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ただの子供

この章はおまけのイラストが2枚あります、お楽しみに。


挿絵(By みてみん)


第17話


シサが息を引き取った。

ナルミの誕生日を祝ったあの日から、ひと月足らずのことだった。

エイシオとフローリアンは、村から出て行く葬送の列を丘の上から見守っていた。

「ねえ、みんなどこへ行くの?

僕もシサを見送りたい。」

「村には村の習わしがある。

我々よそ者が干渉するべきではない。

さあ、トレーニングの時間だ。行くぞ。」

丘を下るフローリアンの冷たい態度を、エイシオはひどく悲しく思った。


翌朝、浜辺で2人の到着を待っていたのはアイコだった。

「おはようございます。」

と、以前のように元気よく挨拶をしたアイコだったが、目の下のクマが、彼女の憔悴(しょうすい)しきった心を表している。

「大丈夫か?」

というフローリアンの問いに、

「はい。」

と、通る声で答える。

フローリアンは、敢えて平常通りの対応を心掛けた。

彼女に余計な憐れみをかけたところで、シサが生き返るわけではない。

返って彼女の心を深くえぐってしまうかもしれない。

なにより、シサはそれを望んではいないだろう。


その日、いつも通りのメニューをこなし、トレーニングを終えたエイシオは、ひと足先にナルミの家へ向かった。

それはアイコの願いでもあった。

「エイシオと話すことで、ナルミも少しは元気になるかもしれません。」

そう彼女がポツリともらしたのを、フローリアンは、ただいつもの無感情な顔で聞いていた。


-------------------------------------------------------------------------------------


「ナルミ?」

エイシオは、シサのベッドで横になっているナルミを見つけて駆け寄った。

「大丈夫?」

「おばあちゃんがいなくなって、家がとても静かになっちゃった…」

「うん…」

「人はね、いつか必ず死ぬの。

それが普通のことなのよね。」

「うん…」

「神様に送り出されて、この世に生まれて、死んで安らぎの園へ帰るんだって。

だから悲しいことじゃないって、ママが言ってた。

エイシオもそう思う?」

「うん…」

「そうよね。

おばあちゃんのためにも、わたしが笑ってなきゃだもん。」

体を起こしたナルミはベッドに腰かけた。

「うん、そうだね。」

エイシオは優しく微笑んで見せた。

「そうだ、エイシオ。

エネルギーコントロールのこと、忘れないでね。

あなたがわたしに教えてくれるようになる日を楽しみにしてるんだから。」

「うん、もちろん。

そしたらさ、ナルミ。

君は僕に、君が大切に育ててる花や草を見せてよ。」

「もちろんよ。」

ナルミはベッドからピョンと降りて、エイシオの手を握った。

「親友の約束だもんね。」

そう言って微笑み合った。


その頃、まだ浜辺にいたフローリアンは、アイコの霜焼けた手を見て尋ねた。

「シサの看病の間も、トレーニングを続けていたのか?」

「ええ。でも、もうずいぶん慣れてきましたよ。」

そう言って、右手を彼に見せた。

「そうか。それは良かった…。」

「ありがとうございます。」

「礼も何も、努力したのは君だ。」

「いえ、そうじゃなくて…。

母が安らかに()けたのは、あなたがたのおかげと思っています。」

「なぜ?」

アイコは立ち止まり、穏やかに微笑む顔をフローリアンに向けた。

「彼女の人生は壮絶でした。

私が想像もできないほどに。

その心労の蓄積が、徐々に彼女の体を蝕んでいたのでしょう。

ナルミの誕生日のお祝いのあの日の夜、突然倒れたんです。

彼女はそれから3週間、頑張ったわ。

とても強い人でしたから。

そんな母が一番心配していたのは、ナルミと私のことでした。

ダイチ一味によって、母が経験した災いが私たちにも起こることを何よりも恐れていました。

でも、あなたたちが現れた。

その時、母は確信したそうです。負のサイクルは断たれた、と。」

アイコは波打ち際へと歩き、つま先を水に浸した。

「そうか…。」

フローリアンは少し離れた場所から、彼女の背を見つめた。

そしてポツリと話し始めた

「昔、俺は力を持ちながらも、“守る”ということに興味を失った。

人としての目標を見失ってしまっていた。

しかし、今、ようやく守るべきものを見つけ、前に進んでいくことができている。

もしシサが生きていたなら、彼女の助言に耳を傾け、もっと多くのことが学べたと思う。

とても残念だ。」

フローリアンの思いがけない言葉にアイコが振り返る。

逆光になった彼の表情は読みとれない。

それでも、この男にも誰ともたがわぬ温かい心があることを感じていた。


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季節は移ろい、エイシオたちがこの村に定着してから、2度目の冬が訪れようとしている。

この頃にはエイシオの操術(そうじゅつ)もかなり上達していた。

大気中から自在にエネルギーを集められるようになり、思うままに体の至る部分にサーキットを発動できた。

アイコはといえば、ほんの少しエネルギーをコントロールできるようになったばかりだった。

自由にサーキットを巡らせるエイシオを見ながら、

「私はまだまだね…。」

と、ため息をつく。

「いや。君は君の年齢にしては、まあまあなペースで上達している。」

フローリアンが無粋なことを言った。

「私の年齢にしては、ですって?」

今年30歳になったアイコは、年の事を言われて少しカチンときたようだ。

「いやいや、悪い意味ではなく…。

とにかく、エイシオと同レベルに達するには、まだ何年もかかるだろう。」

「私はともかく、エイシオは才能があるものね。」

アイコは優しい目でエイシオを見つめる。

「確かに、あいつには才能がある。

だがそれだけではなく、工夫で困難を克服している。

だから、あれほどまでに急速に上達したのだろう。

潜在能力は俺よりずっと上だ。

可能性という点でも、俺をはるかに凌駕(りょうが)している。

あとは、その秘められた力を引き出してやるだけだ。」

そう言うと、フローリアンはサーキットを発動させて遊んでいる少年の方へと歩み寄り、

「エイシオ、最も肝心なステップへ進むときが来た。」

「え?」

少年は真剣な眼差しで男を見返した。

「エレメンタル・エネルギーを体内で自在にコントロールできるようになったなら、次はそれを形にしなければならない。

体から発するエネルギー派のとる形は操者(そうしゃ)それぞれの技術に由来する。」

「すごいな!

じゃあ僕も塩蟹に追いかけられた時みたいに、大ジャンプできるようになるのかな!」

エイシオは期待に胸膨らませ、それっぽいポーズをとってはしゃいでいる。

「おい、真面目に聞け。

まずは手のひらに風のエネルギーを集中させろ。

そして可能な限り圧縮させるんだ。

それを一気に放つ。

見てろ。」

そう言うと、フローリアンは腕を伸ばし、エネルギーをチャージする。

サーキットが走り、手にライトブルーの環が光り、低い波動音が響く。

同時に、放たれた強力な気流が海面を割りながら水平線に向かって一直線に走って消えた。

巻き起こる風が、後方にいたエイシオとアイコをも揺さぶる。

これが一流の操者(そうしゃ)の本気の力なのかと、2人は息を呑んだ。

「慣れないうちは、放出の際にエネルギーが分散し、十分な威力を発揮しないだろうが、時間をかければ、いずれできるようになる。

さ、ボケっとしていないで、さっそく練習を始めろ。」

「え?そんなこと言ったって、どうやってエネルギーを圧縮させればいいのか分かんないよ。

もっとさ、ちゃんと教えてはくれないの?」

エイシオは苛立ったように訴える。

「風使いが全員同じ技を使うとでも思っているのか?

操術(そうじゅつ)に教科書などない。

個々のスタイルがあるんだ。」

ふてくされる少年をその場に残し、フローリアンはアイコに歩み寄った。

「さて、君はある程度のエネルギーコントロールが可能になった。

とはいえ、それをさらに上のレベルまで上げるには時間がかかりすぎる。

そこで提案だ。

武器との併用で、足りない部分を補う訓練をしよう。」

「武器?」

アイコが首をかしげる。

フローリアンの背後、少し離れた波打ち際で、エイシオが早速小さな気流を作って砂を巻き上げている。

「あいつのそばにいたら、帰るころには砂まみれだ。

ちょっとこっちへ。場所を移そう。」

大きな一枚岩を挟んだ海岸西側の磯へと移動する。

ここならば、岩が緩衝(かんしょう)になって、小さな風使いの砂嵐を防げる。

「エイシオはスゴイわね。

もう風を起こすことができてる。」

「だが、あれじゃ風使いというより、砂塵(さじん)使いだ。」

少し顔をほころばせたフローリアンだったが、すぐに真剣な表情に戻り、砂の上に転がっていた手ごろな流木を2本手に取った。

その1本をアイコに差し出す。

「剣は元来、近接攻撃用の武器だ。

だが、それに君の氷のエネルギーを(まと)わせることで、遠距離攻撃も可能になる。」

アイコは流木を両手で受け取り、その言葉を神妙な表情で聞いている。

「昔、ヴェントゥム領の島で剣術を学んだことがある。

まあ、俺のは(なか)ば我流だがな。

刀には適する型ではないが、ダイチあたりの雑魚(ざこ)と戦う分には問題ないだろう。」

そう言うと、剣に見立てた流木をクルっと回して(ちゅう)を突いた。

「まずはガードからだ。

ポスタ・ディ・フィネストラと呼ばれる型。

足は肩幅に、左は前、体重は右足に乗せろ。

剣は両手で持って、視線の高さへ。」

説明されるままに実践してみるものの、初めからうまくいくわけもなく、隣で同じ型を取るフローリアンとは全く別物のように見える。

「もっと自然に。

そのへっぴり腰はどうにかならんもんかね。」

腰と裏腿を軽く木で打たれ、アイコは更に妙に力を入れてしまい、ますます訳が分からなくなる。

「やれやれ。」

フローリアンはアイコの背に回ると、腕に手を添え、「この位置。」と矯正する。

膝でアイコの左腿を前に押し出し、正しい姿勢を取らせる。

嫌が上でも体が密着する。

フローリアンは気にする様子もなく、流木をアイコの手の上から握り、

「これがガードのポジション。

流れるように攻撃に転じる。」

と、剣技の一連の所作を落ち着いた様子で指導する。

対してアイコは突然の事態にわなないていた。

もちろん、異性を知らないわけではない。

が、期せずして感じる他人の体温に、彼女の心臓がうるさく高鳴っていた。


挿絵(By みてみん)


2時間ほど経ったころには、アイコは1人で構えから攻撃までの動作を淀みなく行えるようになっていた。

師は、彼女に小休憩を提案した。

冬が近いとはいえ、赤道に近いこの地域は年間を通して温暖だ。

フローリアンは上衣をくつろげ、岩に腰かけ涼んでいる。

波打ち際で顔を洗っていたアイコが、思案するように空を眺めるフローリアンの様子に気づいて声をかけた。

「どうしました?エイシオのこと?」

フローリアンは空を見たまま、その問いに答える。

「いや、君の型はだいぶ様にはなってきたが、まだ芯がぶれるのが気になってね。

どうしたら、もっとマシになるか考えていた。」

そう言われても、彼やエイシオと違って、もともと自発的に戦闘術を身に着けようと思ったわけではない。

何より1日足らずで上達するはずもない。

アイコは、「そう簡単にマスターできるはずもないでしょう。」と内心思いながらも、

「いいんですか?

私のトレーニングにばかり気を遣っていて。

エイシオは放っておいても平気かしら?

あの子、1人で…」

「それは問題ない。

アイツの性格じゃ、用があれば自分から飛んでくるさ。」

ふいにこちらに顔を向けたフローリアンと目が合い、恥ずかしさまぎれにアイコが目をそらせた先、岩に立てかけられた剣に目が留まった。

村に初めてやってきたときから、彼はあの剣を携えている。

だがアイコは、それが抜かれるのを一度も目にしたことがないことに気づいた。

「その剣…」

それに反応するように、男は帯刀(たいとう)に目を落とす。

「ダイチの刺客と戦ったときも、あなたはその剣を使いませんでしたね。

あなたは剣術の心得もあるのに、なぜ?」

フローリアンはベルトから剣を外すと大切そうにその(さや)に触れ、やや躊躇(ちゅうちょ)しながらも、静かに語り始めた。

「これは昔、俺にとって大切な女性からもらった物だ。

彼女の名はダリア。妻だった女。

大切なものを守るために託された剣だったが、振るったのは、ただの1度きり。

しかし俺は守るべきものを失った。

だからもう使う理由がない。」

「でも今は、守るべき大切なものを見つけたんでしょう?」

「…」

フローリアンはただ黙って水平線を見つめている。

「もし…、

もし私が、あなたが守りたいと思うものを一緒に守りたい、と言ったら…?

いいえ、私があなたのお手伝いをするなんて、おこがましい事と分かっています。

でも、私にだってできることはある…。そう思うの。」

沈黙の時が流れる。

アイコは突発的に発した自分の言葉を恥じてうつむいた。

「君からそんな言葉を聞くとは思わなかった。」

フローリアンは腰を上げ、アイコの隣へ歩み寄り、

「正直、君がどこまでやれるか俺には分からない。

実際、今の君は弱い。

だが、君には守るべきものがハッキリ見えているのだろう?

ならばこの剣は、君の手にあるほうがいい。」

そう言って、銀の(さや)に収まった剣を彼女の手に握らせた。


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思いもしない事件が起きたのは、その夜のことだった。

フローリアンが眠ったことを確認したエイシオは、テーブルの上に置かれた結晶石の入った小袋をそっと持ち出した。

そして砂浜で待ち合わせていたナルミの前に9つの石を転がし、

「さ、やってみて。」

自分の風の能力を発見したあの時と同じふうに、ナルミに手をかざさせた。

少女の手が小さな反応を見せたのは水蒸気。

ナルミはひどく興奮しているようだった。

その時、背後の茂みが揺れる。

身構えつつエイシオは、慌ててナルミを背後にかくまう。

その拍子にナルミが砂に足を取られ転んで尻もちをついた。

2人の前に姿を現したのは、村の少年ケンゾウだった。

「オイ、お前、そこで何してるんだ?

ナルミに何をした?」

と、怪訝(けげん)に問う少年の手には、一振りの刀が握られている。

彼の身長に似つかわしくない長い抜き身の(やいば)が、半月の明かりに照らされ、不気味に光っている。

「何…って、君こそ、刀なんか持って危ないじゃないか。

そんなもの仕舞(しま)えよ。」

エイシオが強気に言い放つ。

「うるさい!危ないのはお前の存在だ!

ナルミから離れろ!」

ケンゾウは激高(げきこう)したように刀を振り上げ、走り寄ってきた。

が、刀は重いうえに、長い刀身が少年のバランスを奪う。

ケンゾウは凶器を手にしたまま、ひっくり返った。

その反動で、小さな反乱者の手を離れた刀が高く弧を描いて跳ね上がる。

そして重力の法則にしたがい、落下する。

切っ先を下に落ちてきた刀は、砂の上に仰向けに倒れたケンゾウの、あわや頬をかする位置に突き立った。

恐怖に固まるケンゾウの、その一瞬の隙をエイシオは見逃さなかった。

頭で考えるよりも先に体が動いた。

砂の上を勢いよくスライディングして、刀を蹴り飛ばす。

しかし怯えたケンゾウは、これをエイシオの攻撃と勘違いしたようだ。

「近寄るな!悪魔め!」

そう叫び、錯乱したかのように握った砂を闇雲に投げつける。

「——っう…!」

砂を顔面にモロにくらい、エイシオは視界を失ってうずくまった。

厚い雲が月を覆い、浜辺を闇に包む。

と、そこへ聞きなれない女の怒号が響いた。

「ケンゾウ!こんな夜中に何をしているの!?」

声の主はケンゾウの母親である。

砂の上にへたり込む2人の少年の姿を目にした母親は、恐怖に駆られ叫んだ。

「ケンゾウ、こっちへ来なさい!

その悪魔の子に何かしたら、お前はあの男に殺されてしまうんだよ!」

「だ…だって母さん、こいつ、ナルミをいじめてたんだ!」

立て続けに起きる不穏な展開に、ナルミは(なか)ばパニックになりながら、

「違う、違う!ケンゾウ、おばさん。

エイシオはそんなことしない!」

必死に訴えるも、その思いはもはや精神が崩壊しかけたケンゾウの母には届かない。

「あなたもあの悪魔に洗脳されてしまったの!?」

女の震える声が夜の浜辺に響く。

「違う…!違うんだってば…!」

もうどうすればよいのか分からないナルミは、目の痛みにあえぐエイシオの(かたわ)らに座り込み、もどかしさの涙をこぼしていた。

 雲が切れ、明るい下弦の月が姿を現す。 

 月明りはその場にいた全員の影をくっきりと砂の上に映す。

 ケンゾウの母は、目の前に伸びる自分のものではない、もう1つの影に気づいて戦慄した。

怯えたように振り向いた先にいたのはフローリアン。

エイシオが家を出てから、ここまでの様子を静かに見守っていたようだ。

女はおののきながら、その足元にひれ伏し、

「どうか、どうか息子の命だけは…」

と、震える声で訴える。

しかし、フローリアンは、まるでその女が見えていないかのように脇をすりぬけると、砂の上にうずくまったままのエイシオの脇に膝をついた。

「大丈夫か?」

「痛い…。何も見えない。」と涙を流すエイシオを肩に負い、震えるナルミの手を取って立ち上がらせた。

もと来た道を引き返す道すがら、地面に(ひたい)を擦り付け平伏する女の脇で立ち止まり、

「刀が危険な凶器であるということを忘れてはいませんか?

あなたはそれを子供の手の届くところに置くべきではなかった。

エイシオはもとより、一歩間違えばケンゾウ自身の命を奪っていたかもしれなかったのですよ。

その刀をあなた方に託したのは、ダイチ兄弟と戦うためです。

お互いを傷つけあうためではない。

我々はあなたがた親子にも、この村の人々にも害をなすつもりはありません。

今後、このような事故がおこらぬよう、どうかそれだけは理解していただきたい。」

そう語るその声は、鬼でも悪魔でもない。

心地よいほど落ち着き払った低い声色からは、一切の悪意を感じさせない。

物堅(ものがた)い言葉は、男の清々(すがすが)しいまでの生真面目さを表している。

確かに、外敵に対しては苛烈(かれつ)なまでの制裁を加えるが、未だかつて村人たちがその標的となった事例はなかった。

なぜ今までそれに気づこうとしなかったのか。

なぜ闇雲(やみくも)に恐れていたのか。

ケンゾウの母親はようやく目が覚めた思いがした。


この話は、あっという間に村人たちの間に広がり、翌朝にはアイコに伴われ、長老をはじめとして多くの人々が、これまでの非礼を詫びにやって来た。

が、フローリアンはいつもと態度を変えることなく、庭先の一角を指さした。

そこにはエイシオとナルミに深く頭を下げるケンゾウの姿。

エイシオはケンゾウの肩に触れ、笑顔で何か語りかけている。

次の瞬間には、子供たちは、もう楽しそうに走り回っていた。

これまでのわだかまりなど無かったかのように。

「御覧なさい、あの子供たちを。

罪のない姿を。

…たしかに私の行いは悪魔と揶揄(やゆ)されても申し開きはできない。

実際この手を血で汚した過去は拭えません。

しかし私もエイシオも、この村を、そして人々を守りたいと考えました。

いえ、守る価値があると思っているのです。

もし非があるとすれば、それは私1人の話。

子供に罪はないのです。」

その言葉を聞き、アイコがフローリアンの腕にそっと触れる。

「いいえ、あなたにも罪はありません。

この村は、私たちは長い間、ダイチという影の下で(しいた)げられてきました。

でも、ここに光明を得て、ようやく影の外へ出る時が来たのです。

全ては、あなた方のおかげ。」

その言葉に、一同が深くうなずいた。


挿絵(By みてみん)


その一件以来、人々の心を縛っていた氷の鎖が溶け始めた。

今では確実に人々は彼らを“村の一員”として迎え入れている。


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それから間もないある日。

朝日が海面をまぶしく輝かせる砂浜で、エイシオは1人、トレーニングに励んでいた。

「おはよう!」

一声かけて、風を巻き起こす少年の脇を、足を止めることもなく小走りで駆けて行くのはナルミだ。

聞けば、これから桜の木の世話をしに行くのだとか。

「気を付けてね。」

というエイシオの大きな声がナルミに届いたのかどうか、遠ざかる彼女からの返事はなかった。


森の奥、1本桜の元までやって来たナルミは、手際よく雑草を刈り取り、持ってきた小さな水筒の水を丁寧に根元にまいた。

しかし少しばかり水はすぐに地面に染みこみ、一部分の土がわずかに湿っただけ。

彼女は水筒を掴むと、少し先の小川へと走った。

木の根を飛び越え、岩を迂回し、やがて小さな水音が聞こえてきた。

突然、薄暗い森の中に響いた「ギャーッ、ギャーッ」という不気味な叫び声に、ナルミは凍り付いた。

木々の間に目を凝らしても何も見えない。

怯えた少女は、一目散にエイシオのいる砂浜へと駆けた。


ナルミからの報告を受けて、何が何だか事情もよく分からないまま、エイシオは少女に引っ張られ、共に森の中を歩いていた。

「本当に聞いたの?鳥の声じゃなくって?」

エイシオは、ナルミが聞いたという“お化けの声”よりも、トレーニングをサボったことがフローリアンにバレることを恐れているようだ。

「本当よ、小川の近くで聞いたんだって!

もう少し先よ、あの大きな岩の向こう。」

ナルミの示すままに、背の高い雑草が生い茂る森の中を進む。

やがて、かすれがすれではあるが、怪しげな叫び越えが聞こえてきた。

だが、周囲の木々に反響して、音の源が特定できない。

「う~ん…、こんなときにヒロみたいな技が使えたらなぁ…。」

エイシオは周囲に注意を払いながら、心細そうにつぶやいた。

「ヒロって誰?」

エイシオの背中にくっついて歩くナルミが尋ねる。

「風使いだよ。

風の力を使って、遠くの音も聞けるんだ。

あ、でも、そいつは悪者だったんだけどね。」

「ふぅん…」

ナルミは話半分で、怯えたように周りをキョロキョロ見回している。

そうこうするうちに、叫び声がだんだん大きくなってきた。

「あのイバラの茂みから聞こえるみたいだね。」

エイシオがナルミに下がるように言って、腕に力を集中させる。

放った風は刃とは呼べない代物だったが、それでも複雑に絡まったイバラを散らせるには十分だった。

「見て!」

ナルミが指さした先に、白黒の、丸くてフワフワしたものがうずくまっている。

「なんだこれ?」

エイシオが気の抜けるような声を出す。

大人の両手に乗るほどの生き物が、ぐったりと地面に伏せ、小さな体を小刻みに震わせ、必死に息をしているようだ。

それを見たナルミがエイシオの静止を振り切って駆け寄り、抱き上げた。

「たいへん!この子、怪我してる!」

見れば、フワフワの中から突き出た小さな前足から血が流れている。

風刃(ふうじん)が当たったのかも…。」

エイシオが申し訳なさそうに言う。

とたん、ナルミが謎の生き物を抱きしめて泣き始めた。

もうどうすればいのか分からなくなった少年は、生き物を抱えたナルミの手を引いて、急ぎ森を抜け、アイコの待つ家へと駆けた。


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「動物の治療は専門外よ。」

アイコは薬草を塗った謎の生物の前足に包帯を巻きながら言う。

ナルミは顔を曇らせた。

「でももし、この子に“生きよう”という強い気持ちがあるなら、きっと助かるわ。

野生の生き物の生命力は強いのよ。」

ナルミは目に涙をいっぱいに溜め、何度も無言でうなずいた。

そして、小さな生物を優しくなでる。

「あまり触っちゃ、その子の体に負担をかけるわよ。

そんなに心配なら、あなたのベッドを貸してあげなさい。」

子供たちはアイコの言う通り、その小さな生物をナルミのベッドに運んだ。

そして回復を祈って、静かに見守ることにした。


日が落ちるころ、異変に気付いたのはナルミだった。

小さな生き物が、クリクリとした丸い目を開け、周りの匂いを嗅ぐ仕草を見せた。

子供たちは安心と喜びを分かち合い、クスクスと笑った。

エイシオが、そのフワフワの鼻の前にそっと手を出す。

ガルルルル…と、一丁前に威嚇をしている。

噛みつこうとしたようだが、前足に力が入らず、毛布に突っ伏した。

その様子はあまりにも可愛く、健気(けなげ)

エイシオがそっと小さな頭に手を触れ、優しく撫でた。

フワフワは最初こそ怯えていたが、目の前の人間が害をなす相手ではないと分かると、その手をペロペロなめはじめた。

「お腹が空いているのかも!」

ナルミが跳ねるように部屋を飛び出すと、母親の元へ駆けて行った。


何を食べるのかは分からなかったが、とりあえず家にあった魚と水を与えてみることにした。

小さな生き物は、自分の体ほどの大きさの魚をペロリとたいらげ、勢いよく水を飲み干した。

そしてベッドの上でフワフワの長い尻尾をパタパタ振りながら、毛づくろいを始めた。


挿絵(By みてみん)


「ほんとうに可愛いなー。なんて生き物かな?」

2人の子供たちは、愛おしそうに白黒模様のフワフワを見つめている。

やがて、戸口が開く音とともに、「エイシオはいるか?」と声が聞こえる。

フローリアンだ。

「お前、ここにいたのか?ずいぶん探したぞ。

鍛錬はどうしたんだ?」

(あん)(じょう)、叱られた。

「ごめんなさい。

でも、見て。」

フワフワの生き物を両手で高々と抱えて、フローリアンに見せる。

フローリアンと目が合ったとたん、謎の生き物が激しく威嚇しはじめた。

「ほう、珍しいな。ヴォルコの幼生(ようせい)か。」

「ブオルコって?」

子供には発音が難しいのか、たどたどしい口調でナルミが尋ねる。

そこへ、ちょうど畑で果物を収穫し終えたアイコが戻ってきた。

「あら、おチビちゃん、元気になったのね。

一安心だわ。」

エイシオは嬉しそうにアイコに向かって微笑みを返すと、フローリアンに向かって

「フローリアンも抱っこする?」

と、無邪気に尋ねた。

「いや、俺は遠慮しとく。猫なら別だがな。

それに、ヴォルコは危険な生き物だ。

残念だが、早めに始末した方がいい。」

「危険ですって?こんなに可愛いのに?」

アイコがエイシオの手からヴォルコを受け取り、胸に抱く。

「ヴォルコは希少種の獣。怪狼(かいろう)の一種さ。

小さいときは確かに可愛いが、成獣はとんでもなくデカくて獰猛だ。

蒸気属性のブラックと、氷属性のホワイトの2種があるが、いずれも人の手におえるような生き物じゃない。

それにしても、コイツは妙だな?混血種か?」

椅子に腰かけたアイコの膝の上で丸まった、白黒の小さな生き物を凝視する。

フローリアンの話は、子供たちにとってショックだった。

こんなに可愛い小さな生き物が危険な生物だなんて信じたくはなかった。

なにより駆除されてしまうことが悲しかった。

「かわいそうよ。ねえ、飼えないの?」

ナルミが落胆した瞳でアイコを見つめる。

「そうね、危険なら飼えないわ。」

それを聞いて、子供たちはメソメソ泣き始めた。

「だが…」

フローリアンがヴォルコの前に人差し指を出し、激しく威嚇する様子を観察しながら言葉を続けた。

(まれ)ではあるが、飼いならした例がないわけではない。」

「え?」

エイシオが顔を上げる。

「攻撃性が現れたときには、俺が処分する。」

「それって?」

すがるような目でフローリアンを見つめている。

「ヴォルコは我々が責任をもって預かる。

それでいいな?ナルミ。」

ナルミは輝く笑顔で「うん!」と元気よくうなずいた。


子供たちはナルミの部屋に引きこもっている。

どうやら大人に内緒で仔ヴォルコの名前を考えているようだ。

居間に残ったアイコは、膝の上のヴォルコを撫でながら、フローリアンに尋ねた。

「この子、どうして森に1匹でいたのかしら?

親はどうしたのかしら?」

「この地域にヴォルコは生息していない。

それにヴォルコは自然界で異色交配をしない。

思うに、どこかの物好きが金にモノを言わせて、人工的に交配種を作らせたんだろう。

輸送の最中だったのか、連れて旅していたのかは知らんが、何かの理由でコイツが逃げ出したんだろうな。

ま、持ち主が必死で探し回っていないところを見ると、もうコイツに興味はないんだろうがな。」

テーブルの上の果物を1つ摘まみ、男は話を続けた。

「ヴォルコの成獣は人の背丈よりデカい。

ドラゴンを狩るという古い伝承にあるとおり、まさにモンスターさ。

だが、人間に上手く順応させれば、この村の守り神になるだろう。」

「…だといいけど。」

ヴォルコはアイコの膝の上で眠ってしまったようだ。

彼女は撫でる手を止め、不安そうにフローリアンを見た。

「ああ、心配するな。」

男は素っ気なく答え、手にした果実を口に放り込んだ。


挿絵(By みてみん)


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火王朝(かおうちょう)帝都、フシチョウから約500キロ余り南の街、ヤマガ。

その郊外の街並みに溶け込んで建つトレディシムの拠点の一室で、イッキは1人、瞑想していた。

「失礼いたします。」

その声に薄らと目を開ける。

射貫くような視線が来訪者を捕らえた。

入ってきたのは教団のハナミ大教区の参事官。

男は、うやうやしく頭を下げ、窓に背を向け座する導師の前へと進む。

「例の信徒失踪についての報告書をお持ちしました。

お目通しを。」

差し出されたデバイスに手をかざし、エネルギー流を流すと、そこにホログラムが浮かび上がる。

イッキは、しばらくそれを注視していたが、粗雑(そざつ)に参事へ突き返し、

「ヒロ、とかいう信徒、そしてカノウ。

彼らは愚かにも己を過信しすぎていたようだ。

もしくは、フローリアンを甘く見すぎていた。

もうよい。ヒロの探索は中止せよ。

どうせ死んでいる。」

そしてまた目を閉じた。

「イッキ卿、たいへん失礼とは存じますが、カノウを処刑する前に、なぜ尋問されなかったので?

もっと重要な情報を、もっと早く手にいれることができたかもしれませんのに。」

「この世は裏切りに満ちているのだよ。

秩序を乱すものは(ちゅう)す。

いわばカノウは見せしめだ。」

イッキは瞑想の姿勢を崩さず、低く威厳のある声で参事の問いに応えた。

「では、まだあなたの耳に入っていない情報を提示いたしましょう。

ヒロはフローリアンの潜伏していたカイヘイワの村から、エーヘイデンへ向かうルートの道すがらで消息を絶ちました。」

「その情報は先ほどの報告書で見た。」

声に苛立ちがにじんでいる。

「話は最後まで聞くものです、導師様。

カイヘイワを出る際、ヒロは10歳たらずの子供を連れていたそうです。

当初、それはフローリアンをおびき寄せるための(おとり)だと考えられていました。

しかしあの男に子供はいません。

つまり…」

そこまで黙って聞いていたイッキが唐突に立ち上がり、

火王朝(かおうちょう)の国境、および全ての港に人員を配置し、全域の市街に偵察を送れ。

いや、時が経ちすぎている。

全世界の教区に伝令を出し、フローリアンを見つけ次第、私に報告するよう伝えよ。

決して手出しはするな。いいな。」

命令を聞いた参事官は、「ははっ」とかしこまり、その場から去った。


窓辺に立ち、明るい陽射しがあふれる戸外を見つめながら、イッキは唇をかんだ。

無謀とも思えるヒロの行動、危険と知りつつそれを幇助(ほうじょ)したカノウ。

ヒロは子供をさらって逃走し、およそフローリアンに殺されたと推測される。

フローリアンのような冷酷な暗殺者が意味もなく子供に執着するとは考えられない。

ヤツが危険を冒してまで守ろうとした子供。

…それの意味するところとは。

――導き主は、すでにこの世にご出現なさっている。――

窓に手をつき、青く澄んだ空を見つめた。

この世のどこかにいる導き主、十三(ぐう)のまだ見ぬ姿に、イッキは思いを馳せ祈った。

(しゅ)よ…、いったいどこにおいでなのだ…。」

暗い室内に、切なく(ひと)()ちた声がかすかに響いた。



挿絵(By みてみん)


彼はトレディシム修道会のこれまでの歴史同様、ただ待つべきであると知っていた。

暗い闇に身を伏せ、耳をすまし、ただ、その時が来る日を。 

 偉大なる導き主のご誕臨(たんりん)

 そして、彼らの王がその使命に目覚め、聖なる覇業への道を照らす日を。


                            第17話 おわり


書きました。アブサロン


イラストはこちら ペイやん



おまけイラスト


挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)

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