出発点
皆さんこんにちは、ようこそ。小説の新章をご紹介します。この章を気に入ってもらえるといいのですが。
第3話
早朝、館を出発したアメリアを乗せた馬車が、ヴェントゥム・シティに到着したころには、くれなずむ空に半月がうっすらとかかり、都へと続く大路には灯りがともりはじめていた。
馬車は、都市全体を取り囲む堅牢な城壁に穿たれた重厚なアーチをくぐり、検問所に到着する。
ここでは多くの衛兵が、外から訪れた人々の検閲を行っている。
御者が主人からの書状を提示すると、衛兵たちは馬車の中のアメリアに敬意をしめし、木戸が開かれた。
同時にこの都市の様子が明らかになり、アメリアは思わず息を呑んだ。
大通りの両脇には活気ある商店や宿が立ち並び、それらの建物から漏れるオレンジ色の灯りが道を照らし、夜にも関わらず、多くの人々が通りを行きかっている。
張り巡らされた水路をまたぐように、いくつものアーチ型の橋がかけられ、その下をライトアップされた小舟がくぐっていく。
噂に高い“夜を知らぬ街”の名に違わぬ光景に、アメリアは胸躍らせた。
そして何より彼女の心を捕らえたのが、王都の中心、小高い丘にそびえる巨大な建築群だった。
大きな丸窓のステンドグラスは大聖堂のものだろう。
高い石垣に囲まれている施設がきっとアカデミーにちがいない。
そして、その中心に4つの尖塔を従えそびえる城。
最頂部には、槍を交え向かい合う騎士と中央に十字をあしらった王国旗が誇らしげに翻っていた。
―あれが王家ベイヤードの居城…―
アメリアは感動を抑えきれずにいた。
景観の素晴らしさもさることながら、幼い頃から慣れ親しんだ物語に登場する女性騎士ロタリアや、竜騎士セルソといった、伝説上の人物を輩出したとされる街に、今、身を置いていることに。
そして彼らと同じ道を自分が歩もうとしていることに。
城壁に囲まれた王都は、城や国家施設の集中する”センターカーネル”、上流者階級の居住地区の”ハイランド・エリア”、世界でも名だたる企業やその寮が建ち並ぶ”リバーサイド・ミドル”、中流階級以下の居住域の”ローランド・エリア”という4つの区域に分かれている。
馬車は街を南北に流れるフルジェール川を越え、閑静なハイランド・エリアの最端ブロックで止まった。
御者にエスコートされ、降り立ったアメリアの目の前には、大きな鉄の門と、その奥に年季の入った4階建ての大きな赤いレンガ造りの建物が数棟。
「ここがアカデミーの寮ね」
アメリアは誰に言うでもなくつぶやいた。
「はい。こちらの建物は女性士官候補生専用の寮となっております。
お嬢様のお部屋は4階で、家具類は備え付けのものをご利用くださいとのことでした。
女性ではない私は中に入ることを許されませんから、お手持ちのお荷物はすぐにでも、この街の女性を雇って運び込ませましょう。」
生真面目な御者の言葉にアメリアは目を丸くした。
そして愉快そうに笑い、
「これくらい私でも運べるわ。」
と、2つの大きなトランクの持ち手を握った。
「しかし…」
「お父さまに叱られる?
安心して。父はここにいないし、私は力持ち!」
「あの…でも…」
「私はもう”お嬢様”じゃないのよ。
これから騎士を目指そうっていうのに、これくらいの荷物が運べないものですか。
さあ、あなたはもう下がりなさい。」
優しく使用人の腕に触れ、労った。
御者は困惑したが、アメリアの性格を熟知しているがゆえに、それ以上抗うことは控えた。
代わりに、「これをお持ちください。」と、四角い水色のクリスタルがはめ込まれた手のひらサイズの通信機を差し出した。
「御用があれば、いつでもお呼びください。
私は川向こうのメルカン社の寮に滞在しておりますから。
ただし通信可能領域は…」
「ええ、分かってるわ。あまり遠くからは無理って言いたいんでしょう?
せいぜいこの街の中くらいよね。
大丈夫。私だってメルカン家の一員よ。
機械の基本的なことくらいなら知っています。
心配しないで。遠くには行かないわ。
さ、あなたはもう戻りなさい。
長い時間ご苦労様。ゆっくり休んでね。」
アメリアはニッコリ微笑んだ。
そして通信機をポケットに入れると、両手に1つずつトランクを携え、寮の重厚な門をくぐった。
以前トレーナーからアカデミーの寮の話を聞いたことがあった。
戦地で負傷し、騎士団を除隊したのちにプライベート・トレーナーへ転身した彼女もまた、寮での生活経験者だったという。
彼女によれば、寮は1ブロックを占有するほど大きな敷地で、中央に食堂を挟んで男性寮が4棟、女性寮が4棟あり、いずれも4階建て。
それぞれ各階に7の個室が存在しているという。
部屋はおどろくほど質素な造りで飾り気もなく、寮生は2名で1室をシェアするのだそうだ。
アメリアは初めて会うルームメイトと、うまくやっていけるか内心緊張しながら、割り当てられた部屋の前までやってきた。
深呼吸を1つして、笑顔を作り扉を開く。
室内は暗く、しんと静まり返っていた。
灯りを付けると、室内は淡いピンクを基調とした可愛らしい小花柄の壁紙に覆われ、クリスタル製の小さなシャンデリアがぶら下がっている。
壁に開かれた開口からは、同じ壁紙で統一された2つ向こうの部屋まで見え、バルコニーに面した大きな窓には厚手のサーモンピンクとレースの二重のカーテンがしつらわれている。
そして広い部屋の各所に場違いなほど質素なベッドや机、棚といった家具類が配置されていた。
明らかに最近改装されたことを思わせる新しい木材の匂いがほのかに漂う。
「お父様の仕業ね…。」
彼女の推理は正しかった。
実のところ、父、バルトロは、娘のプライバシーを尊重するため、学園での4年間の生活をハイランドにあるメルカン家の別荘で送らせるつもりだったが、アカデミーはこれを認めなかった。
王立騎士団士官育成アカデミーでは、毎年国内の16歳の成人した若者の中から、優秀なエレメンタル操者を厳選し、”特待生”として無試験で迎え入れるシステムがある。
アメリアはその該当者として選ばれた。
だが、いくら彼女が有能な人材といえど、アカデミーはメルカン側のエゴを黙って聞き入れるほど甘くなかった。
そこでバルトロが提示したものが、娘の使用する部屋の改装であった。
これについては、「多少手を加えるだけならば」という条件で妥協案が成立したというが、まさか、アメリアのために隣接する部屋の壁をぶち抜いてしまうことを、アカデミー側は想定していなかったようだ。
この事案に関して、メルカン側が相当の慰謝料を支払ったことは言うまでもない。
なお、特待生の件同様、この件についても両親から娘への報告相談は一切なかったようだ。
両親の独断行為とはいえ、アメリアは今後アカデミーの職員や他の寮生にどのような目で見られるかを想像しただけで、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
しかし悩んだところで、状況が変わるわけでもなし。と、気分を変えるためにさっさと荷解きを済ませ、軽くシャワーを浴びて着替えをし、夜のとばりの下りたバルコニーへと出た。
冷たい夜風が濡れた髪を撫でる。
遠く川の対岸にきらめくバザールのほのかな灯りを見つめながら、シロは今頃どうしているだろうか、と深いため息をついた。
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城の長い廊下の窓から、冷たい満月の光が差し込んでいる。
そこを神妙な面持ちで足早に歩く男がいた。
オクタヴィオ・ベイヤード。大国ヴェントゥムの王子である。
実直で礼儀正しい人物として知られる彼は、金のゆるい巻き毛に縁どられた細面の輪郭と、切れ長の目が美しくもあるが、どこか冷たく神経質な印象を与える。
城から渡り廊下で繋がる北の尖塔は、かつて王家の軍事作戦室として機能していたが、平和な今の世でその役割を失い、現在は時折、王子と顧問団が内密な問題を話し合う場として利用されていた。
部屋には窓もなく、暖炉とテーブルに置かれた蝋燭の火だけが煌々と輝き、壁に掛けられた王家の軍章がかつて作戦室だった名残を示している。
円卓にはすでに5人の評議員が席についており、王子の到着を待っていた。
遅れて入室したオクタヴィオは暖炉を背にした椅子に腰かけ、背筋を正す。
「本日のこの会議の理由は、既知の通りであるが…。」
「王子、その前に…。
たいへん申し上げにくい話ではございますが、お父上様の健康状態は芳しくございません。というより、もはや一刻の猶予もない状況と存じます。
つまり、七宮の守護の時代が終わろうとしている…。」
顧問代表が重々しく口を開いた。
「私も父も、すでにその運命を受け入れている。」
顔の前で手を組み、じっと代表に視線を向け王子が答えた。
「城下では民衆がすでに噂しあっております。
王の病状の深刻さについて。
そして我々の王亡きあとのことを。
国民は恐れているのです。守護者を失うということを。」
代表の隣に座した参事官が顎ヒゲを撫でながら、伏し目がちに言った。
「私はすでに父から祝福を受けた。王になる準備は万全だ。
国と民を守るための覚悟もできている。」
「しかし…」
代表は重くかぶさる瞼の下の目を鈍く輝かせ、王子を見据えた。
「この国の法では、正当な王位継承者は、光の守護者の力を得たものでなければなりません。
だが、それはあなたではない。
後継者が現れるまでの間、一時的に王位を空白とし、国家の運営を我々に任せていただくのが良いかと。」
「一時的にだと?
これまで私は父の片腕として、この国を守ってきた実績がある。
たとえ守護者の印が私に現れなくとも、国を守れるのは私だ。
そもそも評議会に国を任せる理由がどこにある?
何にせよ、光の守護者の力を受け継ぐのは、我らベイヤードの血を持つ者である。
その可能性が最も高いのは、この私であると思うがね。」
立ち上がったオクタヴィオは、5人の顧問の顔を順に眺めながら、非常に高圧的に発言した。
しばらくの沈黙ののち、王子はイラつきを隠すように頭を垂れて両の手をテーブルに着き
「この話をすべきは今ではない。」
そう言って力なく椅子に腰かけた。
その様子を扉の隙間から除く小さな人影があった。
雪のように白い肌、豊かな金色の長い髪、大きな青い瞳がうるんでいる。
「姫様!?こんな夜分に、このようなところで何をなさっているのですか?」
巡回中の衛兵に声をかけられ、少女は身を強張らせる。
「ミルクを飲みに行こうと思ったの…。
あの…私…。」
「そのようなことなら、召使にお申し付けになればよいのに。
さあ、ここにいてはいけません。お部屋にお戻りください。」
衛兵は少女を部屋へとエスコートするためのメイドを呼ぼうと、通信機を取り出した。
「ねえ、お願い、ナナを呼んでちょうだい。」
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部屋へ戻ってきた少女の傍らには、60歳を超えていると思われる女性が穏やかな微笑みを浮かべ座っていた。
ショートボブの白い紙の下で金のイヤリングが揺れている。
肩からかけられた黒いストールには美しい金糸の装飾が施され、この女が一介のメイドではないことは明らかだった。
「エリシア様、さ、温かいミルクですよ。」
カップを差し出された少女は、それを両手で受け取ると、コクコクと喉を鳴らして飲み干した。
そして満足げに、「ありがとう、ナナ。」と空になったカップを返すと、屈託ない笑顔を見せた。
ナナと呼ばれた女性は、少女が生まれたころからずっと彼女の側にいた。
“ナナ”という名が本名かどうかは分からないが、幼い姫君は物心がついたころからこう呼んでいる。
「姫様、どうしてあのようなところにいたのでしょう?」
カップを脇のテーブルの上に置くと、少女をベッドに寝かせ、ナナが優しく尋ねた。
「お父さまが歩いているのを見たの。
いつもは入らないお部屋に入っていったから、きっとなにか素敵なものがあるんじゃないかって思ったのよ。
でも違ってた。」
少女は不安げにライオンのぬいぐるみを抱きしめた。
「おじい様のご病気は重いの?死んじゃうの?」
その質問にナナは目を伏せ、小さな溜息をもらした。
相手が子供とは言え、いつまでも隠し通せるわけではないことを知っている老女は、エリシアの小さな手にそっと触れた。
「私の可愛い姫様、人というものは、永遠に元気でいられるわけではありません。
歳を重ねるにつれ、だんだんと体が弱くなっていきます。
そしていつしか長い長い休息を必要とするのです。
永遠なる安らかな休息。
それが自然の摂理なのです。」
「難しいことを言うのね。
それってつまり、もう私ともこの子とも遊べなくなるってことでしょう?」
エリシアは悲しそうに、ぬいぐるみとナナの顔を交互に眺めた。
「…そうです。」
ナナの声は聞き取れないほど小さくかすれていた。
「ねえ、ナナ。
眠る前におじい様に会いたい。」
真っ直ぐ見つめ返すエリシアの青い瞳にナナは一瞬躊躇したが、イスクロ王にはあまり時間がないという事実を知っていた彼女は、少女の願いを聞き入れることにした。
「分かりました。
でも、少しの時間だけですよ。」
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イスクロ王はかつて一騎当千と謳われた騎士であり、若き時代にオリジン・エレメントより祝福を得た第七宮の守護者、光のパラディンであった。
武勇の誉のみでなく、彼には生まれながらにしてのカリスマ性が備わっていた。
穏やかで偉大な王を国民は深く敬愛し、王もまた民を慈しんだ。
およそ20年ほど前、国内最後の反乱を鎮めるために戦い、肺に達する大きな傷を負った彼は、その傷が元で彼は体を起こすことすらままならぬ身となった。
現在は、骨と皮だけの瘦せこけた体に、髪は全て抜け落ちて白く長いヒゲを蓄えるという姿で、とうてい63歳には見えないほど老け込んでいた。
鼻からは酸素を送るチューブが挿管され、片肺を失った王の呼吸を助けている。
24時間、微細な人体の電気信号を感知する特殊な植物が彼のバイオリズムを読み取り、その情報を城内の医師団が常にモニタリングしていた。
王の寝室の前には2人の近衛兵が常駐しており、入室は王子と医師のみに許されていた。
エリシアの手を引いたナナが、近衛兵に何か小声で短く要件を伝えると、青いコートに身を包んだ兵士たちは深々と一礼をして「どうぞお入りください。ただし手短に。」と答えた。
ナナは膝をついてエリシアに向き合い、
「私はお部屋には入れません。ここでお待ちしております。」
囁くナナの言葉に、無言でうなずくエリシア。
その様子を目視した近衛兵が、緻密な彫刻が一面に施された重厚なマホガニーの扉をわずかに押し開いた。
ほんの一瞬、廊下の微かな光が暗い室内に差し込む。
その灯りを頼りにエリシアはパタパタと小さな足音を立てて祖父のベッドの脇へ駆け寄った。
「…誰かおるのか?」
しわがれた声とともに、深く刻まれたシワの中にうっすらと王の目が開かれた。
「私よ、おじい様。エリシアよ。」
広いベッドの隅に片膝を乗せ、エリシアは祖父のしわだらけの腕に触れた。
「…おお…エリシア…。私に光を与えてくれる、愛しい孫娘…」
王は顔だけをエリシアに向け、苦しい息の下で優しい微笑みを見せた。
「おじい様、ご気分はどう?」
「ああ…とても良いよ。お前がこうして…訪ねてきてくれたからね…。
今なら…フルジェール川を泳いで渡れそうだよ…。」
フフっと笑い、少女を安心させようと努めたが浅い咳が止まらない。
「もうお休みしたいの?」
エリシアは無邪気に尋ねた。
「そうだね…。だがその前に…」
老王は、わずかに残された気力を振り絞って体を起こし、エリシアを手招きした。
そして自身の首に光る金のペンダントを外すと、それを孫娘にそっと手渡した。
ペンダントトップは、金の太陽を模した造形で、光のエレメントクリスタルが1つはめ込まれている。
「さあ…、今日からこれはお前のものだよ…。」
弱々しくも、穏やかな低い声は、扉のすぐ外にいたナナの耳にも聞こえた。
王の言葉の意味することを悟ったナナの頬を涙が伝う。
彼女は声を押し殺してむせび泣いた。
「とてもきれいね。おじい様、ありがとう。」
少女は目を細めた。
その様子を満足げに眺め、老王は感慨深げに2、3度うなずいたのち、再びベッドに伏した。
「これをお前に託すまで…、私は安心して休むことができないと…思っていたのだよ。」
ペンダントをつけた孫娘を見つめる王の表情は安らかだった。
やがて疲れ果てたように瞼を閉じ、痰の絡んだ浅い寝息を立て始めた。
王の言葉の深い意味など理解できるはずもない幼い少女は、
「おやすみなさい。おじい様。」
と、祖父の額に感謝の気持ちを込めた優しいキスをし、暗い部屋を後にした。
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木々は葉を落とし、山々の頂に雪積もる冬。
評議会は国内外に向け、やがて来る王位継承について言及する発表を行った。
王の正式な後継者としてオクタヴィオを指名したのだ。
ただしこれは、イスクロの死後に施行され、新たな光の守護者が現れるまでの一時的措置であることも付加した。
すでに老王の深刻な病状については国民の周知するところであり、病床の王に代わって、国の政治を動かしているのはオクタヴィオ王子であることは、国民の誰もが周知している事実である。
ゆえに大きな混乱が起こることはなかったが、“正式な後継者”に対する世論はやや冷ややかなものであった。
やはり、”守護者の称号無き王位継承”に不安と反感を覚えるのだろう。
もちろん、この国民感情をオクタヴィオはじゅうぶんに感知していた。
彼は真の後継者の印が自身に現れることを信じて疑わなかったが、それ以上に、彼は自らの一国の統率者としての手腕を自負していた。
「父に代わって国を治めるのは、この私以外にはない。」
自信家の彼にとって、評議会の決定は、彼らと王子の間に微妙なわだかまりを残す結果となったことは言うまでもない。
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木枯らしが吹く王宮の南庭園では、アカデミーの今季入学生が整列していた。
彼らは入団式のため、ここに召集されていた。
低緯度に位置するヴェントゥム・シティは、冬がさほど厳しくはない。
ちなみに、世界の気候は各地に散在するエレメントの鉱脈により、大きく干渉を受ける。
すなわち、例え極地であっても、火の巨大エレメント鉱脈が存在すれば、温暖な気候となりうる。
ヴェントゥム・シティの数千キロ北、赤道から約2000キロの距離に位置しているが、火王朝帝国との国境の州、チャマエメルムの山岳地帯に巨大なエレメント鉱脈が横たわっているため、年間を通して気温の変動は少ない。
平均気温も18℃ほどと過ごしやすいが、やはり冬は寒い。
冬季に5℃を下回ることは稀ではあるが、それでも長時間戸外にいれば、手先はかじかむ。
厳寒の地域出身であれば何の苦も感じないだろうが、アメリアには少々堪えた。
ヴェントゥムの騎士団は海軍騎士団、衛兵騎士団、騎馬騎士団というふうに、いくつかの隊に分かれており、アカデミーを卒業すれば、みな、いずれかに配属されていく。
騎士団は1人の総長のもとに形成されており、騎士長、参事首席、次席参事…と続くピラミッド型の組織である。
アカデミー生は、士官としての道を、そして更なる高みを目指し切磋琢磨することとなる。
この年、アカデミーへの狭き門をくぐったのは総勢97名。
例年に比べ、やや少ない。
首席と特待生の2名を先頭に組まれた隊列で、背後に同期の学生の気配を感じ取りながら、アメリアは凍える手を握りしめていた。
間もなく壇上にすらりとした壮年の男性が現れた。
これまで映像でしか見ることはなかったが、一目でオクタヴィオ王子だと分かり、その場の空気が俄かに張り詰めた。
「まず、この場に立つ君たちに賛辞を贈りたい。」
王子は高みから居並ぶ若者を見渡し、堂々とした声を発した。
古来より、入隊式での演説を行うのは、騎士団を統べる王の役割であるが、現王イスクロは病身ゆえに、今は“王の代行”であるオクタヴィオ王子がその役を担っているのである。
「我々は間もなく、大きな変革を目撃するだろう。
光の守護者が失われ、それに伴い、あってはならぬことだが、我が国の安全が脅かされるやもしれない。
君たち騎士団は、我ら王国の剣であり盾である。
騎士道精神に則って、人々を守り、しかるべきときには勇敢に戦ってくれると信じている。
我らの神は君たちに勇気と不動の忠義を授けられた。
恐れるなかれ。屈するなかれ。
神は常に君たちと共にある!」
短い演説ではあったが、その威風堂々たる様子に一同は奮起させられた。
そして一斉に空に手を伸べ
「光の加護有れ!」
力強く声を上げた。
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アカデミーに移動した新入生たちが大正門をくぐってまず目にしたのは、校舎前の広場に建つ巨大な聖騎士ロタリア像だった。
左手に槍旗を持ち、右手を空に差し伸べた像は、台座部分を合わせて約15メートルほどの高さがある。
空を見上げるその表情は読み取れないが、プライドに満ちた立ち姿に、若者たちは深い感銘を受けた。
メインエントランスから校舎に入ると、左右二手に大きな階段が2階回廊に向かって配置され、その間にもロタリアを描いた巨大な油絵がかかっている。
ホールを行きかう、黒の上下に後裾の長いコバルトブルーの上着を着た在学士官候補生たちの姿は、ロタリアと同じく、皆、自信に満ち溢れていた。
講堂に集められた新入生は、そこでアカデミー総裁でもある総長から、学園での規則や、今後のスケジュールについての説明を受け、解散となった。
明日からは厳しい訓練が始まる。
しかしアメリアは、今のこの自由時間を楽しむことに専念しようと努め、アカデミー内のカフェテリアを探した。
ちなみに学園内には一切のマップが存在しない。
これは万が一起こりうるかもしれない情報窃盗やテロリストに対する保安対策であるのだが、新入生にとっては厄介でしかない。
アメリアは、広い学園内をあちこち歩きまわって、ようやく目的のカフェテリアを見つけ出し、ホッと安堵の溜息をついた。
周りには同じく迷い迷ってたどり着いたと思われる新入生たちの姿があり、みな一様に慣れない環境でそわそわと落ち着かない様子だった。
香りの良い紅茶は、心を落ち着かせる。
逆光の窓際でティーカップに口を付けるアメリアの所作は優雅である。
気が付けば数人の男子アカデミー生に囲まれて、質問責めに遭っていた。
これまでメルカン家に関わる人としか接する機会のなかったアメリアは、この状況にひどく困惑していた。
すると、オロオロする彼女のもとに、1人の女性が近づいてきて声をかけた。
「あ!見つけた。あなた、アメリア・メルカンね?」
黒い肌にプラチナブロンドのポニーテール、耳にはたくさんのピアスが付けられたその女性は、アメリアと同じ士官候補生の制服を身にまとってはいるが、非常に気さく、…というより軽い。
「ご両親からのメッセージが届いているみたいよ。
あとで総裁室に来なさいって。ハイ、これ地図。」
2つ折りにしたマップをアメリアに渡すと、ウインク1つ残してその場から消えた。
「ありがとう…ございます。」
アメリアは呆気にとられた表情で、しばらく女性が消えた先を見つめていた。
そして弾かれるように席を立つと、人込みをかき分け、先ほどの女性を追って中庭に面した回廊に出た。
人気のない回廊を真っ直ぐ歩いていく女性に追いつき、
「ありがとうございました。お礼が遅れて…」
「入学早々、たいへんな目に合ってたわね?大丈夫だった?」
女性は愉快そうにカラカラと笑った。
「ええ…。本当にどうしたらいいものか分からなくて…。
私、あの…なんというか、人付き合いが苦手で…。」
アメリアは恥ずかしそうにうつむいた。
「フフ、そうだと思った。」
不思議な魅力を放つ愛らしい笑顔でアメリアに向き直ると、女性が右手を差し出す。
「アタシ、アナ。2年生よ。」
握手をした手は温かかった。
新生活で初めて出会った心の拠り所に、アメリアは大きな安心感を得た。
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つかの間の昼寝から目覚めたエリシアは、ライオンのぬいぐるみを抱きしめて泣いた。
「どうなさったの?姫様」
ロッキングチェアで編み物をしていたナナが、慌てて駆け寄る。
「…怖い夢を見たの。」
「可愛い私の姫様、怖い夢は人に話すと呪いが消えるそうですよ。
さ、どのような悪夢だったか、私に聞かせてくださいな。」
ナナが優しく抱きしめると、少女はポツリポツリと思い出すように語り始めた。
「私、広い草原にいたの。
そしたら、金髪で背の高い女の人が私に近づいてきた。
その女の人の顔は見えなかったけど、私の髪に手を触れて、”かわいい子ね。一生懸命に努力しなさい。”…そう言ったのよ。
背筋が寒くなって、その人から離れようとしたわ。
そしたら急にどこからともなく、たくさんの人の叫び声が聞こえてきて…。
そこで目が覚めたの。」
ナナはその話を聞きながら、ふと不安がよぎった。
「姫様、その女の人のことを、もっと知りたいわ。」
憂いを少女に悟られぬよう、わざと明るく問うた。
「知らない女の人…。
奇妙な鎧のようなものを身に着けていた。
あの人は…」
「失礼いたします!ご無礼と承知しておりますが、火急の用件でございます!」
メイドがノックもなしに飛び込んできた。
「どうしたのですか?」
と、近づいたナナにメイドは何かを小声で伝えると、慌ただしく去っていった。
立ち尽くすナナの様子は、幼いエリシアにも”何か良くない事が起きた”と分かった。
「…ナナ?」
近づいてきたエリシアをナナは強く抱きしめた。
「可愛い私の姫様…。
王が…おじい様が、安息の地に赴かれました。」
訃報はこの日のうちに王国全土に伝えられた。
大国を守り続けた光の守護者は、63年の人生に幕を下ろし、ようやく永遠の安らぎを得た。
国民に愛され、善政を敷き、国と民のために命を削った彼の姿は、いつまでも民の心の中に存在し続けるだろう。
日が地平線に沈もうとしていた。
城から一閃の光が立ち昇り、空へ消えた。
それを追うように12の光が旋回し昇天する光景を、多くの人々が目撃し、その誰もが、
「地上で最後のパラディンが天に返り、新しい守護者のサイクルが始まろうとしている。」そう思った。
第3話 おわり
書きました。アブサロン
イラストはこちら ペイやん
おまけイラスト
この章を読んでいただき、ありがとうございました。来週はチャプター4でお会いしましょう