村の哀歌
第15話
隠れ村の夜は静かだ。
貧しい村には、照明はもちろん、オイルランプを灯す油すらない。
よって人々は日が暮れるとともに戸口を閉ざし、眠りにつく。
屋外に人影はない。
聞こえるのは、ただ風に揺れる雑草のかすかなざわめきのみ。
おおかたこのようなひなびた田舎村であれば、虫の声がうるさいほどに響くものだが、どうしたわけか、この周辺には音を立てる種の虫が生息していない。
風がやめば、真の無音となる。
聴力を失ったかと不安になるほどの静寂。
フローリアンとエイシオは、アイコの厚意で彼女の家の1部屋をあてがわれていた。
当初、ほんの数日の滞在予定であったが、エイシオの傷は思いのほか症状が酷く、やむを得ず傷が完治するまでの期間をここで過ごしている。
フローリアンは所々に隙間の空いた床に座り、壁にもたれて宙を見ていた。
エイシオは、ほこり臭い布団の中で安らかな寝息をたてて眠っている。
傷はずいぶん癒えてきたようだ。
出発の日は近い。
フローリアンは、おもむろに地図を取り出し、淡い月明りを頼りに、およそ今いるであろう場所から目的地までのルートを模索していた。
翌朝、フローリアンはエイシオを連れて、あまり村人が近寄らない浜辺へ向かった。
エイシオが傷を負ってから、間もなく1か月。
その間、エレメンタル・エネルギーの訓練も全く進んではいない。
ここ数日で、肩の痛みも引いてきたと見て、久しぶりに鍛錬のために連れ出したようだ。
一方、村人たちは長老の家に集まっていた。
長老と数人の老人を除いて、ここにいるのは年齢こそ様々であれ女性ばかり。
若い男性の姿はない。
「それで、あの旅人は、いつまでここにいるのかね?」
温和そうな顔の長老が白い顎鬚を撫でながらアイコに尋ねた。
「ほどなく旅立つでしょう。
坊やの怪我が良くなるまで、という約束でしたし、ここ数日、ずっと地図を眺めているのが気になって…。」
アイコが伏し目がちに答える。
「気になる?旅人が旅をするのは当たり前だろう?」
長老の脇に座っていた白髪頭の爺さんが、茶化すようにアイコに言った。
アイコは状況が分かっていない年老いた男どもに怒りを感じ、つい声を荒げる。
「ダイチ兄弟はフローリアンさんに言いました。
必ず復讐すると。」
「フローリアン?それがあの旅人の名かい?」
長老が穏やかに尋ねる。
「ええ。ええ、そうです。
彼らは名乗ることを避けたけど…。」
ひとつ屋根の下、エイシオとフローリアンの会話を聞くでもなく聞いてしまったことに罪悪感を覚え、声が小さくなる。
「そんなことよりも、ダイチ兄弟の復讐の矛先は、きっと私たちにも向けられる。
私はそれが怖いんです。」
アイコの発言に、その場にいた女性たちがざわめく。
「でも、ここひと月あまり、アイツらはここへは来なかったじゃない。」
と、女の1人が言った。
「フローリアンさんがここにいるからよ!」
アイコが苛立った様子で切り返す。
「ダイチ兄弟は間抜けだけど、役にも立たない手下だけを連れて、のこのこ殴りこんでくるような馬鹿じゃないわ。
痛い目を見た相手に報復するために、きっと何か策を練ってる…。」
その言葉を聞いて、女性たちの顔に悲壮感が浮かぶ。
ようやく老人たちも、アイコが言わんとすることを理解し始めた。
女たちがアイコに詰め寄る。
「じゃあ、ずっとこの村にとどまってくれるよう、あの旅人にあなたが頼んでよ。」
「そうよ。状況を変えることができるのは、旅人たちと親しくしてるアイコさん、あなただけだわ。」
「お願い!このままじゃ私たち、いえ、子供たちは、桜の花が咲くころまで生きていることができないのよ!」
女たちにまくし立てられ、アイコはただうつむくしかできなかった。
親しい、というが、実際会話はアイコからの一方通行。
フローリアンは「はい」か「いいえ」だけを返すのが実状である。
もちろん、アイコも村を救いたいと強く願っている。
彼がこの村にとどまってくれさえいれば、村は守られる、ということを知っている。
憔悴しきった村人たちの顔を見るまでもない。
これまで村の人々が受けた仕打ちを、彼女自身、目の当たりにしてきたのだから。
しかし彼女の倫理感が、利己的な理由だけで人を操ることを良しとしなかった。
ジレンマの中で、彼女はますますうつむくしかなかった。
「桜の花が咲くころまで生きていることができない、ですって?
それでいいじゃありませんか。」
辛辣な声の主は、戸口に立っていたアイコの母、シサだった。
その場にいた一同、信じられないといった顔で、枯れたオレンジ色の髪を肩に垂らし、凛とした姿勢で立つその女の顔を見つめている。
無理もない。
これまで村人を癒し、心の支えになってきた賢い女の口から、そのような言葉を聞くとは夢にも思っていなかったからだ。
「か…母さん?」
「シサ、なんてことを言うんだい…」
長老が眉をひそめる。
シサは、その場にいた全員に一瞥をくれ、言葉を重ねた。
「私たちは長い間、あのダイチ一族によって支配されてきました。
たとえ、あのウスノロたちが死んだとしても、その地位を継ぐ輩が台頭するでしょう。
フローリアンさんに期待する気持ちも分かります。
でも彼も人間。不老不死ではないの。永遠には守ってくれない。
分かる?
この苦役は永遠に続くの。
私は、そんな人生なんて、もうたくさんだわ。
私たちが唯一自由になれる手段は、この村が滅びることなのよ。」
そう言ったシサの声は、ひたすら冷静だった。
ゆえに、人々は言葉を失い、ただ涙を流すしかなかった。
特にアイコにとって、この一件は、彼女をより苛む結果となった。
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その夜、人々が寝静まった時刻を見計らって、アイコは誰にも聞かれず話がしたい、と言って母親を裏の丘まで連れ出した。
欠け月が空にかかり、あたりは相変わらずの静寂。
「どうしたの?夜更けにこんな場所に出てくるだなんて、不用心だわ。
まさか今朝のことで、私を叱るつもりかしら?」
シサは、朝と変わらず、凛とした姿勢で娘に問うた。
「いいえ。たしかに、あの話は受け入れがたいことだけど、母さんの言ったことは全うだわ。
でもね、私は諦めたくないの。
ナルミのためにもね。
だから、フローリアンさんにお願いするつもり。
私、まだ“女”を武器にできるかしら?」
そう言って、いたずらっ子のように舌を出した。
そして再び真剣な表情になり、
「ま、無理よね。頭の固そうな人だもの。
だったら正面切って真摯に乞うしかないじゃない。
たとえ、あの人の怒りを買おうとも、罵られようとも、無理って分かってても、試してみなきゃ。
もし最悪の結末を迎えるにせよ、できることをしてからじゃないと、納得して死ねないもの。」
と、夜空を見上げ、寂しげに語った。
黙って聞いていたシサが、優しく娘の顎を取って顔を向けさせると、その目をしっかりと見据え、いつもと変わらない落ち着いた口調で問う。
「その努力と犠牲は報われると思うの?」
「ナルミや、村の人たちが幸せに暮らせるためなら、私は無駄と言われても努力はおしまないわ。」
空には星が瞬いている。
何十年ぶりかに親子で見た夜空だった。
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翌日から、アイコはどうにかしてフローリアンとコンタクトを取ろうと、いつも以上に積極的に話しかけた。
が、彼の反応は相変わらず冷ややかなうえに、何か察したのか、アイコを避ける様子は一層顕著になった。
だが、彼女は、そんなことでくじけるような弱い女ではない。
2人が浜辺へと出かけるのを確認し、気づかれぬよう家を出た。
砂地の松原を歩くフローリアンとエイシオの前に飛び出してきた人影。
先回りをしたアイコだった。
両手を広げ、彼らの行く道を遮る。
「フローリアンさん、聞いてください。」
「つまらぬ期待を抱いているのでしょうが、私の意思は変わりません。
我々には目的がある。
ですから、いつまでもこの村に滞在することはできないのです。
理解してください。」
フローリアンは、そう言ってアイコの肩を押しのけ、歩を進める。
アイコは小走りで2人の行く手に回り込み、地面にひれ伏した。
「待って!
たしかにこの村には、あなたがたにとって何の利もない。
分かっています。」
頭を地面に擦り付け、小刻みに震える女を見下ろすフローリアン。
エイシオは、この光景にややショックを受けたように固まっている。
顔を上げたアイコの頬には涙のすじが光っていた。
彼女の曇りない黒い瞳がフローリアンを捕らえる。
しばらくの沈黙が続いた。
フローリアンは返答することなく、エイシオの背を軽く突いて促すと、小さくうずくまった女を迂回して、その場を離れる。
そして、いつしかその姿は、砂舞う風の中に完全に見えなくなった。
「お願い…。私たちを見捨てないで…。」
残されたアイコは、ただ砂を握りしめて嗚咽した。
無言のまま歩く2人の前に、やがて海が見えてきた。
海鳥の声が寒々しい冬の空に響いている。
フローリアンは小高い砂の丘で立ち止まる。
エイシオもその脇に立ち、ふとフローリアンを見上げ、
「ねえ、ほんとうに助けてあげないの?」
子供らしい、直接的な問いかけをした。
フローリアンの目は海の彼方を見たまま、
「俺がここに残れば、どうなると思う?」
「悪者をやっつけて、ナルミやアイコさんが喜ぶと思う。」
「そんな単純な話ではない。
悪党どもに、もし厄介な連中との繋がりがあれば、事態は更に深刻になる。」
「よく分からないよ。
何?“やっかいなれんちゅう”って。」
不安そうな瞳で見つめてくるエイシオに、ようやく顔を向けたフローリアンの表情は厳しかった。
「トレディシム。
覚えているだろう?ヒロのことを。
ヤツが守護者、つまりお前の存在を知ったということは、教団が存在を知ったということだ。
トレディシムは世界各地に拠点を置いている。
今頃、妙なゴロツキどもを安い金で使い、お前を探そうと躍起になっているころだろうさ。」
この言葉にもエイシオはピンとこなかったらしく、「う~ん…」と曖昧な相槌をうち、
「でも、悪者がたくさんやってきても、フローリアンならやっつけられるんじゃない?」
と屈託なく問う。
「ヒロはただの下っ端さ。
教団にはもっととんでもなく強いのがゴロゴロいる。
そんな奴らを村へ引き寄せるわけにはいかない。
例え互角に戦えたとしても、村人たちに当然負傷者は出るだろう。
この小さな村では満足な医療設備も整っていない。
待っているのは悲惨な最期だ。」
「じゃあ、僕がもっと強くなればいい!
たくさん訓練して、もっともっと強くなって、一緒に村を守るんだ。」
そう言って無邪気に笑った。
「簡単に言うな。」
そう言って、どことなく切なげに海を見つめるフローリアンは、砂を踏みしめる2つの足音を聞いて振り返った。
そこには、ナルミを連れたシサの姿。
その腕には、たくさんの果物を盛った籠が抱かれている。
「あなたたちのために、滋養のある果物を採ってきたの。」
シサが籠を差し出し、2人の旅人に見せる。
「わたしも手伝ったのよ!」
シサの後ろからナルミが顔をだした。
フローリアンは女性に軽く一礼して敬意をしめしながらも、努めて無感情な声で
「先ほどアイコさんには、我々の決意を伝えました。」
目の前の聡明な女性は成り行きを察したようにわずかにうなずき、ナルミに籠を渡す。
「さあ、ナルミ。
あっちでエイシオと食べておいで。
彼はまだ腕に上手に力がはいらないから、固い皮はあなたが剥いてあげなさい。」
「はーい。」と返事を残し、楽しそうに駆けていく子供たちを追うシサの目は、とても穏やかだった。
松の影の岩場ではしゃぐ子供たちの声を海風がかき消す。
波の音だけが一層クリアに聞こえた。
「このおばあさんの話を聞いてはみませんか。」
ふいにシサが振り向く。
やや枯れたオレンジ色の髪を風になびかせながら、凛とした視線をフローリアンに向けた。
「話を聞いたとて、心は変わりませんよ。」
フローリアンは敢えて女性から視線を外した。
「ええ、そうね。
あなたの目を見れば、決意の固い方だと分かります。
でもね、私は無理と承知でお願いしたいのです。
できるかぎりのことをしてからでなければ、私自身、納得して死ねませんからね。
…ふふ。これは娘の受け売り。」
そう言って目を細めた。
フローリアンは、その場にゆっくりと腰を下ろすと、視線を波打ち際に落とし、
「聞かせてください。」
と、ひと言告げた。
低い声は、哀れみを含んで聞こえた。
シサは、脇の岩に腰かけ、風に乗り舞う海鳥をぼんやり見つめながら、静かに語りはじめた。
「私はこの村の生まれではありません。
出身はアウェイディです。
旅の方ならご存じでしょう?西大陸の大国を。
私は幼いころから、父とともに生薬の行商をして、世界各国を旅してきました。
しかし、帝都フシチョウへ向かう途中、道を誤りたどり着いたのが、この村でした。
当時は潤った大きな村でしたよ。
緑豊かで、風薫る村…。」
そう言って、女は目を伏せた。
それから、やや言いよどむ様子を見せた後、意を決したようにうなずき、こう続けた。
「ちょうどその頃だったと覚えています。
ダイチ兄弟の父親が率いる盗賊団がこの村を襲いました。
目的は豊な土地よりも、金。
村人たちの財が尽きると、彼らは健康な少年たちをさらい、闇市の奴隷商人に売ったのです。
歯向かった者には容赦はありませんでした。
子供たちの父親は惨殺され、見せしめとして街道に吊るされたのです…。
賊どもは、村の人口維持と称し、若い女たちを辱め、子を産ませました。
生まれた子供たちの多くは、奴隷商人に引き渡され、少女の多くは母親と同じ地獄を味わいました。
分かりますか?
この村は、賊どもにとって、手っ取り早く金を得るための人間養殖場なんですよ。」
シサの視線は、空を漂う雲を追っていた。
彼女の瞳からは一切の感情が失われているように思えた。
過酷な過去は、この分別ある賢い老女の精神を明らかに蝕み、壊してしまったのだろう。
黙って聞いていたフローリアンの脳裏に、かつて妻が語った、恵まれない環境で日々、酷い暮らしを強いられる人々の話がフラッシュバックする。
「私はアウェイディ人でしたから、連中には気味悪がられていました。
アウェイディの軍が毒を操るという話は有名ですからね。
きっと私も同じように思われたのでしょう。
そこで彼らは価値のない“家畜”として私を処分しようとしました。
でもそうはなりませんでした。私には医学の知識がありましたから。
賊どもは、それに目を付け、彼らの怪我や病気の治療、それから女たちのお産の手助けをするために私を生かしたのです。
不名誉な生です。」
「…では、アイコさんは?」
海を見つめたまま、フローリアンが問う。
「毒リンゴに毒がないと知ったら、どうしますか?
お分かりでしょう?
私も他の女性たちと同じ地獄を味わいました。
あの子は、望まずして授かった娘です。
しかし経緯は何にせよ、自身の腹を痛めて産んだ子…。
愛おしい私の娘。」
ふいに風向きが変わり、楽しそうな子供たちの声が聞こえてきた。
振り返ったフローリアンとシサの視線の先で、無邪気にじゃれあう子供たち。
「…ナルミの出生も?」
この世の苦も知らず、ただ純真に戯れる子供たちの様子を見つめたまま、ぽつりとフローリアンが尋ねる。
「いいえ。あの子は、真実の愛の結晶です。」
涙を拭いて微笑むシサ。
「賊の中にも、まだ人の心を持った者がいましてね。
その男は、頭領の非人道的なやり方を不服としていました。
彼もまた、私たちと同じく、弱さ故にダイチ一党に支配されていたのでしょう。
アイコとその男は、本当の愛で結ばれていたようです。
アイコが身籠ったと分かったある日、彼はダイチに反旗を翻しました。
頭領を道ずれに彼は亡くなりましたがね。
ほどなくして産まれたのがナルミです。」
シサは空を見上げた。
「頭領は死にましたが、その後を、例の兄弟が継ぎました。
状況は変わらず、健康な少年たちは12歳ともなれば奴隷市場に牽いていかれます。
女性たちもまた、苛まれています。」
そう言うと、彼女は沈黙した。
辺りに砂を洗う波の音と、悲しげな海鳥の声が響く。
「つまらない前置きが長くなってしまいましたね。
フローリアンさん、私があなたに伝えたいのは、ただひとつ。
あなたがここを去る決意を固めていらっしゃるのなら、どうか我々に慈悲を。
苦しみの無い一瞬の死を与えてほしいのです。」
「…何を…」
思いもよらない言葉にフローリアンは狼狽した。
砂の丘を駆けまわる子供たちの歓声がかすかに聞こえる。
「それが、アイコやナルミを自由にしてやれる最善の方法なのです。」
そう言い残すと、シサはおもむろに立ち上がり、フローリアンに深々と一礼をしたのち、ナルミを伴って浜を後にした。
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エイシオは、大げさに肩を回し、
「もう痛くないよ!」
得意げに診察部屋から出てきて、フローリアンを見上げている。
「そうね。でも無理はダメ。
まあ、同じ症状が現れたとしても、あなたなら骨を元の位置に戻せるでしょう?」
診察室からナルミと出てきたシサが、フローリアンに声をかける。
「ええ、まあ。」
男はコートの上に巻いた剣のストラップを調整しながら、無感情な回答を返した。
そして、エイシオの頭を手で押さえて、お辞儀をさせ、
「長らくお世話になりました。」
そう言って、自身も軽く頭を下げた。
「ね、エイシオ、また遊びに来るよね?」
事情を理解していないナルミが、祖母の袖を引っ張る。
シサは何も言わず、優しい微笑みを残して部屋を去った。
戸を閉ざした隣の部屋では、アイコが黙ってこの会話を聞いていた。
もう頼れる者はいなくなる。
不安と絶望の入り混じった感情を押し殺して。
出発の準備をしながら、エイシオはフローリアンに問いかける。
「あのさ、ダリアは世の中が平和になるように、って戦ってたんだよね?
ん~、まあ、ここはダリアが守りたかったリコリスじゃないけど…。
でもさ…」
と、その時、外から悲鳴が聞こえた。
何事かと屋外へ出る。
「賊だ!…ダイチが来た!」
転がるように走る少年が、声の限り叫んでいる。
それを聞いた村の女たちは、一斉に手近の武器になる物を手に、村の門へと向かった。
唖然とするエイシオの前を、アイコが粗末な武器を携え、一陣の風のように駆けだしていく。
フローリアンは子供たちに
「家にいろ。戸を閉ざし、鍵をかけておけ。」
そう命令すると、アイコを追った。
門の前には、外敵の侵入を防ぐ簡素な柵が幾重にも置かれている。
それを挟んで、村の女たちと賊どもが対峙していた。
女性の武器と言えば、農具やフライパンといった、およそ身を守るにも頼りないものばかり。
対して、賊どもは浪人風のガラの悪い十数人ほどが鈍く光る刀を手に、女たちを見て薄気味悪くニヤついている。
ダイチ兄弟の姿は見えない。
女性たちの先頭に立つアイコが、手にした竹槍で連中を牽制し、
「ここから一歩たりとも入ることは許さない。
…フフっ。お前たちの頭領はどうした?
私たちに怯えて、おうちでおねんねかい?」
挑発的に鼻で笑う。
その言葉に、村の女たちが嘲笑した。
「気の強い女だな。そんなオモチャで俺らに敵うと思ってるのかい?
おもしろいじゃないか。」
男どもが柵を蹴り倒して近づいてくるのを、アイコが竹槍で薙ぎ払う。
しかし、所詮刃の無い武器が刀に敵うわけもなく、彼女の槍は簡単に叩き落とされ、ついでアイコの腹に刀の柄先がめりこむ。
強烈な痛みに息もできず、彼女は地面に倒れ込んだ。
男の1人が憐れな女の柔らかな髪を掴み、薄ら笑いを浮かべて言う。
「素敵なお出迎え、うれしいねぇ。」
そして周りの賊どもに命じた。
「さ、首領がお待ちだぜ。ガキを集めて鎖につなげ。
年寄りどもは殺せ。ババアもだ。どうせ用無しさ。」
そう言うと、アイコを無造作に地面に落とした。
「若いのはどうする?まだまだお遊びには使えそうだぜ?」
と下品な口をきく連中。
「気に入ったのがいれば、存分に可愛がってやんな。
…だが、この女は…俺のものだな。」
苦悶にあえぐアイコに手を伸ばす。
と、突如、空から何かが降ってきた。
地面にとどろく衝撃音とともに土埃が舞う。
賊の手が短刀で地面に杭打たれていた。
「痛ぇええ!…な…、なんだ!?」
悲鳴を上げた男のすぐ目の前に、土埃の中から悪魔が顔を現した。
「お…、お前…!頭領と戦ったヤツか…!?」
浪人がわななく。
「戦う?一発殴っただけで、とっとと逃げ出したヤツかい?」
フローリアンがニヤリと笑った。
「こ…コイツを殺せ!
首を持ってかえりゃ、報酬は倍だ!
殺せ!殺せ殺せ殺せー!」
浪人が仲間に向かって叫ぶ。
フローリアンは落ち着き払った様子で倒れているアイコを女たちに預け、直ちに後退するよう命じた。
「クソ!なんだよ…!
オッサンのクセしてカッコよすぎかよ!」
絶叫する賊を見下ろすフローリアンは口の端を歪め
「悪いな。元がカッコいいもんでね。」
と、珍しく軽口をたたくと、浪人の手に刺さっていた短剣を素早く抜き取ると、目の前の男の首筋に無駄のない動きでそれを滑らせた。
ほとばしる血しぶきを浴び、その姿は悪鬼そのものである。
「なめやがって!殺れ!!」
誰発するとも知れぬ号令で、無頼者が一斉に攻めかかる。
刀を手にした浪人どもを援護すべく、後方から火矢が放たれる。
が、多勢に無勢とあれど百戦錬磨の風使いに敵うはずもない。
暴風が矢を打ち払い、その壁を突破して現れたフローリアンの風の刃が的確に凶賊どもの動脈を切り裂く。
最後の1人は敢えて生かした。
「さあ、選べ。
人間には3つの部位、49か所の急所がある。
お前は、どこを切り裂かれたい?
慎重に考えろよ。場所によっちゃあ、即死だぜ?」
すでに戦意を失い、地面に不格好に倒れる賊の額にエネルギーをチャージした指を押し当て、フローリアンは不敵な笑みを浮かべる。
最大限の恐怖を味合わせつつ、その男に問うた。
「ダイチはどこに居る?」
「し…知らない…。奴は拠点を転々としている…。
だから、今頃は俺の知らない場所に移動しているだろうさ…。
な、頼むよ…。勘弁してくれ!殺さないでくれ…」
ひきつる賊の顔を無表情のまま見下ろすフローリアンの、短剣を握った腕が振り上げられた。
村の広場に戻って来たフローリアンを迎えたのは、ただ1人。シサだった。
家々は戸を閉ざし、静まり返っている。
「血を落としたい。水はありますか?」
と、問うフローリアンに、シサはいつもと変わらず落ち着いた物腰で
「うちの裏の丘を下った先に川があります。」
と答えた。
教えられた方へと向かうフローリアンの背に、シサが尋ねる。
「賊どもの遺体は?」
「さあ。燃やすなり埋めるなり。あなた方の気が済むようにすればいい。
だがヤツらの残した刀は、あなたがたの身を守る武器として取っておきなさい。」
シサを振り返ることなく告げると、藪の中に消えて行った。
流れの緩やかな川の深みに身を浸し、衣服をゆすいで血を洗い流す。
ザクロ色に染まった水が下流へと広がっていく。
フローリアンは小枝を踏む小さな音に気付き、鋭い視線を向けた。
川の畔にはアイコが立っていた。
「…具合は?」
男は再び川の中央に向きを変え、背後の女に問いかける。
「もう大丈夫です。
村の危機を救ってくださり、ありがとうございました。
みんな感謝しています。
…ちょっと、怖かったけど…。」
アイコは男の背に話しかける。
筋肉の隆起した背中には傷ひとつない。
――背に傷のない者は強い証拠――
昔、母シサから聞いた言葉を思い出していた。
「私がここに留まれない理由を理解していただきましたか?」
「え?」
ふいに尋ねられ、アイコは我に返った。
「私は英雄でも善人でもない。
私のいる場所には、ただ不毛な血が流れるだけなのです。」
そう言って、川から上がってきたフローリアンと正面に対峙したアイコは、慌てて視線を外す。
「でも、今日のあなたは間違いなく私たちの救世主でした。」
川岸の草の上に無造作に置かれた、洗いざらしの濡れた服を男に渡す。
それを取り上げるように受け取り、濡れたままの服を纏って無言のまま去ろうとしたフローリアンが、背を向けたままアイコに告げる。
「明日の午後、あの海岸に来ていただけますか?
お話しておきたいことがあります。」
アイコは無言でうなずいた。
フローリアンが去ったあと、枝の上に置き忘れられた彼のコートを腕に抱き、アイコは1人、木々の間から降り注ぐ太陽の温かな光を見上げていた。
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翌朝、フローリアンはなかなか目覚めなかった。
いつもと違う様子に、エイシオが揺すり起こす。
ようやく目を開けた男の顔を覗き込むエイシオが心配そうに尋ねた。
「大丈夫?」
「…ああ。」
とは言ったものの、激しいめまいに襲われている。
彼には滅多にない事象だった。
「ねえ、出発しないの?」
「ああ…。今のところはな…。」
うなるように答える。
回る天井に耐えられず、手のひらで目を覆った。
その午後、フローリアンはエイシオを連れて、例の海岸へとやって来た。
すでに2人の到着を待っていたアイコが歩み寄り、不安げに尋ねてくる。
「お約束通り参りました。
お話とは、なんでしょう?」
「これを。」
と差し出したフローリアンの手には、一振りの刀。
およそ昨日の賊の遺物だろう。
「村を守るためには、力と知識が必要です。
自衛の術を子々孫々に伝え、いつの時代にも、何者からも干渉されないよう、自分たちで身を守る方法を習得しなければいけません。」
その言葉を、半ば他人事のように聞いていたアイコは、受け取った刀の重さにハッと我に返った。
「…つ…、つまり?」
「いずれ我々はここを去らなければならない。
だが、それまでに君には、村と君たち自身を守る方法を教えたい。
ちょうど私には手のかかる弟子がいる。
1人増えたところで、労力は変わらない。
それに、共に学べば良い効果も得られるでしょう。」
今度はエイシオが驚いたように男を見上げる。
「僕と一緒に?アイコさんが?」
「そうだ。2人とも精進するように。
今後のトレーニングは厳しいからな。覚悟しておけよ。」
アイコは、フローリアンの決断に驚きを隠せなかった。
しかし、村を守る力を得られることは、村に住む人々の恒久の平和を意味する。
それが彼女にとって、大いなる希望をもたらし、アイコは微笑んだ。
なにより、明らかに以前より打ち解けた彼の言葉が嬉しかった。
例え自らの手を血で汚しても厭わない。
村を、そして娘を守れるなら。
彼女は男に深く一礼し、感謝の涙を流した。
第15話 おわり
書きました。アブサロン
イラストはこちら ペイやん
おまけイラスト
通常、主人公の冒険の舞台となる場所を示す地図のイラストがあるのですが、この章では、13章の最後に出てきた同じ村がすべての舞台となっています。
よろしくお願いします。




