ひとつめ 〜ぼくのいるせかい〜
僕の日常は至極普通だ。朝起きて、朝食を済ませ、電車に乗り出勤する。僕の身なりも、この世界では普通なのだろう。左目の隠れた長いグレーの髪、小柄な細身にグレーの瞳。服装の好みは…まぁうん、置いておくとして。勤務中は皆黒いスーツだから、目立つような事はない。…というか僕は影が薄いらしく、すれ違っても気付かれない事がままある。
局に入るとすぐ、違和感に気がついた。おかしい、妙にざわついている。廊下を歩くと、局員とすれ違った。管理課であろうふたりはこそこそと話しながらこちらへ向かってくる。僕には気付いていない…もう慣れっこだ。すれ違いざまにふたりの声が耳に届いた。
「サクちゃん…やっぱり今日も休みね…。襲われたって…心配だわ…」
「あぁ…魔王の噂といいサクちゃんといい…怖いよなぁ…。あ、そういえばこの前登録に来たハイディールの人もさ………」
なんて、不穏な事を言っている。魔王、魔王ねぇ…。噂は聞いたことがある。20年前に滅ぼされたという魔王が、復活したらしい。そこかしこで話が出ているけれど、どれも確証がない。一応捜査課は、その噂の出処を調べるよう指令があったけど…今の所手がかりもなしだ。気に留める必要もないし…いや、待てよ?襲われた?サクちゃんってアレか、サクラの事か?と、僕は子どもの頃を思い出す。あの頃いじめられていたあいつを、僕は助けたことがある。学校を卒業した後しばらく会ってないけれど、管理課が話をしているなら、あいつもここで働いているのだろう、卒業してから会ってないけれど、きっとあのまま小柄で気弱に違いない。すべての属性魔術の適性も、才能もあったが…性格に少し難があって、いじめられていた。反撃する事もなく、防御もしない。宝の持ち腐れだと言ったこともある。だのにあいつは抵抗もしない。僕が助けてやるといつも、傷だらけの顔ではにかむんだ。その表情に…僕は…。そんなことはいい。少し心配しながら、僕は自分のデスクに腰を下ろした。パソコンを弄りながら、魔王の情報を探す。しばらくすると、影の目撃情報が見付かった。管理局のそばから、街の外れ…サクラの家の方でも目撃されたらしい。ふむ…魔王は確か『影の御使い』だった。無関係とは思えない。…課長にも報告しておくか。と、ルイン課長のデスクを見やる。いない。珍しい事もあるものだ。
…本当に、魔王の情報探しなんて一日中やってられるかってくらい暇だ。事件が無いのは良い事だろうけど。
僕はこの後2日も、こんな暇な仕事を延々とやり続けたのだった。
サクラが捜査課に配属されたのを知ったのは、次の週のはじめの事だった。
◆ ◆ ◆
「あら、随分久しぶりじゃない?」
局の廊下でそう声をかけてきたサクラは、僕よりも背が高くなっていた。
「え、ほんとにサクラ…?別人みたいじゃん…」
「はは、思いの外育ったよ。そっちは相変わらずだね。あれでも、少しは背、伸びたかな、ノワール?」
ふにゃっとはにかむ姿に、僕はあの時のサクラが重なるのを感じる。あぁ…本物だ…。け、ど、も。
「ノワールはやめろって!もう学生じゃないんだよ?お前だって『チェリー』なんて呼ばれんの嫌だろ!?」
「あはは、懐かしいねぇチェリーなんて。5,6年くらいしか経ってないのにね。ノア」
ノワールというのは、僕の名前…ノア・シュヴァル・クリンゲをもじったあだ名だ。シュヴァルというのは母方の魔術適性を僕にも持たせる為に付けられた『闇の魔術』の系統名…そこから黒を連想して、ノワール。学生の時に…まぁ、若気の至りと言うやつだね。
「それにしても…サクラはほんと、雰囲気だいぶ変わったね。昔の気弱そうだった奴だとは思えないよ」
ついつい昔を引き合いに出してしまうけど、それほどまでに彼女は変わっていた。…もちろんいい意味で。
「はは…そうかな…。まぁ、うん。私も覚悟を決めたからね。あの時みたいにはいられなくなっただけだよ」
「覚悟って?あ、もしかして…襲われたって噂本当だったの?」
そう問いかけると、彼女は頬を掻きながら目をそらした。
「あー…やっぱり知ってるよね…捜査課だもんねノアは。まぁ、そんなとこだよ。今日から私も、一応捜査員として働くからさ。なんかあったらお願いするよ」
そういう彼女は微笑んではいるけれど、瞳の奥にギラギラとしたものが見える。そこまでの覚悟って…一体何があった?僕がそう尋ねると。
「魔王退治、しなきゃいけなくなったからね」
そう言って彼女は、不敵な笑みを浮かべるのだった。
◆ ◆ ◆
夕方、ルイン課長から呼び出された。もうすぐ退勤時間だというのに。…何かやらかしたかな。心配になりながらも会議室に行くと、ルイン課長が既に中にいた。
「やぁノア君。終業間際だというのに呼び出してすみません」
ただの捜査員の僕にも丁寧に接してくれる、信頼できる上司だ。誘われるまま、僕は席に座る。
「いえ、大丈夫ですよ課長。それで…何かやっちゃいましたか…?僕」
「え?…ふふ、そんなことはありませんよ。説教ならこんな時間に呼び出したりはしません。話というのはですね」
いつもよりもかなり穏やかな雰囲気で微笑む課長。…笑顔を初めて見た気がする。
「ノア君。君が今やっている仕事について、頼みたい事があるのですよ。君はサクラ殿とは旧知の間柄だと聞きましたので」
「え、えぇ。そうですね。学生の時によく一緒にいましたが…。というと、魔王の件で何か?」
「えぇ、そうなのです。2日前のことになります…」
と、ルイン課長は話し始める。サクラが影に襲われ、彼女の父の形見を使い影を退けたこと。影の使い手がハイディール…光の一族であったこと。光の御使いの殺害、『あのお方』という謎の人物…。
「それで、ノア君。君にはサクラ殿と協力してもらいたいのです。彼女の能力を理解しており、うまくサポートできるのは、君しかいないと私は考えています」
そう言って課長は僕の目を見据える。…僕に覚悟を問うかのように。
「…お話は分かりました、課長。ですが、実際に僕は何をすればいいですか?もう少し踏み込んだ話をうかがわないと、僕としてもなんとも言えませんよ」
「そうですね…現状はギルガメシュ様がサクラ殿とともにいることで彼女を守っています。しかしあの方も守護神管理局の長…常に彼女といるわけにもいきません。彼が不在の時に、彼女のそばにいて、守って頂けると助かります。またこれまで通り、引き続き情報収集にもあたって頂きたい」
「守る…?しかし影の件はハイディール氏の死亡で解決した筈では?しかも彼女は…僕よりも強いですよ」
そう、そうなのだ。昔彼女と魔術で手合わせをしたことがある。若干トラウマになるレベルで彼女の技術は絶大だったのだ。全属性適性って卑怯だろ…コテンパンにされたわ。
「そうでしょうね…しかし彼女は覚悟を決めたと言ってもまだ少々未熟な部分がありますから。君がやらないというのであれば…まぁ他に適任を探すほかないでしょう」
…………………はぁ。そういうこと言うんだなぁ…課長は。僕の気を知っててそんなことを言うのか。
「分かりました。分かりましたやります。僕にやらせてください」
すると課長はニヤリと笑い、すぐに表情をあらためた。…くそ。
「そうですか。ありがとうございます。では宜しくお願いします」
なんて言われた。人が悪いことこの上ない。
まぁ、とはいえ僕は、また彼女と関われることに嬉しさを感じながら、帰宅するのだった。るんるん。




