表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/21

騎士と竜の戦い

挿絵(By みてみん)


第20話


新月の夜。

無法者の首領、ダイチ兄弟の兄カイとその手下は、薄暗い森の中で、火も焚かず身を潜めている。

時折、顔にとまる蚊を叩きながら、じっと暗闇に目を光らせていた。

村からは数キロの距離。

ここに身を潜めて、もう2日。

蒸し暑さと、蚊の不快な羽音に悩まされ、手下たちは不満をもらしはじめた。

「親方、いつまでここで、こうしてるつもりです?」

この状況に辟易(へきえき)しているのはカイとて同じ。

だが、あの村には、例の化け物じみた風使いがいる。

「黙れ!機を待つんだよ、バカタレども。」

「機…たってよ、親方、それ、いつになるんです?」

「俺が知るか!そんなもん。」

ヒゲもじゃの頭領は、苛立ちまぎれに、酒をあおった。


その頃、ナルミはペンダントの一件が母親にバレないか、ひやひやしていた。

探しに行きたくても厳戒態勢にある今、村の外に出ることは固く禁止されている。

彼女はただ、どうか母に知られませんように、と祈るしかなかった。

そんな少女を遠くで見守っていたのは、村の少年、ケンゾウ。

かつてエイシオとひと悶着あった、あの少年だ。

彼は、密かにナルミを想っている。

だからこそ、エイシオよりも先に手柄を立てたかった。


その夜遅く、少年は暗闇に紛れて、こっそりと村の柵を超えた。

桜の墓所の手前の森、少女がペンダントを落とした辺りは、村の子供たちにとっては通いなれた庭同然の場所。

月の無い暗闇でも、迷うことはない。

火口で火を点け、近くの枝と枯草で、即席の松明を作り、ケンゾウは地面に目を凝らした。

結晶石でできたペンダントなら、灯りに反射するはずだ。

青臭い雑草の匂いが、地面を這いつくばる少年の鼻をつく。

わずかな(きら)めきが草むらの中に見えた。

「あった…!」

少年が手を伸ばす。


しかし、それを掴む前に、少年の体が(ちゅう)に浮かんだ。

「え!?」

彼が目にしたのは、ヒゲもじゃのむさくるしい男の顔。

「見ぃつけた~。」

酒臭い息が少年の顔にかかった。



-------------------------------------------------------------------------------------


ダイチ一党の隠れ家は、村からかなり離れた、奇岩そびえる平野の外れにあった。

およそ(とお)の昔に打ち捨てられたであろう、今は元の主さえ分からない、半ば崩れかかった石造りの館である。

その板の間に腕組みをして目を閉じ、微動だにせず座るイッキの前で、カイリは(ひたい)から垂れる冷や汗を拭っていた。

「クソ…、兄貴、何してんだよ…。」

顔面は蒼白で、ただ目だけがオロオロと泳いでいる。

そこへ、騒々しく駆け込んでくる一団。

「取っ捕まえたぜ!」

カイの声だ。

「お…遅かったじゃねぇか…。

てっきりフローリアンに()られたのかと思って、ヒヤヒヤしたぜ。」

“フローリアン”という言葉にイッキが目を開ける。

「ダンナ、例のガキを連れて来てやったぜ。

さ、報酬をよこしてもらおうか。」

子供を抱えたカイが、意気揚々と、カイリの隣に腰を下ろした。

イッキは、刺し貫くような視線をチラとカイに向け、

「本物か(いな)かを確認してからだ。」

と、地を這う低く威圧的な声で賊どもを牽制した。

そして立ち上がり、怯えて震える少年の腕を乱暴につかみ上げると、その体に現れているはずの“守護者”の印を探した。

が、当然見つかるはずもない。

イッキは無言で立ち上がり、ヘラヘラ笑う兄弟へ視線を向けた。

「…どういうことだ?」

「へ?」

その言葉の意味を理解しかねたカイが、間抜けな声をあげた。

「この少年は、私が探している子供ではない。」

イッキが兄弟に歩み寄る。

慌てて立ち上がるカイとカイリだったが、身の丈2メートル近い屈強な猛者に見下ろされ、とたんに委縮しはじめた。

へへ…と、薄ら笑うカイの(あご)から汗が滴り落ちる。

「いや…、ですがダンナ、黒髪の少年ですよ。

カイリが見たのも、黒髪の少年。

緑の印が光ってたって言うんだから、もっとちゃんと探したら、こいつにも光る模様があるはずですって。

なあ、そうだろ?カイリ!」

弟を睨みつける。

「た…確かに俺は見たが…、こいつかどうかまでは…。

兄貴が…、兄貴が悪いんだぜ。

印があるか確認もせずに、こんなガキを捕まえてきて…。

とんだウスノロだよ。

ね…ねえ…、ダンナ?」

「なんだと!?おいカイリ、お前っ…」

ののしり合う兄弟を静観していたイッキの腕に赤いサーキットが浮かび上がる。

「愚かな虫けらども…。

お前たちは私を愚弄し、トレディシムを軽んじた。

あまつさえ、我らが導き主の名を汚したのだ。」

恐ろしいまでの気迫に兄弟は血の気が引いた。

しかし、窮鼠(きゅうそ)は猫を噛む。

カイが手で合図を送ると、館の奥から姿を現した無頼者がイッキを取り囲んだ。

「…フン、ダンナ、偉そうにしてるが、あんた、自分の置かれた状況を見てみな。

これだけの人数を相手に、勝てると思ってんのかい?

おい、お前ら、()っちまえ!」

数十人の手下どもが刀を手にし、一斉に襲いかかる。

刹那、イッキの腕から閃光が放たれ、波動音で窓ガラスが粉砕した。

ダイチたちには声を上げるヒマもなかった。

イッキの腕から放たれた紅蓮の炎蛇(えんじゃ)が、一瞬にして賊どもを飲み込み、全員を灰に変えた。

ただ1人生かされた少年は、目の前の地獄の光景に声も出ないほど怯えている。

腰が抜けた少年の股から腿へと生暖かいものが広がった。


イッキはケンゾウの前へ歩み寄ると、涙と鼻水を流す少年を無理やり立ち上がらせ、

「さあ、少年よ。逃げろ。走れ。

村へ帰り、この惨状を語るがいい。」

低く響く声がゴウゴウと渦巻く炎の音と共鳴していた。


男は少年を投げ捨てるように解放した。


挿絵(By みてみん)


何度も転びながら、夜の闇の中へ消えていく少年の後ろ姿を見やりながら、イッキは不遜な笑みをたたえていた。


-------------------------------------------------------------------------------------


村では、ケンゾウの母親が狂ったように息子の名を叫びながら彷徨っていた。

見回りから戻ってきたフローリアンは、アイコからの報告で、少年が消息を絶ったことを知りった。

(はか)らずも今しがた、村の外の森の中に大勢の足跡を見つけたところだ。

悪い予感しかしない。

「ダイチ一党で間違いないだろうな。」

そうつぶやくフローリアンを、村人たちは(すが)る思いで見つめている。

誰もが、彼が子供を救ってくれると信じていた。

が、彼はある可能性を危惧していた。

「罠かもしれん。

俺を村から遠ざければ、ここは完全に手薄になる。

もしそうだとしたら…。」

緊急事態だからこそ、あらゆる事態を想定しなければならない。

しばらく思案していたが、ふいにアイコに向き合い、その双肩にそっと手を触れ、

「馬術と剣術、両方の心得があるのは、俺以外、君だけだ。

これは大きな賭けかもしれない。

だが、今、この大任を任せられるのは、アイコ、君だけだ。」

と告げる。

彼の言わんとすることを理解したアイコは、大きくうなずいて見せた。

フローリアンから託された銀の剣を携え、さっそうと馬の背にまたがると、その横腹を勇ましく蹴って夜のとばりが降りる森へと向かった。

 

 子供の足では、そう遠くまで行ってはいないだろう。

そう考えたアイコは、彼らが行きそうな場所を中心にあちこち探し回ったが、まだケンゾウを見つけだせずにいた。

「…いったいどこへ…。

 お願い、無事でいてちょうだい…。」

 祈る気持ちで手綱を引き、馬の向きを変える。

 空に瞬く星の位置からして、もう夜明けまで数時間といったところだろうか。

森へと続く小路に差しかかったとき。

村からそう遠くはない場所。

その草むらにうずくまる影を見つけて、アイコは馬から飛び降りた。

胎児のように身を丸め、大きく見開かれた目は焦点を失い、歯の根が合わないほど震えている。

「ケンゾウ!?」

その体を抱き起す。

少年は恐怖に怯えて体を強張らせた。

固く握りしめた手は真っ白に変色し、自身のツメで傷ついたのだろう、指の間から血が流れだしていた。

「私よ!アイコよ!

もう大丈夫、さあ、帰りましょう。」

ケンゾウの震える瞳がアイコを捕らえる。刹那、

「火が…、侍が…!

来る!…あいつが来る!!」

絶望と恐怖に取りつかれた悲鳴を上げ始めた。

アイコは、ただ抱きしめ、なだめ、彼が落ち着くのを待った。

やがて放心して動かなくなったケンゾウを抱きかかえ、村へと続く小路を急ぎ馬を駆り引き返した。


-------------------------------------------------------------------------------------


太陽はいつもと変わらず昇り、村を照らす。

窓から差し込んだ朝日が、ベッドの脇で眠るナルミを包む。

昨夜連れ帰ったケンゾウは、そのまま昏倒(こんとう)してしまった。

治療と養生のため、彼はアイコの家に引き取られた。

アイコは彼の汚れた服を着替えさせ、水を与え、汗をぬぐい、薬を飲ませた。

ナルミも付き添い、手伝った。

少年の体の震えが収まるまで手を握りつづけていたが、ナルミはいつの間にか眠ってしまっていたようだ。

「熱はだいぶ引いたようね。」

という母の声でナルミが目を覚ます。

「精神的にずいぶんダメージを受けたようね。

かわいそうなケンゾウ…。」

少年の頬をアイコが撫でる。

彼女は一晩中看護していたのだろう。

目の下に、うっすらとクマができている。

「薬を準備してくるわ。

ナルミ、あなたも無理はしないで。」

「うん。私は平気。」

ナルミはベッドで未だ朦朧(もうろう)としているケンゾウの手を取り、再び静かに見守った。

「ダ…ダイ…チ…」

「え?どうしたの、ケンゾウ?何?」

うわごとをつぶやく少年の口に耳を寄せる。

「トレ…トレディシ…ムの…、…が…、

守護…守護者…13の…」

薬を手に戻ってきたアイコは、その言葉に凍り付く。

「ナルミ、ケンゾウのそばにいて。

私、警鐘を鳴らしに行かなくちゃ…。」

顔を真っ青にして部屋を出ようとする母を、ナルミが引き止め尋ねる。

「どうしたの?ママ…。何があったの…?」

「守護者、13…。

この子、そう言ったわ…。

十三宮(じふそ)が関わっているかもしれないなんて…。

もしそうだとしたら…」

気丈な母の異常なまでの怯え方に、ナルミは言い知れない不安を覚えた。

「ママ、ジフソって?」

「十三(ぐう)のパラディンよ…。呪われた守護者…。」

「じゅうさんぐう…、

呪われた守護者…って…、まさか」

エイシオとの約束が頭をよぎる。

ナルミは慌てて母親の袖を掴んだ。

「待って、ママ!行かないで!

みんなには知らせないで!」

「どうしたの?離しなさい、ナルミ。

村にとって大事なことなの!

やめなさい!さっさと離して!」

思わずアイコの口調が強くなる。

それでもナルミは離さなかった。

「ダメ!

みんなに知らせたら、エイシオが殺されちゃう!」

アイコは娘の訴える意味が理解できずに、眉をひそめる。

「どういうこと?

あなた、…何か知ってるのね?」

母親の凍てつく視線に、ナルミはうろたえた。

しかし、このまま隠していてはエイシオに害が及ぶに違いない。

そう考えたナルミは、母に全てを話すしかなかった。

親友を守るために。

「エイシオが、十三(ぐう)…。」

「え?…今、なんて?」

アイコの表情が一瞬にして蒼白になる。

「エイシオが、十三(ぐう)なの。

私、見たの。

彼の手には守護者のシンボルがあった。

でも信じて!エイシオは悪い人じゃない!

だからお願い…。

誰にも知らせないで…。」

ポロポロ涙をこぼす娘の顔を見つめるアイコ。

その脳裏に、母、シサの声が蘇る。


――多くの守護者は我々を守ってくださる英雄様よ。

でも、十三宮(じふそ)は違う。

彼は人々を奴隷のように扱った。

ダイチよりも、もっともっと酷いことをしたの。

自らの王国を築くために、何百万、何千万という人々が犠牲になった…。

いい?アイコ。

この世界は、無念のまま死んでいった人々の骸の上に成り立っているの。

その元凶こそ、十三宮(じふそ)。呪われた守護者。

魂の穢れた悪魔よ…。――


アイコは震えた。

呪われた守護者が、その正体を隠し、何年もこの村にいたのだ。

でも、ナルミの言うことは本当なのだろうか。

どうか間違いであってほしい。

子供の他愛ないイタズラだと信じたい。

アイコは泣く娘を引きずるようにして、外へ飛び出した。

そして嫌がるナルミの手を引いたまま、丘の上の家を目指した。


-------------------------------------------------------------------------------------


「あなた、私を騙してたのね。」

突然の問いに、フローリアンは何の事か分からず、ただアイコの憤怒の表情を見つめた。

「おい、待て、何の話だ?」

開け放たれた戸口に立つアイコの体は、憤りと恐怖で震えている。

「その子、十三宮(じふそ)っていうのは本当なの!?」

そう言ってアイコが、まるで汚いモノでも見るように、フローリアンの後ろに隠れたエイシオを(あご)()した。

沈黙の時間がながれる。

夏の太陽が窓から差し込み、暗い室内の床に四角い光を落とす。

風に木々がざわめいた。

「秘密って、約束したのに。」

エイシオが顔をのぞかせ、つぶやいた。

アイコの隣でうつむくナルミ。

フローリアンは、冷静になろうと腕を組んで溜息をつき、

「エイシオ、なぜナルミに教えた?」

正面に立つ愛子の顔を険しい表情で見つめたまま、背後のエイシオにそう尋ねた。

「あの時は、しょうがなかったんだ。

穴に落っこちたんだ。

それで、そこに閉じ込められて…

叫んでも誰も助けに来ないし…。

だから脱出するために力を使ったんだよ。」

「…なるほど。…そうか。」

そう言って、視線を落とした。

見つめた先にいたナルミに、

「エイシオと奥の部屋に行ってろ…。」

と命じる。

「ダメ!ナルミ!

こっちに来なさい!行っちゃダメ!」

アイコは、エイシオについて行こうとする娘を引き止めようと手を伸ばしたが、フローリアンに遮られた。

「噂や風評に耳を貸すのは君の自由だ。

だが、妄信は良い事だとは思わない。」

そう言うと、体を(はす)に躱し、

「入れよ。」

と、アイコを中へ通した。


挿絵(By みてみん)


そして閉ざした戸に背を預け、黙ってアイコの言葉を待った。

彼女はひどく混乱しているように見える。

「もう何を信じればいいのか分からないわ!

あなたは私たちを助けてくれた。

なのに、とんでもない脅威をこの村に持ち込んだ!」

ヒステリックに叫んだ。

「君は、あの子の何を知っている?

彼がこれまで、どんな目に遭ったかを知らずして、なぜ責める?

十三(ぐう)が何かも知らず、なぜ脅威と決めつける?

これまでエイシオがこの村に不幸をもたらしたことがあったか?

我々は村のために尽くしたつもりだ。

だが、君の信頼を得るには至らなかったというのか?」

フローリアンの声は冷静だった。

その声、その態度は、アイコの感情の高ぶりを抑えるのに十分だったようだ。

「…私だって、あなたを信頼したい。

でも、私はあなたたちが何者か知らない。

初めて会った日から、あなたは自分のことを話したがらなかったでしょう?」

そう言うと、アイコは胸に手を添え、ツラそうにうつむいた。

「…そうだな。」

と、フローリアンはつぶやいて椅子に腰かけ、アイコにも座るよう促した。

隣に座り、うつむくアイコの(あご)をすくい、「聞いてくれ。」と、まっすぐに彼女の目を見つめる。

彼女と過去を共有する時期が来たのだ。そう判断した。

「俺は英雄でも善人でもないと言ったことがあるな?」

アイコがうなずく。

「俺は、傭兵だった。

さまざまな国を巡り、金で人を(あや)めるのが仕事さ。

ある日、大きな依頼を受けた。

とある富豪が、十三(ぐう)の意志を授かった息子を殺してくれと依頼してきた。

だが、俺はその子供を殺すことができなかった。

その子の中に希望を見出したからだ。」

そして深くため息をついて、うなだれ、

「君は、呪われた者の烙印を捺されるというのが、どんなものか分かるか?」

と、問う。

「…いいえ。いいえ、分からないわ。」

アイコは押し寄せる様々な感情を整理しかねているようだ。

「俺はエイシオの前の代の十三(ぐう)を知っている。

彼女…、その守護者はヴェントゥム王国の騎士だった。

誠実で勇敢、そして愛情深い女性だった。

俺にとって、特別な存在。

妻、ダリアだ。

彼女は、ただ不幸な境遇の人々を救いたかった。

だが、志半(こころざしなか)ばで彼女の人生は刈り取られた。

ただ、忌まわしい呪われた印を持つという、バカげた理由だけで…。」

フローリアンは顔を上げると、テーブルの上に置かれたアイコの手に自分の手を重ねた。

「エイシオは世界を変えることができる。

ただ、まだ準備ができていないんだ。

幼く未熟なあいつが、真の守護者として成長するまで、あの子を死なせるわけにはいかない。

そして、俺も死ぬわけにはいかない。

たしかに我々は、この村に長くいすぎた。

できるものなら、居心地の良いこの地に、ずっといたいと思う。

俺もエイシオも、この村に危機をもたらしたいなんて思っていない。

かつてダリアが願ったように、俺は、この村の苦しみを終わらせたかっただけなんだ。」

フローリアンの言葉からは、心の裂けるような痛みが伝わってきた。

アイコの表情が悲哀に満ちる。

思えば、彼もエイシオも、この村にとって災いとなる行いなどしていない。

それどころか、この村が豊かになったのは、彼らのおかげだ。

昔話を鵜呑みにし、勝手に悪魔を作り出していたのは、自分自身かもしれない。

かつて村の人々が彼らを恐れたように。

「…でも、でも…。

もしもエイシオが将来、呪われたパラディンになったら?

悪に染まらないという保証があるの?」

同情はするものの、まだ完全に納得はしていないアイコは、最後の一押しが欲しかった。

「人は成長の過程で善と悪に触れ、その経験から進むべき道を見出す。

あの子は心が壊れるほどの苦しみを味わい、それを克服しようとしている。

そしてここで君たちの温かさに触れた。

優しい心を知り、人のために何かをしたいという気持ちが芽生えた。

守護者ではなく、1人の人間として、正しい行いの手本を見つけたんだ。

あいつは。ここで。

この先何があろうと、エイシオは邪悪な魂に呑まれることはない。」

はっきりと断言したフローリアンの瞳は穏やかだった。

彼がウソのつけない性分であることを、アイコは良く分かっていた。

「…そうね。

私が悪かったわ…。

大丈夫。もう恐れることはしません。」

そう言って、ようやく微笑んだ。そして、

「じゃあ、私は戻ります。ケンゾウが心配なので。

ナルミ、帰るわよ!」

奥の部屋から子供たちが現れる。

去ろうとするアイコをエイシオが呼び止める。

「ねえ、ケンゾウは大丈夫なの?」

「ええ、熱は下がったわ。

でもまだ朦朧(もうろう)としてるみたい。

ときどき、うわごとを言うの。」

「うわ言?」

彼の質問にナルミが答える。

「トラ…シム?トレデシムだったっけ。

なんかの呪文かな?」

「トレディシム…!?」

フローリアンの表情が一変する。

「他に何か言っていなかったか?」

「そういえば…」

と、アイコが首をひねる。

「火とか、侍とか…。

そうだわ!これを見て。

あの子の(ふところ)から、こんな花びらが出てきたの。

何の花かは知らないけれど…」

アイコがポケットから数枚の花弁を出してフローリアンに見せる。

途端、男は戦慄した。

「これは…!

マズい…。イッキだ…。

トレディシムの…先触(ヘラルド)…。」

「トレディシム?先触(ヘラルド)

イッキって、誰?」

フローリアンの狼狽ぶりに、アイコも動揺している。

「トレディシム修道会。

伝承の悪しき十三(ぐう)を崇拝し、世界を壊滅に導く影の組織だ。

イッキはその教団に存在する“先触(ヘラルド)”と呼ばれる12人の指導者の1人。

炎のエレメンタル操者(そうしゃ)

花弁は位置特定のための追跡装置だ…。」

アイコは身震いした。

「そんな…、じゃあ、ケンゾウを追ってこの村に…?」

フローリアンは眉をひそめる。

「いや、ヤツの目的は十三(ぐう)

どこかでエイシオの正体がバレたのかもしれない。

村の子供たちを手あたり次第に調べるつもりだ。」

「でも、あなたなら倒せるのよね?」

アイコは無理に作り笑いを浮かべた。が、フローリアンの表情は硬い。

「残念だが、ヤツの相手をするには、俺は歳をとりすぎた。

戦って勝てる相手ではない。」

その時、村の中にけたたましく警鐘が鳴り響いた。

「…!!」

フローリアンが家を飛び出す。

彼方にうっすらと見える馬上の人影。

遠眼鏡を掴んで、ピントを合わせる。

炎のごとく輝く赤い鎧に身を包んだ男がたった1人、悠然と馬を駆って向かってくる。

それを見た男は、家の中に取って返し、

「エイシオ!コーデックスを持て!

必要最低限の荷物をまとめろ!

村を出る!」


挿絵(By みてみん)


命じられたが、状況が理解できないエイシオは、ただ狼狽(うろた)えた。

「私たちはどうすれば…」

アイコが怯えながら問う。

「いいか、アイコ。落ち着いて聞いてくれ。

村を救う方法はただ1つ。

イッキの前に出て、十三(ぐう)はコーデックスと共に北へ向かったと伝えろ。

ヤツは必ず俺たちを追う。

恐ろしいだろうが、奴はその情報さえ得れば、君たちを傷つけることはない。」

「あなたたちは…?」

「我々はここからできるだけ離れる。

トレディシムにエイシオを渡すわけにはいかないんだ。」

これまで見たことのないフローリアンの不安そうな表情に、アイコは不吉な未来を見た気がして震えた。

「もう二度と会えないかもしれない。

勝算が無い以上、我々は身を隠し、逃げ続けなければならない。

だが心配するな、アイコ。

必ずこの世界のどこかで俺とエイシオは生き続ける。

あいつが一人前の守護者となるまでは、必ず。」

「…そんな…」

アイコは目にいっぱい涙を溜めている。

そんな彼女を見るのは初めてだった。

胸が締め付けられるが、悠長にはしていられない。

フローリアンはその場にいた全員に手短な命令を下す。

「ナルミ、お前は家に戻れ。

何を聞かれても、知らないと答えろ。できるな?

エイシオ、北の道から丘を下れ!俺もすぐ追う。」

「うん…。でも、でも村の人は?

村の人たちを守らなきゃ…。」

戸惑うエイシオに、アイコが毅然と答える。

「行きなさい。エイシオ。

そして立派なパラディンになって。

この世界が平和になれば、いつだって会えるんだから。」

エイシオの肩にそっと手を置き、穏やかに微笑む。

彼女は決してウソをつかない。

そのことをエイシオは知っていた。

「…うん…。分かった。」

意を決して去ろうとする少年をアイコが呼び止める。

「エイシオ、さよならのハグをして。」


暖かいハグだった。

母の温もり以上に優しく、穏やかだった。

 永遠の別れではないはずなのに、涙が止まらなかった。

 「アイコさん、またいつか…。」

 エイシオは小さくつぶやいた。


 急ぎ足で家を出ようとした少年は(にわ)かに足を止め、振り返る。

「フローリアン、サミーは?」

「置いて行け。」

フローリアンの命令は絶対である。

だが、ここに残して、もし万が一のことがあったら…。そう考えると、胸が張り裂けそうになる。

「じゃあ…、じゃあ、鎖だけでも切ってあげてよ。」

「それもダメだ。野生化すれば、いずれ凶暴性を表す。

そうなったら、イッキの脅威を免れたとしても、村は別の脅威にさらされる。」


ナルミと共に庭に出たエイシオは、サミーを愛おしそうに撫でた。

「元気でな、サミー。

悪い奴が村から出て行ったら、ナルミやアイコさんが可愛がってくれるから。」

「大丈夫よ。サミーの面倒は私たちがみるわ。」

ナルミが寂しそうに微笑む。

少女の顔を目に焼き付けるよう、しばらく見つめていたエイシオは、

「また会おう。」

ナルミと軽いハグを交わした。

そして、別れを惜しみつつ、2人はそれぞれの道へ駆けて行った。


屋内にいたフローリアンは、もう一度アイコに言い聞かせていた。

「やれるな?」

「ええ…、でも…、私、怖くて…」

「…だろうな…」

とつぶやくフローリアンを前におおきくかぶりを振った。

「違う、違う…。

私は平気。でも、あなたにもしものことがあったら…」

肩を震わせるアイコをフローリアンは無言で固く抱きしめた。

「俺は死なないさ。

大丈夫だ。」

そう耳元で囁き、体を離すと彼女の背をトンと押し

「さあ、行け。」

そう言って彼女を送り出した。

不安そうに何度も振り返る彼女の姿が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていたが、やがて彼もエイシオを追って丘を下った。


誰もいなくなった庭で、鎖につながれたひとりぼっちのサミーは、去った主人を恋しがって鳴いていた。

地面を前足でかき、必死でエイシオを追おうとしていた。

だが、頑丈な鎖がそれを妨げる。

何度も何度もピンと張った鎖に引っ張られては、ひっくり返る。

首輪が擦れて、うっすらと血が(にじ)み始めた。

瞬間、氷獣ヴォルコの本能が目覚めた。

サミーの体を霜の薄い層が覆い、それが鎖を駆けあがる。

氷の圧力が鎖の継ぎ目を圧迫し、鉄のリードは粉々に砕け散った。


-------------------------------------------------------------------------------------


村人たちが怯えながら見る視線の先には、地面をかいて(いなな)く巨大な赤い馬。

そして深紅の甲冑を(まと)ったイッキがいた。

その前に臆することなく立つアイコ。

その背には銀の剣が光っていた。

「黒髪の少年を全員ここへ連れて来い。」

イッキはアイコを威圧的に見下ろしている。

“十三(ぐう)はコーデックスと共に北へ向かった。”

ただそれだけを言えば、村は救われる。

だが、彼女の深い愛情がそれを許さなかった。

フローリアンとエイシオを逃がすための時間が欲しかった。

いたいけな少年を危険な目に遭わせたくはない。

愛する人を死なせたくはない。

断固たる思いが、彼女の心を奮い立たせた。

最大の危機を前に、彼女はひるまない。

凛と姿勢を正し、その瞳はまっすぐ目の前の先触(ヘラルド)に向けられている。

「女、言う通りにしろ。」

「誰が何を言ったかは知りませんが、ここは小さな農村。

あなたが求めるものなど、あろうはずもありません。」

毅然(きぜん)として答える。


挿絵(By みてみん)


「なるほど。」

イッキはアイコに近づくと、不意にその細い首を掴んで持ち上げた。

突然の事態に、苦しみもがいた。

もう救いを求めるべき人はいない。

窮地を逃れるためには戦わなくてはならない。

彼女は腕にエネルギーを集めようとした。

しかし、苦しい呼吸では意識を集中することもままならない。

彼女はただ、霞んでいく意識の中で自分の弱さを嘆くだけだった。

村人たちは、なすすべもなく、ただこの悪夢が一刻も早く終わるよう祈るしかなかった。


「ママを離せ!!」

人垣をかき分けて飛び出してきたのはナルミだった。

母を救おうとして、男に飛び掛かり、必死で腹を殴りつけている。

むろん子供の力でひるむ相手ではない。

「フン…。威勢のいいガキだ。」

イッキはナルミの小さな体を蹴り飛ばした。

その体は石ころのように放物線を描いて地面に打ち付けられたが、少女は決して諦めなかった。

彼女の心にはエイシオがいた。

彼が一緒に戦ってくれていると信じて、大きくジャンプし、男に飛びかかる。

だが、それはイッキの苛立ちを(あお)っただけだった。

男はアイコを地面に放り出し、素早く腕に炎エネルギーをチャージする。

放たれたファイアーブラストがナルミの横腹にヒットし、か細い体は十メートルほど吹き飛ばされ、丘の斜面に激しく叩きつけられた。

そして動かなくなった少女は、重力に従い、坂道をゴロゴロと転がって止まった。


娘に対する残虐な行為に、アイコの理性が崩壊した。

「外道!よくも私の子に!!」

アイコは背の剣を抜き、イッキに突進する。

彼女の両腕に青いエレメンタルサーキットが発動し、波動音とともに剣を氷が覆う。

「ほう。氷使いか。」

イッキは瞬時に女の太刀筋を見極め軽くかわし、背後から女の髪をつかみ、動きを封じた。

「女よ、それほどまでに命を粗末にしたいか?」

イッキは右手にエネルギーを集中させた。

赤いサーキットが彼女の顔を照らす。

彼女の知るエレメンタル操者(そうしゃ)は、美しいライトブルーのサーキットを(まと)っていた。

それとは全く異なる禍々(まがまが)しい色…。

イッキの右手を炎が覆う。


——フローリアン、あなたは生きて…——

アイコは固く目を閉じ、覚悟を決めた。


その瞬間、彼女の脇を冷たい空気がすり抜けた。

我に返った彼女が見たものは、イッキの腕に噛みつく小さなサミーの姿だった。

家族を守ろうと必死に食らいついている。

だが先触(ヘラルド)は全く動じることもなく、仔ヴォルコを炎の拳で打ち払う。

サミーの牙が氷の欠片のようにキラキラと砕け、小さな体は地面に叩きつけられ動かなくなった。

アイコはショックを受けながらも、この転機を逃さなかった。

体をひねり自由を得ると、再び剣に氷を這わせ男の腹から顎にかけて薙ぎ払う。

しかし、戦いの熟練者はスルリと身を引き、後方に一回転しながら女に強烈な蹴りを入れた。

アイコの手から剣が離れ、2、3回転して地面に突き立った。

背筋が寒くなるような金属の共鳴音が響く。


男は、僅かに震えるその剣をじっとと見つめた。

「この剣、ダリアの…。

なるほど。そういうことか。」

イッキがわずかに唇の端をゆがめた。


-------------------------------------------------------------------------------------


その頃、フローリアンとエイシオは村から遠く離れた山間部を足早に歩いていた。

にわかに振り出した雨が、地面をぬかるませる。

エイシオは村に残してきたナルミや村人、そしてサミーを思い、足を止めた。

振り返った彼の目に、幾筋もの黒い煙が入った。

「煙…。

村だ!戻らなきゃ…」

平常心を失い、駆けだそうとするエイシオの肩をフローリアンが掴む。

「何するんだよ!放せよ!!」

「ダメだ。」

わめく少年を一喝し、再び前を向いて「行くぞ。」と一言冷たく告げた。

「なんで!?みんな僕らの力を必要としてるのに!」

「お前が戻って何になる!?

奴に勝てる見込みはない。

今は逃げることだ!

いいか、これは命令だ!」

「じゃあ、みんなを見殺しにしろって言うの!?」

「そうじゃない!」

フローリアンが感情的に声を荒げる。

泣きじゃくるエイシオの背後、その遥か先に立ち昇る黒煙を見つめる男は、

「そうじゃない…

今はアイコを信じるしかないんだ…。」

と、つぶやいて視線をそらせた。

その一瞬の隙を少年は見逃さなかった。

素早くチャージしたウインドショットをフローリアンの顔面めがけて放つ。

もちろん、男が回避することは分かっていた。

師の動きを見切っていた少年は、風弾に気を取られた男の下腹部の急所に一発拳を叩き込んだ。

そしエネルギーを集約して大きく飛び上がり、風のように山を駆け下りて行った。

 木々の間を抜けながら少年は祈った。

―お願いだ!間に合って…!―


村に近づくにつれ、その惨状が明らかになっていく。

見慣れた村の姿はどこにもなかった。


炎が天を焦がしている。

火の粉が舞い、黒い煙が灰色の雲に溶けていく。

灰を含んだ黒い雨がふり、昼間にもかかわらず夜のように暗い。

業火は家々を飲み込み、硫黄にも似た不快な臭いが鼻を突く。

辺りには真っ黒に焦げた死体の山…


その中心に、ぐったりとして動かない子供の足首を掴んで立つ赤い悪魔がいた。

「お前も違うか…。

ならば無用!」

炎を(まと)わせた腕を子供の胸に突き立てた。


エイシオはその光景を、声を出すこともできず、呼吸すらまともにできない状態で、ただ茫然と見ていることしかできなかった。

愕然と膝をついた地面に、瓦礫に半分埋まったススまみれのナルミの顔を見た。

ピクリとも動かない。

エイシオは半狂乱でナルミの上に重なる瓦礫をどけた。


その下から現れたのは、ナルミに寄り添うように倒れたアイコ。

胸にはポッカリと穴が開き、服は未だ燻っている。


エイシオの心は壊れた。

あまりにも深い悲しみが、少年の心のキャパシティを完全に超えた。

涙がとめどなくあふれ、天が落ちるほどの悲痛な叫びをあげていた。


挿絵(By みてみん)


                          第20話 おわり



書きました。アブサロン


イラストはこちら ペイやん



おまけイラスト

挿絵(By みてみん)

この章を読んでいただきありがとうございます

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ