過去、現在、未来
第13話
重く垂れこめた鉛色の空。
風は凍えるように冷たい。
この世界は各地に点在するエレメント・エネルギーにより、気候が大きく左右される。
火王朝帝国南部は、巨大エレメントの鉱脈が複雑に入り組んでいるため、ほんの数十キロ移動するだけで、気温が随分変化する。
コモレビ市やカイヘイワ村が比較的、温暖な乾燥地帯であるのに対し、エーヘイデンへ向かうルートに横たわる広大な森林地帯は亜寒帯気候。
降り注ぐ大粒の雨が氷のように冷たい。
全体的に灰色がかったストイックな風景の中を、火花を散らし疾走する馬。
鋼の蹄の立てる音が雷鳴のように寒々とした大地に響く。
ヒロが操るゴーレムは“残影”。
影を置き去りにするほどのスピードで走る、というのが、その名の由来である雷の結晶から精製される改造ゴーレムである。
「止めて!落ちる…!」
ヒロの背にしがみついたエイシオが叫ぶ。
「無理だよ!
一刻も早くエーヘイデンへ行かなくちゃいけないんだ。
頼むから、しっかり掴まってて!」
猛スピードで走る馬を制御することに必死になっているヒロに、エイシオをかまう余裕はない。
カイヘイワの村を出て、もうずいぶん走っている。
しかも馬は俊足の残影。
フローリアンが追いつけるはずもない。
分かってはいるが、ヒロは“沈黙の死”の見えざる影に怯えていた。
「も…もうダメ…。」
エイシオの憐れな叫びにようやく我に返り、馬を止めた。
カバンからロープを取り出すと、エイシオに
「これで君の体と私を結びつけろ!早く!」
と命令した。
初めて聞くヒロの怒鳴り声に怯えながら、エイシオはロープを結ぼうとするが、ここまでの道のり、必死で掴まっていた手からは力が抜け、上手く結ぶことができない。
「できたか!?」
「う…うん」
少年の心細げな声を聞くと、結び目の確認もそこそこに、ヒロは馬を再び走らせはじめた。
一刻も早くエーヘイデンへたどり着かなければ、計画は全て水の泡。
目的地では、カノウが手練れの軍勢を集めて待機しているだろう。
ヒロの役割は、この幼い守護者をエサにフローリアンをおびき寄せることにある。
そして、見事宿敵を打ち取った暁には、この地域を治めるイッキ卿に取って代わることも夢ではない。
なんといっても、修道会の崇拝する十三宮は自分の手の中にあるのだ。
もとより信仰心が強いわけではないヒロの頭にはそれだけしかなかった。
全ては自信の立身出世のため。
しかし、事態は暗転する。
目の前に広がるのは広大な森。
迂回をすれば、相当な時間のロスは必定だ。
焦っているヒロに選択の余地はなかった。
彼は木々生い茂る森の中へ突っ込んだ。
枝が体を打ち、馬は複雑に絡んだ木の根に何度も足を取られ転びそうになる。
背中でエイシオは泣いている。
悪化する状況の中で、ヒロは適正な判断力を失っていた。
前方に開けた空間を見て、スピードを上げる。
だが、そこに待っていたのは急峻な坂道だった。
雨に濡れた落ち葉に足を滑らせたゴーレムが大きく体勢を崩した。
投げ出された2人は、そのまま斜面を滑り落ちていく。
緩く結ばれていたロープはほどけ、エイシオの体は途中の木の根に引っかかって止まった。
坂の底まで滑落したヒロは、何が起こったのか理解できずに混乱していたが、エイシオの悲痛な叫びにようやく我に返った。
弾かれたように、ぬかるんで滑る坂を駆け上がり、エイシオを抱え起こした。
「痛いー!!」
少年は肩を抑え、火が付いたように泣きわめいている。
「どうした!?おい!」
つぶさに小さな体を調べる。
「痛い!痛い!触らないで!」
エイシオは叫んだ。
右手の印がにわかに活性化し、鈍い光を放っている。
小さな体には擦り傷や切り傷が痛々しく刻まれて、所々から血が滲みだしている。
肩が大きく腫れ、赤黒くうっ血していた。
骨折ではなさそうだが、どうやら脱臼しているように見える。
ヒロは斜面の上を見上げた。
とても子供を抱えて登れる状況ではない。
下は鬱蒼と木々が茂るなだらかな勾配が続いている。
もし沢まで出ることができれば、森を抜けられる。
そう判断したヒロは、こめかみに手を当て、神経を集中させようとした。
だが、サーキットは現れない。
エイシオの悲鳴が彼の集中力を散漫させる。
「うるさい!黙れ!」
その怒号に少年は身を強張らせた。
ヒロは再度、意識を集中させる。
サーキットが走り、風の流れが微かな水音を彼の耳に運んできた。
「こっちだ。」
少年を引っ張り起こそうとしたが、激痛に苦しむエイシオは立ち上がれずにうずくまっている。
仕方なく彼を肩に担いで行くしかなかった。
どれほどの時間、森の中を彷徨っただろう。
雨はやんだが、濡れた衣服が体温を奪っていく。
ヒロは湿った落ち葉に足を滑らせながら、おぼつかない足取りで歩を進めていた。
エイシオはぐったりとして動かない。
沢の音も周囲の山に反響して、うまく位置が特定できずにいた。
いずれ自身の体力にも限界がくる。このままでは共倒れだ。
だが、もはやここがどこなのか検討もつかない。
――せめて現在地だけでもカノウに伝えなくては…――
ヒロは、その場にエイシオを横たえると、通信用ゴーレムを飛ばすための場所を探して、1人森を進んだ。
やがて森の中にぽっかりと開けた空間を見つけると、ポケットから花びらが埋め込まれた結晶を取り出し息を吹きかけた。
ハチドリが生成され、ヒロが何かを囁き空に放つ。
鉛色の空に向かって勢いよく飛び立ったハチドリは、突如として上空で四散した。
ハチドリの破片は花びらとなって降り注ぐ。
何が起こったのか分からず、ヒロは地面にへたり込んだ。
「たとえどこへ逃げようとも、必ずお前を探し出す。
そう言ったはずだ。」
その声に戦慄した。
“沈黙の死”。ヒロの頭の中にその言葉がよぎった。
木の影から姿を現したフローリアンが、ゆっくりと歩み寄る。
「残影を持っているとは恐れ入ったな。
だが、改造ゴーレムは操縦慣れしていないと怪我をする。そんなことも知らなかったようだな、ガキ。」
ヒロの胸ぐらを掴んで立ち上がらせた。
「さて、悪戯っ子にお仕置きの時間だ。
死を受け入れる覚悟はできているんだろう?」
凍てつく獣の目がヒロを見据えた。
「さあね。私はこんなところでは死ねないんですよ。」
言うが早いか、ヒロの首筋にサーキットが浮かび、喉から高周波の衝撃波を発した。
森から一斉に鳥が飛び立つ。
フローリアンの耳から血が流れ、手が青年から離れた。
「沈黙の死も、寄る年波にはかなわないでしょうね!」
もとよりエレメント・パワーでフローリアンに勝てるとは思っていない。
ヒロは素早くフローリアンの背後に回りこみ、腰から短剣を抜いて斬りかかった。
その切っ先はかわしたが、体当たりをくらって、2人とも地面に倒れこむ。
隙をついてヒロが馬乗りになり、短剣を握りしめる。
「その目…。獣の目。
それでどれだけの死を見ましたか?
その穢れた目を二度と開かなくしてあげましょう。」
先程、高周波の攻撃を繰り出したせいだろう、ヒロの声は酷くかすれてはいるものの、その目には強い殺意を帯びている。
勝ち誇ったように微笑むと短剣を振り下ろした。
危ういところでそれを受け止めたフローリアンではあったが、分が悪い状況に変わりはない。
青年の整った顔が憎悪に歪む。
彼の首に再びサーキットが浮かび上がる。
が、超音波の波動は不発に終わった。
口から大量の血を吐き体勢を崩した瞬間をフローリアンは見逃さなかった。
とっさに体をひるがえし、ヒロから距離を取ると、青年の胸に照準を合わせてエレメンタル・エネルギーをチャージする。
「分不相応の力を使えば、体が壊れる。
まだまだ修行が足りなかったな。クソガキ。」
エネルギー流が一気に腕に集まり、ライトブルーのサーキットが走る。
光の環とともに低い共鳴音が響き、指先から強力な気弾が放たれた。
ヒロは逃れようと身をよじったが、もはや、それを完全にかわせる体力は残されていなかった。
脇腹から溢れた血が、みるみる白いシャツを赤く染めていく。
フローリアンは仰向けに倒れたヒロの脇に膝をつき、憐れな青年を見下ろした。
ヒロの放った超音波の衝撃は、確実にフローリアンの体内のエネルギーを乱していた。
もう気弾を放つこともできない。
彼はそばに落ちている短剣を手に取った。
ふらつきながら、倒れたヒロに近づき、その脇で膝をつく。
「俺が生きているかぎり、教団が十三宮を手に入れることはできない。
残念だったな。」
と、整いかねる呼吸をしながらも、目だけは獲物を狙う猛獣の光を失ってはいない。
その言葉を聞きながら、ヒロの瞳はフローリアン越しの空を見ていた。
もう反撃する力は残ってなどいない。
彼は修道会の一員でありながら、これまで決して信心深い人間ではなかった。
ただ教団内での地位を得るためにあがいていた。
深い信仰を持たない者にとって死は“無”を意味する。
絶望と恐怖が綯い交ぜになる感情の中で、ヒロは幼子のように恐怖におののき、その頬に一筋の涙が流れる。
若さゆえの慢心が招いた最期に、彼は何を思っただろうか。
「終わりだ。」
刃が滑り、深紅の血が弧を描いた。
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暖かい風に乗って、歌が聞こえる。
優しい手が髪を撫でる。
目を開けたエイシオは姉の顔を見上げた。
彼女はどこか遠くを見つめたまま、懐かしい子守歌を歌っている。
話しかけようにも声が出ない。
暖かい風は、やがて禍々しく生ぬるい空気に代わる。
見上げる姉の背後に、不気味な黒い影を見た。
彼女に危険を知らせたくも、口を動かすことすらままならない。
靄に包まれた影が、手にした奇妙な大鎌を払う。
アメリアの首に赤い線が浮かび上がる。
そこにいくつものヒナゲシの花が咲き、アメリアの首が落ちた。
「お姉ちゃん!!」
汗が額から首筋を伝って流れる。
「落ち着け!どうした?」
フローリアンが覗き込む。
焚火がパチパチとはぜた。
「…夢…?」
涙をぬぐい、体を起こす。
体中が痛い。
「まだ寝てろ。
傷は深くないが、肩の腫れはしばらく痛むぞ。」
言われて肩に目をやると、包帯が巻かれている。
全身の傷には軟膏が塗られ、いたるところにガーゼや絆創膏が貼られていた。
しばらく呆然としていたが、思い出したように身を強張らせた。
「…ヒロは…!?」
「死んだ。」
「こ…殺したの!?」
エイシオは怯えて声を震わせた。
「そうせざるを得なかった。」
「な…なんで…」
「あの男はお前の力を悪用するために連れ去ろうとした。」
「だからって、殺すことないじゃないか!」
エイシオの心の中に、やはりこの男はヒロが言ったとおり悪人かもしれない、という疑念が渦巻いた。
「お前は自分の力を理解していない。
お前の浅はかな判断が、この世を最悪の未来に変えるところだったんだぞ!」
フローリアンは、つい感情的に声を荒げた。
「トレディシム修道会は、時空の守護者の力を崇拝する狂信者の集団だ。
その力を利用して、世界を自在に操ろうとしている。」
「でも、ヒロは悪い人じゃなかったよ。
自分のことを、ちゃんと話してくれた!」
エイシオは恐怖と混乱から癇癪を起した。
「ヤツがお前に何を言ったかは知らん。
だが、それは全てウソだ。
修道会はこれまで、多くの罪なき人々を殺した。
何の躊躇もなく人を殺める連中なんだ。」
しばらく沈黙が続いた。
火のはぜる音だけが、夜の闇の中に響く。
「…ウソつき。」
つぶやくエイシオの声が、冷たい空気に溶ける。
「何だ?」
フローリアンが近づく。
「ウソつき!」
威嚇するように叫ぶ。
「オマエだってウソつきだ!
僕はオマエのことを全然知らない!
何も教えてくれないじゃないか!
アメリアは言ってた。
言葉は人の心を映す鏡だって。
隠し事なく真実を語る人は、正しい心をもっているって。
オマエは隠し事ばっかりじゃないか!
オマエは嘘つきの悪いヤツだ!」
少年の悪態を黙って聞いていた男は、皮肉を込めた笑みを浮かべた。
「お前の姉は若い。それに世間知らずのお嬢様さ。
現実の世界が何たるかを知らないからこそ、そんなことを言うんだ。」
フローリアンの心ない言葉が少年の感情の堤を破壊する。
「うるさいな!
もう何を信じたらいいのか分からないよ!
なんで僕はこんな印を持たなきゃいけないの!?
なんで皆はこの印を嫌うの!?
なんで僕だけ…」
そういって大泣きし始めた。
「みんな僕のことなんて、どうでもいいんだ。
パパは僕にただ家を継げばいいって言った。
でもそんなのイヤだった。
お姉ちゃんみたいな、かっこいいエレメンタリストになりたかったのに。
だからママも僕を嫌いになったんだ。
みんな僕のことなんか、もういらないって思ってるんだ!
もうたくさんだ!
もうこんなのイヤだ!」
フローリアンは泣きわめく少年をただ黙って見つめていた。
そこにいるのは、偉大な守護者ではなく、望みもしない重い運命を背負わされた、哀れで幼い少年の姿だった。
「弟子に信頼されない師は、師とは呼べない。
そう言った奴がいる。
悔しいが、そいつの言うことは、しごく全うだったようだ。」
フローリアンは焚火の火を見つめたまま、感傷的な声で語った。
「…何?」
エイシオは鼻をすすりながら小さく尋ねた。
「…昔、まだ俺がアカデミーにいたころの話さ。
どうやっても、追いつくことはできなかった俺の師匠の言葉だ。」
懐かしそうにそう語る穏やかな顔を炎が赤く照らす。
フローリアンは黒表紙の本をエイシオに差し出した。
最初それを受け取ることに躊躇したが、実際興味がないわけではなかった。
おずおずと手を伸ばし、受け取る。
「その本はコーデックス。“時空の写本”だ。
ダリアという女が残した本。」
「時空の本?」
「十三宮が書き残した、時空の能力に関わる事象を記した本さ。
お前の日記みたいなものだよ。
この世に存在する唯一の時空の守護者の秘文だ。」
「ダリア?…誰?」
「彼女はかつての十三宮…、つまりお前の前任者。」
「僕の前のパラディン?」
「そうだ。」
「なぜ、そんなことを知ってるの?」
フローリアンはしばらく無言で焚火の炎を見つめていたが、おもむろに懐から古い写真を出し、エイシオに渡した。
長く豊かな黒髪を風に遊ばせ微笑む女性。
フローリアンの体温が残る写真を、エイシオは両手で大事そうに受け取った。
幼い心にも、これが大切なものであることを理解していた。
「それが、ダリアさ…。」
フローリアンの声がわずかにうわずる。
「彼女は俺の妻…だった。」
白いドレスをまとい、花の冠をつけた姿。
そういえば、テラの館にも、この写真の女性と同じような白いドレス姿の母が、父と並んで写っている写真が飾ってあったのをエイシオは思い出していた。
母はそれを、結婚式の写真、と言っていた。
「妻?…この女の人と結婚したんだね?」
フローリアンは目を閉じて深く息をつき、無言で軽くうなずいた。
そして火の粉がはぜる焚火に視線をやり、静かに語り始めた。
「25年前、アエヴィテルヌスを取り戻そうとした。」
「アビ?…テルス?」
「アエヴィテルヌス。
時空のパラディンにしか扱えない固有の武器さ。
守護者の本当の力を引きだすには、それぞれの固有の武器が必要なんだ。
アエヴィテルヌスは時空の大鎌。」
「その武器は、今もダリアが持っているの?」
「いや…。」
短い沈黙の時間。
「ダリアは…、もうこの世にいない。」
エイシオは焚火に照らしだされたフローリアンの悲しい表情を垣間見た。
男は、そっと少年の手から写真を取り戻すと、感慨深そうに眺めた。
「アエヴィテルヌスは今、この世界のどこかに封印されている。
ヴェントゥムかもしれない。遠い外国の地かもしれない。」
「ねえ、聞いていい?」
「ん?」
「なぜ、人は十三宮を嫌うの?」
「ずっと大昔の話だ。
オリジン・エレメントの力を受け継ぐ十三宮は、自らの力の大きさに発狂した。
そして、その力で人々を支配し、奴隷のように扱った。
そいつは覇王となって世界を支配したんだ。
つまり、とんでもなく酷い独裁者ってことさ。
人々はそれを記憶し、語り継いだ。
だから今もなお、不吉で呪われた存在として十三宮を忌み嫌うのさ。」
写真を愛おしそうに眺め、笑顔の女性に親指でそっと触れた。
「だがダリアは邪悪な人間ではない。
ただ、苦しむ人々を助けたいと願っていた。
蔑まれ、世界から取り残されたリコリスの民に寄り添おうとしていた。」
「リコリス?」
察するに地名なのだろうが、エイシオには、それがどこか分からない。
「2つの大陸の間にある島国、それがリコリスさ。
貧しく、秩序のない無法地帯として大国からは無視され続け、忘れ去られた憐れな国。
彼女はそこに暮らす人々に希望と秩序をもたらすため戦った。」
「ダリアはそこで死んだの?」
エイシオは小さく問う。
「いや。」
フローリアンの答えは、ただその一言だった。
そして小さくため息をつく。
「彼女は死に際に俺に言った。
苦しむ人を守って、と。
だが、彼女の遺志を継ぐには、俺は弱すぎた。」
振り向きエイシオの顔を見た。
悲しみをたたえた笑顔が憐れにさえ見える。
「俺の心は悲しみと怒りで暴走した。
もう自分で止めることすらできなかった。
気が付いた時には、両手が血に染まっていたんだ。
死体の山が…、周りに…」
過去の何かが見えているように両手を見つめ、悔恨に打ちひしがれたように頭を抱えた。震える声は悲痛に満ちている。
エイシオはただ黙って見守っていた。
「もう後戻りはできなかった。
一度、人の命を奪ってしまったら、待っているのは果てしない負のスパイラルさ。
俺はダリアを失望させたに違いない。
そう思うと自分が嫌になった。
嫌になって、惨めさの沼に深く沈んでいく…。
希望を失って…。」
顔を覆っていた手をゆっくり下げ、エイシオの顔に視線を移す。
「だが、お前の存在を知って、狂った歯車が秩序を取り戻すと予感したんだ。
お前の暗殺を依頼された日、ようやくこの呪縛から解き放たれると確信した。」
「…でも、僕は…フローリアンやダリアみたいに強くないと思う。」
エイシオは本の表紙に小さな手をそっと置いた。
「だが、必ずお前は成し遂げる。」
「ほんとうにそう思うの?」
エイシオは本を胸に抱いて、不安そうに男の顔を見上げた。
「必ずだ。
覚えているか?初めて会った嵐の夜を。」
「忘れられるわけないよ。」
眉根を上げるエイシオの顔を見て、フローリアンは苦笑した。
「あの夜、お前に戦うことを強要した。
見たかったのさ。ダリアの強さを継ぐ者の力を。」
力強い声が静かな森の闇に溶けた。
「後継者は、いつ、どこに現れるか分からないと言われている。
だが、それは違う。
オリジン・エレメントは、重い宿命を背負うことができる器に宿る。
高潔な魂に宿るんだ。
俺はそう信じている。
事実、俺はあの嵐の夜、お前の瞳にその強さを見出した。
そうじゃなきゃ、わざわざこうしてお前を連れて苦難の旅になんぞ出ない。
そうだろ?」
フローリアンはエイシオの頭にそっと手を置いた。
「ダリアの遺志が、お前を選んだのさ。」
そう言って、柔らかな髪をワシャワシャと撫でた。
エイシオは写本を胸に抱えたまま首をかしげた。
見上げたフローリアンの顔は、初めて見る温かい笑顔だった。
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翌日、朝から2人は黙々と歩き続けていた。
目的地までの道のりは、エーヘイデンの街を抜けるのが最短ルートではあったが、例の一件で、すでに2人の情報はトレディシム修道会にも届いている危険性があったため、あえて迂回する道を選んだ。
「ねえ、聞いていい?」
エイシオがフローリアンを見上げて尋ねる。
「それはお前の口癖か?
聞きたいことがあるなら聞け。」
「ヒロの馬は早かったよ。
どうやって追いついたの?」
「カイヘイワにはちょっとクセのある結晶店があってな。
そこに改造ゴーレムがあった。」
「買ったの?」
「いや、ちょっと拝借した。」
「拝借?借りたの?」
「そうとも言う。」
「もしかして盗んだの!?」
「あの場合、選択の余地がなかった。」
「泥棒じゃん!」
「うるさい。どうせ素行の悪い連中の持ち込んだ盗品だ。
…おかげでお前は助かったんだろうが。」
「じゃあ、そのゴーレムは?」
「捨てた。盗んだもので旅ができるか。」
「まあ、そうだよね。」
まだ体中の傷は痛むが、心は軽い。
昨晩、焚火の前で話し合ってから、エイシオは屈託なくモノを言うようになった。
一方のフローリアンも、単に未熟な守護者というだけではなく、1人の人間としてエイシオに接するようになった。
と、狭い道の前方から近づいてくる幌馬車に気づいたフローリアンが、エイシオの頭にフードをかぶせた。
突然視界が悪くなり、不満をもらそうとしたが、フローリアンに制され口をつぐんだ。
こちらに向かってくる幌馬車は、今では珍しい生身の馬が牽いている。
手綱を引いているのは、ヒゲもじゃの派手な身なりをした、ずんぐりとした体形の男。
その隣には、長い髪を乱雑に束ねた細身で長身の男が座っている。
どちらもおよそ品行方正とは無縁な風体だ。
「いいか。目を合わせるな。自然に歩け。」
フローリアンがささやく。
「うん。」と返事はしたものの、その警告のせいで返って動きがぎこちなくなる。
道脇に避けて馬車をやり過ごそうとしたとき、ヒゲもじゃの男が馬を止めた。
「おい、そこの2人!無礼なヤツらだな。
この道はオレたちダイチ兄弟様のものと知らんのか?
お前たち、見たところ旅人だな。
この道を通りたきゃ金か貢物をよこせ。」
厳めしい顔つきとは反対に甲高い声が小物感を表している。
なにより、全幅の信頼をおく最強のボディガードの存在に気を大きくしていたエイシオは思わず噴き出した。
「おい、小僧!バカにしているのか!?
お前の喉をかき切ってやってもいいんだぞ!?」
騒ぐ男を静視していたフローリアンは、エイシオの前に立ちはだかり、
「悪いが先を急いでいる。通してくれ。」
と冷たく言い放った。
頭に来た男たちが馬車から降りてきた。
「あぁ?生意気なことを言うオヤジだな。
じゃ、まずはお前から始末してやる!」
言うが早いか、ヒゲもじゃが懐から短刀を抜き出し、襲いかかって来た。
が、フローリアンは軽く上半身を反らして攻撃を避けると、顔面に裏拳でカウンターをくらわした。
「いってぇ!」
男は顔を抑えて地面に転がった。
細身の男は、フローリアンの身のこなしに驚愕し、慌てふためきながらヒゲもじゃを抱え起こし、
「兄貴、分が悪い!」
と、ささやく。
「くっそー!お前らの顔は覚えたからな!
必ずいつか復讐してやる!」
2人の男は馬車のことなど忘れたように、その場からほうほうのていで逃げ出して行った。
「へんなの。」
エイシオは、さも自分が退治したかのように、転びながら逃げていく男たちを見送っている。
「あのな…」
小言を言いたげなフローリアンを見上げて、少年は舌を出した。
と、何か人のうめき声を聞いたような気がして、2人は動きを止める。
「ねえ、幌馬車から人の声がするよ…」
エイシオは途端に不安そうな小声で訴える。
「ここで待て。」
フローリアンは一味の仲間が潜伏しているかもしれないと警戒した。
盗賊が落とした短刀を手に、馬車に近づき、覆いをめくる。
そこにいたのは、手足を縛られ、さるぐつわをはめられた女性と小さな女の子。
2人はフローリアンを見て怯えたように体をすくめた。
「もう大丈夫だ。」
フローリアンが短刀で拘束を解いてやると、ようやく体の自由を得た女性は、女の子をかばいながら奥へ下がった。
ボロボロの服に傷だらけの裸足といった、ずいぶんひどい身なりをしている。
「どうか娘には何もしないで!
私だけでじゅうぶんでしょう!?」
喉が裂けそうな声で叫ぶ女性を静かに制して落ち着かせ、
「害を加えるつもりはない。
我々は旅の者。
たまたまここを通りかかっただけです。」
そう言って、手に持っていた短刀を草原に放り投げ、両手を上げて幌馬車から数歩後ずさった。
女性は、しばらくフローリアンを観察していたが、彼の脇に走り寄ってきた少年の姿を見つけ、ようやく平常心を取り戻したようだ。
「なんてこと…。助けていただいたのに、とんだご無礼を。」
娘の手を引いて馬車から降りてくると、深々と頭を下げた。
暗がりにいたときには気づかなかったが、女の薄紅色の緩やかなウエーブがかかった髪は、この地域の出身ではないように思える。
「いえ。何があったかは聞きません。気を付けてお帰りなさい。」
フローリアンはそう言うとエイシオを促し、先を進もうと歩き出した。
「お待ちください!
私たちを置いていかないで!
きっとアイツらは戻って来るわ…。
村までは遠いし…、
あの…あつかましいとは存じますが…」
言葉を続けようとする女性を遮り
「では、この馬車で帰るといい。」
「ですが私は馬を扱えません。」
その問答を眺めていたエイシオが、フローリアンの腕を引っ張る。
「ねえ、助けてあげてよ。
おうちまで送ってあげればいいじゃない。」
「お前の傷の手当を急がないといけない。
破傷風にでもなったら…」
今度はフローリアンの言葉を女性が遮った。
「私の母は医者です。
傷の手当なら、私たちの村ですればいいわ。」
そう訴える女性の後ろで、黒髪のツインテールが愛らしい小さな女の子が、隠れるようにエイシオを見つめている。
それに気づいたエイシオは
「ねえ、そうしようよ…。」
と、恥ずかしそうにフローリアンのコートの裾を引っ張った。
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女性の案内で訪れた村は、ひどく寂れていた。
家は傾き屋根には雑草が生い茂っている。
家の周りの土地にも背の高い草が生え、まるで廃村のようだ。
女性の姿を見つけた村人たちが駆け寄ってくる。
ずいぶん心配していた様子だった。
女性は村人たちに経緯を説明した。この旅人が救ってくれたのだと。
そしてフローリアンに向き直ると、
「改めてお礼を申し上げます。
さ、こちらへ。坊やの手当をしましょう。」
そう言って、彼女の家に2人を案内した。
その家も他と同じく、ひどく傷んでいた。
天井や壁は、所々が崩れて外の光が入ってきている。
その光の筋に大量の砂埃がキラキラ反射しているのが見えた。
エイシオを母親に託し、部屋から出てきた女性はもう一度フローリアンに深々と頭を下げた。
「申し遅れました。
私はアイコ。連れていたのは娘のナルミです。
ごめんなさい。
あまりにも気が動転していて…私、名前も名乗らないなんて、とんだ失礼を。」
「いえ、所詮短い滞在です。
名乗りは必要ありません。」
フローリアンの態度は丁寧ながら素っ気ない。
「あの…坊やは、お子さんですか?」
「詮索は無用。」
その言葉に、アイコは少し委縮した表情をみせたが、男は構う様子もなく傾いたテーブルの上に地図を広げ、彼女に尋ねた。
「ここは何という村でしょう?
地図上では、この辺りのはずですが。」
「地図には載っていません。
いえ、かつては農業で潤う立派な村でした。」
アイコは視線を窓の外に向け、小さくため息をついた。
燦々と降り注ぐ太陽の下に、雑草の影が揺れている。
「この村は、他のコミュニティとあまりに離れすぎています。
それに、もともと隠れ村ですから、国から兵が配備されることもありません。
それを良い事に、盗賊団が村を襲うようになりました。
それ以来、この村は廃れていったのです。」
「先ほどのアレも盗賊団で?」
「ええ。」
アイコは手首にくっきりとついてしまった縄の跡を撫でた。
そして何かを訴えたそうな顔付きでフローリアンを見上げたが、奥から出てきた母親によって中断されてしまった。
「坊やは元気ですよ。
肩も脱臼していたようですが、応急処置が良かったようね。
あなたがなさったの?」
エプロンで手を拭いながら、老女はフローリアンに尋ねる。
男は黙ってうなずいた。
「他の傷も薬草が効いているわね。破傷風も心配ないでしょう。
あなた、生薬の知識があるの?」
「旅をするからには、多少の知識は必要ですから。」
慎重に言葉を選び回答しながら、フローリアンは地図をたたんだ。
彼の様子を観察しながら老女はうなずく。
「確かに、そうね。
でも、ずいぶん疲労が蓄積している様子ですから、しばらくは休息が必要よ。
あなたもね。」
母親の言葉が終わらぬうちに、アイコが割って入る。
「できれば、この村にしばらく滞在していただきたいのですが。」
「…我々は旅の途中なので。」
フローリアンは、やんわりと断ったが、アイコは引くつもりはないようだ。
「どうか、どうかお願いです。」
「やめなさい。アイコ。
困っていらっしゃるじゃない。」
老女は娘を諭したが、アイコは耳を貸さない。
「私たちにはあなたの力が必要です。
きっとあの盗賊たちは、ここへ戻ってくるわ。
そうすれば必ず私たちは報復される。
みんなひどい目に遭わされるわ!
無知な田舎者のわがままだと思っていただいて結構です。
決して長くはお引止めはいたしません。
私たちに身を守る力を下さい。
戦う術を与えてください…!」
フローリアンはその言葉を聞きながら、壊れかけた埃まみれのテーブルをじっと見つめていた。
彼の脳裏に亡き妻の願いが蘇る。
――私は世界で困窮する人たちを助けたいの。お願い、力を貸して…。――
開いた扉の先の部屋では、エイシオがアイコの娘ナルミと楽しそうにじゃれあっている。
その声をフローリアンは、ただ無言のまま聞いていた。
第13話 おわり
書きました。アブサロン
イラストはこちら ペイやん
おまけイラスト
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