十三宮守護者の誕生
メリー・クリスマス
第4章をお届けします!気に入ってもらえたら嬉しいです。
第4話
王城から飛び去った13の光は、上空で渦を巻き、やがて四方に散った。
ヴェントゥムの北、火王朝帝国との国境付近のブレヴィマ山脈の麓。
夜のとばりの下りた湖畔で男は腰を下ろし、小さな焚火に枯れ枝を放り込んだ。
パチパチと火の粉がはぜ、男の顔を照らす。
その脇には鈍い光を放つ球体が浮いており、時折奇妙な機械音を発している。
一般的にパイロット・ボールと呼ばれているこのツールは、特殊な植物が組み込まれたエレメント・エネルギーの結晶石を動力とするナビゲーション・ツールであり、”水先案内人”の名が示すとおり、道順案内から情報処理までを1台でこなす優れモノである。
高額なものになると、その他オプション機能が搭載され、様々な用途でユーザー補助を行う。
ブランドにより性能は格段に異なり、やはりメルカン社製品は抜きんでていた。
男はパイロット・ボールに「異常があれば知らせろ。」と命令し、その場で横になると、空を見つめた。
満天の星空は、美しいというよりも、溺れそうな息苦しさを覚える。
脳の機能がじわりとマヒするような感覚が、男を”眠り”という深淵へ落とす。
刹那、空に緑の閃光が走り、その中心から光の球が現れた。
その光は不規則な明滅を繰り返しながら、しばらく空中に留まっていたが、やがて意志を持つかのように、南を目指して長い尾を引き飛び去って行った。
「北西の空に異常なエネルギーを感知しました。」
パイロットの音声に男は弾かれたように起き上がると、カバンの中からモノクルを取り出した。
光は目視ではすでに確認できなくなっていたが、単眼のバイザーでその痕跡をはっきりと捉えることができた。
「ミスター・フローリアン。サイクルが始まりました。」
「そのようだな。」
男は慌ただしく足で焚火を始末し、球体をカバンに押し込むと、常に携帯している白銀の鞘に収まった長剣を背負ってゴーレムにまたがり、
「さ、出発だ。」
号令を発して、その両の脇腹をポンと蹴った。
―光は南に向かった。その先に必ず後継者がいる。―
疾走するゴーレムの蹄の音が、夜の闇に溶けて消えていった。
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シロは部屋で1人、木製の剣と盾を持って遊んでいた。
「かつては、こんなものを使って戦をしていたんだよ。
騎士物語ばかりではなく、少しは歴史を勉強してみるといい。」
そう言って数年前父親が買い与えてくれたものだったが、少年にしてみれば、退屈な玩具にすぎない。
すぐに飽きて、窓の外のバルコニーへと出て行った。
空を見上げて思うのは、遠く離れた姉のこと。
「アメリアはどうしてるだろう。
僕と同じ空を見てるかな…。」
と、寂しそうにつぶやいた。
その時、シロは空に忽然と現れた緑の光に気が付いた。
「雷かな?」
目を凝らした。
1つの明るい光と思ったが、それは、しっぽの生えた火の玉のような形をした2対の光で、互いにくるくると追いかけっこをしているかのように回っている。
「…なんだ?」
興味を上回る恐怖を覚え、後ずさった瞬間、それは突如少年めがけて飛んできた。
閃光がほとばしり、視界が真っ白になる。
しばらく両腕で顔を覆って固まっていた少年は、危険が去ったと感じて目を開けた。
そして唖然とした。
右手の甲に、先ほどまで無かった奇妙な模様が光っている。
二重の不規則な円。その中央には見たこともない複雑なマークが、鈍い緑の光を放ちながら揺らめいていた。
やがてその光は電池が切れたようにじわじわと明るさを失い、最後には黒い痣だけが残った。
寝室のベッドの上で本を読んでいたセリーナの元に、シロが大声を上げながら走りこんできた。
「ママ!見て!」
ベッドに飛び乗り、右手を母の顔の前に突き出す。
セリーナは冷ややかにその手を押し戻すと、
「騒々しい子ね。何があったの?」
煩わしそうに、読んでいた本を傍らに置いた。
「これ見て!ホラ!
今は黒いけど、さっきまで光ってたんだよ!
アメリアはパワーを使うときに水色のラインが浮かび出てたでしょ?
あれと同じようなヤツだよ!
僕のは緑だったけど、きっとエネルギーをコントロールできる印だよ!
やったー!これで僕も騎士団に入れるぞ!」
大興奮のシロはせきを切ったようにしゃべって、ベッドの上で飛び跳ねた。
「やめてちょうだい。シロ、やめなさい。
やめて!…ベッドから降りて!」
苛立ったセリーナが声を荒げた。が、やや間を置いて気を落ち着かせ、おとなしくベッドから降りた息子の言葉を理解しようと、その右手をとって顔を近づけた。
「…ウソでしょう!?なんてこと…!」
セリーナは悲鳴にも似た拒絶の言葉を発し、シロの手をひっぱたいた。
理由なくぶたれた手の痛みより、母親の恐怖に歪んだ表情にひどく動揺したシロは大声で泣き始めてしまった。
それを聞きつけたメイドが慌ててドアをノックする。
「どうされましたか?奥様?坊ちゃま?」
「い…いえ、なんでもないの。
ちょっとじゃれあっていて、私の爪でひっかいただけ。
大丈夫よ。下がりなさい。」
セリーナは取り繕うように言葉を選びながら、ドアの外のメイドに伝えた。
「でも手当したほうがよろしいかと…」
「本当に大丈夫よ。少し赤くなっているだけ。
心配しないで。母親の私が言うのだから。」
声が上ずる。
「そうおっしゃるのなら…。」
メイドが去る足音を確認し、セリーナはドアをそっと開いて周りに誰もいないことを確認すると、シロのもとに駆け戻ってきた。
シロはしゃくりながら母に言った。
「ベッドで飛び跳ねてごめんなさい…。」
「違うの。違うのよ、シロ。
落ち着いてママに話してちょうだい。
その手の模様…、いったい何があったの?」
セリーナは膝をついてシロの肩に手を置き、じっと息子の顔を見つめた。
シロは鼻をすすりながら、これまでのいきさつを母親に話した。
息子の言葉に混乱しながら、セリーナは枕カバーを手で割き、息子の右手に巻きつける。
その印を隠すために。
「ママ…まだ怒ってる…?」
シロのその問いに対してセリーナは何も答えなかった。
その代わり、息子の手を取ると、彼の部屋まで強引に引っ張っていった。
そして窓の施錠を確かめ、カーテンを閉めると、シロの肩を乱暴につかみ、声を押し殺して言った。
「いい?その覆いを決して人前で外さないで。
そのマークの話を誰にもしてはいけません。
この部屋に私とパパ以外の人を入れてはいけない。
いいわね!?約束しなさい!」
非常に強い口調でまくしたてた。
「ママ、ごめんなさい。もう騎士団に入りたいなんで言わない…。」
「…誓いなさい‼」
困惑し、目にいっぱい涙を溜めた息子の頬を、母親は思わずぶとうと手を上げた。
とっさに防御の姿勢で肩をすくめるシロは「約束します。」と力なく答えた。
セリーナが部屋を出たあとも、シロは震えていた。
もう訳が分からず、完全に混乱と動揺で怯えていた。
ベッドサイドのテーブルに置かれた守護者伝説の本を手に取ると、それを抱きしめた。
インクの匂いの中に、優しい姉の香りを探した。
その夜、シロは眠りに落ちるまで、声を押し殺して泣き続けた。
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セリーナは息子の部屋を出ると、2階の書斎で書類に目を通している夫のもとへやって来た。
バルトロは一瞬チラとセリーナを見やったが、再び無言で書類に目を落とすと、左手を額に当て、ブツブツと何かをつぶやきながら、右手のペンをトントンと机に打ち付けている。
セリーナは未だ混乱が収まらない様子で爪を噛みながら、部屋の中を行ったり来たりしている。
そして、思い出したかのようにホログラムジェクターまで歩み寄ると、「ONにしてちょうだい。」と一声かけた。
声に反応して映像と音声が流れる。
再び、妻の動向を伺ったバルトロは、
「…どうした?なにをそんなに神経質になっているんだい?」
そう言って書類を引き出しにしまうと椅子から腰を上げ、落ち着きなく部屋の中を往復している妻の腕を取った。
少しの間、放心状態だったセリーナは、おもむろに夫の顔を見上げ、
「あなた、これを見て。」
と、ホロジェクターに映し出された映像を指さす。
それはイスクロ王の崩御を知らせるニュースであった。
「ああ。残念なことだ。
我々は偉大な指導者を失ってしまった。」
「そんなことじゃないの。」
セリーナの冷たい声が書斎に響く。
「守護者である王の死が何を意味するか分かっていて?
新しいサイクルが始まるの…。
13人の新たな守護者が現れる…。
…あの子…、シロが“十三宮“になった…。」
その声に力はなく、顔からは生気が失われている。
バルトロは言葉を失った。
“ジフソ”とは、13を意味する古い言葉である。
“十三宮の守護者”という呪われた名を口にすることを嫌った人々は、いつのころからか、このように呼ぶようになったのだった。
妻の言葉が信じられず、何度も何度も頭の中で、その言葉をはんすうさせた。
「地上最後の守護者の死により、新しいサイクルが始まったのよ。」
セリーナの言葉が、バルトロの思考回路をようやく正常に起動させた。
「そんな…。何かの冗談かい?
シロはまだ子供だ。
パラディンの印が現れるなんて…」
「守護者に年齢なんて関係ないの。
そんなことより、私の言いたいことは分かっているのでしょう?
呪われた十三宮!
それがどうなるか。
その家族がどういう目に遭うか!
このままでは私たちはおしまいよ。
この家名も、これまで築き上げてきた栄光も、全ておしまい!
私たちは呪われた忌み子の家族、その烙印を押されるの!
あなたはこの一族の歴史を忘れたの!?」
悲鳴を上げる妻の前で、バルトロは腕を組み、ただ黙ってうつむき床の模様を見つめていた。
メルカン家には、忌まわしい歴史が潜んでいる。
それは500年余り昔の話。
当時、ディアントス地方、王都ヴェントゥム・シティにアクチュアーという一族がいた。
巨大な城を構える大貴族であり、ヴェントゥム王家ベイヤードの片翼と称される政治的にも大きな実権を握る一族であった。
しかし、栄華を極めたアクチュアーに災いが降りかかる。
一族の中に、自身の持つ強大な力に自惚れた“災厄の独裁者”が現れたのだ。
やがてアクチュアー家は滅びの道を辿ることになる。
この一件を、歴史書は、“アクチュアーの断罪事変”と記している。
メルカン家は、この一件に大きく関わっているとされているが、公な資料が一切残っていないため、詳細は不明である。
もちろんメルカンの血筋の者ならば、この恐ろしい歴史を忘れるはずもない。
脈々と受け継がれる一族の呪われた歴史として、当主は成人の儀の席で、この物語を聞かされるのである。
“アクチュアーによって呪われた一族”としての歴史を。
「この家が呪われた家系と初めから知っていたら、あなたとなんて結婚しなかったわ。」
セリーナは狂女のようにわめき、バルトロの腕を掴んだ。
彼女は計算高い女である。
没落したとはいえ貴族出身のセリーナは、少女のころから美女として誉れ高かった。
それは世界の上流階級者の知るところとなり、年ごろになると、多くの求婚者が現れた。
セリーナには、当時すでに恋人がいた。
名は明かされていないが、高貴な人物だったという。
しかし身分の差という壁には敵わず、結局は彼女の両親が決めた相手と結婚することとなった。
それがバルトロである。
政略結婚ではあったものの、セリーナはバルトを気に入ったようだった。
容姿もさることながら、今を時めく財界のトップである。
なにより、セリーナの甘い一言で子犬のように思い通りに動かせることが、彼女にとって都合がよかった。
現在30歳をとうに越えたセリーナではあるが、その美貌が損なわれることはなく、未だに各国の貴人たちの噂に上る女である。
夫バルトロは、そんな妻をこよなく愛している。
「…シロのせいではない。」
バルトロは腕に食い込む妻の指を解き、落ち着くために椅子に腰を下ろした。
そして大きくため息をついて頭を抱えた。
「あんな子、もう私たちの息子ではないわ…。」
幽霊のように焦点を失って立つセリーナ。
決して負の感情を表に出さないバルトロも、この妻の発言に逆上した。
「馬鹿を言うのもいい加減にしろ!
お前には母親としての情がないのか!?」
思わず怒鳴りつけるが、妻の表情からは明らかに正気が失われている。
激しく叱責はしたものの、セリーナの恐れる理由を彼は知っていた。
長きに渡って血統の奥底に潜み、一族を苦しめてきた呪いを。
「そんなにあの子の存在を隠したいのなら、家から出さなければいいだけのことだろう?」
「あなた、なんて甘い人なの?
永遠に隠し通せると思っていて?私はこの家を守りたいのよ!
この呪われたメルカンの家名をね!」
「落ち着け、セリーナ…。
君は恐怖に突き動かされ、性急に物事を判断しようとしている。」
夫の煮え切らない態度に、セリーナは両手を勢いよく書斎机に叩きつけて夫を刺すような目で睨みつけた。
「私は、この家も、あなたも、アメリアも守りたいの!
それはシロの願いでもあるわ。」
「じゃあ、どうしろと?シロを家から追い出すのか?」
「あの子を苦しみから解放することが一番よ。」
「つまり…?」
バルトロは妻の返答を聞くことが恐ろしかった。
恐ろしかったが、彼女が次に発するであろう言葉をすでに理解している自分の思考が、もっと恐ろしかった。
「分かっているでしょう?
あの子を殺してくださいな。」
セリーナがバルトロの背後にまわる。
そして人が変わったように、甘い声色でささやき、夫の顎を撫でた。
「…お前…、正気か…。
自分が何を言っているか分かっているのか…?」
真横にある妻の顔を見ることすらできなかった。
彼女が我が子に与えようとしているものは、この世で最も残虐な仕打ちでる。
しかし彼もまた、心のどこかでそれを望んでいるのである。
悪魔の囁きに、心にもない否定の言葉で自分だけは清くありたいと思う卑怯者に成り下がったと自覚したとたん、全身からじわりと汗がにじみだした。
バルトロは体の震えを抑えることができなかった。
「でも、あなたでは無理。
こんなに震えているんですもの。
だから、スペシャリストにお願いするのよ。その道のプロにね。」
夫の首に腕を回し、彼の耳にそっとキスした。
蜜色の瞳が怪しく輝き、バルトロを捉える。
彼はもう一言も反論できなかった。
いや、反論する意志さえ奪われていた、というべきか。
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例の事件から2日がたった日の朝のこと。
“長期の出張に息子を連れて行く”という趣旨の手紙を、シロの通う学校の学長へ宛てたのは、母、セリーナであった。
シロは学校に行かなくて良いことに加え、両親と一緒に旅ができることに浮かれているようだ。
「パパ、ママ、早く!夜になっちゃうよ!」
無邪気にはしゃぎながら、自分の荷物をまとめて馬車に積み込んでいる。
「そんなに急かさないで。」
いつもは使用人任せのセリーナが、珍しくシロの世話を焼く。
「さあ、旅は長いぞ。途中で帰りたいなんて泣き出すなよ。」
「大丈夫だよ!」
幸せそうにシロが笑った。
この旅の本当の目的も知らずに。
一家3人の乗った馬車と、護衛2名と商用の荷物を積んだもう1台の馬車は、一路ノクスという小さな町をめざした。
途中、空腹を訴えるシロが、いつものように両親に甘えたが、出発前とは一転、その反応は冷たいものだった。
少年はしかたなく、悲しげな悲鳴をあげるお腹をさすりながら我慢するしかなかった。
2台の馬車が目的地に到着したのは、夜半を過ぎたころだった。
町の中心から少し離れた場所に建つ粗末な宿を1件貸し切り、荷を下ろす。
馬車の中で眠ってしまったシロを父親が部屋まで運んだ。
折を見て、バルトロは宿を出る準備を始めた。
護衛は夜更けに1人で出歩くのは危険だと追従を申し出たが、バルトロはそれを許さなかった。
実はこのノクスという町は、商人たちの間で非常に評判が悪い。
要するに治安がすこぶる悪いのだ。
バルトロは着ていた上等な服を脱ぎ、近くの町で購入した質の悪い粗末な傭兵服をまとった。
黒いストールで顔を覆い、護身用のナイフを懐に忍ばせると、足早に宿の裏に回る。
雑草生い茂る藪に分け入り、持ってきた自社製のエレメントツールを地面に置く。
結晶体が大地のエレメント・エネルギーを吸収し、みるみる馬型ゴーレムに姿を変えた。
その馬を駆り、バルトロは急ぎ町の中心部を目指した。
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深夜の町はほとんどの店が戸を閉ざし、明かりもない。
馬を適当な路肩につなぎ、無法者がうろつく通りを”素行の悪いよそ者”を演じて歩いた。
道淵に路上生活者がうずくまっている。
生きているのか、死んでいるのか分からない者もいる。
粗悪なエレメントツールを売る怪しい路上販売者が声高らかに何かを叫び、あちらこちらで色っぽい売春婦が男たちに声をかけていた。
辻で喧嘩騒ぎを起こす酔っ払いの群れに巻き込まれないよう、バルトロは極力距離を置いて歩いた。
いつ危害を加えられるか分からない状況に、内心ビクビクしていたものの、彼もまた、アメリアほどでないにせよ、風を使うことができる。
最悪の事態には身を守るために戦う覚悟を決めていた。
しばらく道なりに歩いた先の路地裏に、頼りなく明滅する灯りをみつけた。
看板は出ているが、遠くからでは何の店かは分からない。
その戸口の前に数人の人影がたむろしているのが見て取れる。
バルトロは躊躇したものの、意を決して暗い路地に足を踏み入れた。
近くまで来て、ようやくそれが酒場であることが分かった。
大概の場合、こうした場所はタチの悪いギルドとなっている。
店からは、男たちの下品な笑い声が漏れ聞こえてきた。
ネジの外れかけた薄い扉を押し開け、人をかき分けながら奥へ進んだ。
酒場の最奥には2階へと続く階段があり、その脇には外国製の旧式武器がズラリと並んだカウンターがある。
その奥では、肌も露わな衣装の女が、微笑みながら酒を客に提供している。
宿屋の主人から事前に得た情報によれば、金の入った小袋を3回振るのがこの町流の”求人”の合図であるという。
さっそく試してみると、女がカウンターから出てきて、バルトロの腰に手を回し、艶っぽく体を揺すりながら言った。
「何の仕事?」
すかさずバルトロは女の耳元に囁く。
「殺人。腕の立つのを探してる。
痕跡を残さず仕事を遂行し、取引についても口の堅いヤツ。」
「へえ。あんた、よそ者だね。
まあ、たいがいそんな依頼をしてくるのは、よそ者さ。」
女はクックと笑ってバルトロの瞳を覗き込んだ。
「まあ、ターゲットによるね。
何にせよ、高くつくよ?」
女の安っぽい香水が不愉快なほど香る。
「金はある。」
バルトロは淡々と答えた。
「ふぅん。で、どんな虫を退治してほしいんだい?ダーリン」
女が髪を撫でるのを嫌がって、バルトロは少し上半身をのけぞらせた。
「メルカン家の一人息子。」
女は目付きが変わった。
しばらくバルトロを観察するようにジロジロ見たあと、これまでと一転、真剣な口調で話し始めた。
「あんた正気かい?
無理な依頼をするじゃないか。
あれがどういう家か知ってるのかい?
お城並みに警備は厳しい。それに…」
「それに?」
「あの家には風使いが2人いる。当主と娘さ。
命がいくつあっても足りゃしないよ。」
女はバルトロを見据え、
「きっと父親は子供を全力で守ろうとする。
アタシはまだ死にたくないんでね。悪いけど、他を当たっておくれよ。」
そう言って、それまで密着していた男の肩をトンと突いた。
バルトロは無言で女の露わになった胸の谷間に“口止め料”として銅貨を1枚ねじ込んだ。
銅貨を胸元からつまみだした女は、しげしげとそれを眺め、
「ケチ臭いね。ヤダヤダ、貧乏人って。」
そう言って高笑いをしながら、丸い尻を揺らしてツカツカとカウンターの奥へ戻って行った。
―きっと父親は子供を全力で守ろうとするー
その父親は今、最愛の息子の命を奪うための交渉に来ている。
バルトロは酒場内を見回したが、先ほどの女との会話を盗み聞きしていたであろう連中は、みな目を合わせようとしなかった。
計画は頓挫した。
帰って妻にどう説明するべきか…。
酒場を後にしようとしたとき、一人の小柄な男が話しかけてきた。
「ずいぶんと危ない仕事を依頼してるじゃないか、お兄さん。」
その包帯だらけの姿は、まるで幽霊船の船乗りのようだ。
男がさらに一歩近づき、酒臭い息がかかる。
バルトロは怪しい男の冷やかしを無視しようと努めた。
「おっと、待ちなよ。
それを請け負えるヤツを知ってる。
だが、その前に…。」
小男は手を差し出した。
バルトロは藁をも掴む思いで、3枚の銀貨を男に渡した。
男はニヤリと笑う。
「ちょっと外の空気でも吸いましょうか、ダンナ。」
小男はバルトロをひと気の無い廃墟街の路地へと導いた。
「今から言う話は真実だ。
信じるかどうかはアンタしだいだけどね。」
もったいぶるように言葉を付け加えたのち、小声で話し始めた。
「その男に不可能はない。恐れるものがないのさ。
リコリス州でマフィアをぶっ潰したという話がある。
外国で化け物を倒したって話もある。」
「それはただの噂では?」
バルトロは怪訝そうに尋ねた。
小男は立ち止まると、懐から1枚のボロボロになった黒い布切れを取り出した。
「これが何か分かるかい?」
バルトロはそれを手に取り、ベルトに付いたライトで照らして凝視した。
布切れには白い字でT、D、Cの3文字と、鎌のマークが交差した模様が描かれている。
「これは?」
と尋ねるバルトロの手から布切れをひったくると、小男はさらに声を殺して続けた。
「これはトレディシム修道会のエンブレムさ。
表向きはただの宗教団体だが、裏の顔は危ない秘密結社でね。
恐ろしく腕の立つヤカラがゴロゴロいる集団だ。
奴らは自分の目的のためなら人殺しなんて平気でやってのける。
それが世界中に支部を持ってるんだから、恐ろしい話じゃないか。
そんな連中の拠点がアルファゼマ州にあった。
ほれ、いつだったか、アルファゼマの古城襲撃のニュースは知ってるだろう?
憲兵はテロリストの仕業として処理したようだが、事実は違う。
あの男が壊滅させたのさ。
何百人ものスゴ腕を相手に、たった1人でね。
この紋章は、その城で全てを見ていたコソ泥が指揮官の死体から剥ぎ取ってきたのさ。
こいつぁいずれ価値が出ると思ってね、俺が食い物と交換してやったんだ。」
作り話にしては筋が通りすぎている。
バルトロはこの話を信じざるを得なかった。
小男は大事そうにその布切れを懐にしまい、こう言った。
「この通りをまっすぐ南に下ったところに、きたねぇ宿屋がある。
おおかたゴロツキ共の定宿となってるが、その男はそこにいる。
会いたきゃ1人で行きな。
13号室に奴はいる。」
「その男の名は?」
「さあね。
俺らの間じゃ”静寂の死”って呼ばれてる。
忍び寄る死神だよ。
音もなく背後に現れ、命を刈る。そしてまた煙のように消えるのさ。」
ウヒヒと気味の悪い笑い声をあげ、小男は立ち去ろうとして、振り返った。
「ダンナ、もう1つだけ。
俺はアンタから何も聞いちゃいない。
アンタも俺から何も聞かなかった。いいね?」
そう念押しをして男は去って行った。
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バルトロはXIIIのプレートがかかる扉の前に立っていた。
冷たいドアノブに手をかける。
背中に汗が幾筋も流れるのを感じた。
この扉を開けば、全て片付く。
悩みも災いも消えてなくなる。
そのはずなのに、手首は岩になったかのように動くことを拒んでいる。
いや、彼の良心がブレーキをかけていたのだろう。
シロの笑顔が脳裏に浮かび、他愛のない会話が蘇る。
バルトロは自問した。
―引き下がるなら今だ―
しかし、闇に呑まれかけた彼の魂が答える。
―引き下がれば家族全員、あの世行きだ。
かつてお前の先祖がそうであったように。
妻と娘は炎に焼かれ、哀れな黒焦げの死体を晒すだろう。
墓は築かれず、家名は獣の屎尿にまみれ、財産は奪われ、使用人たちはお前たちの骸に唾を吐きかけ笑うだろう。―
バルトロは視線を手元から、扉に打ち付けられたXIIIのプレートに移した。
「シロ…、これがお前を救う唯一の方法なんだよ…。」
男の頬が歪み、焦点を失った瞳がXIIIの文字を幾重にも重ねて見せた。
バルトロは正気を失いかけていた。
1人の男の中に住む”父親”と”狂人”が、彼の精神を、そして魂を支配しようと争っている。
第4話 おわり
書きました。アブサロン
イラストはこちら ペイやん
おまけイラスト
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