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影に潜む脅威


挿絵(By みてみん)



第10話


境界の街を出発して数日の間、馬を手に入れることができなかった2人は、ここまで徒歩での旅を余儀なくされた。

エイシオは少し歩いては立ち止まり、日差しが強いだとか、足が痛いなどと言って、幼児のようにむずかった。

地面に大の字になって動かない時もあったが、フローリアンは決して手を貸そうとはしなかった。

結局、置いて行かれることを恐れたエイシオが走って追いつく。ただそれを繰り返す。

必然的に行程は遅れる。

この日も日暮れが迫っていた。

どうにか最寄りの村まで到達するつもりで朝から歩きどおしだったが、遅れを取り戻すことは叶わず、この日も2人は野営を余儀なくされた。

真冬ではあったが、低木林は青々と葉を茂らせている。


大陸の西岸、火王朝(かおうちょう)帝国南西部のムダン州とヴェントゥム王国北西のチャマメラム州にまたがるブレヴィマ山脈には、エネルギー結晶を豊富に含む地層があり、 それらがこの地域の気候に多大な影響を与えている。

百キロほど移動するだけで、気温や湿度が極端に違ってくる。

山脈を境に南は雨が多く、森林が広がり、対して北は降雨量が少なく乾燥している。

そのため火王朝(かおうちょう)帝国領南部はあまり農業には適さない。

交易で発展するいくつかの街を除いて、貧しい村々が多く目立つのはそのためだ。


林の(はず)れに荷物を下ろし、火を起こすフローリアンの脇で、エイシオが小声で尋ねる。

「ねえ、パイロット・ボールは?」

「アロ川の水につかって壊れた。

なぜそんなことを聞くんだ?」

「だって、このへんには肉食の(けもの)がいるんでしょう?

夜の見張りがいないと、怖いよ。」

エイシオが不安そうにあたりを見回す。

「野生の本能があるヤツってのは、決して自分より強い者に襲い掛かったりしないものさ。」

その言葉の本義を知ることはできなかったが、安全であることはなんとなく理解できた。

エイシオは男の隣に腰を下ろし、カバンからノートと鉛筆を取り出すと、焚火(たきび)の火を灯り代わりに日記をつけ始めた。

境界の街を出て以来、彼の毎夜の日課となっている。

その日見たもの、聞いたこと、それらを書き留めた。

中には植物や動物をスケッチしたページもある。

ヴェントゥム・テラの街から出たことのなかった少年にとって、このとんでもなく厳しい師との旅で出会う全てのことが新しい発見だった。

「何を書くのもお前の自由だが、お前が十三(ぐう)であることは絶対に書くな。

あと、名前は出すな。お前も名も、俺のもだ。」

ノートを手にした最初の日に言われたこの言葉を守り、エイシオの日記は”僕”と”あの人”で構成されていた。

フローリアンは少年が眠りについた後、必ず日記に目を通す。

最悪、エイシオが日記を紛失した際の事を考えて、危険な表記がなされていないかを確認するのである。

この夜書かれたページに、初めて”僕たち”の字を見つけた。

当初、かたくなに心を開かなかった少年の小さな心情の変化と成長に、フローリアンは目を細めた。

「”あの人”じゃなく、”師匠”だろうが。」

そう小さく(つぶや)き、眠る少年の顔を穏やかに見つめた。


翌朝、日の出前に出発した2人が遠くに大きな街の影を見つけたころには、すでに太陽の光が明るく大地を照らしていた。

水に浸かったせいで、しわくちゃになった地図を広げ、これから向かう街の名を調べる。

ハナミ州コモレビ。

街の名の由来は、木々の間から漏れる日の光を表す、この地域の言葉であるそうだ。

その名が示す通り、乾燥地帯でありながらも、周辺には広葉樹林が広がっており、風にざわめく木々の葉が心地よい影を地面に映していた。

コモレビは帝国南部の比較的大きな街である。

ここならゴーレムを入手できる、と、フローリアンは確信していた。

「顔を隠せ。」

「なんで?」

大きな街に入るときは必ず命令されるが、暑いうえに視界が悪くなるので、エイシオは嫌がった。

「前にも言っただろう?

お前の顔は世界中に知れてしまっている。

見つかれば、ヴェントゥムに送還される。

お前の“愛する”両親のもとにな。

その意味は、もう分かるだろう?」

少年は悲しそうにうつむくと、小さく頷いた。

街に入る前、フローリアンは必ず外周を回る。

そしてつぶさに状況を観察する。

この街にも帝国軍の姿が多く見られた。

5か所ある門には旅人の検閲所が設けられており、正面切って堂々と入れる環境ではなさそうだ。

2人は街の西、郊外の畑との境に一部崩れかけた石垣を見つけ、そこから侵入した。

家々の建ち並ぶ入り組んだ小路に入り、街に溶け込んでしまえば、もう心配はない。

細い石畳の道と両脇に建ち並ぶ石造りの建物。

起伏が激しい土地らしく、階段が多い。

全体的に落ち着いた雰囲気のある街である。

通りを行き交う人々が皆、奇妙な服を着ていることに気づいたエイシオが、フローリアンの上着の(そで)を引っ張って

「ここの人たちが着てる服は何?」

と小声で尋ねた。

「ハナミの民族衣装さ。」

「ふぅん。」

エイシオは満足いく回答が得られず、気の無い返事を返した。

長い石段を下ると、広い通りに出た。

道の両脇には水路が敷かれており、清らかな水が流れている。

その流れの中に紫色に光る背びれを持つコイのような魚を見つけたエイシオは、興奮気味に駆け寄ると、魚に触れようと水面に手を伸ばした。

「触るな。」

慌てて少年の服を引っ張るフローリアンが厳めしい顔をする。

「こいつは電気魚だ。

ヒレが紫に光っているのは電気を持っている印だ。

かなり強力だからな。

水に触れただけで感電死さ。

こんなところで死ぬなよ?

さ、分かったら行くぞ。こっちだ。」

そう言って歩き始めた。

エイシオは水の中で幻想的な光を放つ魚をしばらく眺めていたが、待ってくれる様子もないフローリアンの後を追って駆けだした。


街の中心部まで来ると、さすがに人が多い。

円形広場を中心にたくさんの商店が軒を連ね、商人や商品を積み込んだ荷馬車が往来している。

その中に結晶店(ショップ)を見つけたフローリアンは店に入ろうとしたが、エイシオは向かいの通信機器のウィンドウディスプレイに設置されたホロジェクターが気になった。

少年の様子に気づいたフローリアンは、

「見てきてもいいが、そこを離れるなよ。」

そう言ってエイシオのフードを深く被せてやった。

「うん。」

エイシオは人と荷馬車をかいくぐり、店のガラスに張り付いた。

ホロジェクターには火王朝(かおうちょう)帝国内のニュースや流行りの健康飲料の紹介など、エイシオにとっては少々がっかりな内容ばかりが放映されている。

難しい言葉を連ねたニュースに少年はすぐに興味を失ってしまった。

がっかりした様子で結晶店(ショップ)へ向かおうとしたとき、「メルカン」というフレーズが聞こえ、ハッと振り返る。

『ここ、ヴェントゥム=テラにあるメルカン家敷地内の墓所で、親族だけを招いた葬儀が粛々と執り行われています。

父親のバルトロ・メルカン氏は、世界有数の企業メルカン社の代表であり、今回の痛ましい事件は、メルカン社、もしくはバルトロ氏に恨みを持つ者の犯行とみて、憲兵隊は捜査を行っています。

また、この度の訃報を受けて、オクタヴィオ国王は哀悼の意を示されました。』

キャスターの言葉とともに、懐かしい風景が映し出されていた。

テラの邸宅でインタビュアーの質問に涙ながらに答える祖父の姿、そして館で執り行われたシロ・メルカンの葬儀の様子が流れる。

喪服に身を包んだ両親と、その後ろにたたずむのは夢にまで見た姉、アメリアの姿。

だが、その表情は憔悴しきり、もはや魂の抜けた人形のように見えた。

そんな姉の顔を見たのは人生で初めてだった。

エイシオの心臓に、杭で刺しぬかれるような痛みが走った。

いてもたってもおられず、彼は駆けだした。

ただ、姉のもとに行って慰めたい。

僕は生きている。そう伝えたいと願った。

しかし、10メートルと行かぬ間にフローリアンの声に引き止められた。

「どうした?

そこを離れるなと言ったはずだ。」

「アメリアが…」

フローリアンの手がとっさに少年の口を塞ぎ、耳元で口早にささやいた。


挿絵(By みてみん)


「しっ!…その名も口にするな。」

エイシオの目にみるみる涙がたまる。

辺りを巡回していた兵士がこちらの様子をうかがっていることに気がつき、フローリアンはエイシオの口から手を放した。

「何があった?何を見た?」

「お姉ちゃんが…。可哀想だよ。

行ってあげないと…。きっと僕を必要としてるんだよ。」

エイシオはフローリアンのコートの裾を掴み、嗚咽混じりに訴えた。

ただの親子喧嘩と認識したのか、軍人が去っていくのを横目に確認したフローリアンは、

「お前には厳しい現実を示さなければならないようだな。」

そういうと、指笛を吹いて新聞屋の小僧を呼びつけた。

銅スクレを1枚渡し、号外を受け取ると、その一面をエイシオに見せた。

難しい単語が連なっていたが、XIIIの文字と、自分の手の印と同じマークが書かれており、十三宮(じふそ)の記事であることは、7歳のエイシオにもじゅうぶん理解できた。

記事の最下部には髑髏と首吊り縄の絵が大きく描かれている。

「いいか。十三(ぐう)は世界中、どの地域にあっても忌まれる呪いの種だ。

ここには守護者の新しいサイクルが始まり、いずれどこかに十三宮(じふそ)が現れることが書かれている。

注意を怠らず周りの人間を観察し、見つけたら必ず報告するように、と呼び掛けているのさ。

もちろん十三宮(じふそ)は捕まり次第処刑。

かくまう者があれば、それも同じく死刑。

そう書かれているんだ。

お前は姉が処刑されるのを見たいのか?」

小声で囁くフローリアンの表情は厳しい。

エイシオは黙ってうつむいた。

「どうした?答えろ。」

「いやだ…。

イヤだ、イヤだイヤだ!!」

その場に立ちすくんだまま大泣きし始めた。

通りを行き交う人々がその様子を心配そうに眺めている。

フローリアンは気にせず強い口調で叱咤(しった)した。

「なら、過去を追うな。前を見ろ。

ただ、お前に与えられた試練に立ち向かえ。」

そう言って歩き始めた。

エイシオはただメソメソ泣きながら、その後をトボトボと付いていった。

道行く人々からすれば、その光景は”子供に世間の厳しさを教える外国人の旅人親子”にしか見えなかったのだろう。

あっという間に興味は薄れ、その場は何事もなかったかのように平時(へいじ)の活気を取り戻した。

しかしその街の雑踏(ざっとう)(まぎ)れ、彼らの様子を密かに注視する人影があったことに気づく者はいなかった。


街へ入る時とは打って変わって、出る際には一切の検閲(けんえつ)はない。

2人は兵士の前を通り、門をくぐって街の外へと出る。

街から延びる街道の脇で、フローリアンは懐から結晶球を取り出し地面に据えて、馬型ゴーレムを錬成する。

その背にまたがるとエイシオを引っ張り上げ、自分の前に乗せてやった。

エイシオは不思議そうにフローリアンを振り返ると、

「いつの間に手に入れたの?」

と尋ねた。

もうすっかり泣き止んでいる。

「お前がホロジェクターの前にへばりついている間に買ってきた。」

「ふぅん。

でも、もう少しあの街でゆっくりしたかったな…。

お腹も減ってきたし。」

「そんな悠長(ゆうちょう)なことを言っていられる状況じゃない。

街には普段より多くの帝国軍が駐留している。

こんなところで我々の目的を邪魔されるわけにはいかないからな。

さ、出発するぞ。

振り落とされないよう、しっかり掴まってろ。」

と、言うが早いかゴーレムの脇腹にかかとを打ち付け、猛スピードでその場を走り去っていった。


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やはりゴーレムの早さと振動には慣れない。

エイシオは相変わらず、馬の首にしがみついて騒いでいた。

しかし、そのスピードのおかげで、徒歩なら2週間はかかろうかという道のりを、わずか2日で移動することができた。

日没が迫る中、小さな村に到着したころには、エイシオはフラフラになっていた。

そこは人口も少ない限界集落で、高齢者の姿が多く見受けられる。

あまりにも小さな村のため、地図にも載っていない。

よって村の名前すら分からない。

2人はつつましやかな小屋が建つ村の中を歩き、1軒の家にこの日の宿を求めた。

寂れた村ではあったが、住人は見知らぬ外国人に対し、とても親切なのが救いだった。

この家には老夫婦と30代後半と思われる女性、そしてエイシオより少し大きい、10歳くらいの男の子が暮らしている。

迎え入れてくれた女性はキヨミと名乗った。

少々(なま)りが気になるが、素朴で気さくな女性である。

彼女は家族の囲む食卓に客人を招き、質素なテーブルの上に置かれた蝋燭(ろうそく)に火を灯す。

「貧しい村ですけん、こんな粗末な食事しか出せんけど、好きなだけゆっくりしていってくれたらええよ。」

優しく声をかけ、温かい食事を提供してくれた。

見ず知らずの人との会話に慣れていないエイシオは、無言のままオドオドとスープの入ったボウルを手にとった。

「粗末だなんて、とんでもない。

何より、我々をこうして迎え入れてくださったことに感謝しています。」

いつもとは違うフローリアンの紳士的な対応をエイシオは不思議そうに眺めていた。

以前、それを指摘したことがあったが、ただ「これが大人の処世術だ。」などと、難しい言葉ではぐらかされた。

たぶん、これもその”大人の処世術”なのだろう。と考えながら、フローリアンの横顔をちらと見上げた。

「坊や、遠慮せずに食べなさい。」

正面に座っていた老人が声をかけた。

彼は視線をフローリアンに移すと、やや声のトーンを落とし話し始めた。

「ここはかつてはイチゴの産地として有名な地域だったんだが、いかんせん交易路から離れすぎていてね、売りに行くにも買いに来るにも不便な場所なんだよ。

だから若い者はイチゴの栽培を捨てて、街へ出稼ぎに行くのさ。

おかげで村はこのとおり、活気を失ってしまったよ。」

「なるほど。

では息子さんも街へ?」

フローリアンが老人に尋ねる。

一同が気まずそうに目線を(はず)した。

幼いエイシオには、それが何を意味するのかは分かっていない。

「配慮が足りませんでした。」

と言って頭を下げたフローリアンを見て、ただ“食べ物をこぼしたのだろう。”と、勝手に解釈しているようだ

その場の空気を換えようと、キヨミはあえて明るい声で

「そうそう、さっき収穫したばかりのイチゴがあるんよ。」

そう言ってキッチンから大粒のイチゴを盛った皿を運んできた。

甘いフルーツに目がないエイシオは瞳を輝かせた。

1つ取ろうと手を伸ばす。

「なんでよそ者をうちに泊めてやらないといけないんだよ?」

それまでキヨミの隣で黙って座って食事をとっていた少年が声を荒げた。

「やめなさい、ヒデキ。

お客様に失礼なことを言うちゃダメ。」

慌ててキヨミが息子を諭す。

「君の家にお邪魔するのは今夜が最初で最後だよ。

明日には出発する。

どうか今夜一晩だけ我慢してくれないか?」

フローリアンの噛んで含めるような言葉も、ヒデキと呼ばれた少年は受け入れられずにいる様子だった。

彼は、この2人の旅人を全く好ましく思っていない。

特にフローリアンに対しては異常なほどの敵意を見せる。

確かに、見た目からして素行が良いとはお世辞にも言えない風体の中年男である。

怪しまれて当然といえば当然だろう。


挿絵(By みてみん)


「一晩だけだからな。

夜が明けたら、さっさと出て行け!」

乱暴な言葉を吐いて、部屋を飛び出していった。

「ごめんなさいね、旅の(かた)

普段はあんな子じゃないんだけどね。

きっと父親の代わりに自分が家族を守らなきゃいけないと気負っているんですよ。」

老婦人がすまなさそうに頭を下げる。

「いえ。まだ小さいのに、しっかりしている。

謝るのは我々の方です。

急に押しかけた上に、おもてなしまでいただいた。」

そう言いながら、フローリアンはエイシオの後頭部に手をやり、半ば無理やり頭を下げさせた。


夜も更けると、奥の部屋にキヨミが布団を敷いてくれた。

「ごめんなさいね、汚い部屋で。

しばらく誰も使っとらんから、(ほこり)まみれやけど…。

エイシオ君は、もうお父さんと一緒には寝んのかな?

お布団、2つ敷いとくからね。」

“お父さん”というワードをフローリアンが敢えて訂正しなかったのは、これ以上ここで事をややこしくしたくなかったからだろう。

そんなことよりもエイシオは部屋の(すみ)をうろつくネズミに戦慄していた。


ガラスはなく、ただ木の枠に何本かの格子が入っているだけの窓から月の光が差し込んでいる。

エイシオは月明りで日記を書いていた。

ヒデキはイヤな感じだけど、キヨミは優しい。とか、イチゴがおいしかったから、旅に持って行きたい。とか、そんな他愛もない内容である。

書き終えると、ノートをカバンにしまい、(ほこり)の匂いがする布団にもぐりこんだ。

だが、なかなか寝付かれない。

外からはうるさいほどの虫の音が聞こえ、壁に空いた穴からは隙間風(すきまかぜ)が雑草の青臭い匂いを運んでくる。

しばらく体勢を変えたりしていたが、疲れているはずなのに、どうしても眠くならない。

(あきら)めて蜘蛛(くも)の巣がはった天井を見つめる彼の耳に入ってきたのは、フローリアンが本のページをめくる音だった。

男は壁に背をもたせ掛け、月明りの中、一心に黒い表紙の本に見入っている。

「ねえ、質問してもいい?」

心細そうな声でフローリアンに尋ねた。

「聞きたいことがあるなら聞けばいい。」

男は本のページから目を離さず答える。

「いつも、その本読んでるよね?

それ、面白いの?」

「そうだな。この世で一番興味深いものだ。」

フローリアンの返答は相変わらず素っ気ない。

「本当?

ねえ、僕にも読ませてくれる?」

興味津々で見つめるエイシオの顔にチラを目をやって、また本に視線を戻す。

「もちろんだ。

俺が読み終えたら、お前にも読ませてやる。

いや、読むべきだな。

これはお前の人生において、最も重要で意味のあるものになるだろうから。」

「うん。」

この家に来てから、フローリアンはまるで別人のようだった。

だが、今のこの感情のこもっていない声は、普段通りのフローリアン。

それが逆にエイシオを安心させたのかもしれない。

少年は気が付かないうちに眠りに落ちていた。


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ロウソクの灯りの灯る豪華なテーブルにはエイシオの好物が並んでいる。

大好きな甘いケーキにはイチゴが()っている。

「シロ、今日は学校で何を習った?」

と、父が問う。

「あなたの嫌いな科学のお勉強があったんでしょう?

ちゃんとノートはとれたのかしら?」

ケーキの乗った皿を母が差し出す。

「それより、今日は駆けっこ競争があったんでしょう?

一番になれたの?」

姉が笑っている。

暖炉の温かい火が揺れる。

オレンジジュースの甘酸っぱい香り。

幸せな家族の団らん。

「そうだよ!僕、今日も頑張ったよ!」

姉に微笑み返し、母から皿を受け取った瞬間、ロウソクの火は消え、室内は青い闇に飲まれた。

目の前にいた家族は見る間に萎びたミイラになり、ザラザラと砂のように崩れた。

「!!」


エイシオは飛び起きた。

夢だったと分かってなお、体の震えが止まらない。

窓の外はまだ暗い。

闇の中に何か恐ろしいものが潜んでいそうな不安に駆られ、冷たい風が窓から吹きこむ部屋の中を見渡す。

隣ではフローリアンが背を向けて眠っている。

心臓が早鐘のように打つ胸を抑え、エイシオは目を見開いたまま、しばらくうずくまっていた。

ここに姉がいたなら、きっと髪を撫でてくれただろう。

優しい声で子守歌を歌ってくれたに違いない。

だが、今ここにはそうやって安心させてくれる者はいない。

甘えられる人はいない。

“過去を追うな。前を見ろ”

フローリアンの言葉がリフレインする。


挿絵(By みてみん)


エイシオは、すがるべきは過去ではなく現在しかないことを実感させられていた。

現実に引き戻されたエイシオは、急な尿意を(もよお)した。

あわてて部屋を飛び出し、トイレを探してあちこち歩きまわったが見つからない。

「やっぱり寝る前にトイレ、行っとけばよかった…。」

と、情けなく(ひと)(ごと)をつぶやいた。

むろん彼は、廊下の隅にたたずむ人影には全く気付いていなかった。

「おい、お前。

人の家の中をコソコソと、いったい何をしているんだ?」

「わっ!!」

唐突に声をかけられ、飛び上がった。

「しっ!静かにしろよ。馬鹿。

母さんたちが起きるだろ!」

押し殺した声の主はヒデキである。

ひどく不愉快そうな顔でエイシオを(にら)みつけ、

「何してんだよ?」

もう一度訪ねた。

「ごめんなさい…。トイレを探してたんだよ…。」

蚊の鳴くような声で答える。

「だから寝る前に行っとけって、母さんが言っただろ?馬鹿。

こっちだ。ついて来いよ。」

暗くギイギイうるさく(きし)む廊下の突き当りから裏庭に出る。

空の(すそ)が青紫色に染まっている。

「そこだ。早く行って来いよ。」

ヒデキが指さした先には、今にも崩れそうな小汚い小屋が建っている。

扉の前に立っただけで悪臭が鼻を付く。

恐る恐るその戸を開いた先には、ただ地面に開けられた穴があるだけ。

暗くてよく見えないが、一層強烈な悪臭から察するに、その穴がトイレなのだろう。

不快なハエの羽音がうるさい。

生まれ育った館のトイレは広くて清潔で、なにより水で流れるシステムになっていたので、エイシオにとって、この異国の不衛生なトイレは衝撃だった。

が、自然の(もよお)しには逆らえず、意を決し”最悪な穴”の前に立った。

「落ちるなよ。」

小馬鹿にしたようにヒデキが声をかけた。


ようやく苦役から解放されたエイシオは、辺りを見回しながらヒデキに尋ねた。

「ねえ、手を洗いたいんだけど。」

「は?なんだよ、お前、手に引っかけたのか?

きたねぇやつだな。」

「違うよ。

普通はトイレの後は手を洗うでしょう?

それに、あそこには紙が無かったけど、普段はどうしてるの?」

ヒデキはエイシオをしげしげと見て、またもや不愉快そうな表情になる。

「お前、何者だ?

旅人なんて言ってたけど、ウソだろ?」

「え…?ウソなんかじゃないよ…。」

「じいちゃんが若かったころの行商で旅した話をよく聞いたけど、”旅人は様々な地域や状況に適応して順応しなければならない。”って言ってたぞ。

葉っぱでケツを()くって話も聞いた。」

「葉っぱで…?」

エイシオは嫌な顔をしたが、とにかくフローリアンから常々言われている”正体を明かすな。”という言葉を思い出し、どうにか取り(つくろ)おうとした。

「僕たちはヴェントゥムから来た旅人だよ。」

「ふぅん。

ヴェントゥムから何しに来たんだよ?

行商でもあるまいし。

だいいち、お前と一緒にいる人相の悪いヤツ。

あれはお前の父さんか?」

「…え…と、あの…。」

まだ7歳のエイシオに、うまくかわせる言葉が浮かぶはずもない。

「違う…。フローリアンは僕のパパじゃない。」

「ますます分からん。

親でもないヤツとヴェントゥムから何しに来た?

目的は何だ?」

尋問(じんもん)されてエイシオはうろたえた。

「僕たちは…」


「もういいそこまでだ。…話す必要はない。」

ヒデキは背後から突然響いた低い獣の(うな)りにも似た声に驚いた。

何よりも全く気配を感じなかったことに戦慄した。


挿絵(By みてみん)


「あんた…いつの間にそこに」

「エイシオ、来い。

もう出発の時間だ。」

ヒデキの問いなど耳に入っていない様子のフローリアンがエイシオを指で招く。

「おい、待てよ!

まだ夜更けなのに出て行くつもりかよ。

逃げるのか!?」

その言葉にフローリアンはようやくヒデキの目を見た。

凍り付くような冷たい目。

「まだ夜更け?もう早朝だよ。

悪いがガキと遊んでいるヒマはない。」

フローリアンはエイシオだけを着替えに戻らせた。


ヒデキの大声で目を覚ましたキヨミが起きだしてきた。

「どうしたん?」

息子に問いかけたが、彼が答えるより先にフローリアンが切り出した。

「お騒がせしましたが、我々はもう出発しなければ。」

「もう?まだ日も昇る前やのに。

ああ、じゃあせめて、なにか食べるものを持って行ったら?

準備するから、ちょっとだけ待っといて。」

家の中に戻ろうとするキヨミをフローリアンは引き止め、

「気遣いは無用です。」

そう言って、彼女の手に50銀スクレの入った小袋を握らせた。

貧しい農家の女は驚いた。

この村で生きていく限り、こんな大金を目にする機会はない。

一生懸命働いても、せいぜい5銀スクレがいいところだ。

「もらえません、こんな大金…。」

その言葉を(さえぎ)り、

「もし誰かが我々のことを尋ねても、”知らない”と答えてください。」


身支度を整えたエイシオともう一度深々と一家に頭を下げ、2人は村を後にした。


-------------------------------------------------------------------------------------


太陽が地平線から顔をのぞかせる。

まぶしい光が大地を照らした。

畑仕事に出るため、キヨミが扉に手を触れようとした瞬間、その木戸が勝手に開いた。

目の前に立っていたのは、見ず知らずの若い男。

長い髪をゆったりと1つに束ね、身なりの良い貴族風の衣装に身を包んでいる。

その青年の恐ろしく整った顔がほころび、優しい笑顔がまぶしい。

まるで絵本から飛び出した王子様のようないでたちに、キヨミから溜息がこぼれる。

「おはようございます。ご婦人。

このような早朝にお伺いする失礼をお許しください。」

呆然(ぼうぜん)としているキヨミの手を取り、青年はうやうやしく頭を下げた。

キヨミは夢のような状況に、ただ固まっている。

「大丈夫ですか?」

その声にようやく我に返ったキヨミは、まるで恋する乙女のように頬を赤らめた。

「す…すみません。

どのようなご用でしょう?」

「この辺りで、小さな男の子を連れた、年のころは50歳くらいの男を探しているのですが、ご存じありませんか?」

「え?」

明らかに“あの旅人たち”であることを察したキヨミは狼狽(ろうばい)した。

その様子を察した青年が

「…ご存じなんですね?」

と、問うたが、キヨミは青年の目を見つめたまま首を横に振った。

「そうですか…。」

青年はポケットから3枚の金スクレを取り出し、彼女の手に置いた。

「よーく考えて…。」

女の耳元で(ささや)く。

「わ…私…、何も知りません。

お金も必要ない。

お帰りください。」

震える声でキヨミは金貨を乗せた手を突き出した。

それを見た青年の表情が豹変(ひょうへん)する。

女の手を掴むとドア脇の壁に彼女をくぎ付けた。

「美しく聡明なご婦人。

理解してください。これはビジネス。

私は情報を得て、あなたは報酬を得る。

ただそれだけのことなんですから。」

恐怖に震えるキヨミは声も出ない。


挿絵(By みてみん)


そこへ異変に気付いたヒデキが走り込んで来た。

「俺は見た。」

「ヒデキ、だめ!」

母の静止を無視して少年はつづけた。

「ヴェントゥムから来た旅人だと言ってた。

子供の名はエイシオ。男は名乗らなかったけど、俺は知ってる。

一緒にいたガキがフローリアンって言っていた。

2人は日の出前にここを出て、北へ行った。

もういいだろう?母さんを離せ!」

ヒデキは(たかぶ)った感情を解き放つように一気にまくし立てた。

肩で息をする少年を静視していたヒロは、にこりと微笑み、

「勇敢なヒデキくん。よくできました。

この報酬は君のものだよ。」

キヨミの手から金貨をつまむと、ヒデキの手に握らせ、足早に家を離れた。

開け放された戸口から、ただ呆然と見つめる親子を後目(しりめ)に、男は馬に(むち)をうつ。

―まだそう遠くには行っていまい。

獲物はすぐそこにいる。

最高の報酬を得るためには、どんな手段も(いと)わない。―

朝日を受けた青年の目が、不吉に輝いた。


                             第10話 おわり



挿絵(By みてみん)



書きました。アブサロン


イラストはこちら ペイやん



おまけイラスト


挿絵(By みてみん)

読んでくれてありがとう、来週もよろしく。

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