った。

ドアの外から施錠(せじょう)する音が聞こえる。

エイシオはひどく悲しい気持ちになった。

忘れろと言われて忘れられるものではない。

思い出の中の光景は幸福で満たされていた。

―あの夜までは―

エイシオはベッドの片隅で膝を抱いて、シクシクすすり泣いた。


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フローリアンは大通りから外れた静かな小路を歩いていた。

腕には、いくつかの店を回って適当に仕入れた食料と服の入った紙袋を抱えている。

まっすぐ宿に戻るつもりだったが、「日記を書きたい」といったエイシオの奇妙な希望を思い出し、書店の前で立ち止まった。

営業時間は過ぎているらしく、扉には”閉店”の看板がかかっている。

上階は住居になっているらしく、灯りのさす窓辺に人影が動いているのが見えた。

わずかな時間、フローリアンはその様子に目を向けていたが、すぐに石畳の路面に靴音を響かせ、夜の闇へ消えていった。


挿絵(By みてみん)


宿の部屋に戻ってきたフローリアンは、少年がひどく(せき)き込んでいるのを見て、

「風邪か?熱は?」

と尋ねたが、エイシオは鼻をすすりながら首を横に振る。

「とりあえず、これに着替えてメシを食え。」

そう言って、買ってきた食料をテーブルに置き、少年に服を手渡した。

ドア横のラックにコートをかけて振り向くと、服を抱えたままじっとベッドの上に座ってこちらを見ているエイシオと目が合った。

その態度を不審に思い、

「どうした?」

と尋ねた。

「ここじゃ着替えられないよ。」

「なぜ?」

と問えば、

「プライバシーがない。」

さも当たり前と言わんばかりの顔をして答えた。

「は?」

あまりに想定外な回答にフローリアンは狼狽(ろうばい)した。

「じゃあバスルームで着替えて来いよ。

ついでにその汚れた体も洗ってこい。

…まったく、年ごろの娘じゃあるまいし…」

ぼやくフローリアンの声をよそに、“元・貴族のおぼっちゃま“は、小走りに奥のバスルームへ駆けていった。


しばらくして、白い寝巻に着替えて出てきたエイシオは、「シャワーが水しか出なかった」だの、「服の着心地が悪い」だのと文句を並べふてくされているが、どうせ空腹からくる 苛立(いらだ)ちだろうと、とりあえず食事をとらせて黙らせることにした。

「全部食えよ。」

「これは?」

エイシオは緑の液体が入ったカップを指さす。

「薬だ。

お前、さっきから|席<席>をしてるだろう?

熱が出ないよう、必ず飲んでおけ。」

そう言い残すと、フローリアンはバスルームへ行った。

部屋に1人残ったエイシオは、さっそくテーブルに置かれた食べ物に興味を示した。

チーズをかじり、ロールケーキを頬張る。

味は悪くない。

問題は緑の液体だ。

見るからに気味の悪い色。匂いもひどい。

正直口に含むのが怖かったが、フローリアンが戻ってきて怒られる方がもっと怖い。

エイシオは、鼻をつまんで一気に飲み干した。

そして満腹になれば眠くなる。

ベッドの上に寝転がると、薬の効果も手伝ってか、すぐに睡魔が襲ってきた。


フローリアンが戻ってきたときには、すでに少年は眠っていた。

眠りながらも、ときおり苦しそうに(せき)をしている。

その額に大粒の汗をかいていることに気づき、そっと触れてみると、ずいぶん熱い。

「…やはり熱が出たか。」

と、軽く舌打ちをした。

手際よく水に濡らしたタオルを額と首の後ろに当てて冷やし、毛布をかける。

エイシオの脇に腰かけ、咳をしはじめると背中をさすってやった。

やがて薬が効いてきたのか(せき)は収まり、ようやくフローリアンはソファで横になり休むことができた。

安らかな寝息を立てる少年を見守る目は、とても穏やかだった。


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翌日、太陽が天頂にさしかかるころ、2人は街の中心部から少し離れた路地に面した、小さな食堂にいた。

エイシオの熱は下がったものの、まだ鬱々(うつうつ)とした気分でいる。

目まぐるしく過ぎる日々、降りかかる問題、言い知れぬ不安。

そんな現実から逃げ出したい思いは、日に日に大きくなっていく。

自分を拘束するロープは、もうない。

逃げようと思えば逃げられるはずなのに、その気力さえ起こらない。

考えてみれば、嵐の夜、この男に連れ出されて以来、馬から落ちそうになったり、化け蟹に食われそうになったり、溺れ死にそうになったり。

なにより“両親の殺意”が最もショックだった。

もはや、肉体的にも精神的にも、憔悴(しょうすい)していた。

「お決まりになりましたか?」

ふいに声をかけられ、エイシオはビクッと身を強張(こわば)らせた。

声の主は食堂の老女主人。注文を聞きにきたようだ。

フローリアンが老女に栄養のあるメニューは何かと尋ねると、女主人は人好きのする笑顔で、

「山鳥のスープがお勧めね。

私の祖母がよく作ってくれた料理なの。

見て、私、いくつに見える?こう見えて、もう72歳なの。」

そう言って、オホホと笑った。

実際、年相応にしか見えないが、あえてそれには触れず、フローリアンはただ、「2つください。」と言うにとどめた。


運ばれてきたスープを見て、エイシオはギョっとした。

ボウルの中には変な色の小さなキノコと、切り刻まれた正体不明の野菜がゴロゴロ入っている。

そして何より強烈だったのが、骨だけになった鳥の頭。

そいつが黒々とした空洞の目で、こちらを恨めしそうに(にら)んでいるのだ。

エイシオはしばらくボウルの中身の“そいつ”と(にら)み合っていた。

「なんでも食って、バランスよく栄養をとることが大切だ。」

何食わぬ顔でフローリアンはスプーンを口に運んでいる。

「そうよ、お父さんの言うとおりだわ。

健康的な食事は、体を強くするのよ。」


挿絵(By みてみん)


老女が笑顔で声をかけてくるのを、サッと手で制し、

「父ではない。」

と、冷たい視線を向けた。

女主人は、「あら、ごめんなさい。」と愛想笑いを残して店の奥の厨房に消えた。

「ねえ、これ絶対食べなきゃダメ?」

エイシオは先ほどからボウルの中身をスプーンでぐるぐるかき混ぜるばかりで、一向に食べる気配がない。

「エレメンタル・エネルギーをコントロールするには、健全で強い体と心が必要だ。

そのためには、栄養のある食事が大切。

お前、自分の体をどう思う?

まだ7歳だというのに、それだけ脂肪をため込んでいたら、健康なワケがないだろう。

まるでアザラシの子供だ。

しばらくは甘いモノも抜きだからな。」

と、エイシオを一瞥(いちべつ)した。

少年はスープとフローリアンの顔を交互に見やった。

目の前の男が、気持ちの悪い鳥の頭の骨をかみ砕く音を聞きながら、やはりこいつは地獄の鬼かも知れぬと思った。


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食事を済ませ宿に戻る道すがら、エイシオは不安そうに尋ねた。

「これからどうするの?」

「明日まではこの街に滞在する。」

「明日から、また旅をするの?」

「そうだ。」

そう言ってフローリアンは厳しい面持ちでエイシオを真っ直ぐ見た。

「お前の両親は、今頃シロ・メルカンの失踪を装い、公に発表しているだろう。

すでに憲兵隊が大規模な捜索を展開しているかもしれない。

お前の両親はヴェントゥムの要人だ。

間もなく外国にもシロ・メルカンの顔写真が公表され、国際的に捜査がなされるだろう。

分かるか?

もしお前が生きていることがバレたらどうなるか…。

お前はシロ・メルカンとしても、十三宮(じふそ)としても命を狙われるんだ。」

エイシオは心臓を()め上げられる思いがした。

それは、フローリアンの言葉のせいというよりも、愛する両親が確実に自分の死を望んでいることを再認識したのだ。

心の底で、全て悪い夢であってほしいと祈りながら、重い足を引きずり歩いた。


途中、結晶店(ショップ)に立ち寄って、馬型ゴーレムを求めたが、あいにく在庫を切らしていると言われた。

「つまり、新しい馬が見つかるまで、旅は徒歩ということだ。」

「えー?…歩くの?どれくらい?」

「さあな。ゴーレムが見つかるまでの辛抱さ。

もう前のようにお前を背負っては歩かない。自分の足で歩くんだ。

その代わり、疲れたら休憩は取る。

エレメンタル・エネルギーのトレーニングの第一歩だと思って、努力しろ。」

「歩くことがトレーニングになるとは思わないよ!」

エイシオは口を尖らせた。

「お前は王立の騎士団を見たことがあるか?

本物の守護者(パラディン)を見たことは?

お前の姉はどうだ?

皆、健全で屈強、そしてしなやかな体を持っているはずだ。

運動と厳しいトレーニングを積んだ体だ。

それはお前にも必要不可欠なのさ。」

騎士も守護者も見たことはないが、姉なら知っている。

子供らしい癇癪(かんしゃく)を収め、エイシオは納得した。そして尋ねた。

「じゃあさ、フローリアンは本物のパラディンを見たことあるの?」

「目の前にいる。」

「違うよ!そうじゃなくて、これまでに、ってこと。」

まったくの無自覚とは恐ろしいもので、まるで他人事のように屈託がない。

「さあな。」

そのあと、2人は宿まで無言で歩いた。


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エイシオはベッドで昼寝をしている。

小さな寝息を聞きながら、フローリアンはソファの上で、厚い本の黒い表紙を開いた。

毎日1回、この本に目を通すことが彼のルーティンとなっている。

最初のページには、守護者XIIIを表すエンブレムが記されており、その周りに小さな文字がびっしりと書き込まれている。

しばらくそれを眺め、懐かしそうにその文字の上にそっと指を添わせた。

―ダリア、君がここに書き記した言葉が、この子の鍛錬に役立つといいんだが…。―

心の中で切なく語りかけた。

本を閉じるとコートの内ポケットにしまい、おもむろに立ち上がるとテーブルの上に書き置きを残して部屋を出た。

階段を降りて、1階のフロントの女に鍵と銀スクレを数枚渡し、

「誰も入れるな。」

と言づけて宿を後にした。

まだ午後5時を回ったころだが、日はすでに暮れ、あたりは暗くなってきている。

エイシオには厳しいことを言ったが、やはり馬があったほうが何かと便利であることは間違いない。

実際、小さな子供を連れて、何千キロも歩くのは無理がある。

そう考え、街にある2軒の結晶店(ショップ)を当たったが、いずれも帰ってきた答えは同じ、「欠品中」だった。

ただ、そのうちの一軒の(あるじ)から、街はずれに廃業した店があることを聞きつけた。

廃業といっても、店仕舞いをしたというわけではなく、店主が頓死(とんし)したために、遺品整理がなされないまま放置されているという。

ひょっとすると掘り出し物があるかもしれないと言いながらも、(あるじ)はこう付け加え忠告した。

「何年か前に放火騒ぎがあったから、品物が無傷で残っているかどうかも分からない。

それに、あの辺は、タチの悪いゴロツキどものたまり場になっているよ。

悪いことは言わない。命が惜しいなら行かないほうがいい。」

もちろんそんな事にフローリアンが恐れるはずもなく、一切の躊躇(ちゅうしょ)もなしに(くだん)の廃屋へとやって来た。

細く暗い路地に人影はなく、周辺の建物は倉庫なのか廃墟なのか、灯りすら灯っていない。

その最奥に目的の廃屋があり、聞いた通り、焼け落ちた店の中に転がっているのは壊れた結晶や導体ガラスばかりで、めぼしいものは残っていない。

「やはり無駄足だったか…。」

そう言って引き返そうとしたとき、建物の陰から声が響いた。

「よお、オッサン。こんなところに1人でお散歩かい?」

不穏な嘲笑(ちょうしょう)に続き、短剣で武装した男が数人姿を現した。

「さあて、悪いが旅人さんよ、カネを置いて行ってもらおうか。あと命もな。」

ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら1人が近寄ってきた。

よく見れば焼け焦げた床の上には大量の血の跡と、カネや宝飾品が無造作に散らかっている。

「なるほど。盗賊団の巣ってわけか。

結晶をエサに旅人をおびき寄せているとはな。

おおかた情報を流してる、あのショップのオヤジも仲間ってところかね。」

「なかなか鋭いね。

まあ、知ったところで冥途(めいど)の土産にもならんだろうがな。」

その言葉を合図に、盗賊どもが一斉に襲いかかってきた。

身をかわすが、狭い場所では動きも制限される。

短刀が腕をかすり、血がほとばしった。

「こちらとしても、あまり騒ぎを起こしたくはなかったんだがな。」

フローリアンは両腕に素早くエネルギーをチャージし、風の渦を生成した。

猛烈な風は(やいば)となり、ならず者たちを切り裂く。

もちろん殺すつもりはなく、脚や腕の(けん)を切るにとどめた。

地面に転がり、のたうつ一同を鋭い視線で睨みを()かせ、

(けん)を切った。完治したとて、以前のように走れまい。

いいか。これは警告だ。

今夜のことは誰にも話すな。話せば必ず見つけ出し、命をもらう。

これからは今夜のことを教訓にまともに生きることだ。」

盗賊たちは、ただ怯えて小さくうなずくだけだった。


路地を離れたフローリアンは血のしたたる腕をマントで隠し、宿へ戻った。

部屋ではエイシオが起きて帰りを待っていた。

「ゴーレム、見つかったの?」

「残念ながら空振りさ。」

そう言って洗面所で傷口を洗うフローリアンの腕から流れる血を見つけたエイシオは、金切り声を上げた。

「どうしたの!?血が出てる!」

「ただのかすり傷だ。気にするな。

そんなことより、俺はハラが減った。メシだ、メシ。」


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この街の夜の騒々しさは好きになれない。

エイシオは無意識にフローリアンの手を握った。

小さな手が小刻みに震えている。

騒然とした雰囲気が、少年の心に多大なストレスを与えていることに気づいたフローリアンは、歩く足を止め、耳元でささやいた。

「群衆の気配や音に慣れることだ。

喧騒がもたらす不安と戦うにはコツがある。

いいか、お前が最も安心できる場所を思い出してみろ。

その場所の風を思い出せ。音を思い出せ。空気を思い出せ。

それに集中しろ。

そうすれば自然と恐怖は消える。」

エイシオは言われるままに、固く目をつぶって想像した。


頭の中に懐かしいヴェントゥム・テラの景色が広がる。

広大な草原、彼方の山々、沈む夕日、心地よい風。

柔らかい草の上を裸足で駆け、草原の真ん中で寝転がる。

隣にいるのはアメリア。

優しく微笑み、髪を撫でる。

その記憶が逃げないように脳裏に焼き付けた。

徐々に気持ちが楽になり、周囲からの圧迫感が薄らいできた。

エイシオはようやく歩き始めることができた。

小さな手はフローリアンの手を放すことはなかったが、師は(とが)めることをしなかった。


挿絵(By みてみん)


夕食はあえて大通りの屋台で取った。

エイシオを雑然とした雰囲気に慣れさせるためであった。

だが当の本人は終始浮かない顔をしている。

先程思い出したアメリアの姿に、すっかり里心(さとごころ)が付いてしまったのである。

―帰りたい!―

少年の心の中の声が、より一層大きく、クリアに響いた。


会計を済ませるため、フローリアンが席を離れた一瞬をエイシオは待っていた。

転がるように店を飛び出すと、あっという間に人込みの海に飲まれて消えた。

成り行きを見ていた店の主人が慌てて叫んだ。

「おい、坊やが…!」

しかしフローリアンは冷静だった。

「心配ない。それより勘定を済ませてくれないか。」


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エイシオは走った。

目的もなく、ただ走った。

とにかくこの現実から逃避しようと走った。

姉のもとに帰ろうと、ただその一心だった。

しかし日頃から走ることには慣れていない上に、今は満腹。

次第に脇腹に激しい痛みを感じ、ついには地面のくぼみにつまずき倒れ込んだ。

息が苦しい。

ふと気が付けば、周囲には人だかりができている。

「どうしたの?坊や」

「おい、この子、どこの子だ!?」

「あんた、迷子かい?お父さんやお母さんはどこだい?」


自分を取り囲む人々の声が反響し、徐々に耐え難い騒音となっていく。

パニックに陥り、呼吸は浅く、鼓動は早鐘のように高鳴った。

涙が頬を伝い、意識が薄れそうになる。


「思い出せ。喧騒がもたらす恐怖と戦う方法を。」

騒音の中で聞き覚えのある声に顔を上げた。

目の前にいたのはフローリアン。

膝をついてこちらを見ている。

「…」

涙をぬぐったエイシオはもう一度、あの光景を思い浮かべた。

暖かく、風薫るヴェントゥム=テラ。


次第に落ち着きを取り戻していくと同時に、不可思議なパラドックスが彼の脳内を攪乱(かくらん)させる。

“なぜ逃れたかったはずなのに、今、目の前の男に安堵(あんど)を覚えたのか。”

エイシオは手を地面についたまま、フローリアンをじっと見上げている。

答えを探ろうとしたのかもしれない。

しかし少年が、その理由に辿りつくことはなかった。

周囲の騒音が、まるで水の中で聞く音のように、くぐもって聞こえる。

いまだエイシオは呆然と地面に座り込んでいる。

「さあ、帰ろう。」

その言葉でようやく我に返った。


挿絵(By みてみん)


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喧騒を離れた通りを歩きながら、エイシオは尋ねた。

「アメリアは僕に怖さを忘れる力をくれる。

それに安らぎを与えてくれる。

なのに、どうして過去を忘れろって言うの?」

「過去を思い出すことは、自分の苦しみを増すことだからだ。」

どこか切なげな表情をしたことに、エイシオは気付かなかった。

ただ、その答えの意味が分からず、小さく首をひねった。


その夜、眠るエイシオの姿を見ながら、フローリアンはソファに座り、”安らぎ”について考えていた。

そしてポケットから1枚のシワくちゃになった古い写真を取り出し、感慨深そうに見つめた。

写真には女性が1人写っている。

真っ白のドレスを(まと)い、木の枝に腰かけ、長い黒髪を風に遊ばせている。

フローリアンは、その写真を手に寝転んだ。

天井を見上げ、心の中でつぶやいた。

―ダリア…、俺はこの子に対して、正しいことをしているのだろうか?

君がここにいたら、彼にとって何が最善か、きっと教えてくれただろう。

君は人を勇気づける言葉を知っていた。

それは君が過去を恐れず、そして忘れなかったからだろう。

ならば俺も、過去を忘れてはいけない…そういうことなのか。―

男はその写真を押し(いだ)いて眠りについた。


挿絵(By みてみん)


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翌朝、エイシオは日の出とともに叩き起こされた。

「起きろ。出発するぞ。

下で待っているからな。

さっさと着替えて降りて来い。」

荷物を持ってドアを開けたが、思い出したかのように立ち止まり、まだベッドの上でボンヤリと座っているエイシオに「ほれ。」と、紙袋を投げつけた。

「何これ?」

この問いには答えず、男は部屋を出て行った。

エイシオは眠い目をこすりながら袋を開ける。

中には真新(まあたら)しいノートとペンが入っていた。

「わぁ!」

喜びに思わず声が出た。

そして急いで身支度をすませ、小さな背に大きな荷物を背負い、ノートとペンを脇に抱え階段を駆け下りていく。


窓には薄く霜が()り、木の枝から下がった氷柱(つらら)が朝日を浴びてキラキラと輝いていた。


                                 第7話 おわり


挿絵(By みてみん)



書きました。アブサロン





イラストはこちら ペイやん





おまけイラスト


挿絵(By みてみん)

毎週、この小説の進化にお付き合いいただき、ありがとうございます。



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