第八話「黒き守護竜」
「うそ……嘘よ。そんなはず、こんなところに在る訳が……」
「え、えっと……どうしたの?」
彼女の異様な雰囲気に、ユウリも急に心配になってくる。マットも果物に夢中だったのが、流石にこの妙な空気に気付いて、不安そうに彼らを見つめていた。
『ふっ、流石はエルフと言ったところか。よくぞ気付いた』
「テュポーン……?」
唐突にそんなことを言い出す黒竜。ユウリは訳が分からないと言いたげに彼の竜を見つめるが、構わずテュポーンは口を開く。
『ステラと言ったか。貴様の見立て通り、その苗木は世界樹のものだ。そしてその苗木の主は当然ユウリであり、このオレ様がわざわざこの小僧に付き合っている理由……理解出来るな?』
「え? え? テュポーン?」
「そ、そんな! それってつまり……嘘でしょ、なんで人間なんかが世界樹に? でも、否定する要素なんて……」
そんな風に意味深にやり取りする一人と一匹に、ユウリはすっかり取り残されてしまっている。同じように話についていけないマットは早々に諦めて、ウトウトと舟を漕いでいた。
(失われたはずの世界樹の苗木を託され、新たな世界樹に相応しい場所を探す使命? テュポーン様が……世界樹と彼の守護竜と考えるなら、この非常識な魔道具やあの子の実力も、一応はまあ理解できなくはない。でも、なんで人間なんかに……)
彼女の思考は既に世界樹の事で埋め尽くされており、周囲の情報が入っている様子はない。そんなステラの様子を見て、テュポーンはニヤリと笑みを浮かべ、翼を広げてユウリの頭の上へとこっそり移動した。
『よしユウリ。いいか、適当に口裏を合わせろ。そうすれば暫くはこのエルフを利用できる』
「……は?」
そう小声で言われ、ユウリは目を点にする。言っている意味が分からないのだから、当然の反応だろう。
『昨日来たばかりで、この世界の事など判らねえんだ。だったら案内の一人や二人、お前には必要だろう? 丁度いい口実も出来たんだ。どうせあの苗木は持て余してて、惜しくはねえんだろ?』
手段と目的の好悪を除けば、黒竜の言葉は否定しづらい。世界樹の苗木は本来、一定のレベルに達して条件を満たしたギルドと、そのメンバーのみ手に入れられる物で、自宅の植木鉢に植える事で世界樹系の素材を制限付きとは言え、自由に採取出来るようになるという、夢のようなアイテムであった。
そのお陰でゲームの中では世界樹系の素材は安くはないが、普通に出回っている程度にはよく知られている。
が、そのギルドは既に解散しているし、その時のアイテム分配でたまたま苗木を分けて貰っていたのだ。しかも生産関係に全く興味が無かったユウリには使い道が無く、マイホームも持っていなかったので、仕方なくこのコテージに放り込んでいた。
売却なども出来ないので、仕方なくそのままインテリア代わりに置いておくだけで、使い道に困っていたのだ。一応、採取出来る素材を貯め込んでからバザーに出したりと、金策の一つになっていて便利ではあったが。
「い、いいけど。えぇ……いいのかな、そんなことして」
『いいんだよ。世界樹を植えられるような場所なんざ、早々見つかるはずがない。あのステラとか言うエルフの反応を見てみろ。世界樹がどれだけ希少な存在かと、わざわざ教えてくれているようなものだぞ?』
「で、でも」
『オレ様達が知るエルフと同じなら、あいつらにとっちゃ人間の寿命なんぞ、大した時間じゃねえ。寧ろ頼まれなくても勝手についてくるだろうよ。やつらにとって世界樹は、オレ様達が居た世界と同様、エルフの信仰対象だと見て間違いない』
いいようにテュポーンに丸め込まれつつあるユウリ。残念ながら少年には、圧倒的に人生経験が足りていない。それを覆すような返しなど浮かぶわけも無く、頭の上に居る竜の言葉に無言で頷くしかないのだった。
テュポーンの語る通りゲームの設定同様、この世界でも世界樹はエルフにとって特別な存在である。
彼らの伝承ではエルフの始祖が神々によって生み出された時、彼らを護り、育み、森で生きる術を与えた存在こそが、世界樹に他ならない。故に彼らは崇拝し、その存在を決して忘れることはないのだと言う。
しかしこの世界のエルフ達はこうとも伝えている。世界樹は神々の大戦の際に失われたのだと。
全てが失われ、荒廃した世界を蘇らせるため、その力を使い切って枯れ果てた。森は全て世界樹の子供たちであり、故に世界樹に育てられたエルフは森を守り、育てていかなければならないのだ。
そんな世界樹が苗木とは言え現代に存在し、共に居る人間と竜。彼らが知らぬ事とはいえ、それがエルフにとってどんな意味を持つのかは、想像に難くない。
『それに、だ。冒険者ってのはパーティを組むんだろう? 折角だからここでパーティメンバーを揃えておくのも、悪くないんじゃないか?』
「え、パーティメンバー?」
『そうだ。前衛のお前に、チョロチョロと敵を引っ掻き回せる小人。そして後ろから回復補助が出来る、精霊魔法を使うエルフだ。人選は悪くないだろう?』
そう言って得意げに笑うテュポーンに、ユウリは呆れたような表情を浮かべた。とはいえ、実際に戦うとなればユウリ一人で事足りる。
しかし魔法が必要な場面において、彼は無力だ。マジックアイテムで代用するという方法も無いわけでは無いが、だからこそ彼に欠けている部分を補うべきだと、相棒の竜は気を利かせてくれたのだろう。
もっとも、非常に高度な魔法を使えるテュポーン自身が補えば良いだけの話なのだが、本人にその気がないからこその提案である事に、ユウリが気付くことはなかった。
「……決めました。これからはわたしも同行します。エルフ族の一員として、既に失われたと伝えられている世界樹を、人間に委ねる事など出来ません。幾ら世界樹とその守護竜に選ばれたからと言って、手放しで認める訳にはいかないわ。貴方を見極める為にも、そして世界樹をお守りする為にも。ユウリ、いいわよね?」
不意に現実に戻ってきたステラが、ユウリとテュポーンに向かってハッキリとそう言い切る。その迫力にユウリは、ただ頷く以外の選択肢は許されていなかった。
「う、うん。よろしく、ステラさん」
「ええ。よろしくお願いするわ、ユウリ」
ぎこちないユウリの手を取って、ステラが挑戦的な笑みを浮かべる。
彼女にとっても、この決断は非常に悩ましいものであった。幾らその辺の人間よりは遥かに時を重ねているとはいえ、同族からすればただの小娘でしかない。そんな自分が世界樹と関わっても良いものかという、葛藤があったのだ。
そしてそこには重責が伴う事も理解しているからこそ、彼女はユウリとテュポーンがこそこそとやり取りをしている間、ずっと悩み続けていたのである。自身の故郷に報告し、判断を仰ぐべきではないか。それが出来なくても、もっと経験と研鑽を積んだエルフに託すべきではないのかと。
『よかったな、ユウリ。これでメシの心配をせずに済むじゃねえか』
「……そ、そうだね。うん、それは嬉しいかな」
テュポーンの身も蓋も無い台詞に苦笑するしかないが、それでもありがたいのは事実だ。この世界が現実であると認めざるを得ない現状では、食糧の確保には問題なくとも、それを調理する者が必要だった。
異世界生活二日目にして、そこに都合よく料理上手のステラが加わったのは、まさに僥倖であろう。
「んー……。あんちゃん、話終わったー?」
「うん、終わった……と、思う。そうだ、マットも僕たちと一緒に来る?」
「行く! 英雄のお手伝いやりたい!」
どうせならと軽い気持ちで誘ってみたら、小人の少年からも了承が得られた。その熱量は思ったよりも強いようで、ユウリが彼の憧れの英雄と重なっている事は、想像に難くない。
「英雄……ね。あの世界樹を植える場所を探す旅だもの。エルフから見ても当然そうなるし、わたしが同行するからには、必ずやり遂げるのよ!」
同行する事になった二人が、異様にやる気と使命感に燃えている横で、ユウリは一人置いてけぼりを食ったような表情をしていた。焚きつけたテュポーンは早々に興味を失くしてクッションの上に戻ってしまい、こちらを気にするそぶりも見せない。
お節介はここまで、ということらしいのだとなんとなく理解したユウリは、小さく息を吐いた。未だにこの状況が夢であるという希望は、完全には捨てきれていない。それでも覚悟を決めるしかないのだという事も、理解している。
そんな風に密かな葛藤を抱えている少年など露知らず、今後の方針を話し合うべきだとステラの提案に従うことにした。といっても、マットは勿論ユウリもこの世界の事がまるで分らないのだから、完全に彼女に任せるつもりだったりするのだが。
「そういえばユウリ。貴方は冒険者なの?」
「え? ……うん、前のとこではそうだったけど。こっちでは違うと思う」
「そっか。わたしも人間の町に行って、冒険者になろうと思っていたところだったの。これから長い旅になるんだし、一緒に冒険者登録とかいうの、してみる気はない?」
「冒険者登録……」
ステラに一緒に登録しないかと聞かれ、こちらの世界では冒険者は免許なり資格なりが必要なのか、とユウリはぼんやり考えた。
ゲームとは違い、こちらの冒険者は冒険者ギルドと呼ばれる組織に所属する必要がある。仕事の斡旋や狩った獲物の売却だけでなく、役所での手続きの代行などの利点がある。
特に亜人にとっては人間社会での仕事を、最も手軽に受ける事が可能であり、この辺りでは特に社会的地位の低い亜人種が金銭を稼ぐ上でも、最も効率が良いのが冒険者とされている。
今後この世界での金を稼ぐ必要もあり、仕事らしい仕事などした事のない少年には、選択肢などあってないような物でもあった。
「そう。冒険者になっておけば町から町へと移動もしやすいし、人間の世界ってお金が必要なんでしょう? だったら稼げる方法もあると、ユウリにも何かと都合がいいんじゃない?」
「なるほど」
「あとマットも来るなら、この際だし一緒に登録しておきましょう。三人でパーティを組むなら、仕事もしやすいでしょうし」
「うん、いいよ!」
「えっと……うん。戦うのは任せてよ。これでも剣には自信あるから、ギガントバジリスクとかグレータードラゴンくらいなら、ソロでも倒せるし」
ユウリが何気なくそう言うと、ステラの目が大きく見開かれる。マットは凄い凄いと無邪気にはしゃいでいるだけで、それがどれほど凄いのか理解出来ていないのは、最早お約束になりつつある。
『オレ様抜きでもグレーターどころか、エルダードラゴンも一人でやれるだろう?』
「えー……僕は回復手段が気功スキルかアイテムしかないから、ちょっと難しいよ。大体空を飛ばれたら、レッサーでも時間かかっちゃうし」
『それもそうか。まあ、無傷に近い状態で楽に倒せる相手は、その辺ってことだな』
「そうだね。でもこっちの冒険者って、どれくらいの相手を倒せばお金になるんだろ?」
『んなもんオレ様が知る訳ないだろ。ま、人間の町とやらに行って確かめな』
「うん、わかった」
そんな異次元の会話をしている横で、唯一この世界の強さの常識をある程度は理解しているステラが、頭を抱えていた。