発見された
第19話
盛夏。
年間を通じて安定した気温であるハナミ地方ではあるが、今年の夏は異常なまでに暑い。
海が近いこともあって、湿度も高く、毎日うだるような暑さが続く。
この日も朝から気温はぐんぐん上がっていた。
それでも、子供たちは元気だ。
エイシオとナルミは、畑の脇に立つ大きなニレの木の枝に腰かけ、アイコの畑で採れたスイカを頬張っていた。
ナルミの口から果汁がこぼれ、胸元に滴る。
「あ、やだ!服が汚れちゃう!」
ナルミは最近、女の子らしいことを言うようになった。
その胸元に、白い結晶石をあしらった蝶の形のペンダントが光っていることに気づく。
「それ、アイコさんに貰ったの?」
「ん?」
服を拭う手を止め、エイシオの視線の先をたどる。
「あ、このペンダント?
これはね、おばあちゃんの形見。
ずっと床下に隠してあったの。
盗賊に盗られないようにね。」
彼女の言う盗賊、とは、ダイチのことである。
「ふぅん。」
「この前、うちを改装したとき出てきたんだって。
いつもママが大切にドレッサーにしまってるの。
ぜったい持ち出しちゃダメって。
いつか私が大きくなったら、くれるんですって。」
「え?でも持って来ちゃったんだよね?
…それって、マズくない?」
エイシオはアイコの鬼の形相を思い出して身震いした。
「うん…まあ、見つかったら怒られるよね。
でも、この蝶だって外に出たいと思うの。
ママだって家を直すまで忘れてたんだから、ちょっとくらい、いいじゃない?」
「あ…うん…。」
「だから内緒よ。ママにはね。」
そう言って、少女はペンダントを襟もとから服の内に滑り込ませた。
「うん。」
むろん、エイシオはアイコの怒りの矛先が自分にも向けられることを恐れて、ナルミの秘密を守ることにした。
午後の最も暑い時間になると、子供たちは海岸で遊んだ。
「来い!サミー!」
まだ獰猛性の欠片すらない仔ヴォルコのサミーも一緒だ。
この頃には、完全にエイシオに懐いていたため、もうリードも必要ない。
氷と蒸気、その両方の属性を持つ小さなヴォルコは、エイシオを追って波打ち際を走りながら、キラキラと氷の粒を振りまいた。
暑さのせいですぐに溶けてしまうが、その冷たい風は子供たちのお気に入りである。
エイシオは、両親に見捨てられてから今日に至るまで、世間一般の子供たちが送るであろう幸せな日々を捨てた。
そうすることを余儀なくされたのだ。
まるで、その時間を埋めようとするかように、彼は毎日を子供らしく遊んで過ごした。
もちろん、フローリアンは黙っていなかった。
顔を合わせるたびに少年を叱り、鍛錬を促した。
が、10歳の遊び盛りの子供が、それを素直に聞くはずもない。
あまつさえ彼は、鍛錬などしなくても、もう風を扱う能力は完成された、と信じていた。
翌朝、空腹で目を覚ました少年は、テーブルの上に置かれた書き置きを見つけた。
“浜へ来い。”と書きなぐられたメモは、まるで挑戦状のようだった。
エイシオは仕方なく、グーグー鳴る腹を撫でながら海岸へと向かった。
いつもの場所にフローリアンはいた。
砂の丘に座り、波立つ海を見つめている。
砂を踏みしめる足音に気づき、
「来る頃だと思った。座れ。」
と、振り向くことなく言った。
少年は臆することなく、師の正面に座った。
「お前、一流操者にでもなった気でいるようだな。
では、お前が超自然エネルギーについて、どこまで熟知しているかを確認させてもらおう。」
おおかた、長い説教が始まるかと思って身構えていたが、どうやらカンが外れたようだ。
「超自然エネルギーの各属性、その分類を答えてみろ。」
突然始まった抜き打ちテストにエイシオはアワを食ったが、こんな簡単な問いに答えられないはずもない。
なにしろ、これまでの3年間、エレメントに関する講義をイヤというほど聞かされてきたわけである。
——な~んだ。——
と、内心では完全にナメきっている。
咳ばらいをひとつして、少年は得意げに知識を披露する。
「13種のエネルギー、3つのグループ。
風、水、土、火から成る原始エネルギー。
雷、氷、蒸気、砂塵、マグマの派生エネルギー。
そして時空、生命、光と闇、これは創造の柱。」
「いいだろう。
では、水と蒸気エネルギーの違いを答えろ。」
「水エネルギーは、全ての液体を制御し、波や雨を操り、蒸気は空気中に漂う小さな水の粒を制御することで、霧や雲を作り出し、攻撃や防御を行う。」
「よし。
次は、土と砂塵、それぞれの基本的な攻撃スタイルを簡潔に答えてみろ。」
「え?土と砂塵…?
…土は…、岩や地盤の…、えーと…。」
眉をしかめて考え込むが、一向に答えが浮かばない。
黙り込んだエイシオを見ていた師は、
「お前は、教わったことを丸暗記しているだけだろう?
本質について考えもせずに、だ。
だから、いつまでたっても簡単な問いに答えられない。」
厳しい表情で弟子を見据る。
「そんなこと言ったって…。
オレには関係ないことじゃん。
だいたい、オレは風と時空操者なんだからさ、他の属性を学んだところで、何の役にも立たないよ。」
口をとがらせ反論する。
「お前の敵は、風使いや、時空操者ばかりではない。
他の能力を使う相手と対峙した時、知識がなければ勝つことなどできない。
能力と知識の欠如は死に直結する。」
師は冷たく言い放った。
「そもそも、お前の風も未熟だ。
大して高く飛ぶこともできず、木を倒すどころか、削ることさえできない。
それで一人前になったつもりでいるようだが、ナメるのもいい加減にしろ。
もっと真剣に鍛錬に取り組め。
そんなちっぽけな能力で人を助けるなど大きな事を抜かしやがって、世迷言にもほどがある。」
その言葉にカチンときたエイシオはフローリアンを睨みつけた。
「だって、しょうがないじゃん!
オレは2つの能力を同時に身につけなくちゃいけないんだ。
それに時空の力は疲れる。
ほんの少し発動させただけで、もうクタクタだよ。」
苛立ちをぶちまけるように一気にまくし立てた。
反抗的な弟子の言い分を冷ややかに聞いていた師は、やおら見下したような表情を浮かべてこう言った。
「ダリアは13歳で能力に目覚め、学び始めた。
14歳のころには、力の発動は安定していた。
お前はどうだ?
3年もかかって、ようやく物質の質量制御ができる程度だ。」
「オレだって、頑張りたいさ!
でも本当にしんどくて体が言うことを聞かないんだもん。どうしようもないよ!」
「ダリアがお前のような泣き言を言ったとでも?
彼女は守護者であることを最期まで嘆きはしなかった。」
時折、フローリアンはダリアとエイシオを比較する。
良くないこととは分かっていたが、苛立つとつい口を突いて出てしまう悪い癖だ。
「オレはダリアじゃない!比べないでよ。
それにフローリアンは時空操者じゃないから、どれだけエネルギーを集めるのが大変なのか、分かんないんだよ!」
事実、創造の柱の4属性は、他のエレメントに比べてエネルギーを抽出するのが困難である。
そもそもの大気中に存在する元素粒が乏しいのが要因らしい。
むろんフローリアンがそのことを知らないはずもない。
エイシオには、そえが返って腹立たしかった。
フローリアンは睨みつける少年の目を真っ直ぐ見返していた。
目の前に座る小さな弟子は以前のように、癇癪を起こして泣きわめくことはなくなったとは言え、ときおり感情をコントロールできずに爆発を起こす。
無理に押さえつけようとしても、それが逆効果であることを、フローリアンはこれまでの旅で学んだ。
このままエイシオを叱ったところで、らちが明かぬと考えたフローリアンは、本来彼のスタイルではないが、子供でも理解しやすい例えを用いて説明することにした。
「重い荷物を運ぶと腕が疲れる。
だが、それも毎日になると慣れてくる。
やがて、重いと感じなくなる。
エネルギーも同じさ。
要するに“慣れ”だ。
訓練すればするほど、体は慣れる。
それに伴い、大気中の希少なエネルギーの抽出も、息をするくらい当たり前にできるようになる。
それがエレメンタル・マスターと呼ばれる者だ。」
「息をするくらい…、エレメンタル・マスター…」
エイシオは、その言葉を小さく復唱し、ハッとした。
かつて姉、アメリアが同じことを言っていた。
彼女もまた、この同じ空の下で、エレメンタル・マスターを目指し尽力しているに違いない。
そう思うと、くよくよと泣き言を漏らす己が恥ずかしく思えて、うつむいた。
「お前は、まだ学習が及んでいないようだが…」
フローリアンは、おもむろに砂の上に三角形を描きはじめた。
それに3つの線を平行に引いた4階層のヒエラルキーの図をエイシオに示す。
「このピラミッドの一番下。レベル・オメガという。
別名“ナディア”。
潜在的に能力を持ちながら発動できない状態の人間。
結晶石を初めて手にしたときのお前だ。
その上はレベル・シグマ。“ホライズン”とも呼ばれる。
ある程度の能力を発動できる人間だ。
多くは様々な職種、分野でその力を発揮しているが、応用しだいで戦闘にも適応する汎用レベルだ。
さらにこの上、これはレベル・オミクロン。または“アジマス”。
通称、エレメンタル・マスターと呼ばれる者のレベルだ。
極めて容易にエネルギーを使いこなし、戦闘においてはスペシャリストだ。
王国騎士団は、このレベルに達していなければ入団を許されない。
そして最上位、レベル・ラムダ。“ジネス”と呼ばれる。
究極の力。選ばれた者のみに与えられる称号。
パラディン。守護者たちだ。
つまりレベル・ラムダは、この世界に13名のみ。」
三角形の頂点をトントンと指で示し、こう続けた。
「その守護者たちの中においても特異なのが創造の4柱。
彼らは2つの能力を操る。
通称キメラと呼ばれる特殊な能力者だ。
お前は、それにあたる。
そして、これは更に希少な例ではあるが…」
三角形の横に円を描いて、
「バーサク・ステイトというものが存在する。
俺はまだ見たことがないがな。」
「それって、どういう能力?」
エイシオが身を乗り出す。
「操者のリミッターが外れた状態だ。
どのレベルでもおこるらしいが、どういう条件で発動するのかは分からない。」
「リミッターが外れたら、どうなるんだろ?」
「俺のような操者も、守護者であっても、どんなに鍛錬を積んだとしても、通常は潜在能力の60%ほどしか発動できないと言われている。
それは自身の体を守るための、人体に備わった防衛システムのようなものが稼働しているからだそうだ。
バーサーカーモードでは、その防衛システムがダウンする。
つまり、その間、操者は未知数の力を発揮するのさ。」
「ふ~ん。」
と、エイシオは他人事のように聞き流していたが、
「なんか思ってたより、複雑なんだね…。」
そう言って、おもむろに立ち上がり、尻の砂を払った。
「要するにさ、オレはすでにエレメンタル・マスターの上にいるってことだよね?」
あまりにも大それたことを、いとも簡単にサラっと言ってのけるエイシオを見上げ、フローリアンは、少年の謎の自信にあきれかえった。
「エネルギーを完全にコントロールできるようになれば、の話だ。
そのためにも、アエヴィテルヌスが必要なんだ。」
「ふぅん。
じゃあ、アエヴィなんとかって大鎌を手に入れたら、オレは本物の守護者になれる?」
「アエヴィテルヌスな。
守護者の武器は、持つ者を選ぶ。
未熟な者には扱いきれない。」
「それって絶対必要なの?」
コイツはどうしてこうなのか、と、フローリアンは溜息をついた。
「守護者の武器は、空間からのエネルギー抽出を助ける、いわば磁石のような存在だ。
それが無くても、守護者の力は強いが、長く戦闘を続けていれば疲弊する。
たくさんのエネルギーを抽出し続けなければならないからだ。
その負担を軽減するものと考えればいい。
というか、コーデックスに書いてあっただろう?
ちゃんと読んでいるのか?」
エイシオは顔をしかめ、
「読んでるけど、なんていうか難しいし、つまんないよ。」
少年は全くコーデックスの重要性が分かっていない。
そのうえ、ダリアが命を賭して書き上げた書物を完全に蔑ろにした言い草だ。
これには、さすがにフローリアンも頭にきた。
「言い訳をするな。
俺は師として、お前の才能を高く評価していたが、結局お前はただの怠け者だったというわけだ。
お前は最弱の“名前だけ”の守護者にすぎん。
お前は俺の時間と労力を無駄に奪っただけだ。」
そう言って、立ち上がった。
エイシオは一瞬ひるんだものの、馬鹿にされたことに腹が立った。
「そんなことない!オレは強い!」
師の目を見据え、怒りにまかせて叫んだ。
しばしの沈黙。
静かな浜に波の音が響く。
海からの湿っぽい熱風が、2人の髪をなびかせた。
「ならば証明してみせろ。
俺と戦え!」
右手を背に回し、前に差し出した左手の人差し指で弟子を招く仕草を見せた。
警戒したエイシオは飛び退き、体勢を整え身構える。
「お前のようなバカ相手に、本気を出す必要もないだろう。
左手だけで十分さ。
どうした?かかって来いよ。」
フローリアンの完全に見下した言い方が、エイシオのプライドを傷つけた。
「うるさい!ぜったいブッ飛ばす!!」
師の挑発に激昂した少年は、両腕に気をチャージしながら突進する。
近接攻撃の技術は、すでに学んだ。
エネルギー操術も身に着けている。
少年は浅はかにも師と互角に渡り合えると本気で思っていた。
エイシオは標的の足に素早く照準を合わせ、至近距離から衝撃波を放った。
フローリアンは左腕を軽くひねると、少年の放った技と同じ衝撃波を繰り出した。
ライトブルーの波動が衝突し、辺りに強烈な風が吹いた。
「殺すつもりで来いよ。
それぐらいの気合でなければ、俺に触れることもできないぞ。」
「チッ」と舌打ちして、再び飛び退いたエイシオは、腿にパワーを集め高くジャンプする。
弧を描き、最高到達点で師の頭をめがけ、風弾を2発叩き込んだが、フローリアンは軽く体をひねってそれらを躱す。
砂に着弾した風の弾丸が大量の砂を舞い上げる。
地面に着地した少年は、その立ち昇る砂煙に勝機を得たと確信した。
男の周囲に無作為に風の波動を投げつけ、砂の弾幕を作る。
そして最大出力の風刃を弾幕中心の人影めがけて叩き込んだ。
しかし、フローリアンの戦闘能力、経験、そして機転は、エイシオの想像をはるかに超えていた。
右足を軸に姿勢を落とし、脚へとエネルギーをチャージする。
そして伸ばした左足で砂に円を描くようにクルリと一回転すると、彼の体を取り巻くつむじ風が現れ、砂煙もろともエイシオが放った渾身の風刃を弾き飛ばした。
そのまま流れる所作で、腕へ素早くエネルギーをチャージする。
エレメンタル・エネルギーを連続して発動させるのは難しい。
脚のエネルギーをリセットし、腕へエネルギーを集約させなければならない。
同時に発動させることも可能ではあるが、人体へのダメージが大きいからだ。
ONとOFFを制御できなければ、いずれ体が壊れる。
フローリアンが、いとも簡単にこれをやってのけるのは、彼が一級の操者である証である。
エイシオに次の一手を考えるヒマなどなかった。
気が付いた時には、目の前にフローリアンがいた。
低い鳴動音とともにフローリアンの拳が風を纏い、それが風の剣となってエイシオの喉元に突き付けられる。
少年は尻もちをついてひっくりかえった。
首に感じる強烈な風のエネルギー、そして青白く不気味に輝く風の剣は、完全に少年の戦意を消失させた。
何よりも恐ろしかったのは、師の感情の無い視線だった。
人の命を奪うことに一切の躊躇もない、暗殺者の目。
エイシオは、ただ情けなく震えながら見つめ返すしかできなかった。
冷や汗が頬を伝う。
「さて…。」
フローリアンが腕を下げる。
サーキットが消えると同時に、剣も風となってかき消えた。
「俺の言ったことが理解できたか?」
エイシオは砂の上にしどけなく座り込み、
「はい…。」
ただ一言答えるのがやっとだった。
彼の誇りは傷つき、失意だけが残った。
-------------------------------------------------------------------------------------
翌日、太陽が天頂に差しかかるころだった。
丘の上の家でコーデックスを熟読していたエイシオの耳に、けたたましく鳴り響く警鐘の音が入った。
久しく聞いていなかったそれに反応したフローリアンが奥から出て来る。
「何事だ?」
そう言って外に出ようとしたところへ、1人の村人が飛び込んできた。
声も出ないほど呼吸が乱れている。
随分な距離を走ってきたに違いない。
フローリアンが水の入ったカップを手渡すと、その女は首筋にこぼれ流れるのもお構いなしに一気にあおると、「ダイチを見た!」と、血走る目で訴えた。
ダイチ一党は、しばらく姿を現さなかったため、どこか別の土地へ根城を移したと思っていたが、どうやらまだこの村を諦めてはいないようだ。
「確かか?ならば、俺が見てこよう。」
フローリアンが壁にかけてあった短剣をホルダーに刺して戸口へ向かう。
「オレも!」
エイシオは、昨日の雪辱を晴らせるチャンスと期待したが、フローリアンは首を横に振った。
「お前は来るな。足手まといだ。」
「そんなことない!オレだって…」
「昨日のような醜態を奴らの前に晒すつもりか?
お前は浜で鍛錬をしておけ。
今日1日、夜までずっとだ。いいな?」
反論したかったが、愚の根も出ない。
悔しさに歯を食いしばり、家を出て行くフローリアンの背中を見送った。
浜への道をトボトボ歩きながら、エイシオはくやしさをぶちまける。
「馬鹿フローリアン!次は絶対、ぶん殴る!」
ぶつぶつ独り言ちる彼の前に突然飛び出してきたのはナルミだった。
「エイシオ!エイシオ、大変!
ああ、どうしよう!どうしようエイシオ!」
余りの狼狽ぶりに、ただ事ではないと察しが付く。
「どうした!?ダイチか!?」
「森でペンダントを落としたみたいなの!
どうしよう…、ママに知れたら、私…。」
エイシオは脱力した。
「なんだよ…、そんなことか。
ゴメン、オレ、鍛錬があるんだ。
もっと強くならなきゃ、またフローリアンにバカにされるから。」
ナルミを押しのけて通ろうとしたが、腕を掴まれ、立ち止まった。
「お願い…!大事なものなの…。
失くしたってバレたら、ママはきっと一生私を許してくれないわ…」
そう言ってナルミは泣き出した。
エイシオは、しばらく頭をかきながら考え込んでいた。
-------------------------------------------------------------------------------------
森の中で2人は必死に草をかき分け、少女の宝物を探した。
闇雲に探すには、あまりに範囲が広すぎる。
「本当にこの辺り?」
エイシオが草の陰から顔をのぞかせ、草むらに頭を突っ込んでいる少女に尋ねた。
「うん。
このへんで薬草を摘んでいたから。
あの時はね、人の声が聞こえた気がして、急いで帰ろうとしたの。
そしたら、つまづいて転んじゃって…。
たぶん、その時に失くしたんだと思う…。」
心細そうな少女の声に、エイシオは「もう諦めよう。」の一言を出せなかった。
「じゃあ、もっとよく探してみるか…。」
「うん。私は、あっちを…。」
一歩踏み出したナルミの足元の地面がズルリと滑った。
足を取られたのではなく、地面自体が大きく崩れたのだ。
「うそ!!?何!?」
ナルミの悲鳴にエイシオが振り返ったとき、すでに彼女は地面に空いた穴に、土もろとも飲まれようとしていた。
「ナルミ!」
なんとか頼りない木の根にしがみついている少女に手を伸ばす。
すんでのところでエイシオの手がナルミの腕を捕らえた。
「もう大丈夫だ!」
安心させようと笑って見せたが、今度はそのエイシオの体の下の土が崩落を始めた。
「マジかよ!」
真っ暗な穴の中に、真っ逆さまに落ちていきながら、空中でナルミを引き寄せた。
反射的に宙を蹴って体を上下反転させ、風の衝撃波を見えない地面に向かって放つ。
地面までの距離が目視できないだけに、エイシオは何度かエアーブラストを放たなければならなかった。
甲斐あって、地面への激突は避けられたが、着地に失敗して、2人とも転がって止まった。
幸い怪我はない。
それにしても、穴は思いのほか深かった。
地上からのわずかな光が、2人をスポットライトのように照らしている。
さすがに、あの高さまではナルミを抱えてジャンプできそうもない。
「ひょっとしたら、誰か近くにいるかも…。」
一分の望みをかけて、子供たちは大声で助けを求めた。
しかし、必死の叫び声は穴の中に反響するばかり。
不安そうに寄り添ってきたナルミの体が震えていた。
「大丈夫だ。きっと出口はある。」
とは言ったものの、エイシオも正直、怖かった。
だが、ナルミをこれ以上不安がらせないよう、彼は毅然とした態度を示そうと努めた。
よくは見えないが、ここは相当広い洞窟のようだ。
とにかくここに立ち止まっていても、らちが明かない。
2人は差し込む太陽の光の環から抜け出し、闇を進んだ。
漆黒の暗闇は一寸先も見通せない。
ぶつかって怪我をしないよう、エイシオは両手を広げ、周囲を探るようにゆっくりと歩を進めた。
その背中にぴったりと身を寄せるナルミは泣きじゃくっている。
どれくらい進んだだろうか。
かすかな空気の流れを感じて、エイシオが立ち止まった。
ナルミは不安がって、さらに身を寄せる。
いくぶん闇に目が慣れてきたとはいえ、見えるのは近くの岩のわずかな凹凸だけ。
だが、たしかに肌を撫でる風を感じる。
「風が吹いてる。」
「風?感じないわ…。」
嗚咽混じりのナルミの声が洞窟内に反響する。
彼女には、少年の感じる空流が分からないようだ。
わずかな空気の流れを感じられるのも、風使いならではの能力なのかもしれない。
エイシオはさらに精神を集中させ、風の吹きこむ方向をさぐる。
「こっちだ。」
つまずかないよう、すり足で一歩一歩前へと進むと、やがて行き止まりにぶつかった。
闇にぼんやりと巨大な一枚岩の輪郭が浮かび上がっている。
ほんの僅かではあるが、外の光が隙間からもれている。
「あ、風!私も感じる!
この向こうから?
でも、行き止まり…。」
絶望感に打ちひしがれたナルミの目から、涙がこぼれ落ちる。
「泣くなって。必ずここから出してやるから。」
エイシオは目の前の巨大な岩に触れた。
隙間から漏れ込む光と風、つまりこの大岩が洞窟の出口の蓋になっていると確信したエイシオは、
「ナルミ、少しだけ離れてて。」
と、少女を後退させると、エネルギーを腕に集中させ、ウィンドブラストを岩に打ち込んだ。
だが、彼の力はあまりにも非力だった。
岩に跳ね返った風が、逆に少年の体を弾き飛ばした。
——フローリアンなら、こんな岩、簡単に砕き飛ばしただろう。——
皮肉にも、この絶望的な場面で、少年は師との力の差を再認識させられた。
最期の望みは絶たれたと感じたナルミが、パニックを起こしかけている。
「大丈夫。大丈夫だから…。」
もう一度、風を撃とうと両手を前に出したその右手の甲に鈍く輝く光が、少年の目に留まった。
先程の衝撃で、手を覆っていた布が外れたのだろう。
怪しく緑の光をたたえる十三宮のエンブレム。
エイシオは覚悟を決めた。
ここから脱出する方法はただ1つ。
秘密の力を解放することだ、と。
村からそれほど離れていない荒れた小路で、フローリアンはいくつかの足跡を発見した。
「3、4人ってところか。」
村を襲うにしては人数が少なすぎる。
偵察隊にしては村に近づきすぎている。
「奴ら、一体何を企んでいるんだ…?」
エネルギーを耳に集約して周辺の音を拾ってみたが、聞こえてくるのは草のざわめきと鳥の声。
村が近いせいか、雑音も入り混じってはいるが、盗賊の気配は皆無だった。
「なににせよ警戒はしておいたほうが良さそうだな。」
フローリアンの腕にライトブルーのサーキットが走り、共鳴音とともに放たれた強烈なエアブラストが地面に深いクレーターを作った。
その淵に黒蝶の羽根を刺した枝を突き立てると、男は来た道を引き返して行った。
黒蝶の羽根は沈黙の死からの警告。
何者であれ、村に害成す者に容赦はしないというメッセージであった。
-------------------------------------------------------------------------------------
洞窟の最奥で、エイシオは精神を研ぎ澄まし、微量な時空のエレメントを集約し始めた。
ダリアのコーデックスに記されていたとおり、精神、呼吸、鼓動のリズムをチューニングし、目に見えないエネルギー流の層にダイブする。
そこは混沌としたエレメンタルエネルギーが渦巻く次元。
この中に漂う時空のエネルギーと魂を共鳴させる。
「ナルミ、今からお前が目にすることを、誰にも言わないでほしい。
お前のママにも、フローリアンにも。」
その意味が分からず、思わずして泣き止んだナルミは、「どうして?」と、か細い声で尋ねた。
「秘密なんだ。これは。
オレとナルミのね。」
その言葉が終わらないうちに、エイシオの拳に緑のサーキットが現れた。
それは蛇のように少年の腕を這い上がり、やがて激しい閃光となってほとばしる。
低い波動音が洞窟内に響き渡り、彼の体を薄くグリーンのヴェールが包んでいく。
ナルミはただ、目の前の奇跡のような光景に目を奪われていた。
エイシオが大岩に手を触れると、それまでびくともしなかったその障害物は、摩擦力を失ったように滑りはじめた。
やがて2人は、まぶしい光と夏の暑い風に包まれた。
「…うそ、どうやったの!?」
ナルミはもう泣くことも忘れて、ただ今見た奇跡に興奮した。
子供たちが這い出してきたのは、奇しくも例の崖の底だった。
そう、桜の墓所への近道の、あの崖である。
「意外なところに繋がっているもんだね。」
笑ったエイシオがフラついた。
慌てて抱き止めたナルミの腕の中で、少年は完全に意識を失った。
-------------------------------------------------------------------------------------
目を覚ましたエイシオの視界に入ったのは、心配そうに見下ろしているナルミの顔だった。
「良かった…。どうなることかと思っちゃった。」
おどけた仕草で大きな瞳をクルリと回した。
「…えと…あれ?ここって…」
体を起こし、辺りを見回す。
見慣れた風景。
「あなたの家よ。
背負って丘の上まで登るの、本当に大変だったんだからね。」
水の入ったカップをエイシオに手渡す。
「それにしても、エイシオ。
あなた、とんでもない怪力なのね。」
水を一口飲み、息を整えたエイシオは、笑いながら首を横に振る。
「いや。岩の質量をコントロールしたんだ。
あれは特別な力。」
「特別な力?あのグリーンの光も?」
「そうだよ。」
見つめた右手には不活性化した黒い痣だけが残っていた。
「創造の4柱の1つ。」
「そうぞう?」
「オレが7歳の時に授かった特別な能力。
時空の守護者の力だよ。」
「それ何?
守護者って、パラディン?あのおとぎ話の?」
「おとぎ話なんかじゃないよ。この世界には13人の守護者が実在してる。
でも、オレの持つこの力は、世の中の人たちに嫌われてるんだってさ。」
「なんで?すごい能力じゃない。」
「うん…。ちゃんと説明できないけど、大昔の十三宮が、ひどいヤツだったらしくって。
今も嫌がられてるんだよ。」
「十三宮?
十三宮って、あの呪われたパラディン?」
「うん。まあね。
でも呪いこそ、おとぎ話だよ。
みんなそうだと信じ込んでるけどね。
だから、何があっても、みんなには内緒。
誰にも言わないでほしい。」
「うん。約束する。」
2人は“指切り”をかわし、秘密を永遠に守ることを誓った。
エイシオと別れ、足取り軽く家路につくナルミは、すでにペンダントの事も忘れているようだった。
一方無事に帰って来られたことに安堵したエイシオは、深い眠りの谷へと落ちていた。
-------------------------------------------------------------------------------------
炎が天を焦がしている。
火の粉が舞い、黒い煙が灰色の雲に溶けていく。
灰を含んだ黒い雨がふり、昼間にもかかわらず夜のように暗い。
業火は家々を飲み込み、硫黄にも似た不快な臭いが鼻を突く。
辺りには真っ黒に焦げた死体の山…
「…!!」
「目が覚めたか?
今日は夜まで訓練しろと言ったはずだが、昼寝とは良い身分だな。」
フローリアンがイラついた目で見下ろしていた。
「夢…か…。」
独り言ちて、首筋の冷や汗を拭う。
気持ちが一段落したところで、鼻腔をくすぐるのは、家じゅうに漂う卵の焼けるいい匂い。
「起きろ、飯だ。」
フライ返しで額をコツンと打たれた。
「痛っ!」
半分焦げた酷い見た目のスクランブルエッグを口に運ぶエイシオ。
その右手を見たフローリアンが、
「包帯、どうした?」
と、厳しい口調で問う。
「え…?あ~…鍛錬中に海に飛び込んでさ…。
たぶんその時に取れたのかも。
大丈夫。誰にも会ってないから。」
エイシオはよそよそしく答えた。
何か言いたそうなフローリアンの表情を察し、少年は話題を変えようと口早に尋ねた。
「それでダイチはいたの?」
「ん?ああ。何者かがいた痕跡はあった。
だが警鐘を聞いて逃げたようだ。
念のため、村の周囲に交代で見張りを立てることにした。」
「ふぅん…」
会話は続かなかったが、フローリアンの気をそらせるには十分だった。
その頃、村から数十キロ離れた廃墟の中では、ダイチ兄弟の兄、カイが3段に重ねた畳の上にどっかりと腰を下ろし、酒を飲みながら偵察に出した弟の帰りを待っていた。
「今帰った。
兄貴、朗報だ!」
ボサボサの長い髪を頭のてっぺんで束ね、ヒョロヒョロと頼りない体を不釣り合いなほど派手な錦の着物で着飾った、いかにも小物を思わせる男。
ダイチ兄弟の弟、カイリである。
「ずいぶん待たせやがって。このウスノロが。
で、朗報って何だ。」
「十三宮を見た!」
「は?バカを言うな。
こんな片田舎に守護者がいるもんかよ。」
兄、カイが弟の頭を叩く。
「いってぇなぁ…。本当だ。この目で見たんだ。
号外やニュースにも出てる、あのマークさ。
しかも、ガキだぜ。」
弟カイリは神経質そうな顔を引きつらせて、気味悪く笑った。
「ガキだと?
そいつの顔は見たのか?」
「いやぁ、村はずれの鍾乳洞の中だ。
明かりを付けなきゃ、顔なんざ見えるわけもねぇ。
だが、10歳くらいのガキさ。
同じくらいの女の子もいたな。」
「バカ野郎!なんで取っ捕まえてこなかった!?」
カイは、苛立ったように畳に据えられた膳を蹴飛ばした。
転がった徳利から酒がこぼれ出す。
「…まあ、いい。
その情報だけで十分だ。
こいつは金になる。
一生遊んで暮らせるだけのな。」
カイは黄ばんだ歯をむき出して、下品に笑った。
-------------------------------------------------------------------------------------
ヤマガのトレディシム修道院。
沐浴をしていたイッキのもとに、大教区参事が現れたのは夜の礼拝前だった。
「導き主様を見たという情報があります。」
衝立の陰に膝をついた参事が告げる。
「ほう。確かな情報か?」
冷水に身を浸したままイッキが問う。
「いえ。それは何とも。
怪しげな男どもの証言です。」
参事は微動だにせず、床を見つめたまま答えた。
「場所は?」
「ハナミ州南部です。
明朝、私がその者たちに、直接話を聞いてまいりましょう。」
浴槽から上がる水音が広い浴場に寒々しく響く。
その厚い筋肉に覆われた体中のいたるところには、無数の古傷が刻まれている。
それはこの男を呪縛する、過去のしがらみの跡である。
「…いや、その必要はない。
私が行こう。」
衝立に掛けたマントを羽織り、かしずく参事には目もくれず立ち去ろうとする。
参事は慌てて顔を上げた。
「いけません。
導師様がお出ましになるほどの連中ではありません。
それに、アルダラ様がおっしゃるように、ラス卿の実験の日取りも間もなくです。」
重い鉄扉の前でイッキは振り返り、いつもと変わらぬ冷静な表情を向ける。
「いいや、私が行かねばならん。
情報が本当ならば褒美を。
ウソであれば死をくれてやらねば。
そうであろう?」
平伏する参事を残し、男は重い扉の向こうへと消えた。
ヤマガの町に、夜の礼拝を告げる修道会の13口の鐘が、重く響き渡っていた。
第19話 おわり
書きました。アブサロン
イラストはこちら ペイやん
おまけイラスト
皆さん、こんにちは
小説を読んでいただき、ありがとうございます。
この新章を楽しんでいただければ幸いです。




