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世界のヒロイン!桜小路みやび見参01

 四月初旬。まだ肌寒さも残る中、全国の学校学園で入学式が行われている季節である。

 私立月城学園も例外に漏れず、二学年に進級した鷹司士郎(たかつかさしろう)は通いなれた道を友人とともに歩いている。


 鷹司コーポレーションの御曹司である自分には、興味交じりの視線がぶしつけなほど届く。

 やっぱり車通学にしようか……などと考えながら、なるべく気にしないように友人に話しかけた。


「優斗。実は昨日、奇妙な夢にお前が出てきたんだが」

「ヒエー、唐突に何てこというんですか士郎さん。セクハラですよセクハラ。訴えられますよ」

「何で?」


 隣を歩く友人……瀬名優斗(せなゆうと)はスクエア型のレンズの奥の目を恐怖に歪ませて、体を震わせている。


 両親ともに鷹司コーポレーションの重役であり、彼自身も優秀。

 そしてぱっと見は知的で冷たい美人(クールビューティ)な印象がある優斗だが、その実態はどこまで本気でどこまで冗談かわからない性格だ。


 ある意味毎回繰り返されるいつもの彼の様子に、士郎は眉を垂れ下げながら続ける。


「お前も出てきたし(たける)もいたよ。それに問題なのは夢の内容なんだよ内容」

「はあ……」

「学園の講堂で、僕たちが百合香を追い詰めて責めている夢なんだけど……」


 己の婚約者の名前を出した時、優斗の細い眉毛がぴくりと動く。

 小さく首を傾けながら眼鏡のブリッジを指で押し上げ、考え込むように口を開いた。


「それは少し剣呑ですね。あ、速水さんにそういう真似したいって願望なら通報しておきますからね」

「違うよ。もっとよく聞いてくれ。僕たちが桜小路みやびって言う女の子を囲んでかばっていて……」


 懇願しながら話し始めると、優斗は「はいはい」と何故か子供を見守る母親のような目で微笑んだ。

 何故こちらがわがままを言っているような顔をするんだ。解せない。


 だが文句を言ったところで優斗との友人漫才になるのは明らかなので、士郎は今朝見た夢を一から順を追って説明した。

 優斗は無言で相槌を打ちながら熱心に聞いてくれる。


 全て説明し終わったあと、友人はしばし眼鏡のブリッジに指をあてながら考え込んでいた。

 彼の言葉を待って士郎はその横顔を見つめ続けていた。じっくり思考してしばらく、優斗はゆっくりと口を開く。


「感想を言うなら士郎さん、貴方とうとう……って感じですが」

「ええぇ……」

「うーん、あと付け加えるならその桜小路さんとやらをヒロインにした、少女漫画かネット小説の悪女断罪シーンみたいだなと」


 悪女断罪。ヒロイン。

 夢の中で聞いた単語に士郎は目を瞬かせる。


「優斗、少女漫画ってそんなシーンがあるのか?」

「ほほう、逆に問いますが、士郎さんは悪役令嬢ものを御存じない?」


 眼鏡をきらりと光らせる友人に、士郎はたじろいだ。

 瀬名優斗は頭脳明晰なだけでなく、学園でも有名な雑学王で、その知識は文学科学などからサブカルチャー、果ては農業林業水産業まで幅広い。


 「僕の知識をお見せしますよ」と言わんばかりに笑う彼は迫力がある。

 面倒くさそう。

 あ、やっぱりいいです、とも言えない士郎はたじろぎながら頷いた。


「聞いたことないな。悪役令嬢もの?には女の子が断罪されるシーンがあるのか?」

「全部、とは限りませんがね。断罪されるのは悪役令嬢じゃなくて、場を掻き乱した連中の方が多いですが……」


 ある、と肯定されて、士郎は己の眉間に深いしわが刻まれたことを自覚する。

 やはり世の中には昨日見た夢のような……婚約者を追い詰め、断罪するシーンが登場する作品が存在しているのだ。


 改めて背筋がすっと冷たくなり、気色悪さに士郎は身を震わせた。


(言葉の通り、この世界のヒロインが破壊者で、あの未来を招くのか?最後に僕が百合香との婚約を破棄して…)


 自分が速水百合香を捨て、別の少女に乗り換える。そんなことがあり得るのだろうか?


 たかが夢と言われればそうだが、どうにも笑い話として切り捨てられず悩んだ。

 自分の脳みそが作り上げた幻覚とするには、最後に聞こえてきた声も意味深すぎる。


 もっと優斗から悪役令嬢ものについて聞いたほうがいいかもしれない。

 そう思って彼の方を振り返った時、ふいに遠くから「カンッ!」と硬い何かが弾かれた音が聞こえた。


 野球のバットがボールを打ち上げた音だ。

 そう気付いたとき、優斗がぎょっと士郎の頭上に視線を転じ、目を見開く。


「士郎さん!危ないっ!」

「……え?」


 はっと後ろを振り返ったが、時すでに遅し。

 勢いよく軌道がずれた野球ボールが、士郎の頭上すぐ先まで迫っている。


(ぶつかる!)


 避けられない。咄嗟に腕で頭をかばい、目を瞑る。ひゅっと何かが風を切る。

 「きゃあっ!」と女子生徒の悲鳴が聞こえた───刹那。響いたのは、パァンっ!と言う何かと何かが衝突する音。


 激突した。

 しかし士郎が予想していた痛みと衝撃はいつまでたっても来る様子は無く、恐る恐る目を開ける。


 何か大きな黒い塊が目の前にあった。


「うぬら、怪我は無いか?」


 その大きな塊が、もぞりと動き低い声を出す。

 こちらを案じるそれだったが、士郎はまだ現状がつかめず「え?」と声を出した。


「むう、少し驚かれているようだな。無理もない。いきなりかような物が飛んでくればな……」

「え?」


 今一度首を傾げれば、黒い塊からにゅっと伸びた太い腕。そこから繋がる大きな手のひらの中には、野球ボールが握られていた。


 手が大きすぎて野球ボールがピンポン玉のように見える。

 呆然としたが……そこで初めて士郎はその巨大な塊を人間だと認識した。


「貴方が助けてくれたの、で、す……か?」


 士郎は自分の語尾がどんどん掠れ、小さくなっていくのを自覚する。

 その巨大な塊、人間が私立月城学園の女子生徒の制服をまとっていたからだ。


(女の子……?)


 改めて、まじまじとその人物を観察する。

 まず黒い塊だと思ったのは、その人物の制服のせいだった。

 私立月城学園の制服は、男女ともに紺色のブレザーである。だから黒く見えたのだ。


 そして巨大に見えたのは……そのままである。

 その人物は士郎よりも背が高く、士郎よりも肩幅があり、士郎よりも腕も脚も太くたくましく、士郎よりも胸板が厚かった。


 何より、どこもかしこも発達し、隆起している筋肉がその人物を大きく見せている。


(おん、な、のこ……?)


 士郎の脳みそが、思考力を連れてぐるりと回る。


 確かに月城学園の女子制服を着ている。見慣れているから間違いない。

 だがその女子制服、ぱつんぱつんである。制服の上からでも腕の筋肉の形がわかる。胸筋の形がわかる。


 いやでも女の子である。プリーツスカートをはいている。

 しかしそのスカートから伸びる脚はまるで丸太のようである。たくましい。壁も蹴りやぶれそうだ。


 でも女の子である。ふんわりと内巻きにされたボブカットは栗色で愛らしい。

 例えその下についている顔が鬼のように険しく、鋭い目に尋常じゃない強い光が宿っていようとも。


「うぬ……、大丈夫か?」

「し、士郎さん!」

「はっ!」


 優斗に名前を呼ばれ、士郎はようやく思考を捻じれの宇宙から現実に帰還させた。

 そして目の前にいる巨大人物の鋭い目を再び見つめ、体を強張らせる。


 強張らせはしたがそこは何とか気力で保ち、にっこりと笑顔を作り上げた。

 多分、きちんとにっこりしていると思う…と内心心配しながら、彼女に話しかける。


「えっと、ごめん、ちょっとぼうっとしてしまって。君が助けてくれたのか?」

「うぬにボールがぶつかりそうであったからな。怪我がないようで何よりだ」

「……素手でキャッチしてくれたのか?」

「うむ」


 重々しく頷く彼女に、士郎はそっかーやっぱりなーと何処か他人事のように頷く。

 山のようにたくましい彼女は士郎に怪我がないことを一通り確認した後、くるりと踵を返した。


「それでは我は失礼する。このボールを返しに行かねばな」

「お礼参りですか?」


 小さく呟かれた優斗の言葉に士郎もそうなのでは?と疑い掛け、慌てて「あの!」と呼び止める。

 ずん、と効果音が付きそうなほど重い一歩がそこで止まった。


「助けてくれてありがとう!後でお礼をしたいんだけど!」

「礼など不要である。我はただ通りかかっただけゆえ」

「いや、でも……」


 ちらりと肩越しに振り返った彼女が、ゆっくりと首を横に振っている。

 背後で優斗が「関わらない方がいいのでは?」と耳打ちしてくるが、士郎はどうしても気になることがあった。


「じゃあせめて名前を、名前を教えてくれないか!?」


 鋭い目が逡巡するように瞬き、やがてため息をついた彼女はゆっくりと口を開く。


「我はみやび。桜小路みやびと申す者。今年この月城学園に入学したのだ」


 それだけ言って、筋肉の塊───桜小路みやびと名乗ったその人はずしんずしんと効果音を背負いながら去っていく。


 たくましき広い背中を見つめ士郎は心の中で「やっぱり」と納得し、優斗は聞き覚えのある名前に「え?」と首を傾げている。


 何よりも二人とも、あの内巻き栗毛のボブカットに見覚え、聞き覚えがあったのだ。

 名前を聞いて、それを確信する。


「彼女が、この世界のヒロインか……」

「え!?はっ!?」


 背後の優斗が「お前正気か?」とでも言わんばかりの声を出す。

 士郎も士郎で、自分の正気を疑いたかった。

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