最初のステップ
第11話
名もなき村を離れて数時間もゴーレムを走らせれば、景色は随分様変わりする。
低木の林は姿を消し、ステップ気候独特の砂地が目立つ背の低い草原地帯に差しかかった。
2人は草原の真ん中で小休止をとっていた。
フローリアンは、リンゴをかじっているエイシオの前に、色とりどりの9つの結晶石を小袋から出して置く。
「これ何?」
果物のヘタをポイと投げ捨て、エイシオは興味ありげに身を乗り出した。
「エレメント・エネルギーに反応する永久元素の結晶体だ。
エレメント・エネルギーには3つのカテゴリーがあることは知っているか?」
何を言っているのか、ほぼ理解できない様子のエイシオは、ただキョトンとしてフローリアンの顔を見ている。
「…まあ、そうだろうな。」
低く独り言ちながら、結晶石を輪の形に並べかえた。
「エレメント・エネルギーには、“原始”、“派生”、“創造”の3つが存在している。
原始エネルギーには、火、水、土、風の4つが分類される。」
指で砂に線を書いて4個の結晶石を区切る。
「派生エネルギーは、マグマ、氷、蒸気、砂塵、雷の5つだ。」
そう説明しながら残りの5つの石を指し示す。
「創造エネルギーは、“創造の四柱”と呼ばれ、この世を成立させるものであり、闇、光、生命、時空の4つが、これに属する。」
見えない何かを示すように両手を広げた。
「ふぅん。
石は全部、色が違うんだね。」
「その通りだ。
それぞれのエレメント・エネルギーには固有の色がある。
火は赤、水は青、土は銅、風は水色という具合だ。」
石を順番に指すフローリアンの指を目で追う。
「じゃあ、マグマはオレンジ、氷は紺、蒸気はグレー、砂塵は黄色、雷は紫ってこと?」
「そうだ。見ろ。」
そう言って、フローリアンは手に力をこめる。
低い鐘の音に似た響きとともに、一瞬丸いライトブルーの光の輪が広がり、腕にサーキットが走る。
指先に小さな風が渦巻いたのが見えた。
「エレメント・エネルギーは、結晶石と同じ色。
サーキットの色を見れば、そいつが何の属性かが分かる。」
「フローリアンのは水色だったから、風だね。」
「そうだ。」
「僕のは緑だったよ。」
「そうだな。
緑は時空のエネルギー。
闇は黒、光は白、生命は薄紅色だ。」
「創造の4つに石はないの?」
「ある。
ただしそれは、オリジン・エレメントの結晶か、パラディンにしか精製できない特別なものだ。
ここにある結晶石のように、そのあたりにゴロゴロあるようなモノじゃない。」
「じゃあどこかには、創造の4つの石があるの?」
「その石の1つが存在する場所こそが、我々の旅の目的地さ。」
フローリアンは草原の彼方を見つめた。
エイシオは真意をくみ取れないまま、同じ方向を見たが、そこには荒涼とした砂地と草原が広がっているだけだった。
「ねえ、この石、触ってもいい?」
エイシオの声に我に返ったフローリアンが振り向く。
「ああ。この石をお前に見せたのは、ただ色の説明をするためだけじゃない。
本来、エレメント操者は1つのエレメント・エネルギーだけを持っているんだが、
創造の四柱の守護者は別格だ。
彼らは2つのエネルギーを操る。
つまり、お前もだ。」
「僕も?」
「そうだ。」
「何のエネルギー?」
「それを調べるために、これを見せた。
いいか、この石の上に両手を重ねて意識を集中させろ。
1つずつだ。
必ずどれかが共鳴反応を示す。」
フローリアンが石の上に両手を置いて手本を示す。
「共鳴反応?…って何?
どうなるの?」
「わずかな振動を感じるはずだ。
さ、目を閉じて、意識を集中させてみろ。」
言われたとおり、エイシオは小さな手を重ねて石の上に置く。
火の石から順番に、時計回りに試してみたが、9つの結晶のいずれも反応を見せない。
無言のままフローリアンの顔を見て、首を横に振った。
「なぜだ…?」
結晶石でのエネルギー検出は最も容易で確実な方法であるはずなのに、なぜ反応を示さないのかフローリアンには理解できなかった。
彼は、懐から黒い表紙の本を取り出すと、ページをめくってヒントを探った。
「エイシオ、今度は左手だけで試してみろ。
右手は背中に回せ。ほら、やってみろ。」
急かすように言われ、エイシオは右手を腰の後ろにまわし、左手を石の上に置いて目を閉じた。
意識を集中させながら、火、水、土と順番に手をかざす。
風の石に手を触れた瞬間、ピリッっとした静電気にも似た感覚に、思わず手を引っ込める。
フローリアンはその反応を見てうなずいた。
「それだな。
よし、じゃあもう一度風の石に手を置け。
今度は手を動かすなよ。」
言われるままに、風の結晶に左手を置く。
意識を集中させると、とたんに結晶石は共鳴し始めた。
最初、小さく振動していた石は、やがて鈍い光を放ち、風の流れが蛇のようにエイシオの腕を伝い上りはじめた。
恐ろしくなったエイシオが慌てて手を離す。
とたんに風の流れは溶けるように消えた。
「なるほど。おもしろいな。
お前の場合、右手に現れた時空の印が干渉していたようだ。
だから両手で触れても何の反応も示さなかったのか。」
フローリアンはフッと笑うと、本を胸の内ポケットに戻し、エイシオの右手を見た。
エイシオも恐る恐る黒い布で覆われた自分の右手に目をやったが、別段何の反応も現わしていないように見える。
不安そうにフローリアンの顔を見上げた。
「お前の能力は時空と風。
ようやく俺はお前の師として本領が発揮できそうだ。
幸運なことに。いや、むしろ運命というべきか。」
「どういうこと?」
「俺は知っての通り風使いだ。
だからお前に風のエレメント・エネルギーを最大限に発揮する術を教えられる。
だが、お前は同時に時空操者でもある。
1つの能力をマックスまで引き出すのでさえ何年もかかるだろう。
2つのエレメントともなれば、どれだけの時間を要するか俺には想像もつかない。
お前は時空と風、2つのエネルギーを学び習得しなければならない。
簡単な道のりではないだろう。
だが、それこそがパラディン、守護者に求められる最低限のアビリティなのだ。」
真剣な表情のフローリアンを見上げながらも、その重責をまだ理解できないエイシオは、ただ、姉と同じ能力を持てたことを屈託なく喜んでいた。
たとえ離れ離れでも、風の囁きが2人の魂を繋いでいる。
その思いが少年の心を高揚させた。
「ねえ、いつから風の力が使えるようになるの?」
エイシオは興奮が抑えきれない様子で尋ねる。
「まずはエレメント・エネルギーに慣れることだ。
全てはそれをクリアしなければ始まらない。」
フローリアンは、そう言いながら風の結晶をエイシオに委ねた。
残りの石を小袋にしまうと腰を上げ、
「さ、行こう。」
フィンガースナップで呼び寄せたゴーレムにまたがった。
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遥か後方、木陰に停めたゴーレムの上で、意識を集中させる青年の姿があった。
その耳から首にかけて淡いライトブルーのサーキットが光っている。
高貴な身なりに美しい顔が印象的であり、荒涼とした辺境の大地におよそ似つかわしくはない。
彼はコモレビの街から、ずっと2人を密かに追ってきていた。
「フフ…なるほど。思った通りだ。」
青年は独り言をつぶやく。
同時にサーキットが消えた。
―さて、どうしたものかな。教団に知らせるべきか?
いや、待てよ。この道を順当に辿れば、カイヘイワの村。
きっと彼らはそこに向かうに違いない。―
思案を巡らせながら青年はポケットから取り出した小さな地図を確認する。
―カイヘイワからエーヘイデンまでは、約1000キロってとこか…。
ならば…。―
ポケットに地図を戻すと、フゥと大きな決意の溜息を漏らした。
「待っていろよ、フローリアン。
我々の味わった絶望を、今度はお前が経験する番だ。」
ニヤリとほくそ笑み、青年はゴーレムを走らせた。
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エイシオは馬の背で、慣れないエネルギー流と格闘していた。
彼はフローリアンに背を預け、左手の痺れに悶絶していた。
風の結晶が握られた手には包帯が巻かれ、石が決して手から離れないように施されている。
それはエイシオが痛みに耐えられず、何度も石を落とすのを見かねたフローリアンの策であった。
フローリアンは砂地の草原をしばらく北に向かってゴーレムを駆っていたが、コンパスをチラと確認したあと、進路を南西に向けた。
やがて草原地帯を抜け、目の前に海が見え始めた。
海岸線に沿うように心細く伸びる未舗装路は、この辺りにも小さな集落が点在していることを示している。
「腕の血管にエネルギーを流す。
そのイメージを忘れるな。」
フローリアンは簡単そうに言うが、現実はそんな楽なことではない。
腕に走る強烈な電流のようなエネルギー流がエイシオを苦しめる。
痛みに手を開こうとも、石は決して離れない。
「エネルギー流に慣れ、親和性体質に変われば、痛みは消える。」
「いつになったら慣れるの?」
「さあな。それはお前の努力次第さ。」
痛みは消えるどころか、増すばかり。
しかし、エイシオは一刻も早く風の力を身につけたかった。
きっとアメリアも同じ痛みを克服したに違いない。
その思いだけが、彼の心を強く保っていた。
夜の闇が空を覆い始め、馬の上でエイシオは眠気と戦っていた。
時折走る激痛に目を覚ましては、また眠気に襲われる。
うとうととするたびに馬から落ちそうになるエイシオの体をフローリアンが支えた。
「そろそろ限界のようだな。」
半分眠りの世界に引き込まれ、しなだれたエイシオを休ませるため、海沿いに伸びる道の脇の広い砂地にゴーレムを止めた。
馬から降ろされたエイシオは、地面の上に横たわると、すぐに深い眠りに落ちた。
フローリアンは少年の手から包帯を解いて結晶を外してやり、毛布をかける。
手近な茂みから枯れ枝を集め、手際よく火を起こして、そのそばに腰を下ろすと、カバンから地図とアテンド・スフィアを取り出した。
アテンド・スフィアは、パイロット・ボールと同く、土の結晶石をベースに水、風などの結晶体を組み込み、“英知”と呼ばれる知恵の植物のツルを這わせた人工物である。
メルカン社製のパイロット・ボールとは若干機能や性能には違いがあるが、ここ火王朝ではポピュラーな製品である。
ゴーレムと同じくコモレビ市の結晶店で購入していたようだ。
地図で確認できた最も近い集落は、カイヘイワ村とある。
フローリアンがアテンド・スフィアにエネルギーを与えて電源を入れ、問いかける。
「カイヘイワ村についての情報をくれ。」
すると奇妙な花びらのついた球体が
「漁業と鉱業の村。
人口は約5000人です。
昨今、経済の急成長を遂げ、人口が増加している村です。」
と淀みなく答えた。
「その村で家を買うことは可能か?」
「可能です。
鉱物採掘者の流入に対応し、住宅の整備が進んでいます。
購入、賃貸、いずれも供給可能の状況です。」
「なるほど。」
フローリアンは焚火のそばで横になり、質問を続ける。
「その村での帝国軍についての情報はあるか?」
「村自体の治安は非常に良好です。
しかし帝国軍についての情報はアップデートされていません。」
「そうか…。
大軍が常駐していないことを祈らないとな。」
「質問が理解できませんでした。
もう一度質問してください。」
「質問じゃない。」
フローリアンはアテンド・スフィアの電源を落とし、枕もとに置いたカバンの中に押し込んだ。
見上げた空には満天の星が輝いている。
ふと思い出したように黒表紙の本に手を触れたが、疲労が彼の思考を妨げた。
男は本を胸に抱いたまま、眠りについた。
その様子を観察していたのは、例の青年。
2人との距離は約1キロ。
例え手練れの傭兵であれど、この距離で存在を感知することは難しい。
青年は、内ポケットから小さな結晶体を取り出し、フッと息を吹きかけ、ハチドリのゴーレムを生成する。
そして男がそれに何かを囁き空に放つと、ハチドリは真っ直ぐ夜の闇へ飛び立って行った。
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ずいぶん長い距離を走った。
だが常に結晶石に意識を集中させているエイシオには、あっという間の短い時間に感じられた。
2人が目的地のカイヘイワ村に到着したころには、日が傾き始めていた。
村は、アテンド・スフィアの情報どおり、規模は小さくはあるものの、インフラ設備も整い、建築中の建物がそこかしこに見受けられ、高度成長期にあることをうかがわせた。
心配していた帝国軍も、わずかな人数で構成された憲兵隊が駐留しているのみである。
その日の宿は、質素ではあるが落ち着いたカントリー調の建物で、主も愛想のよい落ち着いた紳士。
数日の滞在料を受け取った主人は、2人の素性について一切の詮索もせず、日当たりの良い角部屋を提供してくれた。
その部屋でエイシオは相変わらず結晶石を握り、エネルギー流の痛みと格闘していた。
「あまり無理はするな。徐々に慣れろ。」
フローリアンはそう言ったが、エイシオは首を横に振る。
「だって、明日の朝も早い時間に出発するんでしょ?
訓練する時間がなくなっちゃうよ。」
「その心配はいらない。
しばらくここに滞在する予定だ。」
「そうなの?」
エイシオは目を丸くした。
これまで一か所に腰を据えて滞在したことがなかった彼にとって、それは朗報だった。
「この村には必要なものがじゅうぶんに揃っている。
立地上、目立つ村でもない。
帝国軍も駐留しているのは憲兵の小隊だ。
しばらくはこの村に落ち着こうと考えている。
明日、手ごろな物件を探しに行ってくる。」
「物件って何?」
「住む家のことさ。」
「この宿じゃダメなの?」
「ここではあまりに無防備すぎる。
何日も滞在しては返って目立つしな。」
「隠れ家を作るってことだね?」
「まあ、そんなところだ。」
興味津々といった様子で、エイシオの目が輝いた。
およそスパイごっこかなにかと勘違いしているのだろうが、フローリアンはこれを否定しなかった。
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その夜、村の中心部の酒場には、この場にふさわしくない高貴な身なりの青年が1人、グラスを傾けていた。
そのとき酒場の扉が開き、ドアベルがカラカラと鳴る。
酒場の主は入って来た客にチラと目をやり、「お好きな席へ。」と言ったきり、グラス磨きに余念がない様子。
肥えた男が無言で青年の正面に座った。
青年がその男に囁くように言う。
「急で悪かったね、カノウ。
私の頼んだものは持って来てくれましたか?」
男は周囲を注意深く見渡し答える。
「ああ、もちろんだ。
だが…」
カノウと呼ばれた肥えた男は近寄って来ようとする店主に気づき、言葉をつぐんだ。
ゼスチャーで“ビール”と注文をつけ、店主を追い払う。
それから青年に向け人差し指を立てて、“しばし待て”の合図を送る。
間もなくして注文の品が運ばれてくると、再び小声で話し始めた。
「なぜわざわざ、こんな辺境の地に俺を呼びつけた?
その説明を聞くまで、カネは渡せないな。」
マグに入ったビールをあおる。
「君は知っているだろう?
私は理由もなく君を呼びつけたりはしない。
…見たんだよ。」
「あのな、ヒロ。
もったいぶってんじゃねーよ。俺はヒマじゃないんだ。」
カノウはやや苛立った様子でマグをテーブルに置いた。
ヒロはゆっくりと周りを確認すると、カノウに顔を近づけ、先ほどよりさらに声をひそめ、
「フローリアンだ。
奴は今、この村にいる。」
得意げに片眉を吊り上げて見せた。
「フローリアンだと?」
カノウの表情が険しくなる。
「馬鹿な。
あいつはヴェントゥムにいるんじゃないのか?」
カノウの脳裏に、あの忌まわしいアルファゼマ陥落の記憶が蘇る。
たとえアルファゼマを守っていたのが腑抜けどもだったとしても、それなりに戦術に長けた人員を配備していたあの大拠点を、たった1人で滅ぼした化け物。
その姿を想像し、戦慄した。
「…あの悪魔が…」
不安に満ちた独り言はヒロには聞こえていないようで、青年はニヤリと口元を歪めて椅子の背もたれに寄り掛かった。
「甘いね。奴はとうにヴェントゥムを出ている。
現に私は、コモレビの街で見つけて以来、ずっと奴を追っているんだから。」
「なんだと?
まさか次はヤマカの拠点を狙っているのか?」
「さあね。そんなことはどうだっていいんだ。
それよりアイツが今、誰と行動を共にしていると思う?」
ヒロは興奮気味に身を乗り出した。
「もったいぶるなと言っただろう。」
苛ついた視線でヒロを睨みながら、カノウはビールを飲み干した。
「小さな子供を連れているんだ。10歳前くらいの少年さ。
それをどう思う?
あの名うての傭兵が、ただの子供を連れて旅をすると思うかい?
理由は明確さ。
あの男は見つけたんだ。
我々より早くね。」
「まさか…」
カノウは目を見開き前のめる。
「その“まさか”だよ。
あの少年は守護者に違いない。
我々が探し求めている、パラディン十三宮だ。」
「十三宮…。
すでに現世に現れておいでなのか。」
「そう。
新しいサイクルが始まり、この世にご出現なさった。
我々トレディシムの導き主。」
ヒロの目が夢をみているかのように輝いた。
「間違いないのか?」
疑ってかかるカノウに、
「私の能力は知っているだろう?
この能力は数キロ先の音も決して聞き漏らすことはない。」
そう言って、耳に手を当て、サーキットを発生させた。
「なるほど。
確かに、お前の言うことが本当ならば、これ以上に好都合なことはない。
フローリアンは討つべき敵であり、ダリア様の写本はヤツの手にある。
そして新たな導き主もまた…。」
そこまで言うと、カノウは懐からコインの詰まった小袋をヒロに差し出した。
「約束のカネだ。
これだけあれば、探索に要する費用はまかなえるだろう。
それで…?どうするつもりだ?
まさかフローリアンと戦うつもりじゃねーだろうな?」
「ああ、私もそこまで自分を過信していないよ。
十三宮を奪う。
そうすれば、必然的にフローリアンは追ってくるだろう。
ダリア様の写本を持ってね。」
「それで?」
「十三宮を連れて、エーヘイデンの拠点まで逃げるのさ。
君は手練れの仲間を集めて待機していてくれ。
そこでフローリアンを迎え撃つ。」
「なるほど。
だが、そんなに上手くいくものか?
あいつは1人でアルファゼマ拠点を壊滅させた化け物だぞ?」
「攻めこむのと、不意打ちを食らうのとでは、状況は全く違うさ。
さすがの“沈黙の死”も、平常心を失って突っ込んできたところを襲撃されたら、隙もできる。
そう思うだろ?」
ヒロの自信に満ちた演説にうなずいてはみたものの、カノウは一抹の不安を抱いた。
「しかし、イッキ公に知れたら、どうするつもりだ?」
「イッキ様はヤマガ・シティの大教区で優雅に暮らしておいでだ。
どうせ辺境のちっぽけな小教区のことなんか頭にないさ。
それに…」
ヒロは狡猾な笑みを浮かべ、カノウに耳打ちする。
「導き主を得れば、修道会は我々の思うがまま。
イッキ公が威張っていられるのも、今のうち…ってことだよ。」
その浅はかとさえも思える大胆な発言に、カノウは薄気味悪ささえ覚えた。
が、権力を得て、修道会を意のままに操ってみたい欲望がないわけではない。
「分かった。だが決してドジは踏むなよ。」
「もちろんさ。」
ヒロはニヤリと微笑んだ。
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その日、フローリアンは宿にエイシオを残し、村で手ごろな空き物件を探していた。
しかし、社会的秩序が保たれている街だけに、法令遵守が徹底されており、不動産の売買には身分の証明を求められる。
まさか本当の素性を明かすわけにもいかず、まずは身分証明をどうにかしなくてはならない。
方法がないわけではなかった。
急発展を遂げる地域には、必ず“裏の社会”が存在している。
彼らに接触できれば、なんとかなると考えたフローリアンは、夜になると酒場や路地を回り、“身分証明の偽造”を扱う人間を探した。
だが、そうそう簡単に見つかるはずもない。
裏社会に暗躍する者は用心深く、「そうか」と尋ねられて、「そうです」などと答える者などいないのだ。
翌日からフローリアンは、昼間はエイシオの訓練を見守り、夜は村を巡って情報を収集した。
時間をかけて相手の警戒心を解くスタイルは、少々時間を要するやり方ではあったが、確実なメゾットである。
夜な夜な村を回る日が数日続いた。
この日、宿に戻ったのは、間もなく一番鳥が朝を告げようかという時間だった。
物陰から様子をうかがうヒロが、計画成功の予感にほくそ笑む。
フローリアンがその存在に気が付かなかったのは、安全な村の環境に気が緩んでいたのか、それとも疲労の蓄積のためだったのか…。
部屋に戻ると、エイシオは日記を開いたまま眠っていた。
フローリアンは眠る少年のわきに腰かけ、その内容に目を通す。
ノートには子供らしい、お世辞にも上手とはいえない字が連ねられている。
―今日は、昨日よりビリビリしなかった気がする。
しんどいけれど、訓練は、とても面白い。
家にいたときは、エレメント・エネルギーについて勉強したらダメって言われてた。
がんばって練習して、早くエレメントマスターになりたい。
お姉ちゃんが、『簡単じゃないけどきっとなれる。』って言ってたから。―
その後は、その日の練習の内容が細かく記されていた。
教えどおり時空エネルギーや2人の名前については触れていない。
フローリアンは日記を確認し終えると、灯りを落としてソファに倒れ込んだ。
そして黒表紙のノートを取り出し、しおりが挟まれたページを開く。
「…ダリア、この本も、ようやく読み終えることができそうだ。」
青いベールに包まれていた室内を、昇る朝日が淡いオレンジ色に染めていく。
目覚めた小鳥たちのさえずりが聞こえる中、フローリアンは束の間の眠りについた。
「ねえ、少しだけ、腕にエネルギーが流れるようになったよ!」
エイシオの嬉しそうな声で目が覚めた。
「…ん…そうか…。今、何時だ…?」
寝不足からくる片頭痛に顔をしかめ、起き上がる。
「知らない。
でも外からいい匂いがしてるから、朝ごはんの時間じゃない?
それより、昨日より、ちょっとだけ腕にエネルギーが流れたんだってば!」
子供の甲高い声が痛む頭に響く。
「分かった…。分かったから、大きな声を出すな。
あっちで服を着替えて来い。朝飯でも食いに出よう。」
成果を認めてほしかったエイシオは不満そうな顔をしたが、おなかが空いていたのも事実。
言われるままに服を抱えて洗面所へチョコチョコと駆けていった。
その日も、いつもと変りなく1日が過ぎようとしていた。
エイシオはしきりに昨日より上達したと言い張るが、実質さほど変化はないように思える。
しかし、フローリアンは敢えてそれを告げなかった。
この小さな守護者にとって、モチベーションはなにより大切なことだと理解しているのだ。
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その夜も、フローリアンは宿にエイシオを残し、1人酒場を訪れていた。
怪しまれないよう世間話をしながら、情報収集に勤しむが、結果は芳しくない。
他の町とは違って、ここは鉱山で働く頑固で実直な男たちの集う村。
そもそも、裏の人間はいないのかもしれない。
適当に話を切り上げ、酒場を後にする。
敷地を出た辺りで、何者かが声をかけてきた。
「こんばんは。
この村へは最近来られたのですか?」
敵意はないようだ。
「見れば何やらお困りのご様子。
表通りは目立ちます。
建物の裏に回りませんか?」
暗がりでも顔の造作の良さが分かる青年が、ニコリと微笑んで路地裏を指した。
この地区では浮いているその身なりから、明らかに労働者階級ではないと分かる。
限りなく怪しいが、実際フローリアンは困窮していた。
それゆえに、彼は罠を恐れなかった。
躊躇なく青年の後を追い、路地へ入る。
「さて、あなたのご希望は何でしょう?」
振り返った青年の顔を、酒場の赤いネオンが照らす。
その表情には、うっすらと笑みが浮かんでいた。
フローリアンは青年から距離を保ち、注意深くその動向に睨みをきかせ、
「ジレンマを片付けられる人間を探している。」
威圧するように言葉を発し、腕組みをした。
「フフ…。独特な言い回しを好まれるようですね。
いいでしょう。
“ジレンマ”を解決するのが私の仕事です。
はじめまして。私はヒロ。」
品よく頭を下げる青年をフローリアンは黙って静視していた。
整った顔が欺瞞にみちた微笑みを、より怪しく際立たせる。
「いかがです?私を信じて、仕事を任せてみませんか?
私は決して失敗しません。
それはお約束しましょう。」
ヒロが手を差し出した。
張り詰めた空気の中を、緊迫した時が流れる。
酒場からは、鉱夫たちの陽気な歌声が漏れ聞こえてきた。
第11話 おわり
書きました。アブサロン
イラストはこちら ペイやん
おまけイラスト
応援ありがとうございました。
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