滋賀旅行を振り返って
お正月だし、なにか愉快なものを書こうと思ったが、このところ新型コロナウイルスのせいで、面白く書けるような外出をしていなかったせいもあり、過去の話から掘り起こせればと思って、棚の中より日記を取り出した。僕の日記は、高校一年の頃から気が向いた時にのみ書き続け、今では五十冊に達しているが、日常のものは自分で読んでもつまらないものだから、学生時代の滋賀旅行の旅日記を記事として選んだ。
まず、僕はこの旅行の前日にある人物と揉めてしまい、逃げるように旅行に飛び出た、ということが日記には記されている。それで、気分が優れない状態で、新幹線に乗ったところで、旅が始まったのである。あれは忘れもしない、大学時代のある年の三月のことだった。
「ついに旅が始まった。少しばかり気分が優れないが、しだいに落ち着いてくるだろう。さすがにシーズンなので、新幹線も賑わっている。少しばかり眠い。いまだにこれから滋賀に行くという実感はもてていない。滋賀がどんなところなのかもいまだにイメージできていない」
日記はこんな風にして始まる。当時の僕は、滋賀県に一度も行ったことがなかったので、そもそもどんなところなのか、ということが最大の関心事だった。
関西という地域は、この旅行以前に京都と奈良そして大阪、和歌山を旅行していた。それらの旅の目的は、史跡めぐりと寺社めぐりだった。僕は大学で史学を学んでいたのだが、それまで関西の古寺を巡礼したことがなかったために、勉強不足を痛感し、こんな旅行を始めたのだった。
「京都に着くと、あまりにも馴染んでしまって、平常心のままの自分が嬉しいような悲しいような気分だった。はじめて京都駅に着いた時のわくわく感はもうそこになかった」
と日記の中で僕は嘆いている。
「比叡山坂本までとんとん拍子にいって、バスに飛び乗って、坂本ケーブルまでいき、わくわくしながら11分のケーブルの旅を楽しんだ。そこで琵琶湖を見て、さらにケーブルカーの駅の手前にある見晴らし台からの琵琶湖の絶景にとても感激した」
滋賀旅行は、このように比叡山を参拝することに始まり、その日は長浜のビジネスホテルに宿泊をした。理由はそこが安かったからだと思う。それについては日記に何も記されていない。
翌日には、別の目的のために高月に向かった。向源寺の十一面観音を拝むことが目的だったのである。
「今日は湖北の高月の観音めぐりと、彦根城へ行った。あと忘れてはいけないのが、長浜城とそこから見える琵琶湖とカモである。夕飯は近江牛のステーキと牛丼重みそ汁付きと小鮎のつくだ煮と赤こんにゃくのさしみであった。これには四千二百円もかかった」
学生の身分でしっかりとした高級な日本料理店に入ってしまい、1400円のステーキを注文したら、小皿に五切れ乗っているものが出てきて(やらかした……)と思って、それだけ食べて、落ち着いている振りだけして、逃げるように出てきた。それで他の店で食べ直したのである。刺身の飾られているカウンターに座ってしまい、料理人の視線の中で、大変気まずかったのを覚えている。
「感動したのは、○○にゃ○よりも、高月の人の暖かさ。困った時に何度も助けられた。高月は非常に長閑な田と山ばかりのところで、そこをレンタサイクルでかけめぐった。迷いに迷って、ロスしまくり、出発を予定していた12時18分に1分遅れで駅に着き、観光案内所の女性に相談した。おかげで飯屋でカレーライスとキムチを食べて、高月図書館にある井上靖記念館まで行くことができた」
と学生時代の僕は高月の方々に大変、感動している。ゆるキャラよりも高月の人々に感動したということが記されている。そこから記述は、その日の朝の出来事に舞い戻る。
「長浜城を見に行って、そこで猿がオリで飼われていたのは面白かった。ピンク色の花が咲いていて、裏側にまわるとそこには琵琶湖の浜(?)が広がっていた。間近ではじめて見る琵琶湖は、おそらく海よりも美しいと思う。色がやさしい水色で輝いているのだ。そこには沢山のカモがいて、みんなかわいらしかった。数十羽いたと思う。僕はその眺めに感激し、琵琶湖が好きでたまらなくなった。ピンク色の花(おそらく桜だと思うが)が、沢山あったので、それと重ねて写真を撮った。まことに美しかった。
結局、僕は琵琶湖が見たかったんだと思う。あと桜とか花とか。」
こういう具合で、日記の中の僕は、やたらと琵琶湖とカモに感動している。僕は鳥が大好きで、暇さえあれば、地元の鳩と戯れているが、この時はカモだった。
それから僕は、やきものの里、信楽に向かった。
「信楽へ、信楽高原鉄道で向かう。着いた瞬間からたぬきだらけである。少し歩けば、やきものがところせましに並んでいる工房や、お店に出くわす。僕は完全に異常な興奮に支配されていた。お店に入れば、味のあるやきもの、しぶいものもあれば、かわいらしいやきものもあって、興味津々たる状況で、ひやかして歩いた。
最初に入った○○というお店が、あそび心があって気に入り、丸い皿をおばあちゃんに買って帰ろうと思った。しかし、行く前から重くなるのが嫌なので、ひとつか多くてもふたつと決めていた。結果は、結局三つも買ってしまったのだが、それほど重くもなく、荷物にならなくて良かった。
信楽やきはたぬきに代表されるように、キャラクターもののやきものが多かった。ふつうのやきものの産地よりも、きっと面白いのだろう。それもあったのか知らないが(やきものの産地ってこんな面白いものなのか)と非常に驚いた。
その後、レストランへゆき、そこでミックスフライ定食を食べた。1200円ぐらいだった。これがとてつもなく美味いミックスフライ定食だったのだが、それは一旦おいておくとして、それに信楽やきの器が使われていて(器が良いとこんなに食事は楽しいのか)と感動した。同時に、やきものにこだわり、これからどんどん食事を楽しくしていこう、と思った。
またやきものの工房の見学もして、のぼり窯に興奮した。窯の中がレストランの席になっていたので、中へ入ってみた。もちろん、興奮した。
最終的には窯から戻って、○○という店に戻り、少しいそいでおばあちゃんとお母さん、自分用の皿、小鉢を三つ購入した。
信楽という町は、やきものの町ということで、僕はそのかもし出す土とあそび心と、また真心と、不思議で魅力的な雰囲気、ムードに完全にとりこになった。今回は湖北の芸術、信楽の芸術と、まことに楽しい芸術の旅でもあった」
とまとめられている。旅行はこの翌日、石山寺と三井寺を参拝したところで終わる。この日記は実際にはやたらと長く、新幹線の車内やホテルで時間がある度に書かれたものだった。小説家になろうで発表するほどのものではないが、心境小説のようなものを書きたくなって、これを素材に選んだ。また機会があれば、高月や信楽を旅したいと心から思う。




