第九話「人間の街へ行こう」
降り注ぐ太陽の熱は、体を動かしている者達には暑いとすら感じさせるが、優しくそよぐ風はひんやりとしていて、ともすれば肌寒くすらあるが、今はそれが心地よいと感じられた。
街道を行く三つの人影。彼らはこの先にある街へと向かっていた。
その道中、頭の上に小さな黒いドラゴンを乗せたユウリは、エルフ族の女性である同行者のステラから、何度も同じ注意を受けていた。そんな彼らの様子を他所に、小人とも言われるリリルト族の少年のマットが、無邪気に笑っている。
「いい? 人間の町までもう少しだけど、絶対に馬鹿な真似はしない事。特にユウリ」
「もう、何回も言われなくたって分かってるよ……」
「あんちゃんはすっげー強いもんな。隠さなきゃいけないなんて、めちゃくちゃカッコいい!」
何故そんなことになっているのかと言うと、彼らが出発する直前の事件が原因だった。
支度を整えいざ出発と言ったところで、どういう訳か突如として空からワイバーンが襲ってきたのだ。身構えるステラと慌てふためくマットを他所に、ユウリは背中の大剣を抜き放つと、跳び上がって襲ってきたワイバーンを一刀のもとに斬り伏せてしまった。
その余波で幾らか森の木々が吹き飛んだり、地面が抉れたり、墜落したワイバーンの死体が森の木々を薙ぎ倒したりと、なかなか派手な被害が出てしまったのである。
また死体を放置すると何が起こるか分からないため、仕方なく雑に切り分けた後、ユウリの魔法の多機能鞄に放り込んだのだ。
この件については、突然の事で已むを得なかったのだと、ステラもその時はそれ以上追及しなかった。だが人の町の近くまで行くために本来の姿となった、巨大化したテュポーンに乗って移動させられた後、彼らの非常識さに急遽、待ったをかけたのだ。
何故なら放って置けば、ユウリは巨大な黒いドラゴンに乗ったまま、直接町に降りかねなかったのだから、それも当然だろう。既に町は大騒ぎに発展していたので、急いでその町とは違う場所へと移動し、街や街道からも離れた草原に降りたのだ。
それからユウリはずっと事あるごとに、お説教染みた注意を受け続けているのである。
「ねえ、もういいでしょ? テュポーンも小さくなったし、無暗に剣も使わない。これでいいんだろ?」
「……ちゃんと分かっているのかしら? 貴方の力は規格外過ぎるのよ。どうやったらそんなお子様のまま、そんなに強くなれるのよ。貴方本当に人間の見た目通りの年齢なの? 実はその二十倍くらい生きてない?」
「だーかーらー、僕はまだ十五歳だってば!」
そんなやり取りを繰り返しながら、彼らは歩いて行く。
意外にも最も体の小さいマットは元気が有り余っているようで、彼らの歩く速度にも余裕でついてこれている。定住せずに好奇心の赴くまま、気まぐれに旅を続けるというリリルト族だからか、こういう旅は得意であるようだ。
「あんちゃん、アレなんだ?」
マットが指さした先に見えてきたのは、都市の周囲に広がる畑を囲む柵であろう。そしてその奥には城壁と思わしき石壁が、長く伸びているのが見える。
成人であっても一メートル前後にしかならないリリルト族の背丈では、まだ見え辛いようなので仕方がない。
ちらほらと遠目に人の姿も見えているし、先程から何度か旅人や行商人の物と思われる馬車とも、すれ違うようになってきた。
「えっと……多分、畑かな?」
「作業している人も見えるし、そのようね。奥に城壁らしきものも見えているから、もうすぐ街に入れるわ。街道を行く人も増えて来たし、マットはフードを外さないようにね」
「はーい!」
そう言ってステラも、フードを目深に被る。
彼女が言うには、人間以外の種族は亜人と呼ばれている。人間社会においては彼らは珍しい存在で、かといって積極的に歓迎されている訳でもない。人間と共生こそ出来ているが、パワーバランスは圧倒的に人間の方が上だ。
人間はその数を武器に、数や力で劣る亜人種に対して上位者として振る舞っていると、ステラは語った。彼女の説明は全て、外界を旅する変わり者のエルフが、たまたま里に寄った時に聞いた話だという。
だからこそこうして彼らはぱっと見、異種族だと悟られないような恰好で歩いているのだ。ステラが聞いた話がざっと六十年程前の事らしい、という事を除けば当然の行動だ。
無論、人間であるユウリはわざわざ隠す必要も無いので、普通に顔を出して歩いている。
また街道を歩くのに怪しまれないよう、ユウリもちゃんとフル装備状態だ。彼の兜はフルフェイスタイプではなく、ヘッドギアのような形状をしている為、見栄えもいい。
鎧姿は良く似合っていて、その装備を完全に使いこなしているだろうことが良く解る。それは年齢よりも幼く見える容姿の少年が、歴戦の戦士にしか見えなくなるのだ。
鎧を着けた直後はステラが思わず気圧され、暫く丁寧語になってしまった程で、決して容姿だけで今の彼を侮る者など居ないと、断言出来るほどに勇壮で自然な姿であった。
彼が纏う魔竜の鎧は、どちらかというと軽鎧に分類され、ヘッドギアにブレストアーマーやガントレット、グリーブといった部分を金属のような光沢を放つ、特殊な加工を施した竜鱗で要所を守り、それ以外は古竜の革で作られたスーツで身を守る構成になっている。更に特殊効果として、状態異常への耐性が高いのも特徴だ。
軽くて非常に動きやすく、それなのにワンランク下の全身鎧にも負けないだけの防御力と、衝撃吸収力を備えているという、非常に使い勝手の良い前衛向きの装備だ。ゲーム内で最高クラスの防具の一つだけあって、破格の性能と言えるだろう。
「しかし、驚くほど似合っているのよね……その格好。普通はもっと鎧に着られているとか、不格好だったり、その装備の格に劣っているものよ?」
そうステラが零す程度には、ユウリは今の装備に見合った貫禄を備えている。それもこれもゲームの中でとは言え、体を動かして数多の戦いを経験してきた事から来るものだからだ。
ゲームをしている間、その大半を彼はモンスターとの戦闘に費やしていた。対人戦こそあまり得意ではないが、それでも四割を切るか切らないかという程度の勝率だ。他のプレイヤーたちが観光やお喋り、生産活動にとゲーム世界での生活を満喫している間、戦い続けてきた結果だとも言えよう。
「この装備、結構気に入っているんだよね。綺麗で格好いいし」
「うん、あんちゃんすっげーカッコイイ!」
本人たちは知ってか知らずか、無邪気なもの。へにゃりと可愛らしい笑顔を浮かべた途端、勇壮な戦士は霧散して、鎧には不似合いな子供が姿を見せる。しかしそれも気を許している二人との会話の僅かな間だけで、すぐに元の歴戦の戦士が現れた。
段々と人通りも多くなっていき、周囲もユウリの姿を見ては、その威容に慄きながら道を開けていく。
傍目からはどこぞの貴族か騎士が、二人の従者を連れて歩いているようにしか見えない。そういった誤解を生んでいる事に、彼らが気付くことはなかった。
そんな風に彼らが進んでいくと、やがて大きな石壁に覆われた街が近付いてきた。
大きな堀が周囲を囲んでおり、中はやや濁った水で満たされていて、街から架かる跳ね橋だけが出入りを可能とする場所なのは想像に難くない。奥にある門の周りでは武装した門番と、街に入る為に順番待ちをしているであろう人々がすぐそこまで見えている。
上空から遠目にこの街を見た時は小さく感じたものだが、実際に近くまで来てみるとそんなことは全くない。
外壁は中々に大きく、高さは人の四倍はあるだろう。上には等間隔に見張りも立っていて、複数の弩が設置されているのが見えた。少し奥には物見の為の塔がそびえており、ところどころに開いた隙間は、中から矢を放つ為の小窓になっている。
彼らが到着したのは朝の忙しい時期を過ぎた、職種によっては軽く一服しているであろう時間帯。そのお陰で彼らの列はスムーズに進み、いよいよユウリ達は門番の前まで来たのだった。
「そこで止まれ! 街に来た目的は何だ? ここを通りたければ通行証と身分証を提示せよ。所持していないのなら税は倍額になるぞ。それと仮の身分証の発行も必要となる」
槍を携えた兵士が行く手を阻むように、ユウリ達の前に立ち塞がってそう告げる。
「どちらもないわね。わたしたちは冒険者になりに来たの。税とやらは三人でお幾らかしら?」
ステラが代表して答えると、兵士は少しだけ面倒そうな表情をした後、「……三人か。それなら倍で三ゴルンの、更に仮の身分証発行で三ゴルンだから、六ゴルンだな」と言った。
「六ゴルンって……銀貨六枚ね。ユウリ、貴方持ち合わせはある? わたしも流石にそんなに手持ちが無いのよね。元々人間のお金なんて、必要なかったし」
「へ。僕!? え、こっちのお金なんて持ってないんだけど……」
「ちょ、ちょっと! それじゃどうするつもりなのよ!? 街に入れないじゃない!」
二人が小声でやり取りする横で、彼らの前に立つ兵士は訝しむような視線を向ける。
「って言っても……あっちのお金使えるのかな? 一応、金貨だと思うけど」
困ったように呟きながらユウリの掌の上に、どこからともなく不可思議な財布が出現する。それを見たステラ達が驚いていると、財布の中から取り出されたのは一枚の金貨。
「ひゃ、百ゴルン金貨!?」
それを見た兵士が、驚きの声を上げる。するとユウリ達の周囲に居た、列に並ぶ者や他の兵士たちからも視線が集まる。その威容な空気に彼らが身構えてしまうのは仕方のない事だろう。
またユウリの装備を見て、彼はどこの騎士や貴族なのかなどと、語り合う者達まで出始めている。予想外に目立ってしまい、少年にとっては非常に居心地が悪い。
「えっと……これ、使えますか?」
「え、は、はい!? た、確かに百ゴルン金貨です。少々お待ちください!」
金貨を渡すと兵士は大慌てで詰所に向かい、暫くして小袋を大事そうに抱えて戻って来る。
「こ、これは差額の九十四ゴルンです。お確かめください」
「あ、はい。えっと、大丈夫です。後ろの人を待たせたら悪いんで」
小袋を受け取ったユウリは、顔を引き攣らせるように言う。自分のやらかした事に恐れ戦き、この場から一刻も早く立ち去りたいという考えで一杯になっているからだ。
「そ、そうですか。それでは仮の身分証を発行しますので、先に進んだところに居る者に伝えてください」
本来であればユウリ達はもう少し、兵から厳しくチェックを受ける。そうならなかったのはユウリの装備と、取り出したモノが原因であった。
少年によく馴染んでいる鎧に、背中に背負った剣と盾。それらを苦もせず、しっかりとした足取りで歩いている。おまけに無造作に取り出されたのが金貨とくれば、どこぞの貴族か富豪か。一般兵士からすればある意味で最も関わり合いになりたくない、厄介な人種だと判断されたのは、一応は幸運であったと言えるだろう。
言われた通り先に進み、そこで簡単な質問と名前を聞かれて答えると、割り印が押された小さな羊皮紙の、仮の身分証とやらを受け取る。
「仮の身分証は街を出る時にも必要になるので、無くさないように。正式な身分証としてこの街で住民票を作るのであれば、発行手数料が更にかかりますが、役所で受け付けています。では、どうぞお通り下さい。フィンダート王国が誇る交易都市、ベルンへようこそ」
兵士が道を開け、ユウリ達一行は前に進む。
「よし、行こう」
「……一時はどうなるかと思ったけど、あんまり驚かさないでよね」
門を通ると、今まで大人しかったマットがユウリの手を掴む。その手は少し震えていて、顔色も良くない。
「マット……?」
「……あんちゃん。おれ、ニンゲンの街……ちょっと、怖い」
つい昨日まで奴隷の身分だった小人の少年には、大きな街は過去を刺激する恐怖の対象でもある。また奴隷にされるのではないか、理不尽な暴力や嫌がらせを受けるのではないかと、不安を募らせるのは至極当然だった。
そんなマットの手をしっかりと握り、ユウリは優しく笑う。
「大丈夫。マットを苛める奴は、僕が全部やっつけるさ」
「……! うん!!」
「って、本当に力任せで解決したりしないでよ!?」
「し、しないってば…………多分」
そんな風に賑やかに、彼らは街の中へと無事入ることが出来たのであった。