世界のヒロイン!桜小路みやび見参04
鷹司家のリビングにかけられている時計が、かちこちと穏やかな時間を刻んでいる。
心が穏やかになっていきそうなその音を聞きながらソファに腰掛けて、士郎はふとため息をついた。
「世界のヒロインとは?」
「……?何か言いましたか、士郎さん」
テーブルの向かいに座る優斗が首を傾げたので、何でもないと告げる。
本日は日曜日。友人は己が見た夢について話したいことがあると、休みなのにわざわざ訪ねて来てくれたのだ。
優斗は少しだけ不思議そうな顔をしていたが、それ以上問うことも無く「はい」と何かをテーブルの上に乗せる。
華々しく愛らしいイラストが描いてあるそれは、アニメのDVDとコミックス、それに家庭用ゲームソフトだった。
綺麗で丁寧で、どちらかと言うと昔読んだことのある少女漫画に絵柄が近い。
何だこれ?の意味を持たせて優斗に視線を向けると、彼はきらりとスクエア型の眼鏡を光らせて笑った。
「これは士郎さんがご所望の悪役令嬢登場作品です」
「……ご所望したっけ?」
あ、面倒くさくなりそうだな、と思ったが自分のために用意してくれたことはわかったので黙って聞くことにした。
雑学王こと瀬名優斗は、得意げな顔のまま可愛らしいイラストのそれらを並べ、流暢な口調で説明し始める。
「まずこちらが『リリィ&リリィ』。近代アメリカを舞台に孤児の少女が活躍する漫画です。それで次が『明日の王国の姫君』。こちらはヨーロッパを巡る少女のアニメで……」
「へえ、色々設定が違うんだな」
「それは他の作品と同じく、多岐に渡りますよ。共通点は意地悪で主人公を害するライバル……今風に言えば悪役令嬢がいるところです」
悪役令嬢。
改めて聞けば物騒な単語に、士郎はぐっと眉間にしわを寄せて作品の表紙やパッケージを見た。
少女漫画のような綺麗なイラストの作品だが、その実怖い展開が待ち受けているのだろうか。
険しい顔をする己を心配したのか、優斗が苦笑しながら「そんなに怖いお話じゃないですよ」と続けた。
「ライバルがいると話が盛り上がりますからね。それに悪事を働いたライバルにペナルティが課される、いわゆる水戸黄門の印籠を期待する層もいますし」
「ああ、ああいうやつか。……でもなあ」
『お決まり』として存在しているところもあるのだろう。
しかし自分の婚約者が断罪される場面を見ている士郎としては、あまり好きになれそうな展開ではない。
さらに苦笑し「まあ、好みがありますからね」と言いながら優斗は、最後にゲームソフトを手に取った。
「最後が『聖銀のマリーローズ学園』。この中でこれが一番士郎さんの役に立つと思います」
「学園?学園ドラマなのか……」
頷く優斗からソフトを受け取り、士郎はそのパッケージをまじまじと観察してみる。
やはり女性が好みそうな綺麗で繊細な絵柄で、制服姿の女の子とイケメンが数人描かれていた。
くるりとパッケージを裏返して、印刷されている説明文を読めばなるほど、現代のとある高等学校が舞台の物語らしい。
「友人に聞いたところによると、高校在学中の三年の間で主人公の必要ステータスを上げ、攻略対象との愛情を深めるとグッドエンドを迎えることが出来るそうです」
「優斗はやったことが無いのか?」
「内容は知ってます。でも僕はゲームはパズルとRPGが得意なんですよね。シミュレーションはあまり」
実はこれも借りてきたものなんです、と付け加えながら優斗は肩を竦める。
ゲームについては知識だけある、と言う状態なのだろう。
意外に思いながら、士郎は改めてゲームを観察する。
が、そのパッケージからは、イラストが綺麗な事、起用声優が豪華な事くらいしか情報が拾えない。
直接プレイした人からの感想も聞きたいな、と考えながら優斗に尋ねた。
「悪役令嬢っていうのはそんなに主人公に酷いことをするのか?」
「まあ、作品にもよりますが……この『聖銀のマリーローズ学園』では主人公の学業や恋愛の妨害から、ひどい物になると怪我をさせてくるようになります」
「怪我を……?階段から突き落としたり?」
「ええ、確かそんなイベントがあったと思いますよ」
頷く優斗を見て、士郎は片眉を跳ね上げる。
夢でも己の婚約者、速水百合香が桜小路みやび(小)を突き落とした罪を問い詰められていた。
もちろん現実にいる桜小路みやび(大)を、女生徒の腕で突き落とせるとは思えないが……、
「百合香は誰かに危害を加えられるような性格じゃない」
「士郎さんの夢では速水さんが断罪される側、いわゆる悪女キャラになっていたんですね」
己から夢の概要を詳しく聞いていた優斗が、腕を組みながら呟いた。
真剣な顔の友人を見つめ、士郎はぱちくりと目を瞬かせる。
「ただの夢かもしれないのに、信じてくれるのか?」
「二回も同じような夢を見たんでしょう。全面的に信じるわけじゃないですけど。やっぱり不気味ですよ」
「偶然なら偶然と結論付けたい」と眉間にしわを寄せる優斗に、士郎は頷く。
士郎もこの夢が本当に偶然、思い過ごしであると納得したかった。
「……それに百合香を悪役なんかにさせるわけにはいかない。そんなの、あんまりだよ」
小さく呟き、優斗と意見を交わすべく改めてその顔を見つめる。と、友人は何故か妙に冷静な顔でこちらを凝視していた。
「どうした?」と問う前に、その唇の端がぐぐっと意地悪気につり上がる。
「士郎さんは速水さんが大好きですもんね。そりゃあ心配ですよね」
「だい……すっ」
ぼっと士郎の顔に火がついたような熱がこもった。
はたから見れは茹でダコのように真っ赤な己をいやらしい表情で見つめ、優斗は「はっはっはっ」と高笑う。
「初恋こじらせたままですもんね。速水さん以外の女性は眼中にない士郎さんですから、速水さんに何かあるかもしれないなら阻止したいですよね」
「やめろ優斗やめろ、いや止めてくださいお願いします」
からからと笑いながら口撃してくる優斗に、茹でダコ士郎は首をふって懇願した。
恥ずかしさに目をつむると、その裏に速水百合香の美しい面影が映り、さらに耐えがたい羞恥に身をよじらせる。
己の婚約者への思い……初恋のこじらせ方は、まったく瀬名優斗の言う通りなのであった。
『まあ、鷹司家のご長男ですのね。わたくし、速水百合香と申します。どうぞお見知りおきを』
10歳の時に初めて顔を合わせたときの言葉さえ、士郎は覚えている。
あの頃から速水百合香は美しく凛としていて、さらに分け隔てない優しさと正しさでもって手を差し伸べる少女だった。
同年代の女の子だけでなく男の子からの支持も高く、士郎の幼い恋心はあっという間に芽吹いて育ち、いまだ枯れることはない。
残念ながらそれが実ることもとうぶん無さそうなのだが。
「……僕と百合香は、家同士の結びつきのための婚約だよ。少なくとも百合香はそのつもりでいるんだ」
将来の結婚と言う約束で繋がりながらも、百合香の優しさは友人の頃のそれと変わらない。
赤い顔を隠しながらなるべく冷静にそう告げると、急に「スン」とした優斗が憐みの目を士郎に向けた。
「……かわいそうな士郎さん。速水さんに相手にされてないんですねえ」
「うるさいよ。……うるさいよ」
「すみません」
悲しくなるので唐突に素直に謝らないで欲しい。