俄(にわか)日和
何であんたが泣くんだ。
彼女と初めて会った時に思ったことだ。
でも、それからすぐに気づいた。
───カリンと出会えて、俺は誰よりも幸運だったって。
◇◇◇
俺、レシオンの故郷は、ここグリーク王国から遥か西南のコンバル皇国だ。珍しい宝石が採掘されたり、良質なコーヒー豆が採れたりと、まあまあ潤っているが、貧富の差は大きい国だった。
特に10年前に即位した皇帝は好戦的で、ちょくちょく周辺国と諍いを起こしては、戦災孤児を量産していた。俺もその一人だ。
好戦的な皇帝サマが、そんな弱者を慮ってくれるはずもなく。あの日の俺は、帝都の隅でいつものように稼業に勤しみ、獲物を探していた。その時見つけたのが、カリンだ。
下町への場慣れ感も感じはしたたが、隠しきれない、良いところのお嬢様感。それにあの肌の白さは、外国人だ。……それに一緒にいるのも女だよな?護衛も付けずに無用心じゃないか?とか、自分のやろうとしている事を棚にあげて思ったのは、今となっては笑い話だ。
まあ、ご想像通り、見事に捕縛されまして。グリーク王国の魔力って凄いのなー!グリーク王国に来てから、女神様の加護の力が聖女様たちのお陰で強くなり、外国でも魔力を使い易くなったとか何だとか聞かされた。
ともかく。俺はあっさりと、カリンの秘書兼護衛のシーニスに腕を掴まれた。
「カリン、どうする?見たところまだ子ども…」
と、シーニスが言いながらカリンを見やると。
カリンは大粒の涙を流しながら、俺を見ていた。
シーニスは苦笑しながらも、掴んだ手は緩めてはくれず。俺は諦めやら、妙な恥ずかしさやら、今後への恐怖心やらでごちゃごちゃな気持ちで叫んだ。
「なっ、何であんたが泣くんだよ!!」
「そう、そうよね、ごめんなさい……」
「あ、謝られても……」
そもそも悪いのは俺だ。何だ、この人。変な奴だ。
俺は少し、恐怖心がなくなった。
「君はいくつだ?名前は?」
シーニスが聞いてくる。
「10歳……レシオン」
渋々答える。捕まった以上、どうにもならない。
「……10歳!!もう、本当にこの国の皇帝は何をしてるのかしら!!人を口説いている暇があるなら、もっと……!」
カリンが吐き捨てるように言った。
何やら後半、すごい言葉を聞いた気がするが、人間、驚きすぎると耳に入って来ないらしい。
それより、何とかしなければ。
「……なあ、姉ちゃんたち、俺、何でも言うことを聞くから見逃してくれないか?俺が稼がないと、みんな死んじまうんだよ!」
「「みんな?」」
「行くアテのないガキたちだけで集まって暮らしてるんだ」
「……どこで?」
カリンが冷たい声で聞く。しまった、話すのは失敗だったか?でも今さら誤魔化せない。
「……道路の隅か、運が良ければ空き倉庫とか……」
「何人で?!」
声に怒りを感じる。パッと見大人しそうな女が怒ると怖いと、初めて知った瞬間だった。
「ま、前は20人くらいでいたけど、今年の冬は寒すぎて、チビたちが頑張れなかったんだ。今は……10人でいる。お、俺が一番上なんだ、だから、」
俺は必死で言い募った。うっかり話してしまったが、チビ達は見逃してほしい。
すると、途中でポン、と、頭に何かが乗った。
俯きながら話していた俺が顔を上げると、優しい表情をしたカリンと目が合った。
「……今まで一人でよく頑張ったわね、レシオン。もう安心しなさい」
頭に乗せられたのは、カリンの手だった。俺は、今、頭を撫でられているのか?なぜ?
安心って、何が?どうして?何も分からない。
……のに、気付くとシーニスも腕を離してくれていて。
「あらあら、泣かないの。……ううん、いっか。お兄ちゃんだもんね!みんなの前では泣けないだろうから、今のうちに泣いちゃいなさい」
そう言って、薄汚れた俺を抱きしめてくれた。
なんだこの女神。夢か。そうか、俺は夢を見ているんだな。もしくは死んだか?こんなにふわふわ出来るなら、死ぬのも悪くないな……
「何を言ってるの。夢じゃないわよ」
カリンに笑いながら言われる。口に出ていたらしい。さすがに恥ずかしい。
「じゃ、行くわよ!」
「ど、どこに?」
「まずはレシオンの仲間の所!その後は」
カリンが悪戯っぽい顔を作る。
「女神がたくさん住む国によ!」
それは、永遠に止まないと思っていた雨が急にあがって、太陽が出てきた瞬間だった。
◇◇◇
あの後のカリンの動きは早かった。
驚くことに、彼女はコンバル皇国皇帝とパイプがあり、しかも多少の無理は利かせられるらしく、なんだかんだと理由をつけて、俺たち全員をカリンの養子にした。
マーシル家、ではなく、カリン個人で、だ。
さすがの俺も心配になって大丈夫かと言うと。
「大丈夫大丈夫!子どもはそんなこと気にしないの!それより、自分の心配をしなさい!これからはグリーク王国の言葉も覚えてもらうし、みんな、しっかり勉強してもらうわよ!」
と、当時22歳のくせに、見事なゴッドマザーぶりだった。
「いやあ、仕事頑張って、権力持てて良かったー!エマ、ありがとう!」
ちょっと怖い一人言は、聞こえないことにして。
でも、こんなに優しい権力の使い方なんて、有り難すぎる話だよな。
───あれから五年経つ。
俺はレシオン=マーシルとして、グリーク魔法剣術学園に通っている。
コンバルも、みんな多少の魔力はあるが、この国の比ではない。俺もたいした魔力はないが、こっちに来てから少しずつ魔力量が増えてる気がする。そう話すと、「女神様のご加護があるからね!」と、笑顔でカリンに言われた。
ちなみに、母呼びは老ける気がするから、カリン呼びでと全員言われている。
チビ達も大きくなった。それぞれが頑張っている。
最年少のミルも9歳だ。
「レシオン、本当に夢みたいだよね、わたしたち。ここは本当に女神様がいっぱいいるよね!」
と、毎日笑顔だ。
女の子だし、余計にそう思うよな。
カリンの友人と紹介された聖女様たちに会ったときなんて、眩しすぎて目が潰れるかと思ったくらいだ。ドレスとか宝石とかを着けていた訳ではないのに、もう、全部が光って見えたんだ。
今でも時々、幸せ過ぎる夢を見ているのでは、と不安になることがある。
だから、毎週末、俺はカリンの家に帰る。
「レシオン、毎週帰って来なくても大丈夫よ?お友達と遊んで来なさいな」
カリンはちょくちょく、そんな事を言ってくる。有り難いことなのは分かってるけど。
「だって、カリン、もう27なのに独身じゃん。コーヒー運ぶの重いだろ?手伝うよ」
「一言余計!でも、ありがとう」
頬をつねりながらカリンが言う。痛い、幸せだ、夢じゃない。
「……カリンは、けっこ、ん、は、しないのか?」
「何よ?今日は食い下がるわね?」
「だって、ほら、この前セレナ様もようやく、って。良かったって」
ああ!と、朗らかに笑うカリン。
「あの二人はね、まあ、いろいろあったから!私は、そうねぇ、自分でも不思議なくらい願望がないわね!あなた達といるのが幸せだし、仕事は楽しいし、レシオンが淹れてくれるコーヒーは美味しいし?」
これ、この、悪戯っぽく笑う笑顔がヤバイ。ヤバイって何が?!いや、いろいろヤバイの!
……でも、まだ養子だ。
…………いずれは。
「じ、じゃあずっと、俺がカリンにコーヒーを淹れるよ」
「あら、ほんと?嬉しいわ。…でも他に、淹れてあげたい子が出来たら、遠慮しないでいいからね?」
青春しなさいねー!と、頭を撫でられる。
子ども扱いだけど、安心感が勝って、されるがままにしてしまう。
まずは力だ。勉強だ。剣術でもシーニスに勝って、カリンの隣を手に入れたい。
これからは、俺が守るんだ。
……まあ、グリーク王国は平和だけどさ。
カリンの言った通り、たくさん女神様がいる国だけど。
俺の女神はカリンだけだ。
あの日から、ずっと。
神様も何も信じていなかったけど。この幸運はきっと、そんな誰かから授けられたものなのだろうから。
大切にすると、誓います。
いずれは、故郷にも何かが出来たらいいなとも思うし。
でも、まずは。
「養子から抜け出さないと」
ボソッと言う。
「ん?何?」
「何でもないよ!あ、コーヒー淹れようか?」
「やったあ、ありがとう!」
この笑顔と、ずっと共にあれますように。




