ふたつめ 〜かみとひと〜
「ひっ…!」
年甲斐もなく飛び退いて尻もちをついてしまった。後ろから大音量で衝突音が聞こえたらそりゃあ驚きもする。問題なのはその音の主…辛うじて人だと判別できるけれど、頭は潰れて顔が判別できない。局の前は軽くパニックが起きていた。そりゃあそうだ。「人が落ちてくる」なんて状況、このご時世に見れる奴はそうそういるもんじゃない。
なんでお前は冷静かって?そりゃあ……。
「ギル爺、結界と、局員連れてきて」
「お、おう…あいわかった!」
少々驚いていたギル爺は、私の一言で気を取り直したのか、なれた手付きで結界を張る。遮音と不可視、対処としては適切だろう。
「捜査課に通達!局前で人死にだ。すぐに来てくれ!管理課もだ!表の人払いを頼む!」
守護神がいる限り、人が死ぬ事は寿命以外にはほとんど無いけれど稀に殺人も起きる。私も死体を見るのは初めてじゃない。
連絡するなり捜査員が大勢出てきた。私の課の人も何人か出てきて、場をしずめている。今日の午後はもう仕事になりそうもない。まさか局の目の前で、というか多分、落ちてきたのは局の中からだろう。正直ありえない。
あれ…?黒いスーツ、顔は判別できないけれど、このかがやくような髪色は…。
「発見者はあなたと…局長殿でしたか。話を聞きたいので、どうぞ捜査課まで。お連れします」
私とギル爺は、捜査員につれられて捜査課の取調室へ連れて行かれたのだった。
◆ ◆ ◆
「…では、あなた方は建物に入るまでに、彼が落ちて来るのには気が付かなかったと。上に人影などはありませんでしたか?彼とは何か関係はありませんでしたか?」
落ち着いた口調だが追い詰めるような物言いなのは、捜査課長のルイン・エルミトラング。切れ長の神経質そうな顔にこれまた切れ長のメガネをかけた、痩せぎすの男。何だか尋問みたいだな…。私だって驚いているんだ。
「そうさなぁ…わしの方が先に建物に入ったのでな。第一発見者と言うならサクになるわな。上、と言われても…2人で話をしながら戻っておった。そう意識して見上げるなんて事あるわけないわな」
「そうですか…ではサクラ・ナ・スフォルツァ殿。あなたはどうですか?何も見ていないと?」
あんまり本名言ってほしくないんだよなぁ…この人は気にも留めないだろうけど。
「…サクで結構です、ルイン課長。…えぇ、私も局に入る所でしたので、落ちてくる姿を見ていた訳ではありません。戻る最中には空も見たけれど、局の上に人影は無かったと思います」
そう言うと少し考え込むように腕を組み、思案を巡らせているような課長。私は事実を言っているよ?悩むことなんてあるのかな?
「そうですか……では、彼の事は何かご存知では無いですか?何分顔も判別できない上に守護刻印も無いのです」
「守護刻印がないだと…!?本当かそれは!?ありえんだろう!」
ギル爺が驚くのも無理はない。一族にいる者なら誰もが守護する神によってその身体のどこかに必ず刻まれる筈の守護刻印がない。結婚などによって一族から外れても、新たな守護神によって刻印が上書きされる。刻印が無くなる、なんてことはこの世界ではありえないのだ。「守護する神がいない」ではなくそれは「人ではない」事と同義と言えるだろう。例外はこの世界にたった1人しかいない。
「えぇ…確かに無かったんですよ。身体中調べに調べましたが、本当にどこにも。刻印さえあればまだ………」
ルイン課長は大げさに頭をかかえている。そりゃあそうか、打つ手なしだもんな。髪色と服装と、男であるって所までしか分からないよな。なんせ今朝登録したばかりだからね。
「今朝?申請者の中にいたのですか?」
…声に出してしまっていたらしい。
「えぇ、恐らくは。あの髪色で服装からの予想に過ぎませんけど」
「もったいぶってないで教えてください!一体誰なんですか?」
「…もったいぶってなんてないですよ、デスクに戻ればすぐにでも確認できます。」
なんて、ちょっと意地悪すぎたかな。
「たしか、オベールと言う名前だったと思います。今日最初の申請者です。申請書類、お持ちしますよ」
◆ ◆ ◆
「名前はオベール・ハイディールさん、守護刻印は左鎖骨のあたりにあったようですね」
「ハイディール…!由緒ある名家のご子息ではありませんか!守護神はかの有名なヘイムダル様!こんな、こんな事が何故……?」
またも頭をかかえる。
「光の御使いの、あのヘイムダルか!よし、しばし待て。呼び出そう」
しばらくして、取調室の扉が鳴る。
「王よ。お呼びでございましょうか」
部屋に入りうやうやしくお辞儀をしながら柔らかな、しかし芯のある声音で彼、ヘイムダルと思しき人物が入ってきた。
「おぉ!ヘイムダル、久しいの!息災であったか!」
「あぁ、我が王よ。我が身を案じてくださるなど、もったいなきお言葉…」
なおも深々とお辞儀をして……その態勢辛くない?ほぼ前屈だよ?
「よいよい。顔をあげよヘイムダル。そなたを呼び出したのは他でもない。お主の守護しているオベールの事でな。まぁ座れ」
ようやく顔をあげたヘイムダルは、これまた優雅に席についた。金髪長髪で、白いガウンを羽織って、全身白いな…と思いながら顔を見る。オベールとよく似ている。そっくりさんと言ってもいいくらいには。
「あぁ…オベール……実はわたくしも相談しようと考えていたところでございます。我が王よ」
「なに?申してみよ」
「はい……実は3日ほど前からオベールが行方不明でございまして…」
行方不明…?今朝ここに来たばかりの筈のオベールが?いやいやそんな筈ない。
「ふむ…しかしの、今朝ここに登録をしに来ていたようなのだ。書類は確かに、オベールのものであったな」
と、ギル爺が先程の書類をヘイムダルに見せる。
「失礼を……確かにこちらはオベールの…では彼は今ここに?」
「いや……それがの…」
「ルイン課長。直接見せてあげた方が、分かると思いますよ」
「そ、そうですね。ヘイムダル様、少しよろしいですか…?」
「はぁ…オベールが見付かったのですか?」
そう話しながら彼らは部屋を出ていった。
「サクよ…あの時はあぁ言ったが、少し気になる事ができての」
「奇遇だね、私も。ギル爺からいいよ?」
2人しかいないのに、私たちは小声になって話す。
「なんと言えばいいか…容姿は確かにヘイムダルなのだが…少しばかり…いや、かなり力が弱まっているのだ」
「なるほどね…力を分けてる…とかそんな感じなのかな?」
「うぅむ…確かに守護している人間に力を分け与えればその分、神の力も弱まるがの。今のあやつは、何というか…分け与えられた人間程度の力しか感じられんかったのだ。あそこまで力を分け与えるという事は…よほどの事がなければせんだろうがの…」
「よほどの事…例えば、守護している人間の命が危ない、とか?」
「そうだの……あり得ん話ではない。あやつは人間を心から信頼しておる。もしかするとオベールとやらから頼まれたから、などという簡単な答えかもしれん…。本人に確認するしかあるまいて」
「戻ってきたら聞いてみようか…」
と話を終えた頃、また扉が開いた。ルイン課長に肩を貸され、号泣しながら。
「王よ!あぁ…!我が王よ…!なんと!なんとぉ……!」
「ヘイムダルよ…見てきたか…」
「あぁ…王よ…あれは、あれは確かに我が…オベールでありました…!」
膝から崩れ落ちていくヘイムダルに。
「ヘイムダルよ…。お主の痛みは我が痛みぞ。泣きたいだけ泣くが良い。我が胸を貸してやろうぞ…」
「あぁ…あぁぁあ…」
しばらく泣き続け、ようやく落ち着きを取り戻したヘイムダルに、ギル爺は先程の問を投げかけた。
「あぁ…我が王よ…。確かにオベールが行方不明になる前の晩、力を貸すよう頼まれました…。できるだけの力を分け与えて欲しいと…」
「ほぅ…それは何故か、お主は聞いたのか?」
「いえ…オベールは一族の中でも魔力が弱く…光の魔術も得意ではありませんでした…。よくあることだったのです。魔術試験などの前の晩には、よく…」
「そうか…ではもう1つ聞くが…。あやつの守護契約は、解除しておらぬな…?」
「滅相もありません!私から彼との契約を解消するなど…!断じて…!」
「うむ…ならばよい…。済まぬな…今日はもう帰途につき、ゆっくりと休むがよい」
「は…それでは…失礼致します…我が王よ…」
ふらつく足取りで、ヘイムダルは帰っていった。ルイン課長は何故かまだ思案顔でこちらを見ている。
「あの、ルイン課長…?何か気になる所でも…?」
「あ、いや。そうではない…そうではないのですが…。ヘイムダル様はなぜ、死体を見るや号泣し始めたのか…と。死体からは魔力が無くなるのはこの世界の常識…なぜ判別できたのか…と」
「ギル爺?どう思う?」
「うむ…まぁあやつは人となりを魂の光で判断するからの…その残滓を見て取ったのかもしれん。詳しくは分からん」
なるほど、色んな神様がいるもんね。とりあえず今日の所は、とルイン課長から言われ、もうすっかり夜になった街を後に、帰宅の途につくのだった。