現在と予感
エクアドル人の僕が書いた長編小説の第一話。
日本語は苦手ですが、熱い思いだけで書きました!
翻訳は日本人であるイラストレーター本人が行っているので、誤字脱字の心配はありません。
さあ、冒険のファンタジーの始まりです!
第1章
第1話
悠久の青い空のもと、人々がかつてない平和を謳歌する今。
東大陸テリウス南部に位置する世界4大国家の1つ、緑萌え、光あふれる国と謳われるヴェントゥム王国。
その王都中心を流れるフルジェール川の滔々たる流れが、“栄えよ、長ぜよ、王の健やかなるが永遠なれ。”と歌う。
賢王イスクロ・ベイヤードの統治のもと、大国は大いに発展している。
街道は整備され、人や物がひっきりなしに往来し、潤滑な物流が経済発展を支えていた。
王都の城壁の内側は多くの街頭やイルミネーションで彩られ、夜を知らぬ街として知られている。
郊外の緩やかな丘陵地帯には、広大な田園地帯が広がっており、そこで収穫される様々な農作物が国民の食の糧となる。
また、超自然結晶体、通称“エレメンタル”の精錬技術において、世界トップクラスの技術力を誇り、これらの鉱工業や精密機器等の貿易によって経済も大いに潤っていた。
平和の国、ヴェントゥムは軍を持たない。
その代わり、王立騎士団が存在しており、他国の軍隊に比べれば規模は大きくないものの、特殊な力、すなわちエレメンタル・エネルギーを扱う特級の精鋭を揃えている。
主に国境警備や国王の警護に従事しているが、有事の際には、その力を遺憾なく発揮する戦士である。
四半世紀ほど前に起こった、ある大事変以降、彼ら騎士団の戦力が行使されていないことは、今では国民にとって大きな誇りとなっている。
しかし、これらの輝かしい平和の源には、暗く淀んだ、混沌とした負の歴史があった。
今より2000年余り昔の古代。古の伝承は語る。
かつて世界には多くの国が林立していた。
人々は今とは違い、国により異なる言語を使い、異なる神を信仰し、異なる思想を持っていた。
人々は、お互い相容れることなく、国や人種の間で争いが絶えない、いわゆる“暗黒の時代”である。
無意味な戦いによる混乱と破壊の中で多くの血が流され、親は子の死に血涙を流し、友は同胞の亡きがらにすがり泣く。
そんな悪夢のような時代だった。
その原因は、超自然結晶体エネルギー。
古代の人々は、このエネルギーを有益な方向ではなく、恐ろしい兵器として利用した。
小さな争いはやがて未曽有の大きな戦乱へと発展し、世界人口の3分の2の尊い人命が奪われたという。
生き残った者は、この“黙示録の終末”を終わらせるための唯一の解決策が、“人類の絶滅”以外にないと考え始めていた。
そこへ忽然と現れた“救世軍”。
彼らは、あらゆる国、異なる人種が互いに歩み寄る平和的な解決への道を模索し、この恐ろしい争いを終わらせるため、全身全霊を傾けた。
しかし、英雄といえど、所詮は人間。
小さな力で強大な力を操る国々を説得し、大戦を終結させるということは、蟻がライオンに挑むことに等しい。
ゆえに志半ばで倒れる者も少なくはなかったという。
破滅の影が忍び寄る中、英雄たちは打ち捨てられた太古の遺跡で、これまで誰も知らなかった大きな力を見出した。
超自然エネルギーの源、13個の究極のオリジン・エレメント。
森羅万象を司る力、すなわち
火、水、風、土、雷、蒸気、氷、マグマ、砂塵、生命、光、闇、時空。
彼らは、それらのエレメントとの融合を望み、そしてその力に見合う、正しく、勇敢で賢い英雄13人に、それらを託した。
選ばれた13人は究極のエレメンタル・エネルギーの力を得て、この世の闇を振り払い、やがて世界に再び平和が訪れた。と、歴史書は結ばれている。
終戦を迎えた日を、古代の人々は“煙に覆われて姿を消していた太陽が再び地上を照らし始めた日”として、太陽のサイクルを意味する年号、“ソリス・エクボールバター元年”と定め、これが現在も使用されている年号、ソリス歴の由来となっている。
伝説の13英雄は、人々から賞賛と畏敬を以て、いつしか“守護者”、もしくは“パラディン”と呼ばれるようになっていった。
彼らの中のオリジン・エレメントは、彼らの死と共に魂を離れ、偉大な力を受け継ぐに相応しい者に再び宿るのである。
「これを“サイクル”と呼んでいます。
サイクルは今も繰り返され、これからも繰り返されていくのです。
決して絶えることなく、永遠に、永遠に。
この世の平和を守るため。
おしまい。」
アメリアは本を閉じた。
秋の乾いた風が心地よい満月の夜。
王都から数百キロ東、ヴェントゥム第二の都市、ヴェントゥム=テラ。
この街に豪奢な館を構えるメルカン家の一室で、アメリア・メルカンは、弟シロにせがまれ、守護者伝説の本を読んでやっていた。
シロは今年7歳になったばかり。
両親が仕事で留守にしがちのせいか、甘えん坊である。
「ねえ、お姉ちゃん、もう1回読んでよ。」
ベッドの少年は目を輝かせ、姉にせがんだ。
「もう1度?今夜はこれで2回目よ?昨日だって読んだでしょう?」
アメリアは優しく弟を諭す。
「だって、僕、パラディンの物語が好きなんだもん。すごくカッコイイ。」
守護者伝説は、世界の人々に広く親しまれ、特に子供たちに人気のある物語だ。
シロもまた、幼い日にこの本を父親からプレゼントされ、以来、虜になっている。
「そうね。知ってる。でも、もう寝る時間よ?」
姉は弟に毛布をかけ、彼の額にそっとキスした。
そしてベッドサイドの明かりを消し、「おやすみなさい。」と声をかけると、弟の部屋を出た。
幼いシロは1日の疲れから、すぐに眠りに落ちた。
こうしてメルカン家の夜は暮れていく。
-------------------------------------------------------------------------------------
ヴェントゥム=テラを横切る川は、フルジェール川の支流であり、人工的なまでに真っ直ぐな流れから、”直線”を意味する古い言葉でフィルム川と呼ばれている。
その川のほとりの広大な平野一帯が「商王」と号されるメルカン家の所有地であり、緑豊かな広大な敷地の北端に豪奢な館を構えている。
ソリス歴 2021年、秋が深まる季節。
メルカン家ではメイドや執事をはじめ、多くの使用人が早朝から働いていた。
一家の長女アメリアもまた、彼らと同様、早朝から活動する。
亜麻色の長い髪を絹のようにしなやかに風に遊ばせ、暁の女神に例えられる美しい母親と同じ蜜色の瞳を輝かせる16歳の娘である。
彼女は夜明け前に起き、裏庭に整備された彼女専用の演習場でトレーニングすることが日課となっていた。
アメリアは間もなく王立騎士団士官育成アカデミーの入学試験を控えている。
ヴェントゥムでは16歳からを成人とし、その年から入隊資格を得ることができた。
アカデミーへの入学は名誉であるが、試験は非常に厳しく、毎年優秀な人材だけが狭き門をくぐることを許される。
アメリアは、幼いころより親しんだ輝かしい騎士物語に憧れ、騎士団の1人となることを夢みて、若干10歳のころより戦士としての訓練を受けてきた。
この世界の人々は生まれながらに、火、水、風、土、雷、蒸気、氷、マグマ、砂塵、この9種の超自然エネルギーのいずれかを操ることができる。
しかしその操作能力には個人差があり、それによるヒエラルキーが存在しているのだった。
騎士となるためには、より感覚を研ぎ澄まし、より上位の能力者となる必要があった。
アメリアの持って生まれた力は風。
幼い頃より彼女には国内でも最も有能なトレーナーが付けられ、その力をより強力に、自在に操れるよう、トレーニングメニューが組まれていた。
この日の朝も、彼女は1人、自主訓練を行っていた。
30メートル先の小さな的に、風の刃を命中させることは容易なことではない。
精神を集中させ、エネルギーの流れを手のひらに集める。
肘から指先にかけてサーキットと呼ばれる回路のような模様が浮かびあがり、拳に閃光がほとばしる。
大気中に漂う目に見えないエレメントがそれに呼応し集約され、風の刃として手のひらから放たれる。
一陣の風は地を這うように、地面の草を巻き上げながら一直線に的へ向かう。
瞬く間に的は粉々の木片となり散った。
「すごいね、お姉ちゃん!今の最高にかっこよかったよ!」
額の汗をぬぐうアメリアのそばに駆け寄って来たのは、弟のシロである。
世界を知り始めたばかりの、悪く言えば世間知らずの“お坊ちゃま”。
2人姉弟の弟、将来のメルカン家の当主である彼は、それゆえに両親からの大きな期待も篤く、大切に育てられてきた。
姉アメリアにとっては最愛の弟であり、過度なまでに甘やかしている。
姉とは違い父親似であるシロは、赤い髪に緑の大きな目が印象的な愛らしい少年である。
その瞳を輝かせながら姉の周りを飛び跳ねた。
「シロ、どうしたの?まだ朝早いし、外は寒いわ。
風邪をひいたら大変よ。さあ、家に戻りなさい。」
アメリアは弟の額にうるさくかかる前髪を指ですくいながら、優しく諭したが、弟の興奮は収まらない様子。
「平気だよ!僕だって強いんだ。
それにたっぷり眠ったからね。全然平気!」
シロは小さな腕でマッスルポーズをして見せた。
その姿にアメリアは、否定することをやめた。
「はいはい、そうね。」
アメリアは毎朝シロがトレーニング場に来ることを知っている。
彼女にとって訓練は日々の日課であり、どの季節であっても、どのような天候であっても欠かしたことはない。
ただ、毎朝、このように様子を見に来る弟の体を案じていた。
小さい頃から体の強くない弟シロは、体調を崩して寝込むことがしばしばあった。
厳しい季節はなおのことである。
そこで、暑い盛りには、あえて暗いうちから訓練を行い、日の出間もなく起きだしてくる“シロのルーティーン”に合わせ、トレーニングを終えるようにしたし、雨の日には屋外での訓練の後に場所を屋内トレーニング場に移し、体が濡れない場所で弟の到着を待った。
もちろんシロがそんな姉の思いやりを知るはずもなく、ただ毎朝、アメリアとの交流を屈託なく楽しんでいる。
風の冷たいこの日、予想外に弟が早く起きてきたので、彼女はトレーニングを途中で中止せざるを得なくなった。
だが、アメリアはとにかく弟に甘い。
苦言を呈するどころか、はしゃぐシロに向かってこう言った。
「ねえ、シロ、そろそろ朝食の準備ができるころよ。
そうだ、家まで競争しない?
どっちが早いかしら?」
言い終える前に館に向かって走り始めたアメリア。
「ちょ…、そんなのズルいよ!」
シロは慌ててその後を追った。
ヴェントゥムの秋が深まる季節。
庭の色づいたプラタナスの葉が、2人の姿を優しく見送っていた。
-------------------------------------------------------------------------------------
館に戻ると、アメリアはメイドにシロの着替えの手伝いを頼み、自身はシャワールームで汗を流した後、自室で身支度を整えながら、ホログラムジェクターに映し出されるニュースの音声をぼんやりと聞いていた。
『西大陸コルエムのアウェディ国で、水資源プラントの調印式が行われました。
今回の調印式には、ヴェントゥムに本社を置くメルカン社代表のバルトロ・メルカン氏がこの地を訪れ…”』
父と母の無事を神に感謝しながら、長い髪をとかす。
『ここで速報です。
今朝未明に発生したアルファゼマ州の古城襲撃事件についての続報です。
騎士団憲兵隊の広報官の発表で、死者は500名を超えるとのこと。
なお、同氏はこれをテロとして捜査を進める方針…』
そのニュースを聞いて、アメリアは櫛を置いた。
アルファゼマ州は、館があるテラの街から1000キロ以上離れた王国南端の州であったが、そこで起こった恐ろしい事件は、平和な世界しか知らない若いアメリアにとって、たいへんな衝撃であった。
-------------------------------------------------------------------------------------
階下のメインダイニングは、多くの賓客を歓待するにふさわしい造りで、象牙色と緑を基調とした広い室内に20脚の椅子に囲まれた大きなテーブルが据えられ、豪華なキャビネットや絵画が壁を飾り、天井からは無数の宝石で飾られたシャンデリアが下がっている。
姉弟はこのメインダイニングを素通りし、その奥の使用人用の台所の隅に置かれた小さなテーブルの席についた。
アメリアにとっては広いダイニングで食事するよりも、こちらのほうがずっと居心地が良かったからだ。
「お嬢様、お食事はあちらのテーブルをお使いください。」
執事が慌ててアメリアに近寄り進言した。
「いいのよ。私たちはこっちの方が落ち着くの。」
「しかし、お父上様、お母上様がお知りになったら、わたくしが叱られます。」
「あら、ここに両親はいないわ。
それに大丈夫。誰もあなたのせいじゃないって、みんな知っているもの。」
アメリアは優しい笑顔でこう言い、それを聞いた執事はそれ以上主張せず、メイドたちに食事を運ばせた。
朝食をとりながら姉弟はおしゃべりを楽しんだ。
「アメリアは風を使うのが上手になったね。」
シロはキッシュを頬張りながらこう続けた。
「きっと立派な騎士になるよ。」
「なにそれ?まるであなたが先生みたいね。でもうれしいわ。
じゃあ、エレメントパワーをもっと上手にコントロールできるように努力します。」
姉はスプーンを置いて、おどけたように頭を下げて見せたが、シロは真剣に質問を続けた。
「ねえ、エレメンタルパワーをコントロールするのって難しいの?」
「そうね、人はみんなエレメントパワーを潜在的に持って生まれてくるの。
それを引き出す能力は人によって様々だけどね。」
「僕もお姉ちゃんみたいに風を使える?」
少年は好奇心に満ちた目で姉を見ている。
「あなたの持っている潜在エネルギーによるわね。」
アメリアは弟にも分かりやすいよう説明するため、少し考えた。
「超自然エネルギー、つまりエレメンタルパワーは、遺伝するのよ。
親から子、子から孫へ受け継がれるってこと。
9つあるエネルギーのどれか1つをね。
おじい様は雷、おばあ様とお父様は風、お母様は氷の属性なのは知ってるわよね?
だから、あなたは、雷、風、氷のどれかだと思うの。」
アメリアは弟に果物の皿を差し出しながら言った。
「ねえ、絵本にはエネルギーは13個あるって書いてあったよ?
なんで9つなの?」
「あとの4つは、とても特別な力よ。パラディンにしか使えない能力なの。」
「ふぅん。アメリアは物知りだね。
僕も風の力がいいなぁ!」
シロは立ち上がると高揚した顔で片手を挙げた。
「そうだといいわね。
でも、どのエレメントだったとしても、シロならきっと素晴らしいエレメンタルマスターになれると思うわ。」
「エレメンタルマスター?」
「自分の持っているエネルギーを最大限に、しかも息をするくらい簡単に扱える人のことよ。
そうなるためには、たくさん練習しなくちゃいけないし、努力してもみんながそうなれるわけじゃないの。」
「じゃあ、僕もアメリアと一緒にエレメンタルマスターになる!
パパたちが帰ってきたら、僕もコントロールトレーニングのレッスンを受けさせてもらえるよう、お願いするんだ!」
「それはいい考えね。」
アメリアは興奮して飛び跳ねるシロを穏やかに制し、彼の目にかかりそうな髪をかき上げた。
そのとき、にわかに弟の表情が暗くなったことに気づく。
「どうしたの?」
「パパ、ママ…もう2週間も帰ってこない。」
「お仕事が忙しいのよ。しかたないでしょう?
遠い外国で私たちのために頑張ってるの。」
「…でも、もっと一緒にいてほしい…。」
うつむく弟の顔を黙って見つめていたアメリアは、ふいに明るい声でこう言いだした。
「ねえ、お昼からシロの大好きなチョコチップクッキーを作るってのは、どうかしら?
あなたは私を手伝うの。
それで、ディナーなんか食べずに、おなかいっぱいになるまでお菓子を食べましょう!
誰かに叱られたって、そんなの知らない。どう?」
アメリアの言葉はシロにとって魔法の呪文。彼は目を輝かせて姉を見つめ返した。
「ほんと!?」
すっかり機嫌を直した弟の頬っぺたをキュっとつまむ。
2人きりの姉弟は小さな窓から差し込む柔らかな朝日の中で、とても幸せそうに見えた。
-------------------------------------------------------------------------------------
アメリアは富裕階級の令嬢ながら、料理が得意な娘だ。
小さいころから、館の料理番たちに手ほどきを受けて、時には家族にディナーをふるまい、時には客人にその腕前を披露することもあったほどだ。
両親が商用で家を空けがちだったため、アメリアは弟が寂しい思いをしないよう、彼が大好きな甘いデザートを望めば、それを作ってやることもしばしばだった。
そのせいか、シロは一般的な同年代の子供より、ややぽっちゃりとした体形をしており、母親は、それをアメリアが甘やかしすぎたためだと苦言を呈していた。
しかし、そんな母親の言葉もアメリアにとっては、どこ吹く風。
この日の午後も2人でキッチンに立ち、山ほどクッキーを作った。
シロは体中、粉や生地にまみれて、さながらゴーレムのような姿になっている。
アメリアはメイドを呼んで、弟を風呂に入れるよう頼んだのだが、シロは嫌がった。
「なんでお風呂なんか入らなきゃいけないの?昨日も入ったのに。」
「は?こんなにドロドロに汚れてるのに?キレイにしなきゃ。
そんなにお風呂嫌い?」
「だって寒いんだもん。」
「ちゃんとお湯につからないからだよ。」
しばらく姉弟の問答が続いたのち、シロが言い出した。
「じゃあお姉ちゃんも一緒に入ってよ。そうじゃないと僕はお風呂なんか入らないからね。」
「なによ、それ?」
「お願い!」
上目遣いで見つめる子犬のような弟の表情にアメリアは負けた。
「まったく…。
しかたないわね。でも、この先ずっとは無理だからね。今日だけだよ?」
「うん!」
そう言ってシロは飛び跳ねた。
メイドはクスクス笑いながら「支度をしておきますね。」と言ってその場を離れた。
メルカン家のメインバスルームは館の3階にある。
美しい庭園と背後の山並みを臨むことができ、バスタブの湯に身を浸せば、自然の中で入浴する気分が味わえる、最高のリラクゼーション・スペース。
ふわふわの泡で満たされた白いアラバスターの湯舟の中に姉弟はいた。
弟は姉に背を向け、持って入ったおもちゃで遊んでいる。
アメリアはふと弟の背中に目を止めた。
肩甲骨の間にある5センチほどの青黒い痣。
「この痣、まだ消えずにあるんだね。」
「痣?どんなの?」
弟は首を回して自分の背中を見ようとしているようだが、もちろんうまくいくはずもない。
「う~ん、逆三角…というか、鳥の形みたい。私にはそう見える。」
そう言ってアメリアはすぐ脇の、湯気で曇った窓ガラスに指で絵を描いた。
「あ、それってロタリアに似てるね。」
「ロタリア?誰?」
「鳥だよ。青い小鳥。
僕の部屋の窓から見える大きな木に住んでいたんだ。
冬の間、ずっといたんだよ。
雪の日も、嵐のときも、巣でジっとしてて、様子が変だなって心配してたんだ。
そしたらある日、小さなヒナが巣から顔を出したの。
すごいよね。ずっと1人で卵を守ってたんだよ。
小さいのに勇敢だと思わない?」
「ふぅん、なるほど、それでロタリアなのね。」
ロタリアとは、ヴェントゥムの伝説の女性騎士。
慈愛と忠誠、勇敢さの鑑であり、王立騎士団士官育成アカデミーの象徴となっていることでも知られている。
「そうだよ。
もうヒナたちは巣立っていったから、あの木にロタリアは住んでないけどね。」
窓の外を感慨深そうに見つめるシロの観察力と優しさに感じ入り、姉はそっと弟の頭を撫でた。
「アメリアもロタリアみたいになってよ。勇敢な女性騎士。
そしたら僕は、お姉ちゃんの活躍を書いた本をたくさん読むんだ。」
「そう?じゃあ私はもっと頑張らなきゃだね。
とっても強くなって、たくさんの人に私の本を書いてもらわなくちゃ。」
仲の良い姉弟の楽しそうな笑い声がバスルームに響いていた。
窓の外の大きな木の枝には青い小鳥が、まるで姉弟を見守るように佇んでいたことを2人は気づいてはいない。
それがロタリアだったのかどうか。
誰にも分からない。
-------------------------------------------------------------------------------------
夜、アメリアの宣言通り、2人は夕食代わりにクッキーを頬張っていた。
ここは館の中の図書室である。
学校が休みの間、シロの勉強を見るのは母親の役目であったが、彼女が不在の今、その代役をアメリアが勤めている。
母親に比べ、姉の教え方は上手である。
怒ったりしないし、褒めてやる気を出させる術を心得ている。
ときどき無駄話で手が止まる時間もあったが、母親の決めた勉強メニューは、なんとか完了させることができた。
「チョコチップクッキー、おいしかったね。僕が作ったのは甘すぎだったけど。」
机の上に散らばったクッキーのかけらを床に払いながら、シロは満足そうに笑った。
普段から母親に、「あなたは弟に対して過保護すぎる。」と苦情を受けていたアメリアは、この日1日の出来事を思い返して、なるほど、と妙に納得して1人微笑んだ。
時刻は午後9時を回っていた。
そろそろ弟を寝かしつけるため、姉はシロを彼の寝室へ連れて行った。
途中廊下ですれ違った執事に、アメリアが厳しい口調で、「もう一度戸締りと警備を確認してちょうだい。」と言ったのをシロは不思議な思いで見上げていた。
促されるままベッドに入り、毛布をかぶったシロではあったが、先ほどの姉の言動が気になり、落ち着かない。
「ねえ、アメリア。どうしたの?何かあるの?」
「…え?ああ。」
朝食前に見た、例のニュースの映像がフラッシュバックする。
無駄に弟を不安がらせないよう、簡素に説明をしてやった。
「古いお城が悪者に襲撃されたんですって。たくさんの人が亡くなったそうよ。
でも遠い町のことだから、心配はないわ。
まあ、用心に越したことはないから、ね。」
「ふうん。」と、シロは生返事を返したあと、こう続けた。
「大丈夫だよ、心配しないで、アメリア。
もし悪いヤツがうちに入ってきたら、僕がやっつけてあげるから。」
毛布をはねのけ、無邪気に力こぶを作って見せた。
彼にとって、遠い町での出来事は、本の中の物語と同じ。
現実ではないと考えているのだろう。
現にナイトテーブルの上の本を指さし、
「お姉ちゃん、お話読んで。」
と、せがみ始めた。
もはや興味はそちらに移っているようだ。
「お父様が外国から送ってくれた本ね。」
父親は仕事で出かけた先から、かならずシロ宛に本を送ってくる。
それは道徳的なものであったり精神論であったり、子供には難解な内容のものが多かったが、未来の当主への心構えを自然に学ばせようという考えなのだろう。
今回、送ってきた本の表紙には「象牙の王子」と書かれていた。
タイトルや挿絵からも子供向けの物語だと推測できる。
同封された手紙には「おもしろい本だから、読みなさい。」と短い一文が記されていた。
アメリアはベッドの脇に椅子を据えて座り、表紙をめくった。
「読んであげるけど、今夜は1回だけよ?いい?」
シロは声を出さず、ただ何度かうなずいて見せた。
「象牙の王子様
昔々、遠い昔、サンタラムの都に、とても優しくて勇敢な王子様がいました。」
アメリアは極力ゆっくりと物語を読み進めた。シロが眠りにつきやすいように。
本の内容は現在のアルディ国の古都サンタラム地方が舞台の冒険物語である。
博愛的で勇敢な騎士でもあったジェラニ王子は、邪心を持った偽善者に騙され、禁忌の封印を解いてしまう。
それにより邪悪な竜が世に解き放たれ、国は滅亡の危機を迎える。
国と人々を守るため、ジェラニ王子に与えられた手段は、自身の命を捧げることだった。
剣を竜の眉間に打ち込み、彼の霊力を以ってドラゴンを象牙に変えた。
そして彼も、自らを永遠の封印として象牙の像へと姿を変えた。
若さゆえの愚かさから正しいものを見る目を失い、国を破滅へと向かわせた王子は、人生の最期にしてようやく人々の信頼と尊敬を手に入れた。
ストーリーは、このような内容であった。
「こうして国には再び平和が戻りました。
おしまい。」
「そんなの不公平だよ!王子は何も悪くないじゃないか。」
ベッドに座りこんだシロは、ふてくされている。
「王子を騙した奴こそ、罰を受けるべきだったんだ!
他の人たちもそうだよ。王子のことを悪く言った国民なんか、救うべきじゃなかったんだ!」
今度は、やや怒りを込めた口調である。
「そんなこと言わないでよ…。」
アメリアはシロをもう一度ベッドに寝かせ、落ち着かせるように彼の胸に手を置いた。
「シロ、神様は私たちが互いに許しあい、慈愛を持って向き合うように教えているわよね?
それは決して簡単なことじゃない。でも正しいことなの。分かる?」
「悪い奴も国民も、求めるばかりで王子に愛を示さなかったじゃないか。」
シロは口をとがらせた。
子供に道徳を語るのは簡単ではない。
特にこうしたハッピーエンドでは終わらない、戒めを含んだ深みのあるストーリーは尚更である。
それは16歳のアメリアにとっても難解なテーマであった。
立ち位置が違えば、ものの見方は180度変わる。
時として善と悪の境界は非常に曖昧なものになりかねない。
アメリアはため息をついた。
「この世の中には、”正しい人”と”そうではない人”の2種類の人間がいるの。」
「誰が正しくて、誰がそうじゃないって、どうやって分かるんだよ?」
珍しくシロの口調が荒くなる。
「確かに、それはとても難しいこと。
お金持ちか貧しいか、男か女か、そんな事では判断できないの。見て。」
アメリアは手のひらの上に小さな風の渦を作った。
「このエネルギーは、人を助けることもできる。
そして人の命を奪うこともできる。
結局は、目的と行いが大切なの。
いい?シロ。人の言葉をよく聞きなさい。
言葉は、行いや目的以上に真実を映し出す鏡。
隠し事なく真実を語る人は、きっと正しい心を持っているはず。
私はそう信じている。」
「そんなの分かんないよ。嘘つきはウソが上手だもん。」
幼い少年はさらに顔を曇らせ、つぶやく。
「僕は王子みたいになりたくない。」
そう言って、さらにうつむいた。
この世の厳しさを知らない弟は、物語の主人公に自分を重ねて憤っているのだ。
「運命は時々残酷。
長い人生の中で、あなたはいつか他人を傷つけようとする人に出会うでしょうね。
でもね、それを恐れていてはダメ。
あなたの正しい心を輝かせなさい。そうすれば邪悪な黒い影を消すことができるから。」
と、言いつつも、実際はそのように単純でないことをアメリアは知っていた。
穏やかな日の光すら、時に黒く厚い雲に覆われることを。
しかし、これ以上の問答は、より問題を複雑にし、弟の考えをミスリードしかねないと悟った彼女は、あえて考えを口にしなかった。
「さあ、もう寝ましょう。私も今日は疲れちゃった。」
ベッドに腰かけ、明かりを消すと、シロの髪を撫でながら子守歌を口ずさむ。
間もなくシロは眠りに落ちた。
「おやすみ。」
安らかな寝息をたてる弟の額に優しくキスをして、彼女はそっと部屋を出た。
廊下を歩くアメリアは、ひどい不安に駆られていた。
その理由は彼女自身にも分からない。
入学試験への恐れかもしれない。
理由のない襲撃事件のニュースのせいかもしれない。
淡い緑がかった窓ガラスの外では、木々の葉が強い秋風に打たれてざわめいている。
「僕は王子みたいになりたくない。」
シロの言葉が脳裏にリフレインする。
1枚の木の葉が枝から引きはがされ、風にさらわれ暗闇に溶けた。
その様子を見ていたアメリアは、目に見えない運命の潮流を感じて戦慄した。
「神様、どうかシロをお守りください。」
思わず口をついて出た祈りの言葉に、アメリアは震えた。
よどんだ沼にも似た運命は、その矛先を弟に向けている。
窓に映る、闇の中に浮かんだもう1人のアメリアがそう言った気がした。
第1話 おわり
書きました。アブサロン
イラストはこちら ペイやん
おまけイラスト
お読みいただきありがとうございました。
小説の章をより良く翻案することができました。そのため、この章を再度アップロードしています。
お気に召していただければ幸いです。
毎週末に新しいチャプターをお届けできるよう努力します。