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脱走

挿絵(By みてみん)



第12話


厚い雲の隙間からわずかに漏れる月の光が、曇った夜空を不気味に青く照らしている。

路地に立つ2つの影は、微動だにしない。

口を開いたのはフローリアンだった。

「お前を信用しろと?」

「おや、随分と猜疑心(さいぎしん)がお強いようですね。」

ヒロは差し出していた手を下げた。

「責めはしませんよ。

特別なお仕事の依頼をされる方は、みな慎重になられますから。」

フフッと忍び笑い、

「しかし、あなたが求めていらっしゃるモノを準備するには、私以外に適役はいないと思いますが。

特にこの村では。ね?」

そう言って両手を後ろに回し、フローリアンの目を見据えたまま、軽く会釈をした。

「さあな。

お前さんのようなお上品なガキにできるとは思えんがね。」

フローリアンは皮肉を込めた笑みを浮かべ、ヒロを睨んだ。

「人は外見で判断するものではありませんよ。

こう見えても私は闇の市場を熟知しています。

そういった方々とのパイプもありますしね。

まあ、ですが、込み入った話はここではちょっと。

この先に、最適なバーがあります。」

青年はフローリアンに背を向け、路地の奥へ歩みを進めた。

「待てよ。俺は…」

「これはビジネスですよ。」

ヒロは立ち止まって振り返り、

「気に入れば握手を。嫌なら私はあなたの酒代を払うだけ。」

ニヤリと含みのある笑顔を見せた。


-------------------------------------------------------------------------------------


建設資材の倉庫が建ち並ぶエリアの一角に、大きな(たる)を何段も重ねた酒の貯蔵庫がある。

表向きは、ただの酒蔵であるが、それは軍の目を欺くカムフラージュ。

積み上げたホップ入りの麻袋の影には薄汚れた扉があり、そこから地下へ続く階段が伸びている。

その奥はバーになっていた。

店内は村の中心部の酒場とは違い、陰気な雰囲気に満ちている。

地下独特のカビ臭い匂いが鼻を付き、どう考えても衛生的とは思えない。

このところ見なくなったオイルランプが天井の(はり)から下がっており、その心もとない灯りの中で、カウンターに突っ伏して眠る泥酔男がぶちまけた酒を、バーテンダーがせっせと片付けていた。

半吹き抜けの天井に近い窓からは、ときおり吹き込む風が外の空気を運んでくる。

床にはムシロが敷かれ、脚の短い座卓が2脚据えられている。

ヒロはその1つに腰を下ろし、フローリアンを手招きした。

「さて、ご覧の通り、ここは“外の世界”とは違います。

さ、安心して話していただけませんか?

あなたのお求めのものをね。」

フローリアンは青年の正面に胡坐(あぐら)をかいて座り、染みのついた座卓に腕を乗せる。

「この村で暮らすための移住資格が欲しい。」

「つまり、身分証明の偽造ということでよろしいですか?」

あけすけに問う青年の顔をまじまじと眺め、フローリアンは低く一言、「そうだ。」と答えた。

「それには少々時間がかかりますよ。」

「どれくらいだ?」

「4日もあればじゅうぶんかと。」

ヒロがマスターに合図をおくり、酒を持ってこさせた。

「4日?」

「ええ。ヴェントゥムのべリス出身者から個人情報を買うのです。

いえ、実際、私がべリスまで行くわけではありませんよ。

私はあくまで仲買人です。

国境の街のブラックマーケットに行けば、身分証明を金に換えたい(やから)は大勢いますからね。」

ヒロはビールを一口飲んで、口のまわりについた泡をなめると、話を続けた。

「幸か不幸か、この国はヴェントゥムに寛容です。

ヴェントゥムの身分証明書があなた方を助けるでしょう。

よほど派手に騒ぎを起こさない限り、この国の憲兵に目を付けられることもありませんからね。」

フローリアンはしばらく思案した様子で、手元のビアマグを見つめていた。

「…いくらかかる?」

「必要な部数によりますが。ご希望は?」

「2つ。」

「…ならば…、1部につき2金スクレ。

合計4金スクレで。」

「少し足元を見すぎてるんじゃないか?」

苛立(いらだ)たしげにヒロの顔を睨んだ。

「そうですか?

まあ、私は困りませんが、ご熟慮した方が良いのでは?

4日と4金スクレを払って、火王朝(かおうちょう)で自由民として暮らすも良し。

他を当たるも良し。

ですが、この辺りで、その手の仕事を扱う人がいれば、の話ですがね。」

ジョッキの縁を指で撫で、人が良さそうな笑顔を見せた。

フローリアンは悩んだ。

果たして、この男を信用して良いものか。

しかし、彼には選択の余地が無かった。

「わかった。」

そう言って、2金スクレを青年の手に渡した。

「残り半分は引き渡しの際に。」

「いいでしょう。では交渉成立の握手を。」

ヒロが手を差し出したが、フローリアンは断った。


挿絵(By みてみん)


「握手は書類を受け取ってからでも遅くはない。」

「そういうことなら。」

手を下ろしたヒロの視線が冷たく光る。

「さて、ではあなたのお連れの方の情報をいただけますか?

年齢、性別、あと身体的特徴。髪の色や背格好なんかをね。

それが無くては適切な身分証を手に入れられませんから。」

「10歳くらいの男の子。髪は黒、目はグリーン。

名前は適当に書き入れてくればいい。

他はお前に任せる。」

そう言ってフローリアンは立ち上がり、威圧的な視線でヒロを見下ろした。

「いいか、4日だ。それまでに必ず準備しろ。

俺を(だま)そうなどと考えるな。

もし、不審な行動を起こせば、例えどこへ逃げようとも、必ずお前を見つけ出す。

その意味は…、分かるだろう?」

獲物を狙う獣の目。

その()てつく光に、ヒロは冷たいものを感じた。


-------------------------------------------------------------------------------------


翌日、フローリアンはエイシオを連れて村はずれの海岸へとやって来た。

風の操術(そうじゅつ)を教えようにも、室内では無理があると考えたからだ。

そんな師の思いをよそに、エイシオは初めてみる海に興奮していた。

青く広い海。天気は生憎(あいにく)の薄曇りだが、そんなことは気にも留めていない。

冷たくて塩辛くて、どこまでも青い海水は、手に(すく)い取ると透明なのを不思議に思いながら、白い砂浜に押し寄せる波と(たわむ)れている。

世の中の子供たちが皆そうであるように、エイシオも波打ち際を駆けることが楽しくてしかたがないといった様子だ。

「おい、ここに来て座れ。」

フローリアンに声をかけられて、しぶしぶといった表情で砂の丘まで上がってきた。

「もっと遊びたいのに…。」

「遊ばせるために連れてきたわけじゃない。ほら、座れ。」

そう言われて、エイシオはふてくされながらフローリアンの隣に座った。

「お前はエネルギー流に慣れてきたと言ったな。

では、次の段階に進もう。

これまでは内に流していたエネルギーを、今度は外へ放出するんだ。」

「どうやって?」

「大気中から風のエレメンタル・エネルギーを集めろ。

結晶石からエネルギーを体内に流していたのとやり方は同じさ。

見てろ。」

フローリアンが手を前に差し出した。

腕の筋肉が(わず)かに収縮したのが見えた。

低い共鳴音の響きと共に淡い光の輪が現れ、腕から指先にライトブルーのサーキットが走り、やがて手の周りに風の流れができた。

「元素エネルギーを操作するときに現れるこのラインを“元素回路”という。

俗にいうサーキットさ。

大気中のエレメント・エネルギーを集めた箇所に現れるんだ。」

「僕には、そんなの出てこなかったよ?」

エイシオも真似をして手を前に伸ばした。


挿絵(By みてみん)


「お前は結晶石からエネルギーを得ただけで、自分では何もしていなかったからさ。

まずは大気中のエレメントを体に呼び込め。

そしてそれを制御する技を覚えるんだ。

そうすれば、エレメント・エネルギーを、お前が望むように操ることができる。」

「そしたら、僕にもサーキットが出てくるの?」

「そうだ。」

フローリアンは腕を下ろし、

「だが、まだ大気からの抽出は無理だ。

しばらくはコレで練習しろ。」

と、エイシオに風の結晶石を渡した。

「じゃあアメリアも空気からエネルギーを集めてたんだね。

あのサーキットは、すごくカッコよかったんだ。」

エイシオは興奮して立ち上り、騎士気取りでポーズを決めている。

「座れ。集中しろ。」

叱られて座り、ようやく集中しはじめた。

「まずは結晶石からエネルギーを取り込め。

皮膚に流すのではなく、血流に乗せるんだ。

エネルギー流の動きを感じ、それを妨げるな。」

言われた通り、風の動きをイメージすると、エネルギー流は指先から腕、腕から肩へと這い上がってくる。

だが、ものの数秒で激しい痛みを感じはじめ、たまらず目を開けた。

「うまくいかないよ。」

「焦りは捨てろ。

極限まで集中するんだ。」

そうは言われても、痛みがひどくて集中どころではない。

エイシオはだらしなく猫背の姿勢で、大きな溜息をついた。


それから1時間ほど続けたが結果は変わらず、ついにエイシオは石を放り出して砂の上に寝転がった。

「つまんないよ、こんなの。」

悔しそうに頬を膨らませている。

「これまでの熱意はどこへ行ったんだ?

それに習得には時間がかかると言っただろう?」

フローリアンは海に向かって座ったまま、横目でふてくされている少年を見た。

エイシオは男を見上げ、憎たらしい口調でこう尋ねた。

「フローリアンはどれくらいで出来るようになった?」

「俺の事より、まず座れ。」

「何歳から訓練を始めたの?」

「今のお前に関係ない事だろう。

ほら、早くしろ。」

フローリアンの声に、いくぶん苛立(いらだ)ちがこもる。

「先生は誰だったの?どこで訓練したの?修行の旅にも出たの?なんで騎士にならなかったの?」

やる気のない態度で、質問を重ねてくるエイシオに対して、フローリアンの忍耐は限界を超えた。

「もういい、黙れ!ガキ。

他人と比べて何の()がある!?

俺の過去はお前にとって何の役にも立たない!

お前はお前だろうが!

さっさと自分の課題に向き合え!」

これまでになく激しい口調で叱責(しっせき)され、慌てて体を起こす。

涙が頬を伝う。

しかし、今までのように癇癪(かんしゃく)をおこして泣きわめくようなことはしなかった。

ただ、確実にフローリアンとの感情の溝を深く感じていた。

エイシオは黙って結晶を手に取り、痛みを(こら)えて意識を集中させた。


その日は昼食も取らず、2人は長い時間を無言のまま砂浜で過ごした。

自分で歩くことすらままならないほど、クタクタに疲れ果てたエイシオを引きずるようにして宿に戻ったころには、空がオレンジ色に染まっていた。

「晩飯を買ってくる。」

そう言って部屋を出ようとしたフローリアンに向かって、エイシオは小さく、だが明らかに敵意のある声色で

「アメリアなら、あんたなんかより、ずっと上手に教えてくれる。」

「もしそうだとしても、彼女はここにはいない。」

フローリアンの声に同情の感はない。

「こんなことなら、風の力なんて欲しくなかった。」

「お前の運命だ。(あきら)めろ。

お前はお前に与えられた運命を受け入れなければならない。」

エイシオは精一杯の反抗の目をフローリアンに向けた。

「僕に命令するな!」

しかし、その言葉はフローリアンには届かなかった。

扉は閉められ、足音が遠のいていくのが聞こえた。

西日の差し込む部屋に1人残されたエイシオは、テーブルの上に無造作に置かれた風の結晶石を見つめた。

―風の力がイヤなんじゃないのに…―

アメリアの姿を思い浮かべると、自然と涙があふれてくる。

その時、ドアの向こうで声がしたことに気が付いて、慌てて涙をぬぐう。

「フローリアン?なに?忘れ物?」

ドアに近づいた。

「これまで、(ひど)いことを言ったことを謝る。

悪かったな。」

「え?」

唐突の謝罪の言葉にエイシオは困惑した。

無理もない。フローリアンは、常に自分こそが正しいと言わんばかりの態度で、エイシオに頭を下げたことなど、ただの一度もなかったからだ。

「子供に教えるということが、これほど難しいこととは理解していなかった。

だが、俺の目標をお前に無理()いしたのはマズかったと反省している。」

「どういう意味?」

エイシオはさらにドアに近づいた。

「外で夕食でも取りながら、ゆっくり話そう。

ここを開けてくれないか?」

混乱はしたものの、フローリアンの低姿勢な態度にエイシオはほのかな優越感を覚えた。

それゆえに、なぜ彼は自分で鍵を開けず、“開けてくれ”と頼んだのか、そんなことは考えもしなかった。

浅はかにも少年はロックを(はず)し、扉を開けた。

そして目の前に立っていた見知らぬ青年の姿に戦慄した。

「誰!?」

怯えて数歩後ずさる。

声をあげようとするも、青年の冷たい手が口を塞いだ。

男は肩でドアを閉め、エイシオを羽交(はが)()めにする。

子供の力では逃げ出すことはままならない。

パニックに陥ったエイシオの右手から緑の閃光がほとばしり、青年はたまらず顔をそむけた。

「落ち着いて!

君を傷つけるつもりはないんだ。…聞いて。

私は君と一緒にいる男から、君を助けるために来たんだよ。」

エイシオは、ようやくもがくのをやめた。

右手の光が弱まり、やがて不活性化していく。

おとなしくなったエイシオの体を解放し、(ひざ)をついて目線を合わせる。

「私はヒロ。

悪人から子供を救うのが私の仕事。」

「それ、ほんとう?」

エイシオはヒロの整った顔をじっと見据えたまま窓のそばまで、ゆっくり後ずさった。

「本当だよ。

私はトレディシム修道会の一員。

神様の教えのもとで、君のような子たちを守っているんだ。」

「トレディシム?

…アメリアは教会の話をよく聞かせてくれたけど、

そんな名前は聞いたことがないよ…。」

「そうだろうね。

なぜなら、悪人を退治する秘密の組織だから。ね?」

柔和(にゅうわ)な表情が西日に照らされている。

その美しい顔つきは、昔読んだ絵本に出てきた天使のように見えた。

「フローリアンは悪い人なの?」

「そうだよ。

守護者・十三(ぐう)の力を悪用しようとしているんだ。

私たちの修道会は長い間フローリアンと戦い続けているんだよ。」

エイシオは少しの間考えた。

「でも、お化け蟹から守ってくれたよ?」

「守護者に死なれては困るからさ。

彼は利己的な…自分さえよければいいという男なんだ。

だから君に言うことを聞かせるため、怒鳴ったりするだろう?」

「…うん。

殴られたり蹴られたこともある。」

エイシオは、家族から引き離された嵐の夜のことを思い出して体を震わせた。

実際のところ、あれ以来フローリアンが手を上げたことはなかったが、小さな少年の心には、あの一件がトラウマとして深く刻まれていた。

目に涙があふれる。

「いい人なら子供に暴力なんて振るわない。

大丈夫。泣かないで。

きっと君を助けてあげるから。」

そっとエイシオの肩に触れ、穏やかな笑顔を見せた。

次第に少年はヒロを信じはじめていた。

甘えの許されなかった日々において、ようやく安らぎを得られる場所を見つけたと思った。

「握手しよう。

それから君のその右手、見せてもらってもいいかい?」

黒い布を巻いた手に()れられて、エイシオは反射的に手を引っ込める。

「これは…誰にも見せちゃダメって…」

「フローリアンが言った?」

エイシオは、あの男との長い旅の中で、知らず知らずのうちに彼の言うがままになっていたことに、今更ながら気づかされた。

同時にコモレビの街で聞かされた恐ろしい言葉が蘇り、エイシオは悲鳴にも似た声を上げた。

「ねえ、お願い。

お姉ちゃんを死刑にしないで!」

「死刑?…ああ、なるほど。心配しないで。

私は軍隊じゃない。

十三(ぐう)は我々の宝。

軍にも、フローリアンにも、決して渡さない。

もちろん、君の大切な家族にも危害は加えさせないと誓う。」

その言葉を聞いて、エイシオは安心したようだ。

そして大きな瞳で青年を見つめた。

彼が天使なのか嘘つきなのかを判断しようとしているのだろう。

「ねえ、聞いていい?」

「なんだい?」

「なぜフローリアンの声を真似できたの?」

「それはね、私も風を使うことができるからだよ。

見ててごらん。」

ヒロがこめかみに指を当てると、淡いライトブルーのサーキットが耳から(あご)に走る。

「この能力で遠くの音を聞くこともできるし、人の声を真似することもできるんだよ。」

とフローリアンの声色で語った。

「小鳥の声、君の声、何の声色もマネできるんだ。」

そう言ってにっこり微笑(ほほえ)んだ。

徐々に薄れていく警戒心と、増す好奇心から、エイシオはヒロに近づいた。

「風の力は、そんなこともできるの?」

「そうだよ。

私なら、もっと面白い風の力の使い方を君に教えてあげられる。」

「ほんとう?」

エイシオは瞳を輝かせた。

そして深くうなずいたヒロの目の前に右手を差し出した。

青年はその手を取り、注意深く布を巻き取っていく。

そこには不活性化し、黒い(あざ)となった守護者の紋章が刻まれていた。


挿絵(By みてみん)


この少年がまぎれもなく十三(ぐう)である確信を得たヒロは、計画を実行すべく、エイシオを言いくるめにかかった。

「いいかい。

3日後の昼、ここへ君を迎えに来るよ。

その日は朝からフローリアンはどこかへ出かけるはずだから。

ゴーレムに乗って、私たちの教会へ行こう。

教会にたどり着いたら、君は自由だ。

家族にも会いにいけるよ。」

「アメリアにも!?

…でも、フローリアンに追いつかれて捕まっちゃったら?」

「大丈夫。彼は絶対に追いつけないさ。

だから、この計画は秘密にするんだ。

私が迎えに来るまでの間、絶対にこのことをフローリアンに話しちゃいけないよ。

不自然にならないよう、彼の前では普段通りでいてくれ。

何か聞かれたら、集中できないから話しかけないで、って言えばいい。

分ったかい?」

「うん。」

大きくうなずく少年の様子に満足したヒロは、丁寧な別れの挨拶をして部屋を出て行った。


しばらくしてフローリアンが部屋に戻ってきた。

エイシオはベッドの上で水晶を手に瞑想している。

(こん)を詰めるな。

ほら、冷めないうちに食え。」

テーブルの上に、村の露店で買ってきた、まだ温かい料理を並べた。

エイシオは意外にも従順にその言葉に従い、少し焦げた魚にかぶりついている。

いつものように食べ物を口にいれたまま無駄口をきくこともしない。

海岸できつく叱ったが、それが功を奏したのだとフローリアンは思った。


世も更け、エイシオは枕もとに結晶石を置いたまま眠っている。

―日記をつける気力も残っていないほど疲れていたのか。―

フローリアンは石をテーブルの上に移し、眠るエイシオの顔を見た。

それから、ラックにかけたコートのポケットから黒表紙の本を取り、窓際の床の上に腰を下ろした。

しおりの挟まったページに指を差し込み、しばらく思案している。

―これが、ダリアの書き残した最後のページ。―

フローリアンは、そこに何が書かれているかを知っている。

だからこそ、開くのが恐ろしかった。

しかし、全て読み終えることが自分の責務だと言い聞かせ、ゆっくりとページを開いた。

1文字1文字を愛おしそうに目で追う。

最後まで読み終え、表紙を閉じる。

暗闇の中で壁に背を預け、天井を見上げて何かをつぶやくと、感慨深そうに目を閉じた。


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濃霧の森。

白い闇を進むと、大きな木の下に誰かが背を向けて立っている。

豊かな黒髪、華奢(きゃしゃ)な体。

見間違えるはずもない。

「ダリア…!」

フローリアンは叫んで走り寄った。

女性が振り返る。

虚ろな瞳が彼を捉え、唇がわずかに動いた。

フローリアンは、彼女に触れようと手を伸ばす。

しかし、まるで幻影のようにすり抜け、実態に触れることができない。

彼女は何か言いたげな、悲しそうな眼を彼に向けた。

しかし声を発することなく、ただ静かに視線を落とし、やがてその姿は霧の中にかき消えていった。

「行くな…!」


挿絵(By みてみん)


窓を雨が激しく打っている。

―また…あの夢…―

フローリアンは(ひたい)を押さえた。

全身から汗がにじむ。

暗い窓の外は雨の音だけが聞こえる。

ベッドの上のエイシオはよく眠っている。

まだ夜は明けていないようだ。

フローリアンはヨロヨロと立ち上がると、シャワーで汗を流した。

(いま)まわしい記憶も共に洗い流したいと思ったのかもしれない。


翌朝になっても、まだ雨は降り続いている。

いつもは賑やかな宿の前の路上も、人影はほとんどない。

ひと足先に目覚めていたエイシオは、昨晩の残り物のパンを頬張っている。

「調子はどうだ?」

とフローリアンが尋ねたが、少年はただ無言で首を横に振るだけだった。


雨はその日一日中振り続けた。

エイシオは時々思い出したように結晶に触れたが、すぐに飽きたように放り出す。

全く進展がない。

と、いうより、全くやる気を感じない。

しかしフローリアンはもう(とが)めなかった。

自然の流れに任せるしかないと(なか)ば諦めていた。


翌日、昼前になるとフローリアンは「用がある。」と言って身支度を整えた。

「いつ帰るの?」

無感情な声でエイシオが尋ねると、

「分からない。

遅くなるかもしれないが、食べるものはそこに置いてある。」

そう言って部屋を出て行った。

エイシオが不自然なまでに高揚していたことに気付きもせずに。


-------------------------------------------------------------------------------------


「私だ。開けて。」

ヒロの声に、エイシオは嬉々(きき)として扉を開けた。

「さあ、行こう。

一刻も早くここを出なければ。

荷物は置いていくんだ。

欲しいものがあるなら、後で買ってあげるから。」

日記を置いて行くことに難色を示したが、その執着よりも姉に会える希望が(まさ)った。

ヒロに手を引かれ、宿の外に出た。

正面には、ヒロが用意していた不気味なスパークを放つゴーレムが、興奮したように地面を前足でかいている。

「ちょっと待ってて。」

そう言うと、急ぎ宿の裏に回ってフローリアンのゴーレムの(つな)(はず)し、その尻を強く打った。

ゴーレムが一声いななき、宿の裏の林の中へと消えて行くのを見届けると、エイシオのもとへ戻ってきた。

「馬を逃がしたの?」

「そうだよ。追われちゃマズいからね。」

そういって、(いか)ついゴーレムにまたがり、エイシオを引っ張り上げた。

「さあ、出発するよ。」

そう言うなり、馬に(むち)を当てた。

人通りの多いメインストリートを回避し、小路を駆け抜け村を出る。

あとは極力距離を稼ぐのみ。

ヒロは更に鞭を打ち、2人を乗せたゴーレムは一路、エーヘイデンの街へ向かい、ひた走った。

活気ある村の雑踏が遠ざかっていく。


-------------------------------------------------------------------------------------


そのころ、フローリアンは約束のモノを受け取るため、例のギルド・バーで待っていた。

昼間とあってか、他に客の姿はない。

“日暮れまでには必ず例のものを引き渡します。”と告げられていたが、一向にヒロの現れる様子はない。

村の小さな礼拝所の鐘が午後3時を告げている。

吹き抜けの窓からは、曇り空の淡い光が差し込んでいる。

いい加減しびれを切らしたフローリアンが、バーテンダーに声をかけた。

バーテンダーの男は不安そうにフローリアンを見上げると、

「ヒロに会いにきた人かい?」

と、オドオドと尋ねた。

「そうだ。」と答えると、おずおずと小さな紙切れを差し出した。

「日没の鐘が鳴ったら、これを渡せと言われたんだが…。」

フローリアンはそれをひったくると、天窓の薄明りを頼りに文字を目で追う。

――約束とは、時に破られるために存在する。――

「ふざけやがって…、あのガキ…」

激怒したフローリアンは、カウンターを乗り越え、バーテンダーの胸ぐらを掴んで、棚に釘づけた。

酒のボトルが落ちて、床にガラス片と液体がぶちまけられる。

「オイ!あいつは今どこにいる!?」

「わ…私は知りません…。

ただ…ただ、子供がどうとか…そんなことは言っていたかと…。」

と、憐れなバーテンは震えながら答えた。

「クソッ!!」

フローリアンは、ようやく(はか)られたことに気づき、急ぎ宿屋へと引き返した。


挿絵(By みてみん)


裏につないでおいたはずのゴーレムの姿はなく、部屋はもぬけのカラ。

荷物だけが置き去りにされている。

ベッドの上に上質な紙の便箋が一通置かれており、そこにヒロからの挑戦とも取れるメッセージがしたためられていた。

――ようこそ。惨めなフローリアン君。

気付いていないようだったので、教えて差し上げましょう。

私は君の“親愛なる”トレディシム修道会のメンバー。

そして未熟なパラディン十三(ぐう)庇護者(ひごしゃ)でもあります。

君はかつて我々の教団から大切なものを奪いましたね。

それにより我々が、どれほどの辛酸(しんさん)をなめ、混乱したことか。

良い機会ですから、君にも同じ苦痛を味わってもらいましょう。

どうしてもパラディンを奪い返したいと思うのなら受けて立ちます。

ここから北東のエーヘイデンの街に来るといい。

もし、できるならの話ですが、ね。

ヒロより。敬意をこめて。――

便箋にはトレディシム修道会のエンブレム、交差する鎌の印が()されている。

もはや一刻の猶予(ゆうよ)も許されない状況だった。

過去の(いま)まわしい記憶が蘇る。

再びこの世が闇に覆われようとしている。

フローリアンは部屋に散乱している荷物をかき集めると、小雨降りしきる外へと飛び出した。

―今なら、まだ間に合う…!

間に合ってくれ!―

そう願った。

むしろそれは祈りであった。


                            第12話 おわり



挿絵(By みてみん)


書きました。アブサロン


イラストはこちら ペイやん



おまけイラスト

挿絵(By みてみん)


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